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セイバートゥース ~魔を狩る牙~  作者: 夢見シン
陽の下で咲く少女
12/20

3

 時は満ちた。今こそこの恨みを清算せねばならない。


 この地に生きる愚者共に断罪の刃を振り下ろす……そのためにどれだけ耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできたことか。


 我らが祖先の受けた痛み、屈辱は奴らの――我らが聖地を奪いしあの者共の子孫の贖罪を以ってしか晴らすことはできん。


 奴らの血だけがこの地の穢れを浄化できるのだ。これはそのための一歩。


 そう、我が一族の悲願の成就……聖地を取り戻す。手始めに日の出づる土地を血で染め上げる。そのための兵も随分と貯まった。


 もうすぐ……もうすぐだ……。


― * ― * ―


 陽が昇り、十分に空が明るくなった午前五時。空護は自室のベッドで目を覚ました。


 昨日は物置状態だったこの部屋を使い物にするために多大な労力を費やしてしまった。


 恐ろしく排他的な村でヒグマ狩りに勤しんだ土曜日。その村から連れてきた居候のために部屋を整理したりと骨を折った日曜日。折角の連休をよくもここまで潰したもんだ。


 ――まぁ魔狩の仕事で土日を潰すなんて俺には当たり前か。


 それにしても早く起き過ぎた。潰れるのが当たり前でも昨日、一昨日はハードだったので、もう少し惰眠を貪ろうとベッドに潜り込む。しかし一向に睡魔に襲われない。


 完全に目が冴えてしまった。こうなると空護は全く眠れない。再び時計を見ると時刻は五時三十分。いつもなら店の準備を手伝って朝食を作って食べて学校に登校という流れだが、今日はそうはいかない。なにせ昨日言われて気付いたことで……今日は創立記念日で休みなのだ。ついでに言うと店の準備も免除されており、つまり早起きする理由がない。


 だから今日は朝から眠り倒して一日中ダラダラのんびり過ごそうと決めていた。しかしもう眠れない。そして早起きしてもやることがない。


 ――仕方ない。道場で素振りでもしよう。


 土日祝日は魔狩の仕事を優先的に割り当てる日で、それがなければ店を手伝ったり修練したりして過ごしている。いつもなら仕事明けの休日は休息日にしているが今は他にやることが見つからない。よって空護は部屋着のままで道場に足を運んだ。



 家の裏に建ち、よく煉、風真と一緒に修練に励む道場。空護は軽く一礼して中に入ると丁度中心となる場所で直立し、愛刀《叢雲(むらくも)》を浅く息を吐いて鞘から抜いてそのまま中段に構えた。普通なら準備運動をするべきだが、武空術士にその必要はない。


 軽い運動で体をほぐすより練気で肉体を活性化させる方がずっと効果的だからだ。


 気持ち一割程度の強さで練気を走らせ、寝起きで強張った体を徐々に活性化させる。体の内側に仄かな熱を感じつつ、手や足の指先まで感覚が鋭くなっていくのを自覚すると、少しずつ練気に込める力を強めていった。


 より強く、速く循環させる程、練気は肉体を活性化させる。しばらくして体が十分な練気で満たされると空護は続けて体外に気力を放出して発気を形成する。これもいきなり全力でやるのではなく最初は体表から数ミリメートル程度に抑えて、時間をかけて徐々に量を増やしながら最終的に体表から十センチメートル程の発気を纏った。


 ここまでして整った今の状態が空護の戦闘における自然体――臨戦態勢である。


 実戦ならここまでの工程を一瞬で消化する。可能な限り素早くこの状態に移行する修練もやっているが体に相応の負担がかかる。寝起きの体でいきなりやるのは不適切だろう。


 それに練気から順序良く発気を展開するのは武空術士の基本動作だ。時間をかけてその動きを一つずつ確認するのも大切な基礎修練で、空護は毎日欠かさず行っている。


 発気に体が馴染んだ所でウォーミングアップは終了。続いて本格的な修練に移るため、空護は意識的に発気を手に握った叢雲に纏わせた。


 刀身に発気を纏わせると斬撃の威力が強化される。空護が今纏っている発気を全て刀に移せば、それだけで十分な殺傷力が得られるが、それだけでは終わらない。


 必要な量の発気を刀身に纏わせると、空護は集中力を研ぎ澄ませ脳内でイメージを作り上げた。そしてイメージを投射するように刀の鍔元から切っ先にかけて意識を集中する。直後、刀身の周囲に形成された発気が少しずつ体積を減らし始めた。


 これは決して発気が霧散してその量を減らしているのではない。空護の意志で刀身に纏った発気を圧縮しているのだ。武空術で練気の動きや発気の形状を操作する技術――この根幹を成すのがイメージ力である。


 脳は体内を循環する練気の通り道――経絡の重要な基点であり、練気がこの部位を通過すると脳内イメージが練気の流れに反映される。イメージを乗せた練気が体外に放出されれば、発気にもイメージを反映させることが可能になる。


 空護の場合、脳内で組み上げた《刀身に纏わせた発気を圧縮させる》イメージを練気に乗せて、更に体内の経絡を介して体外の発気にイメージを反映させることでこのような現象が具象化したということになる。


 空護の脳内イメージが現実世界に顕在し、叢雲の刀身に纏われた発気は容量そのままに、刃の表面から一ミリメートル以下の体積しかない超高密度にまで圧縮された。


 本来発気は練気で視覚機能を強化しないと視認できず、他者にも風圧を受ける程度の物理干渉しかできない。しかしここまで高密度となれば一般人の肉眼でも視認でき、刀とは無関係に発気そのものが岩をも切り裂く非常に鋭利な刃となる。


《大和天創流武空刀術(やまとてんそうりゅうぶくうとうじゅつ) 龍牙(りゅうが)》


 五メートル超のヒグマを屠った術だ。この術の最大の利点は集中力が続く限り発動状態を維持できることにある。欠点を挙げるなら必要となる集中力が尋常じゃないこと。


 習得したばかりの頃は発動に時間がかかる上に、刀を一回振っただけで術が解けてしまっていたが、今では戦闘中なら常時発動できるまでに修めている。


 空護は《龍牙》の発動を維持しつつ中段の構えから右袈裟斬り、左逆袈裟斬り、そこから体を回転させての横薙ぎ、更にそこから脇構えに移行して右逆袈裟斬りと刀を振るった。


 刀を振る度に頭からあらゆる雑念が消え、刀を振るのではなく自身が刀の一部になった感覚が体を満す。余計な思考を捨て無心に刀を振るう状態でも《龍牙》はもちろん体内を走る練気と体外に纏う発気も戦闘状態を維持し続けている。


 意識せずとも発動状態を維持できる程に染み着いた武空術士――魔狩の技。


 修練を始めてほぼ四年。実戦経験も三年以上。集会所で腕利きに数えられてから二年が経った。その結果、身に付いたのは人類にとって脅威とされる魔精すら滅ぼす力。


 途端、無心だった胸の奥にほんの小さな疑念が浮かんだ。


 ――俺は果たして人間と呼べるのか?


 先日に岩戸村の住人に『化け物』と呼ばれたことを思い出し、僅かに集中が途切れた。


 自覚してから立て直すのにコンマ一秒もかからなかっただろうか。おかげで術の解除には至らなかったが、素振りを中断する羽目になってしまった。


 体を静止させると全身程よく汗をかいていた。小休止のために《龍牙》を解除、発気を体内に取り込み、練気を低速で落ち着かせた。すると後頭部にいきなり布状の物体が被せられた。肌触りでタオルだと気付く。振り向くと入口に美空が笑いながら立っていた。


「朝早くから精が出るわね。でもそろそろ朝ご飯だから切り上げたら?」


 言われてスマートフォンの画面を見ると時計は六時三十分を回っていた。どうやら随分と没頭していたらしい。


「いつからそこにいたんだよ? 全然気付かなかったんだけど」

「素振りの途中から。現役を退いたって言ってもあんたを欺くなんて軽いもんよ」


 事もなげに言ってくれる。ただ美空は強い。魔狩を引退してかなり経つものの、それでも空護が話にならない程に腕が立つ。なぜなら空護に《大和天創流武空刀術》を仕込んだのは美空で、今でも五本試合えば余裕で四本は持っていかれる。


 ――そう言えば、最近は手合せしてないな。今ならどれくらいやり合えるだろう?


「折角だから少し打ち込まない? 今日は母さんに勝ち越せると思うんだ」


 今朝の手応えから割と好調と感じていた空護は申し込むが、師匠の返答はごく素っ気なかった。


「遠慮しとくわ。今は汗かきたくないもの。あんたも朝ご飯の前にお風呂に入りなさい。沸かしてあるから」


 そう言い残して美空は家に引き返していった。


「……素振りの途中から見てたって言ったくせになんで既に風呂が沸いてんだよ?」


 つまり朝稽古始めた段階から見られていたということ。全く気付けなかった。他所様から《化け物》呼ばわりされようと、美空にとって空護はまだまだ子どもなのだ。


 強くなりたい――それが魔狩を志した理由。なにを意味するかはよく分かっていた。


 例え日陰者になろうと忌み嫌われようと構わない。強くなれるなら他人からどう思われても意に介す気はなかった。なぜなら他の誰でもない自分のためだけに選んだ道だから。


 自分が是と思えるなら他人からの理解など欲しくもなかった。


 そう思うとなんて下らないことで集中を乱してんだと自分で自分を叱責したくなった。


 それに、仮に岩戸村民のような連中にまともな人間に見られたとしよう。


 彼らの言う《まともな人間》とはどんな人間だろうか?


 もしそれが岩戸村民と同類の人種を指すとしたら、空護にとってそんな風に見られるのは腹の底から願い下げだった。



『あんな可愛い娘と一緒に住めることをむしろ喜ぶでしょう』


 空護の頭に、あの時の美空のセリフが脳裏をよぎった。確かに可愛い。


 うなじが見える程度のショートヘアは美空より明るめの栗色。髪質は空護程ではないがやや硬めで、毛先が自然と外はね気味になっている。


 しかし手入れ不足な感は皆無で、薄い小麦色の肌と相まって活発かつ健康的な印象が目を引く。


 小さいが程よくふっくらした輪郭に小ぶりな鼻筋、その下にこれまた小さめだが仄かに桜色の唇という可憐な顔つきはまるで緻密に造型された彫刻のようで、その活動的な躯体との少々アンバランスな組み合わせがある種の完成された美を表現しているようだ。


 きっと健全な男子中学生ならこんな娘とお出かけできるとなったら、これ以上ないくらいにテンションが上がる筈だ。例えそれが買い物の荷物持ち要員でも。


 ――でも……だからって、俺をそういう類と一括りにするのは極めて心外だと腹の底から言わせてくれ‼


 そんな独白を空護は大型商業施設内のファーストフード店の椅子に腰掛けながら胸の中で愚痴った。今の空護は現在進行形で美空の言う《あんな可愛い娘》――神代日向の買い出しに付き合わされている真っ最中だ。


『どうせ暇でしょ?』


 というのがこの役目を振った美空の言い分。


 あぁ暇でしたよ。今日一日どうしようか時間を持て余していましたよ。しかしだ。


 暇人には暇人なりに暇な時間を好きに持て余したいというかむしろ暇そのものを楽しみたいという欲求がある訳で、暇だからってなんでもかんでも雑用を押し付けられていいという訳ではないのですよ母上様チクショウ‼


「でも折角なら休日のお出かけを楽しもうって気にはならない?」

「なんねぇよ。俺が望んだんじゃあるまいし」

「お前とことん個人主義」


 自分と同じ理由で駆り出された親友どもとの言い合いが一対二で分が悪いのも不機嫌な理由の一つだった。空護が迷惑に感じているこの役目を煉と風真は楽しんでいる。


 特に風真は健全な男子の典型だろう。いや、健全過ぎるの間違いだ。


「そんな嫌ならオレが一人で引き受けてもいいぜ」

「人手は多い方が確実。それとなにがあってもお前と彼女を二人っきりにしちゃいけない」

「……って美空さんに言われたんだね?」


 空護の「まぁな」という発言は健全過ぎる男子の矜持を傷付けたらしい。


「だからっ……! 身近な大人達はオレをどう見てんだよ⁉」

「だから風真としてしか見てないって」

「それより、あいつ遅くね? ……やかましいぞ風真」


 あいつとはもちろん日向のことである。トイレに行くと言って席を立ってから結構経つ。


 待たされていると余計にイライラが募る。この感情をどう処理すべきが黙考していると、不意に煉から問いを投げられた。見るといつになく真剣な様子だ。


「あのさぁ空護、確認するけど神代さんを嫌ってるんじゃないよね?」

「……? なんだよ藪から棒に。別に嫌いじゃねぇけど」

「うん、余計なお世話かもしれないけど、だったら空護はもう少し神代さんに優しくした方がいいと思うよ」

「なっ……! いきなりなんだよ?」

「だって横から見てて空護ってば明らかに神代さん避けてるし。そんなんじゃ良好な関係が築けないでしょ」

「良好な関係って……お前、俺の対人技能がどういうもんか知ってて言うかそれ」


 空護は見ず知らずの女子と自分が良好な関係になれる筈がない確信がある。


「僕だって空護が人付き合い苦手なのは承知してるよ。実は人間嫌いなのに学校では必要だから愛想良くしてることと、それがストレスになってることも。だから家ではできるだけ素のままでいたいってことも理解してるよ」

「そこまで分かってて……いや俺は別に人間嫌いじゃなくて、ただどうでもいい奴と深く関わりたくないだけだ」

「他の人だったらそれでいいだろうけど、空護と神代さんは事情が違うよ。なにしろ一つ屋根の下で一緒に住んでるんだから。否が応でもある程度の付き合いはしないと」


 そのある程度がどの程度なのかが空護には見当がつかない。一体どこまで心を許すのか。


 そもそも、それなら日向も空護に心を開く必要があるだろうが、空護は素の自分に他人が簡単に気を許すとは思っていない。それぐらいに自分を知っている。


「神代さんは空護と仲良くしたいと思ってるよ」

「へっ……?」

「昨日の大掃除の時だって話したそうにしてたのに空護ってば全く聞く耳持ってない感じだったでしょ。まぁ気付いてなかったんだろうけど。でも折角彼女の方から歩み寄ってくれてんだから空護も歩み寄ってあげなきゃ不公平だよ」

「歩み寄れって……本当に気の合う奴らとはなにもしなくても自然と打ち解けるもんだろ。お前らみたいに。もし神代がそうなら別に特別な努力しなくても――」

「あのね、それだと気が合わない人とは全然打ち解けられないでしょ。僕はそういうのは関係なしに神代さんと打ち解ける努力をしろって言ってるの。それに言わせてもらうなら、僕らも空護と仲良くなるのは結構時間がかかったよ」


 聞いてると隣で風真がうんうんと頷いていた。逆に空護は当時を振り返ってそうだったかと首を捻った。


「とにかく、どうでもいいからって避けられるのは気持ち良くないんだよ。嫌われてるってネガティブなことを考えちゃうし。特に嫌ってないなら相応に接するのが礼儀でしょ」

「言われてみれば筋が通ってるな。でもだったら俺は具体的にどうすりゃいい?」


 そうしなければいけないのは分かったが、どうやってやるのか本気で分からない。


 なぜなら空護は今まで積極的に誰かと打ち解けようとしたことがない。現在親しい人間とは先程言った通り自然とそうなったのだ。


「とりあえず神代さんを捜しに行こう。確かにトイレにしては遅過ぎるし」

「俺が行くのか?」

「歩み寄るきっかけになると思うよ。ただ僕も一緒に手分けして捜すから。風真はここで荷物番してて、行き違いになったら連絡をお願い」


 テキパキ指示を出してから煉は席を離れた。空護に対して最後の訓示を残して。


「空護。君の判断に任せるけど一応言っとく。神代さんはいい娘だよ。少なくとも直接話した僕と風真はそう思った。きっと空護も嫌いにはならないよ」


 空護は無言で手を挙げてそれに応じると別階層のトイレに向かって歩き出した。

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