E.C. 997.09-1
前回更新分より時間は遡りまして、セレスティアとマリアンヌの出逢いのお話です。
「ごきげんよう、ブラッドリー嬢。マリアンヌ=ランス=ジュエリアルと申します」
以後お見知りおきを、と言って微笑む女性は、女神か何かのように美しかった。
太陽の光を細くより合わせてこしらえたような艶やかな長い金糸の髪、それと同色の扇形のまつげ、すらりとつり上がった知的そうな眉、澄み切った夏空のように蒼い眸、なめらかな白皙の肌、咲き初めの薔薇のような頬、熟れた林檎のように赤い唇、均整の取れた女性らしい体つき。
こんなにも綺麗な人は見たことがない。輝くばかりの第二皇妃の美貌に、ただただ見惚れた。
「……ブラッドリー嬢?」
「へぁ!?」
「え、何。どうなさったの」
「妃殿下」
「あぁ、そう言えばそうね。発言を許します。ブラッドリー嬢」
何も言わないセレスティアの反応を誤解したのか、侍女に耳打ちされ第二皇妃は言う。この国の礼儀作法として、公の場で下位の者は上位の者が許可して初めて発言できる。
とはいえセレスティアもそんなことは失念しており、ただただ呆けていただけなのだが。
「あ、えと、第二皇妃殿下におかれましては、ご機嫌麗しく存じま……す?セレスティア=ブラッドリーと申します。以後、おみし……おしみ……おみしおききをください……?」
「『おみしおきき』って何かしら?それにどうしてすべて疑問形?」
「えっと……まだちょっと慣れてなくて……。ごめんなさい」
怪訝そうに首を傾げた第二皇妃に素直に謝るも、とっさに地が出てしまい、後ろでメイドが頭を抱える気配がした。
もともとセレスティアは四大公爵家の御令嬢であるものの、次女であるためあまり厳しい教育は受けてこなかった。
両親の期待はすべて長女である姉のフィオナに向けられ、セレスティアはよく言えば「のびのび」、包み隠さず言えば「ほったらかされて」育った。
それがフィオナの死によって急遽城に上がることになったため、礼儀作法も付け焼刃でしかない。
そんな事情を知っているのかどうかはわからないが、第二皇妃は肩から零れ落ちた髪を払いながら言う。
「まぁ……貴女もいろいろ大変だったようですからね」
「え……」
「お姉様のこと、おつらかったでしょう」
第二皇妃はセレスティアを気遣う言葉をかけたかと思うと、大きな瞳を更に大きく見開いた。口こそ開いていないが、明らかに「驚いた」表情だ。
本当に美しい人は物憂げな表情をしていても驚いた表情をしていても美しいのだと、セレスティアは初めて知った。
第二皇妃は一体何に驚いているのだろう。
そんなことをぼんやり考えていると、頬に何か温かなものが流れているのを感じた。
触れて見ると、それは涙だった。自分でも気付かぬうちに、セレスティアは泣いていた。
「ちょっと。どうして泣くの。わたくし何か酷いこと言いました?」
「だって……そんなの……だって……」
美人は焦っていてもやはり美しい。
そんな場違いなことを考えながら、セレスティアは止めどなく流れる涙をぬぐう。
そんなこと、誰も言ってくれなかった。言ってはいけないことなのだと思っていた。
姉は、優しい人だった。
目を見張るほどの美女というわけでも、他者を圧倒するほどの威厳を持ち合わせているわけでもなかったけれど、優しい人だった。
穏やかで、清らかで、山間に咲く白百合のような楚々とした美しさを持っていた。
いつも微笑んでいる優しい姉のことが、セレスティアは大好きだった。
だから姉が死んだとき、本当に哀しかった。哀しくて哀しくて、心が壊れてしまいそうだった。
けれどセレスティアよりも先に壊れたのは、セレスティアの母の方だった。
姉の訃報を聞いて倒れた母はそのまま寝込み、うわごとのように何度も何度も姉の名を呼んでいた。
美しいけれど厳しくてどこか冷たい印象のある母がそれほどまでに姉のことを想っていたことに、驚いた。
そしてそんなにも母に愛されていた姉のことを羨ましいと思った。
そんなことを思うなんて不謹慎だと自分でもわかっていた。だから絶対に口に出さなかった。
あの頃ブラッドリー公爵家の屋敷には、入れ代わり立ち代わり人が来ていた。
中まで入ってくるのは親類や城からの使者ばかりで、姉のアカデミー時代の友人の家の遣いは玄関で追い返されていた。
葬儀の連絡はまた改めて行う。今はそれどころではない。
弔問客にそう告げるメイドや執事を見て、姉を悼むことよりも大切なこととは何なのだろうかと不思議に思った。
大人たちが難しい顔をして話し合うなか、セレスティアはずっと蚊帳の外だった。アカデミーに行きたいと訴えても今はダメだと叱られた。
メイドが用意してくれないと制服の在り処もわからないし、馬車を出してもらえなければ辿り着けさえしない。
誰にも相手にされない屋敷の中で、何もできないセレスティアは一人、姉のことを考えた。
大好きな姉様。可哀想な姉様。
でもセレスティアも可哀想。生きていても死んでいても、誰にも相手にしてもらえない。
なんて可哀想。
そんなことを考えながら白いハンカチーフに黙々と刺しゅうを施していた。
他にやることもないので部屋に閉じこもってひたすら針を動かした。
姉が好きだと言っていたコスモスの花。赤や黄色、薄紅や黒紫。様々な色の糸でハンカチーフが埋め尽くされる頃、妙に晴れやかな表情をした父に呼ばれた。
部屋から出ると、昨日までとはうって変わって屋敷の中が明るくなっていた。寝込んでいたはずの母も笑顔で動き回っていた。
セレスティアの知らない間に世界は終わりを迎えてまた新しく始まったのだろうか。
不思議に思いながら父の話を聞いていた。
フィオナが死んでしまったのは本当に残念なことだけれど、これからはフィオナの分もお前が立派に生きるんだ。
神妙な顔をした父は、そんなことを言っていた気がする。
「フィオナの分も生きる」とは、どういうことなのだろう。姉様が亡くなったのに、どうしてお母様は元気になったのだろう。
問うことを許されない疑問が解けたのは、その二日後。
気付けばセレスティアはジュエリアル城にいた。
ずっと憧れていた、皇帝陛下が住むお城。綺麗で美しいものばかりで埋め尽くされているであろうお城。フィオナが皇妃として上がるはずだったお城に、セレスティアはいた。
一般の貴族が登城する「宮殿」の先にある「宮廷」の一室で、皇帝の近侍を名乗る青年の説明を受けてようやく、自分がフィオナの代わりに第三皇妃として「後宮」に入ることになったのだと理解した。
状況が理解できてもどうしてそんなことになったのか納得できないまま、皇妃教育を始める、と別の部屋に連れていかれた。
そして質問も反論もできないセレスティアの前に講師として現れたのが、第二皇妃を名乗る嘘みたいに綺麗な女神様だった。
もう、何が何だかわからなかった。
姉の死からまだ一週間しか経っていないのにどうしてこんなことになったのか。
なぜフィオナの代わりにセレスティアが皇妃として皇帝に嫁ぐことになったのか。
なぜフィオナが死んでしまったのに両親はあんなにも嬉しげだったのか。
なぜ親類も城の侍女も近侍の青年もセレスティアに「おめでとう」と言ってきたのか。
わからないけれどただ一つ確かなのは、セレスティアは今、とても哀しい。
フィオナが死んでしまって、哀しくて、つらくて、寂しい。
そのことを自らの頬を流れる涙で知る。
そのことに気付かせたのは、目の前にいる美しい人。
「……フィオナさまは、とても素敵な方でしたわね」
しばらく口を噤んでセレスティアを眺めていた第二皇妃が口を開く。
泣きやまないセレスティアに呆れてしまったのか、その顔から焦りの色は消えていた
「姉を……ご存知なのですか……?」
「えぇ。アカデミーでご一緒しておりました。言葉を交わしたことは数えるほどしかありませんでしたが、お淑やかでお優しく、常に笑顔を絶やさぬ穏やかな方。皆に慕われていらしたわ」
そう言って、マリアンヌは立ち上がる。
淑女の鑑のような立ち居振る舞いでセレスティアの元まで歩み寄り、セレスティアの頬にハンカチーフを当てた。
「……人が死ぬのは、哀しいわ」
「妃殿下……」
「それが大切な人ならば、なおさら」
慰めや偽りではない、心からの言葉に思えた。
彼女も誰か、大切な人を亡くしたことがあるのだろうか。
女神のように美しいこの人も、哀しいときは涙を流すのだろうか。
「けれどね、セレスティア=ブラッドリー嬢。どうか約束して頂戴。自分のために泣くのは今日で最後にすると。これからあなたはこの国のため、陛下のために生きるのだから」
それはまるで、神の啓示に等しかった。
「姉のために生きろ」という父の言葉に抱いた疑問も、今は少しも抱かなかった。
「大丈夫。わたくしもいっしょよ」
「……いっしょ……」
「えぇ。共に陛下をお支えしましょう」
そう言ってマリアンヌは、唇に笑みを浮かべた。
*
絶望の中で出逢った女神は、美しく、気高く、セレスティアを導く光だった。
セレスティアの哀しみを理解し、慰め、生きる意味を与えてくれた。
その日から、マリアンヌはセレスティアのすべてになった。
セレスティア視点の番外編内での登場人物について簡単に。
年齢は今回更新時点のものですが、年齢差の目安になれば。
セレスティア=ブレイド=ジュエリアル(14)
・第三皇妃 髪:緋色 瞳:碧色
フィオナ=ブラッドリー(故19)
・セレスティアの姉 ブラッドリー家長女 髪:褐色 瞳:碧色
ニコラ=ホーキンズ(22)
・第三皇妃付侍女 元ブラッドリー家メイド 髪:栗色 瞳:翠色
マリアンヌ=ランス=ジュエリアル(19)
・第二皇妃 髪:金色 瞳:蒼色
ルーカス=ジュエリアル(22)
・皇帝 髪:亜麻色 瞳:銀灰色
カーティス=ディルク(23)
・皇帝付近侍 髪:褐色 瞳:藍色
アデルバート=セイルヴ=ジュエリアル(3)
・第一皇子 髪:亜麻色 瞳:銀灰色
レベッカ=エイミス(23)
・第一皇子付侍女 髪:杏色 瞳:瑠璃色




