E.C.1019.08-1
時間は再び戻って、レオンハルト20歳のときのお話です。
温かな木漏れ日の中、風にそよぐ長い亜麻色の髪は太陽の光を受けて金に見えた。
「宮廷」の庭園で樹に背を預けて座り本を読む妹姫。その妹姫をモデルに絵を描く兄皇子。その兄にまとわりつく弟皇子。
遠目で見れば、微笑ましい光景だった。
しかしその実情は、大好きな姉姫を独占する兄に嫉妬する弟皇子。
弟皇子が兄皇子にまとわりついているのは甘えるためではなく、攻撃するためだ。
「皇子殿下はすっかりウィルに懐いてくださいましたね」
「……そうですか?」
レオンハルトにはロベルトがウィリアムの背中をぽかぽかと叩き、周りの侍女がおろおろしているように見えるのだが、優雅にお茶を飲むセレスティアはおっとりと微笑む。相変わらずのマイペースぶりだ。
前皇太子アデルバートの死から三ヶ月経ったある日の午後、レオンハルトは「宮廷」の庭園で第三皇妃セレスティアとともにティータイムを楽しんでいた。
既に「後宮」を出たレオンにとって彼女との「逢瀬」は久しぶりだったが、以前と違うのはその場に第三皇子のウィリアム、第四皇女のクリスティーナ、第四皇子のロベルトもいることだ。
最初のうちは大人しくお茶を飲みお菓子を楽しんでいたのが、次第に飽きたのかウィリアムがクリスティーナに絵のモデルを頼み、芝生の方へと向かい、座って描き始めた。
姉にべったりのロベルトもそれについていったが、今度はロベルトの方が飽きてしまったのか、キャンバスに向かうウィリアムの邪魔をし、侍女に止められている。
「レオン様」
愛息が継子から物理的攻撃を受けていても、セレスティアはまったく気に留めない。
音を立てずカップをソーサーの上に置き、レオンハルトに向き直る。
「はい」
「そろそろ第四皇女殿下と第四皇子殿下のお住まいを『後宮』に移そうと思います」
「え……」
「ちょうどキャリーとウィルが使っていた部屋が空いていますし。今はまだお二人ご一緒の方が何かとよろしいでしょう」
生母であるローズマリーの死後、クリスティーナとロベルト姉弟の後見人は、長兄であるアデルバートが務めていた。
そのため二人は兄とともにセイレーヌの離宮で暮らし、アデルバートとともに帰都した際も「後宮」には上がらず「宮廷」で過ごしていた。
そしてアデルバートの逝去後、彼らの後見人はレオンハルトが引き継いだ。
とはいえ何かと忙しく彼らの処遇については棚上げ――もとい様子見していたのだが、本来未成年の皇子や皇女は「後宮」で暮らすのが原則だ。
「今までお二人がセイレーヌで暮らしていたことの方が異例なことだったでしょう。
それとも、お二人にこだわる理由が何かありまして?」
「……」
穏やかな、けれど有無を言わせない迫力のあるセレスティアに、レオンハルトは何も言い返せない。
とは言えむしろ、彼女の申し出はレオンハルトにとってはありがたいものでもあった。
「レオン兄様ー!!ロビンが……ロビンが……僕の絵を……ッ」
破かれてぐしゃぐしゃにされた描きかけの絵を手に、半泣きでウィリアムが駆け寄って来る。
何事かと先程まで彼がいた芝生の方を見ると、困ったような表情のクリスティーナに抱きついたロベルトがこちらを睨んでいた。
「どうした、ウィル」
「ロビンが僕の絵を破いたんです!せっかくクリスティーナを描いていたのに!!」
「……」
涙ながらに訴えてくるウィリアムに、レオンハルトは呆れて二の句が継げない。
もうすぐ十六になろうというのに、十以上歳下の弟に泣かされかけるとは情けないにもほどがある。
さすがに甘やかしすぎたかもしれないと、レオンハルトは己の所業を若干悔いた。
「ごめんなさい……ウィリアムお兄様……」
ロベルトの手を引き、クリスティーナがレオンハルトたちのいるガゼボの方へと歩いてくる。
父によく似た面立ちのクリスティーナは、けれど同様に父似である異母姉のキャロライナとはあまり似ていない。
活発で常に自信に満ち溢れていたキャロライナと違い、クリスティーナは常に伏し目がちでどこか物憂げな印象が強い。
けれどキャロライナ同様、弟の前では姉として毅然とふるまう。
「ロビン……。ウィリアムお兄様をいじめてはだめよ」
ロベルトの手をほどき、肩に両手を置いて諭すようにクリスティーナが言う。
その隣でうんうんと頷いているウィリアムは、九つも下の妹にまで「いじめられている」と判定されていることに気付いているのだろうか。兄としてそれでいいのだろうか。
呆れるレオンハルトとセレスティアにはかまわず、クリスティーナに叱られたロベルトは唇を尖らせる。
「だって、姉様……」
「ロビン」
柔らかな口調で、けれどきっぱりとクリスティーナに咎められ、ロベルトは唇を噛み俯く。そしてそのままクリスティーナの腰に抱きついた。
だって、姉様、ぼくの……とたどたどしく反論するも、何が言いたいのかわからない。
鼻をすする音が聞こえ始め、幼い弟を泣かせてしまったのかとウィリアムが焦り出す。
気の強い同母姉には対抗できるようになっていたが、悪魔のような我儘ざかりの弟には弱いらしい。
思えば第二皇女のコーネリアや第三皇女のマーガレットとあまり交流の無いウィリアムはずっと末っ子扱いされていたため、幼子の扱いには慣れていないのだろう。
「ロベルトは、姉上様のことが大好きなんだね」
レオンハルトがそう話しかけると、ロベルトは弾かれたようにクリスティーナの腰にうずめていた顔を上げる。
しゃがみ込んで様子をうかがうレオンハルトとちょうど視線の高さが同じになり、至近距離で視線がからまる。
今年三歳になったロベルトは、姉姫以上に生母であるローズマリーによく似ている。
アメジストのような紫の瞳も、黒曜石のように黒い髪もまるで同じだ。
――気が狂いそうになる。
ローズマリーと同じ色の無垢な瞳に見つめられると、己の罪を突きつけられている心地になる。
顔を上げたロベルトはきょろきょろと周りを見回し、レオンハルトに視線を戻したあと、唇を噛み、再びクリスティーナの腰に顔をうずめた。
「ロビン……?」
「……にいさま……」
涙の混じる声で、ロベルトがそう呼んだのは、レオンハルトのことではないと察した。
三歳のロベルトが兄と慕うのは、レオンハルトでもウィリアムでもない。
「あら、どうなさったの皇子殿下。ウィルが何か意地悪しました?」
「母上……。どちらかというと苛められたのは僕の方ですが……」
「お見苦しいところを……申し訳ありません」
「かまいませんわ、皇女殿下。それよりもどうなさったの?」
「……」
クリスティーナは一旦ロベルトの腕をほどき、しゃがみ込んで前から抱きしめた。
ロベルトの頭に頬を寄せるクリスティーナの顔は、やはり異母姉とはあまり似ていないように思えた。
「……皇太子殿下とお兄様のお声がとてもよく似ていらっしゃるから、お兄様のことを思い出してしまったようです」
「え……?」
「確かに、レオン様のお声、ますますアデルバート皇子殿下に似てまいりましたわね」
「私の……声が……?」
「以前から思っておりましてよ。やはりお二人とも御兄弟ですわね」
レオンハルトとアデルバートの顔立ちはあまり似ていない。レオンハルトは母親似で、アデルバートは父親似だからだ。
またそもそも離宮以外で顔を合わせることもめったになかったため、「似ている」などと言われたのは初めてだ。
思いがけない言葉を受け、レオンハルトのなかである疑念が確信へと変わる。
「それに皇女殿下も、アデルバート皇子殿下によく似ていらっしゃるわ」
「え……」
「不思議ですわね。女の子ですけれどキャリーよりも皇子殿下のお小さい頃に似ていらっしゃるわ」
「……妃殿下はお兄様のお小さい頃のことをご存知なのですか……?」
セレスティアの言葉に、今度はクリスティーナが反応する。
クリスティーナが自ら言葉を発したのは、これが初めてだった。
セレスティアは少し驚いたように目を見張るも、すぐに微笑んだ。
「えぇ。お話する機会はあまりありませんでしたけれど、庭園でお花のお世話をなさっているところをよくお見かけしましたわ。お花にも動物にも、本当にお優しい方でした」
「……そうなのですね」
ロベルトを抱きしめたまま、クリスティーナはそっとまつげを伏せる。
「お兄様はわたくしたちのことも本当に可愛がってくださいました……」
静かな声に、かすかな涙の気配を感じた。
レオンハルトはずっと、クリスティーナのことを感情の起伏の少ない子どもだと思っていた。
けれどそうではない。
弟の我儘に困ってみせたりもう会えない兄を恋しがったり、よく見ればちゃんとすべて表情に出ている。
今までレオンハルトがきちんと見ていなかっただけだ。
「……皇子殿下、眠ってしまわれたようですわね」
泣き疲れたのか、クリスティーナの腕の中ですんすんと鼻を鳴らしながら寝息を立て始めたロベルトを、セレスティアが覗き込む。
「本当だ。器用ですね」
「……そろそろお開きにしましょうか。クリスティーナ。ロベルトをこちらに」
「皇太子殿下にそのような……」
慌てる侍女たちを制し、クリスティーナから眠ってしまったロベルトを受け取る。
三歳といえど、眠ってしまって正体を失くした子供の身体はそれなりに重みを感じた。
「ふふ。皇子殿下の寝顔、レオン様の子どもの頃によく似ていらっしゃいますわ」
「……ッ」
「急に眠ってしまれるところも、そっくり」
「母上、大抵の子どもはそうですよ」
「あら、そう?」
確かにそうかもしれないわね、とのんびりと言うセレスティアに、レオンハルトは生きた心地がしなかった。
眠るロベルトの頬をつつくセレスティアは、知っているのだろうか。
レオンハルトと第四皇子ロベルトの関係――レオンハルトがかつて犯した罪を。
四年前の嵐の夜、第六皇妃が侍女に命を狙われた日、セレスティアの食事にも少量の睡眠薬が仕込まれていたことがのちの調べでわかった。
あの日にかぎって彼女の酔いが回るのが早かったのもそのためだ。
あの日は、一日中雨が降っていた。午後になると雨足は強まり、陽が暮れる頃には嵐となった。
そして、その嵐のせいで北の塔の窓が割れた。
それを最初に見つけた第六皇妃付の侍女が皇妃暗殺を企てた。
西の塔にも水漏れを起こして兵士たちを遠ざけ、同じ階に部屋があるセレスティアの夕食に睡眠薬を仕込んだのも、すべて彼女の仕業だ。
彼女はずっと、第六皇妃を害する機会を狙っていた。自らの悲願を叶える日を待っていた。
あの日は偶然に偶然が重なった、絶好の機会だったのだろう。
偶然と不運が重なって起こった事件は、レオンハルトと近衛騎士のグレイスターによってすぐに収束した。
けれど前代未聞の不祥事に「後宮」は揺れた。
神の末裔である皇族を害するなど、あってはならないことだった。開国以来クーデターが起こったことのない皇家にとって、それは青天の霹靂だった。
事件以来「後宮」の警備はますます厳しくなり、レオンハルトがローズマリーに近付くことはできなくなった。
だから彼女の抱えた秘密にも、気付くことができなかった。
――近付けたからと言って、彼女がうち明けてくれたとは到底思えないが。
彼女は決してレオンハルトを許さないだろうし、レオンハルトは赦されてはいけない。
「ではレオン様。わたくしたちはこれで。
あぁ、先程のお話はディルク卿から正式に通達がいくと思いますので、よろしくお願いいたしますね」
「はい。御心遣いありがとうございます」
「クリスティーナ、また描かせてね。兄様も。またお会いできるのを楽しみにしています」
「あぁ」
「後宮」へと戻っていくセレスティア、ウィリアム母子を見送ったレオンハルトは、眠ったロベルトを抱えたまま、クリスティーナと共に庭園をあとにした。
【本編にも出てきてる設定の補足⑪】
「宮殿」は貴族等が出入りし、政務や式典などが行われる公の場です。
「宮廷」は他国の王族が帝国逗留中に滞在したり、皇妃の私的な茶会が開かれたりする社交の場です。
「後宮」は皇妃と未成年の皇族(皇子・皇女)の私室がある生活空間です。
皇帝の私室は「宮廷」と「後宮」の両方にありますが、どちらかというと「宮廷」の方がメインで使われています。
レオンハルトは成人するまで「後宮」で暮らし、アカデミーにも「後宮」から通っていましたが、成人後は城の外にある離宮(帝都内)で暮らし、立太子後は皇太子宮で暮らしています。
成人しても臣籍降下するまでは「宮廷」までなら比較的自由に出入りできます。
「後宮」に入ることはできないので、セレス様と会うときは「宮廷」で落ち合います。
が、皇妃が「後宮」から出るのは結構面倒な手続きやら何やらがあるので頻繁に会うことはないです。




