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夢のあと  作者: 緋桜
第五章
39/114

E.C.1019.08-3


 グレイスターを連れてレオンハルトがアルフォート侯爵家を訪ねると、長男、ダニエル=アルフォートが出迎えてくれた。


「御機嫌麗しく存じます、皇太子殿下。殿下自ら我が妹に会いに来てくださるとは、光栄の極み。恐れ多いことにございます」

「……ごきげんよう、アルフォート小侯爵。息災そうで何よりです。妹君の御加減はいかがですか」


 グレイスターの三歳上の兄であるダニエルは、口数の少ない弟と違ってよく喋る、調子のいい青年だった。

 その軽薄な雰囲気は十三歳の誕生日にレオンハルトの前から消えた教育係の男を思い出させ、何とも言えない気分になる。


「妹は今参りますので少々お待ちいただけますか」

「今?ディアナ嬢は体調がすぐれないとおうかがいしましたが……」

「あぁ、体調がすぐれないのは明日の予定ですね。今日はほら、参りましたよ」

「お兄様!シャンデレーゼのプティングを取り寄せてくださったって本当で……す……」


 応接室に元気よく飛び込んできたのは「明日体調がすぐれない予定」のアルフォート侯爵家の長女、ディアナ=アルフォート。

 何の説明を受けたのか、頬を紅潮させうきうきと飛び込んできたディアナは、部屋の中にいる己の婚約者の姿を見つけた瞬間、見る見るうちに蒼白になった。


「ディアナ嬢……」

「―――ッキャ―――!!」

「!?」

「!?」


 突然の絶叫。驚いて身構えるレオンハルトとうっかり愛剣に手をかけるグレイスターを置き去りに、ディアナは踵を返して一目散に走り去る。

 こんなときでも決してスカートを翻さない優雅さは淑女の鑑だが、そもそも淑女は走らない。いついかなるときも。


「おやおや。皇太子殿下がいらっしゃってプディングを御土産に下さったと伝えるようメイドに命じたのですが、どういうわけかプディングのところだけ伝わってしまったようですね」

「……アルフォート小侯爵……」

「申し訳ございません、皇太子殿下。メイドにはきつく言っておきますので」


 どこまでもひょうひょうとしたダニエルが形ばかりの謝罪を口にする。

 軽薄な長男と生真面目な次男、二人を足して二で割ればちょうどいいのにとため息を吐く。


 とはいえ今は兄よりも妹だ。


 レオンハルトの知るかぎり、ディアナは控えめで慎ましく、常に優雅に振る舞う淑女の鑑だった。

 初めて見る取り乱した婚約者の姿に、レオンハルトは腹を立てるよりもむしろ戸惑いの方が大きい。


 しかし真面目で朴訥、主君と任務に忠実な近衛騎士の方は戸惑いよりも怒りの方が強いらしい。


「……兄上。ディアナの部屋は昔のままですか」


 地を這うような怒りを湛えた声で、グレイスターが兄に問う。

 またもや初めて見る近衛騎士の姿にレオンハルトは目を丸くするも、ダニエルは全く動じていない。弟の問いににこやかに答える。


「あぁ。二階のつきあたり、お前が使っていた部屋の隣だよ」

「少々失礼いたします」

「グレイスター……」


 兄に断りを入れ、グレイスターは部屋を出る。勝手知ったる自分の実家。迷いなく階段を上るグレイスターに慌てて続く。


 階段を上ると、ダニエルが示した廊下のつきあたりの部屋の前にメイドが三人立っていた。

 閉ざされた扉を挟み、部屋の主とメイドたちの攻防戦が繰り広げている。


「お願いですからお嬢様!どうか出てきてください!」

「嫌よ!会いたくないわ!」

「お嬢様、我儘をおっしゃらないでください!」

「嫌なものは嫌なの!」

「ディアナ」

「―――ッ」

「ここを開けなさい」


 おろおろするメイドを制し、グレイスターが扉の前に立つ。

 部屋に籠城するディアナに命じるグレイスターは、表面上はいつも通りの無表情だが、明らかな怒りをまとっている。


「ディアナ。開けなければこの扉を斬るぞ」

「その場合修繕費は城に請求しても?」

「……皇太子宮にお願いします」

「ディアナ」


 軽口を叩く兄と大真面目に答える主は黙殺し、グレイスターはもう一度妹を呼ぶ。


 次兄の本気の怒りを感じとったのか、斬られたくないほど扉がお気に入りなのか、ディアナが部屋から出てきた。


 薄紅のドレスを纏い蜂蜜色の巻き毛を編んで結っているディアナは、どこからどう見ても元気そうで、とても体調不良には見えない。

 万が一の可能性も無いわけではなかったが、やはり仮病だったようだ。

 たちの悪い病にかかったわけではなくてよかった、と安堵する反面、どうしてディアナがそんな嘘を吐いたのか、レオンハルトにはわからなかった。

 メリエルの言う通り、気付かないうちにディアナを怒らせてしまったのだろうか。嫌われてしまったのだろうか。


 そう悩むレオンハルトとは対照的に、グレイスターにとってはディアナがレオンハルトを避ける理由などはどうでもいいようだ。


「ディアナ。お前、自分が何をしたのかわかっているのか」

「……」

「お前がしたことは虚偽罪だ。アカデミーに行きたくないと仮病を使うこととはわけが違う。お前はこの国の皇太子殿下を騙そうとしたんだぞ」

「そんなつもり……」

「お前がどんなつもりでも、事実はそうなんだ」


 兄からの糾弾に、ディアナは眉を寄せ、俯く。瑠璃色の瞳には涙が溜まっている。


 だがグレイスターの言っていることは正しい。

 婚約者といっても、レオンハルトとディアナは恋人同士のような気安い関係ではない。

 二人の婚約は皇帝が定めたこと。いわば国事だ。

 また皇帝と皇妃が普通の夫婦と違うのは、伴侶であると同時に主従でもあるということ。妻の立場で夫に逆らうことは許されない。

 だからたとえディアナがこの婚約に不満を抱いていたとしても、好き嫌いを理由に解消することなどできない。


「何とか言いなさい、ディアナ。お前はもうすぐ皇太子妃となり、いずれは皇妃となるんだぞ。その自覚を……」

「―――わたくしは、『皇妃』になりたかったわけではありません!殿下のお嫁さんになりたかっただけです!」


 次兄の言葉に、ディアナは声を荒らげる。


 これほどまでに感情を露わにする婚約者などレオンハルトはやはり初めて見たが、それよりも、ディアナは今まで一度もそんなことを言ったことはなかった。

 婚約者候補として他の令嬢と一緒に交流していた際も一番端でひかえめに微笑んでいるだけだった。

 正式に婚約が決まってからもその座に胡坐をかいて増長するようなこともなく、己の分を弁え、節度をもってレオンハルトと接し、皇子妃教育に励んでいた。


 その姿を見て、レオンハルトに対する特別な好意など無く、ただ淡々と忠実に自らの役目を果たしているだけだと思っていた。


 それなのに今の発言は、まるでレオンハルトに特別な感情を抱いている――すきだと言っているように聞こえた。

 けれどそうだとすればなおさら、どうしてレオンハルトを避けるのか。


 矛盾したディアナの言動に困惑するレオンハルトたちに、ディアナは更に声を上げる。


「『皇妃』になんてなりたくない!!だって、皇妃になったら、殿下が帝位に就かれたら、いずれは側妃を迎えられるのでしょう!?そんなの、耐えられません!」

「ディアナ嬢……」


 皇太子はいずれ皇帝となり、皇太子妃は皇妃―――正妃となる。この国で唯一複数の妃を娶ることができる皇帝は、やがて正妃の他に側妃を迎える。それは聖なる血を、国を繋いでいくために必要なこと。

 その慣習に異を唱えるとは、皇帝に仕える妃としてあるまじきこと。自らの感情で政に口を出すなど、あってはならないこと。


 宰相を父に持ち、皇子妃としての教育を受けてきたディアナにそれがわからないはずないのに、目の前の少女は、それが嫌だと言って泣く。

 誰もが羨む皇妃の立場も、他の女とレオンハルトの愛を分け合うくらいならそんなもの要らないと訴える。

 彼女にとってレオンハルトが皇子かどうかなどどうでもいいのだと、レオンハルトはこのとき初めて知った。


 十五のときから五年間共に過ごしたけれど、レオンハルトはディアナのことを何もわかっていなかった。

 こんな彼女、知らない。


 ――知りたくなどなかった。


「……お慕いしております……レオンハルト様……。初めてお会いしたときからずっと、あなたの唯一になりたかった……。あなたを独り占めしたかった……」


 瑠璃色の瞳を涙で濡らし、切に訴えてくるディアナを目の当たりにしても、レオンハルトの心は少しも動かなかった。


 そのことを、申し訳ないと思う。

 自分はなんと酷い男なのだろうかと。


「このような強欲な女、皇太子妃に相応しくありません。ですからどうか、婚約を解消してください……」


 瑠璃色の瞳から零れ落ちた涙を、そっと拭う。


 きっとこの涙と同じように、レオンハルトはたくさんのものを取りこぼしてきたのだろう。

 自らのことで精いっぱいで、周りを顧みる余裕など無かった。


「……ディアナ嬢」

「……」

「約束するよ。決して貴女以外の妃を迎えることはなしない。私の妻は、貴女だけだ」

「レオンハルト様……」


 その言葉は、決して愛情からくるものではない。

 ただこれ以上、ディアナを裏切るようなことはできないと思った。



【本編にもちょっとだけ出てきてる設定の補足⑬】


皇族・貴族の敬称・公称について。


皇帝…陛下

正妃…正妃殿下、クイーン+名前

側妃…妃殿下、クイーン+名前

皇子…皇子殿下、プリンス+名前

皇女…皇女殿下、プリンセス+名前


 皇爵家の当主 …家名+公

公爵家以下の当主…家名+卿、家名+〇爵、ロード+家名

当主以外の貴族男性…家名+殿

  貴 族 の 妻  …家名+夫人、家名+〇爵夫人、マダム+家名

貴 族 の 跡 取 り …家名+小〇爵(例:ランチェスター小公爵、アルフォート小侯爵)、家名+殿

跡取り以外の貴族の令息…家名+〇子(例:ランチェスター公子、アルフォート侯子)

 未婚の貴族の女性  …家名+嬢、レディー+家名



基本的に貴族の当主以外の男性は「卿」を名乗れませんが、例外として大臣職や皇族の家庭教師、近衛騎士に就任した場合名乗ることができます。(宰相は「閣下」)

ただし近衛騎士の場合は「(サー)」になるので、ジャンは「アトリー卿(ロード・アトリー)」、グレイスターは「アルフォート卿(サー・アルフォート)」、となります。

侍女も城では基本「家名+嬢」で呼ばれますが、レオン→レベッカ・アデル→ステラのように相手の方が年上の場合は「家名+女史」で呼ばれることもあります。


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