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セイバートゥース ~魔を狩る牙~  作者: 夢見シン
陽の下で咲く少女
13/20

4

 二人と別れてからしばらくして、空護の意識は明後日の方向へ引っ張られた。


 周囲の喧騒とは別に明らかな荒事の気配を察知したからだ。見るとある一点に野次馬が群がっているのが分かる。空護は騒ぎの中心部から離れてきた男性に何事かと質問した。


「ゲーセンの前で女の子が二人組の男の子と揉めてるんだよ。一触即発みたいな感じでさ」


 男性はそこまで語ると関わるのは勘弁といった態度でその場を後にした。


「……ここから一番近いトイレってゲーセンの傍じゃなかったっけ?」


 とても嫌な予感がした。現場に急行すると見事に予想した通りの事態が展開していた。


「先に掴みかかってきたのはそっちよ!」

「うるせぇ! 関係ねぇのに最初に突っかかってきたのはテメェだろうが!」

「あなた達が彼を虐めてるから止めたんでしょ!」


 怒鳴り声の応酬からは状況を判断しかねるが、声の主の片割れは間違いなく日向だった。


 そんな彼女をそこまで怒らせたのは誰だと見てみれば、なんとそこにいたのは阿久根だ。こちらも日向に負けず劣らず怒っている。よく見ると近くに頬を抑えた井尻もいる。


 そして小柄な日向の後ろで小さくなっている更に小柄な男子――内田を発見した段階で空護は状況を概ね把握した。どういう理由か内田がまた阿久根と井尻に絡まれている場面に日向が居合わせて止めに入って井尻をひっぱたいたということだ。


「なんだろこのデジャブった感じ」


 空護はどうしたものかと頭を抱えた。まるで前に学校で出くわしたワンシーンの再現だ。


 一部キャストが異なるが、まさか日向が壱与と同じ配役に納まるとは。


 展開も同じになぞるなら空護が助け船を出すべきなのだが、生憎ここは人目が多い上に手元にチョークがない。モタモタしている内に状況はどんどん悪くなっていった。


 まず内田が逃げ出した。次にどこからか阿久根の連れと思しき他校の三人組が登場して、最後に五人が日向を囲む形で彼女に詰め寄った。流石に傍観している場合じゃないと感じた空護は駆け出した。ただいつも病弱を装っている空護が不良連中を撃退すると怪しまれるので、スマートフォンで煉と風真にSOSを出しておく。


「神代!」


 気を引くために大声で名前を呼ぶと案の定、日向だけじゃなく阿久根達もこちらを振り向いた。五つの視線はやや驚きを宿した後、一気に威嚇するようにこちらと交錯した。


「なんだお前? 俺らに用でもあるのか?」


 一人があからさまに脅し口調を吐いてすぐに阿久根が空護の名を呼んだ。


他の連中が「知り合いか?」と聞くと阿久根は「学校の同級生だ」と答えた。


「おい大和、こいつお前の女か?」

「違うけど連れだよ。だから俺としてはその辺で勘弁してやって欲しいんだけど」


 空護の提案に阿久根は首を振るでもなく無言で距離を詰めると睨みつけた。


「はぁ? お前ふざけんなよ。この女が俺達になにしたと思ってんだよ。まだ落とし前もつけてねぇのに勘弁できる訳ねぇだろ」

「でも女の子一人に五人がかりは幾らなんでもやり過ぎだろ? 彼女も十分怖がってるみたいだし、ここは大目に……ぐっ!」


 言い終わるより先に腹を殴られた。


「誰に言ってんだそれ? お前如きが俺に指図してんじゃねぇよ」

「大和くん!」

「神代、なにもするな。大丈夫だからそこにいろ」


 強がってはみても結構痛い。怪我をしないように地味に《武空術》を発動させているが、痛みそのものはなくならない。それでも日向に心配するな、なにもするな、なにも言うなと制するつもりで話しかけた。


「おぉカッコいいな大和。阿久根、そう本気になるなよ可哀想に。ヘタレが男気出してんだ。少しは彼女の前でいい格好させてやれよ」

「だからだよ。調子に乗りやがって、身の程を教えてやんねぇと」


 言葉とは裏腹に井尻も空護のことを全く案じていない。


 阿久根の言葉を受けるとうずくまる空護を笑いながら足蹴にし始めた。それを見て他の三人も踏むなり小突くなりやり出す。


 第三者から見れば非道い場面だが、阿久根をやんわり挑発したおかげで日向から注意を逸らすことには成功した。こうやって時間を稼いでいればじきに全て解消する。


「おいなんだ? 威勢がいいのは最初だけか? 少しはやり返してみろよ」

「お言葉に甘えて少しやり返させて頂こう」


 そんな会話が聞こえたと思えば、炸裂音と共に空護の頭上から人間一人の気配が消えた。続いて残りの気配も離れていき、目線を上げるとそこには風真が立っていた。


「大丈夫か空護?」

「問題ない(分かってんだろうが)」


 返事の後半を声に出さず口の動きだけで念押しすると風真はニカッと悪戯っぽく笑い、阿久根達に向き直った。


 見るとどうやら他校の三人組の一人が風真に殴り飛ばされたらしく、残りの二人が怒りの目をこちらに向けていた。対して阿久根と井尻は怯えている様子だ。


「このチビ、なにしやがる!」


 キレた一人が風真に迫る。井尻が叫んだが一足遅く、風真は相手の右ストレートを左手だけで外側に捌くと手首を掴み、自分の右腕を相手の左脇下に滑り込ませると半身を開いて、相手を攻撃の勢いそのままに投げ飛ばした。エグいことに風真は投げた直後に右の掌を相手の胴体に添えて、受身が取れないように背中から地面に叩き付けた。


 重力の衝撃をもろに受けた相手は声も出せずに悶絶してその場から動けなくなった。


 これを見て残り一人も阿久根達と同様に戦意を喪失した。


「阿久根、こいつらお前のダチか? だとしたらちょっと教育がなってなくないか?」

「……待ってくれ伊達、これは――」

「空護はオレのダチだぞ。それになにしてくれてんだよ?」


 もはや笑ってない風真の迫力に阿久根と井尻は言葉を失っていた。この二人、この近辺でそれなりに腕っ節が強いことで有名なのだが、相手が風真では分が悪過ぎる。


 風真は決して不良ではないが、その腕前は不良連中に知れ渡っており、学校の上級生はもちろん他校の柄が悪い輩も風真には手を出さない。現に残された他校の不良男子は風真の名前を聞いて戦慄の表情を浮かべていた。顔までは知らなかったらしい。


 阿久根と井尻も入学当初に風真とやり合って瞬殺された挙句、人数を集めて報復を試みて返り討ちに遭ってから風真の逆鱗には触れないように振る舞っていた。


「さて、言い訳もねぇなら、お前ら全員屍になってもらうぜ」


 獲物を前にした捕食者の如く風真は絶命の爪を振り上げようとした、その時だった。


「伊達くん、ダメ!」


 荒ぶる風真に日向が待ったをかけた。気付けばいつの間にか空護の傍まで移動している。


 風真がこれ以上なく戸惑った顔で日向を見た。


「……日向ちゃん?」

「もういいよ。この人達悪い人だけど、怪我させちゃダメだよ。それに、もうなにもする気ないみたいだから許してあげよう」

「日向ちゃん……。しゃあねぇ……オレとしては全員を極刑に処してぇんだけど、彼女に免じて見逃してやる。お前ら、のびてる奴ら連れてこっから消えろ。ちゃんと日向ちゃんに礼と詫びを入れてからな。それと最低限、今日だけはオレの視界に入ってくんなよ」


 そう言われて阿久根達は素直に了承し、倒れた二人を抱えてそそくさと退散していった。


 日向にお礼と謝罪をして。


「さて、無事に解決したけど、酷い有様だなおめぇ」


 言われて空護も腹の底から同意した。怪我こそしていないが散々踏みつけられたせいで服はあちこち泥だらけの皺くちゃだ。きっと十人が見たら十人とも喧嘩でボコボコにされたと確信するだろう。眼鏡(度なし)が割れてないのがせめてもの救いだ。


「大和くん、本当に大丈夫?」

「……平気だ。知ってんだろ? 俺が普通じゃないこと」


 若干イラついた気分のせいか、日向への態度もやや荒くなる。


「でも痛くない訳じゃないんでしょ? ……ごめんなさい。迷惑かけちゃって」


 軽く後悔した。本音を言うと、巻き込まれたことを迷惑に思っていた。


 正直、人を待たせてまでなにやってんだよと言いたかったが、しおらしく気遣われると言うに言えなかった。悪い空気を和らげたのは風真だ。


「いいって、気にすんなよ。本人が平気って言ってんだし。それよか日向ちゃん、なんで奴らに絡まれてたんだよ?」

「あぁ、それは――」


 空護は自身が見聞きした情報からの推論を日向に事実確認をした上で述べた。


「内田ぶっ殺す! 女を置いて逃げるなんざ男の風上にも置けねぇ! 今すぐ追っかけて天誅だ天誅‼」

「天道の時と合わせて二度目なんだよな。間違っても助けを呼びに行ったとかじゃないし」


 あの時は体育館裏から飛び出した内田がそのまま校門へ直行したのを見た。


 今回もトンズラしたのは確かだ。風真程じゃないが、流石にないわぁ~と思う。


「すごく怖かったんだと思うよ。でも彼に怪我がなくて良かった」

「「……はい?」」


 なので日向の感想に風真共々全力で疑問符を起ち上げたことは極めて正常な反応だと胸を張って宣言したい。「誰に?」とは聞かないで欲しい。きっと誰かいる。


「……神代、なに言ってんだ? あいつってばお前を見捨てて逃げたんだぞ。自分を助けてくれたお前を。なんで怒んねぇの?」

「なんで怒るの? だってあたしは彼を逃がすために助けたんだよ。むしろ逃げてくれないと困るんだけど」


 なぜそんな当たり前のことを聞くのと言わんばかりの回答だった。


 どうやら彼女にとってはこれが当たり前らしい。しかし空護にとっては耳を疑いそうになるレベルの発言であり、風真と一緒に開いた口が塞がらなくなった。


「なんで初めて火を見た類人猿みたいな目で神代さんを見てるの?」


 というのが遅れてやって来た煉の感想だった。


― * ― * ―


 人ごみに紛れて、少年は心の中で呪詛を唱える。


 ――くそ! あいつら、いつもいつも僕を馬鹿にして! 頭が悪い上に、取り柄もない無能のくせに人を見下して何様のつもりだ⁉ 僕の方がずっと優れているのに、選ばれた人間なのに……。


 少年はその目に悔し涙を溜め、歯を食いしばりつつ、胸に当てた手に力を込める。


 ――思い知らせてやるんだ。《あの人》にもらったこの力で! 時間まで後少し、その時になれば、今度こそ我慢しない。あいつらにも……そして他の馬鹿共にも、僕が誰なのか分からせてやる。見てろよ……思い知らせて――。


 ピリリリリッ……ピリリリリッ……。


 着信音に反応し、鞄から携帯端末を取り出した少年は画面に移された文字列に目を落とし、陰惨な笑みを浮かべた。


『パーティの時間だ。祝杯を挙げよう』


 少年のしようとしていることに、まだ誰も気付いていない。


― * ― * ―


「ねぇ、これなんて良くない?」

「……いいかもな」

「あっ! これもカッコいい!」

「うん……悪くない」


 男がこう適当な受け答えをしていると、彼女が不機嫌になるシチュエーションに陥るのが王道と言うかセオリーだと空護は認識している。しかし目の前の光景はそんなセオリーを完全に無視して空護を濁流の如く飲み込んでいく。適当な返事など全然気にせず日向は上機嫌で服選びに夢中だった。因みに選ばれているのは空護の服だ。


 どうしてこうなったかと言うと、阿久根達にドロドロにされた空護の服を見て、日向が巻き込んだ詫びと礼を兼ねて服を買ってあげると言い出したのだ。


 断ろうとしたのに、それこそ激流に飲まれるように巻き込まれてしまった。煉と風真は空護にとって余計な気を遣って二人きりにして残りの買い出しに行ってしまった。


 別れ際に煉が『これを機に打ち解けておいで』と言っていたが、殊更に余計な世話だ。


 それより日向はなにが楽しいのか空護には謎だった。女子が買い物好きなのはよく聞く話だが、自分の服じゃなくても楽しいのだろうか。しかも男服なんか選んで。


「う~ん、これも捨て難いなぁ~。大和くん、さっきのとどっちがいい?」

「いや、もう別にどっちでも。……お前楽しそうだな」

「うん! 楽しいよ。買い物好きだし、大和くんは買い物嫌い?」

「嫌いじゃないけど、そんな好きでもないかな。特に服なんて着れたらいいみたいな感じだし、むしろ神代は男の服見てなにが楽しいんだ?」

「男の子の服じゃなくて、人に贈る物を選ぶのって楽しくない? その人の喜ぶ姿を思い描くとテンション上がるし」

「だったら尚更楽しくねぇだろ。贈られる俺がこんなだぞ。なんて言うか、やり甲斐がないって言うか、モチベーションが下がるだろ?」

「あっ、そこは気にしないで。今回に限ってはあたしがそうしたいだけだから。身も蓋もない言い方すると独り善がりとか自己満足みたいなものだから」


 会話が弾んでるように見えるかもしれないが、空護の戸惑い指数はウナギ登りで上昇中。


 空護にとってここまで想定外の反応をする相手は初めてだ。ここまで見返りなく誰かに善意を施せる相手では反応に困る。しかし日向は空護の態度を別の意味で捉えた。


「ごめん。そんな風に言うとちょっと気分悪いかな? でもやっとお礼ができると思うと嬉しくって。二回も助けてもらったから」

「ちっ、違うって! その……礼をされることに慣れてないから戸惑っただけ。……それより二回って?」

「ついさっきのと……山の中でヒグマから」

「あ、あれは助けたんじゃなくて、それに助けたとしても俺だけでやったんじゃないぞ」


 決して謙遜ではなくその通りだ。ヒグマを倒したのも日向を発見したのも空護の功績ではない。更に言えば日向を保護したのも半ば成り行きだったので感謝される謂れもない。


「真田くんや伊達くんや源一郎さんには昨日お礼したんだ。大和くんとは昨日も一昨日もちゃんとお話しできなかったから今日こそはって考えてたの。そしたら美空さんが買い物に連れ出せるように計らってくれたんだよ」

「そういうことかい。……って言うかいつの間に皆とそこまで仲良くなったんだよ?」


 周りが既に日向と打ち解けている事実に空護は少なからずショックを受けた。こうなると煉から努力しろと言われても仕方ないと思えてしまう。皆がより高い対人技能を有しているのもあるだろうが、それ以上に日向も皆に受け入れられるための努力をした筈だ。


「悪かったな」

「えっ……。なんで大和くんが謝るの?」

「いや……さ。そんなつもりはなかったけど、ちょっと俺の態度が冷たかったかなって。神代は俺に礼をしてくれようとしてたのに、俺って人見知り激しいからちょっと距離感が分からなくて避けてるみたいになってて……」


 罪悪感を覚えたのは久しぶりだった。多分、最後にこんな気分になったのは小学生の頃だったか。同時になぜ日向に対してこんな気分になったのか戸惑った。


 おかげでなにが言いたいのか上手くまとまらない。


「良かった……。あたし、嫌われてると思ってた」


 そうして頭の中がグチャグチャしている所に言われた告白に空護は更に焦った。


「なっ、なに言って……いや、そう誤解させたのは悪かった。……でも嫌わないって。嫌う理由がないし」

「ありがとう。そう言ってくれると本当に嬉しい。でもやっぱり考えちゃうの。大和くんの態度がどうとかじゃなくて、あたしが普通じゃないから。村で言われたでしょ、魔精に育てられたって」


 思わぬ発言に言葉を失った。誤魔化そうと思ったが既に不自然な間ができて、なにより日向の目は空護が知っているという確信で彩られていた。観念して肯定の意を示した。


「……俺だけじゃなく岩戸村の件に関わった人間は全員承知してるけど、なんでそれを?」

「村長さんとお話ししたって聞いて、きっとこの話もされただろうなって……」


 天然の気があってもなかなか聡い面もあるなと感心したが、言いながら日向の笑顔が僅かに翳ったのを空護は見逃さなかった。


「自分から話さなくても良かったんだぞ。余計な気遣いかもしれんがデリケートな話だし、お前への配慮で皆が知らぬ存ぜぬで振る舞ってたんだから」

「その気遣いも本当に嬉しかった。だからかな、どうしてもお礼がしたかった。大和くんのことは誤解しちゃったけど、今はそうじゃないって分かって幸せ。だってあたしの過去を知って、それでも人間として見てくれる人ってお父さんとお母さんしかいなかったから」


 そう言って日向はまるで花が咲いたみたいに笑った。元気一杯の活力に満ちた笑顔だった。それは野に咲く花と言うより、まるで太陽に向かって花開く向日葵みたいだ。


 煉の言った《いい娘》が頭の中で木霊した。読心術士である煉は日向に触れて気付いたのだろう。この短時間の交流で《読心術》が使えない空護にも分かった。


 驚くくらいに澄んだ心の持ち主だ。ここまで他人の善意を余すことなく受け止め、同時に他人へ善意を与えることができる人間がいることが空護には不思議で仕方なかった。


 出会って間もない、しかも堅気でもない空護に疑いなく心を開く純粋さも、内田のように全く親しくもない人間のために体を張れる献身さも並ではない。


 なにより彼女はあの岩戸村にいたのだ。あれだけ閉鎖的で排他的な村人に冷遇されて、なぜこんなに正しく生きられる?


「大和くん……?」


 その呼びかけで、深い場所まで落ちかけた思考を現実に引き戻す。日向を見ると向日葵のような笑みはやや心配そうな色で染められていた。


「あぁ悪い……」


 歯切れ悪く返事をして、空護は日向と視線を交錯させた。


 一撮みの邪気すら宿さない透き通った琥珀色の目が空護を見ている。


 ――どうしてそんな目で俺を見れる?


 堪え切れず、空護は日向と出会ってから積もり積もっていた疑問を打ち明けた。答えは分かっていたが、その理由がどうしても知りたかった。


「神代……お前……俺が怖くないのか?」


 怖れていないのは分かっている。でも理由が知りたかった。他人から化け物とさえ言われる空護の正体を知っていて、なぜ笑顔を向けることができるのか。日向は琥珀色の目を大きく見開いてパチクリさせたが、すぐに慈しむように微笑んで答えを口にした。


「怖くないよ」


 そう言われた瞬間、空護の意識は吸い込まれるように遠い過去へと誘われた。


 昔、まだ魔狩として修練を始める前に同じことを言った娘がいた。その娘もこんな風に笑って空護を見ていた。


 過去と現在の狭間で立ち尽くす空護を引き戻したのはまたしても日向の声だった。


「怖くない……だってあなたの――」

「きゃああああああああああああっ‼」


 突然の悲鳴に日向の声はかき消された。何事かと空護は悲鳴が上がった方向へ目を向ける。飛び込んできた光景に二人は凍り付いた。


 地面に誰かが横たわってピクリとも動かない。体の下からジワリと赤い染みが広がっていく。その隣で小柄な少年が右手を地面の染みと同じ色で染めていた。


 非現実的な事態に周囲から上がる悲鳴や絶叫の中、空護の目はある部分に釘付けだった。血に濡れた少年は知った人間だったからだ。


「大和くん……あの子――」

「あぁ、内田だ」


 日向も気付いていた。しかし内田のあまりの変貌ぶりに戸惑いを隠せていない。空護は即座に警戒態勢に移行し、軽度の発気を広範囲に展開して状況の把握に努めた。優先される行動方針は日向を連れてこの場を離脱することだ。


 その最中、無意識に感知された気配に空護の意識は一瞬だけ注意を逸らされた。内田から漏れ出る気配に魔晄が含まれていたからだ。気が逸れたのと同時に内田の目が空護を捉えた。もはや人間の目ではなかった。血のように赤い目に縦長の瞳孔が空護を見据え、内田はゆっくりと両の口角を持ち上げた。


 見た瞬間、空護の脳内で警報が響いた。全身の毛が逆立ち、生物としての本能が危険を訴えている。考える間もなく脊髄反射で日向に詰め寄り、周りも気にせず練気全開で逃げ出そうとした。が、一手遅かった。


 敵意を纏った気配がすぐ背後に迫っていた。瞬く程度の時間の中、スローモーションに感じるくらい静かに後ろを見ると、腕を振り被った内田がすぐそこにいた。


 空護は咄嗟に日向を突き飛ばしたが、そのせいで回避が遅れた。横一線に振り抜かれた腕は空護を容易に弾き飛ばし、空護は服屋のディスプレイされた棚に突っ込んだ。


 この腕力、そして二十メートル以上あった距離を一瞬で詰める脚力といい、普段の内田からは考えられない。


「大和くん……‼」


 日向の悲鳴が聞こえた。その後に受けた衝撃で意識が飛んだ気がした。それは一瞬――しかしその一瞬が致命的だった。覚醒してすぐ目に入ったのは日向が内田に攫われる光景だった。一瞬、たった一瞬怯んだ隙に内田は閃光の如く姿を眩ませてしまった。

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