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セイバートゥース ~魔を狩る牙~  作者: 夢見シン
陽の下で咲く少女
10/20

1

 一トンを超えるヒグマの死骸を山から村へ持ち帰るのは重労働だった。


 肉体派の風真はまだまだ余裕そうだが、頭脳派の煉や四十代半ばの源一郎は肩を揺らして口からはゼーハーとしか聞こえない。


 村の公民館前の広場は村中の人間が集まって非常に人口密度が高かった。


 目当てはさっき運んだヒグマの死骸。皆が皆、手に農具やら角材やらを持ち、獣の亡骸に打ち付けていた。


 ある者は鍬を振り下ろし、金属バットを何度も叩き付け、またある者はひたすら包丁でメッタ刺しにしている。


 他所の一般人が見たら目を背けるだろうな。目の前の光景を眺めながら空護は思った。


 大概、狩ってきた獲物を見せた時の依頼人は怖れ慄く反応を示す。犠牲者の遺族が恨み憎しみをぶつけることもままあるが、これだけ大勢が群がる惨状は初めてだった。


 気持ちは分からなくはないが、正直目も当てられない。家族を失った者ならまだしも、全く被害を受けてない村人まで、物言わぬヒグマを笑いながら嬲り物にしている。眼前の狂乱が収まる気配を見せぬまま、ようやく村長が寄って来た。


「皆さん、お疲れ様です。いやぁ、騒がしくて申し訳ない。平和が戻って皆はしゃいでしまって」


 放置されたことに物申したい気分だが、これからまた詳しく話を聞かなくてはならない案件が残っている。空護は努めて理解ある返答を口にした。


「気になさらず。喜ぶのも無理はない」


 魔狩の仕事でも学校でも、こういう時は感情を顔に出さないように応対する癖がついている。山を下りた時点で覆面と外套を着直しているので声色と口調も誤魔化せる。


 ここに風真がいたらヒグマに群がる連中に襲いかかるのは確定だが、幸いにも煉と風真ともう一人には別件を頼んであるため、この場には空護と源一郎しかいない。


「本当に感謝の言葉しかありません。良ければお礼に一席設けたいと思っとるんですが」

「折角だが、お気持ちだけ頂戴しよう。我々は一般人とは容易に関われぬ身の上だ」

「それは……残念ですな」

「それなら村長、一つ訊ねたいことがあるんだが、宜しいか?」

「……? なんですかな?」

「神代(かみしろ)日向(ひなた)という娘をご存知か?」

「…………っ‼」


 その反応でこれが聞いてはいけない、もしくは聞いてもろくなことにならない質問だとよく分かった。凶暴なヒグマが出没する山中で野営しあまつさえ寝息まで立てていた少女の名がその《神代日向》だった。その名を聞いた時、空護は山に入る前に確認した犠牲者の名前を思い出して巨大な疑問符を頭に浮かべる羽目になった。


「確か……亡くなられた方々の中に神代がお二人――夫婦でいらっしゃった筈だが、彼らの娘さんだろうか?」

「はい! そうですが、どこでその名を!?」

「山の中で本人から伺った」

「彼女は……その……無事なんでしょうか?」

「命に別条はない。しかし衰弱が激しく、今は我々の仲間が介抱している」


 ここにいない三人に頼んだ別件がこれだ。ただし村長に言った内容には嘘が含まれる。


 あの少女――神代日向は決して衰弱してなどいない。むしろ熟睡したせいか元気一杯だ。煉達には介抱ではなくなぜあんな場所にいたのか事情を聞いてもらっている。


 名前の他に事情のさわり程度は空護も下山しながら聞いたが、その中にとても正気とは思えない告白があった。空護が村長と話を弾ませているのもそれを確認するためだ。


「それで村長。日向嬢がなぜ山の中にいたのかご存じか? 我々はそれについて彼女から事情を聞いて、少々信じがたい理由を述べられたのだが……」

「そ、それは……どういったことでしょうか?」


 それは――。


「彼女はあなた方に山へ追いやられたと言っているのだが、それは事実か?」


 という耳を疑いそうになる理由だった。


 途端、村長は狼狽しながらとんでもないと言わんばかりに反論してきた。


「追いやったなんて……誤解です、全くの! ひ、日向ちゃんが言ったのですか!?」


 確かにあの娘も『追いやられた』とは言ってなかったが、空護からすれば同じ意味だ。


 わざわざ訂正するつもりはなかった。それなのに隣に立つ源一郎があっさり訂正した。


「失礼。言葉を選び損なったようだ。私らも彼女がそんなことを言ったのを聞いた訳ではない。日向さんはあなた方に『山に入るよう頼まれた』と言っていた」


 それが追いやられたとなにが違うと源一郎に目で訴えるが、逆に目で諭される。


『俺に任せろ』と言われた気がした。それならここから先の話し合いは源一郎に任せようと空護は決めた。元々こんなことを確認することに乗り気じゃない。


 神代日向から問題の告白を聞いた時、それが真実であろうとなかろうと絶対ろくなことではないと空護は主張した。これ以上は首を突っ込まないよう提案したが源一郎が村人に確認するよう主張したのだった。


 本来なら実行役の空護が行動方針を決めるのが筋だ。しかし源一郎は空護に魔狩のイロハを叩き込んでくれた言わば恩師であり、その頼みは無下にできない。それにこんな仕事で支援役を買って出てくれた借りもある。


 そんな訳で源一郎の提案を受け入れたのだが、案の定ろくなことじゃない空気が満々な雰囲気に空護は少し後悔しそうだった。


「村長さん。確認したいこと色々とあるが、まず始めになぜ日向さんのことを隠していたのか教えてくれまいか?」

「いや、その……隠していたのでは……」

「私らは仕事に取りかかる前に山に人がいないかをあなた方に確認した。あなた方の返答は『山には誰もいない』だった筈だ」

「それはその……知らなかったんです。あの娘が、日向ちゃんが山に入っていたなんて」

「それもおかしい。犠牲者名簿に彼女の両親の名が記されていたのは確認済みだ。そしてあなたは私らが村に来てから犠牲者の家族を紹介されたが、そこに日向さんはいなかった。あなたはそれに気付かなかったと?」


 源一郎の言い分は尤もだ。発見時の状況から神代日向は明らかに空護達が到着する何日も前から山に籠っている。この小さな村で、しかもこんな状態の村で十代の少女が数日も行方を眩ませれば騒ぎになってもおかしくない。それが犠牲者の遺族なら尚更だ。


 それなのに村人は誰一人としてそこに触れようとしなかった。隠していると考えるのが妥当だ。そうだとしても源一郎の少々詰め寄り過ぎの態度に空護は引っかかっていた。


「そ、その時はたまたま席を外しているんだと……。まさか山に入っているなんて」

「嘘を吐いてはいけない。発見した時の状況や彼女の装備からどう考えても数日前から山で寝起きをしているとしか思えない。あなたに村人全員の動向を把握しろとは言わないが、家族を失った人間が数日も行方不明になって気に留めないというのは流石に不自然だ」

「ですから……その、それには理由が……」

「その理由を聞いているんだ。日向さんが村から姿を消した時点であなたは彼女がヒグマに襲われた可能性を想定した筈だ。しかしあなたは私らが来た時に犠牲者として彼女の名を挙げるでもなく、捜索や救助の要請もしなかった。それはなぜだ?」


 ――源さん、流石に熱くなり過ぎだ。


 提案された時は考えがあると思ったが、ただ腹が立っただけではという疑念が生まれた。


 任せたのは早計だったと内心顔をしかめつつ、源一郎には悪いが早急にこの話題を畳むことを空護は決めた。


「おいアンタ! 余所者風情がさっきからなにを偉そうに説教垂れてんだよ!」

「か、門脇くん……!」


 どうやら手遅れだ。仕事前に散々突っかかってきた若頭的な男がまた突っかかってきた。


「説教などとんでもない。私は事実確認をしているだけだよ。なぜ日向さんが危険な山でキャンプ紛いのことをしてたのか、についてね」

「なんの権利があってそんなことを聞く!? こっちにはこっちの事情がある! 日陰者のヤクザもんがエセ正義感で口を挟まないでもらおうか!」


 言い方はともかく、向こうの言い分には一理ある。確かに、ここの都合に部外者が口を挟む筋合いはない。だが源一郎は簡単には引かない。


「『日陰者のヤクザもん』というのは否定しない。しかし正義感なんて綺麗な理由でこんなことを聞いているんじゃない」

「はっ! なら強請のネタでも引っ張り出して搾り取ろうってか? 薄汚いネズミ野郎が考えそうなことだな!」

「そうじゃない。もしそんなことを考えるならあなた方にこんなことを聞く必要はない。なぜなら大体のことは日向さんに伺っている。村長にあれこれ質問したのは、日向さんの証言だけを鵜呑みにしたくなかったからだよ。あなた方の事情を知らずに是非を問うのはフェアじゃないからね」

「フェアねぇ……。因みに神代さんとこの小娘はアンタらになんて言ったんだ?」


《小娘》というフレーズに源一郎から一瞬だけ怒気が発せられたが、覆面のおかげで門脇は気付くことなく不遜な態度を取り続けた。


「村長にも言ったが、彼女は『頼まれた』と言っていた。『それが村のためになる』とも言ってたね」

「ふ~ん。小娘がそんなことをねぇ。それでアンタはそれが本当かどうか確かめたくて、もし本当なら俺達がなんでそんなことを頼んだのか知りたいと?」

「そういうことだ。」


 実を言うと煉の読心術で神代日向が嘘を吐いてないことは確認済みだ。したがって源一郎が知りたいのは理由の方なのだが、続いた門脇の言動に源一郎はおろか空護さえも絶句することとなった。


「ふ~ん。なるほどな。……だったら教えてやる。そりゃ小娘の嘘だ」


 ――なんだ? こいつは今なんて言った?


 簡単に理由を話すとは思っていなかった。嘘偽り誤魔化しは当然あると分かっていたが、その程度を見誤った。


「……! 嘘……だと?」


 源一郎も戸惑いを隠せていない。こんな源一郎を見るのは空護も初めてだった。


「そう嘘だ。きっと親が死んだショックで頭が狂っちまったんだろう。それであることないこと適当に喋っただけだ。本当、迷惑な話だぜ」


 空護は思わず怒鳴りそうになるが、源一郎に目ではなく直接手で制され踏み止まった。


 源一郎はやや落ち着きを取り戻したようで、村長と話していた時と同じ調子で門脇と向き合う。周囲を伺うと喧騒が鳴りを潜め、多くの視線が集まっていた。ヒグマの死骸相手に狂乱を興じていた村人達もこちらの様子に気付いたようだ。


「あなたが言ったことが真実だというなら、なぜ彼女の存在を隠した? 理由もはっきりしないのに、その話を信じることはできん」

「村長が言っただろ? 『知らなかった』んだよ。小娘は俺らが気付かない内に勝手に山に入ったんだ」

「なぜそんなことをする? それに何度も言うが、だったらなぜ誰も我々に彼女のことを言わなかった? それに数日も行方不明になって誰も気付かん筈がない」

「いやいや、当然気付いたよ。騒ぎにもなった。小さな村だし、《両親を失った可哀想な娘》だからそれなりに気遣ってたしな。ただなぁ、流石に何日も見つからねぇから死んだっつって諦めたんだよ。だから誰もなにも言わなかったんだよ。……アンタらに言わなかったのは、ちょっとした手違いだ。悪かったよ」

「……………………」

「最後に、小娘がなんでそんなことしたか、だっけ? 一回言ったけど、ショックで狂ったんだよ。もしかしたら両親を追って自殺したかったのかもな?」


 この言葉は源一郎の堪忍袋の緒をブチ切った。必要以上に静かに紡がれた言葉は怒りの深さを如実に表しているようだった。


「……村長さんの話と食い違うな」

「アンタが怖いからテンパったんだ。そうだろ? 村長。……さぁ話は終わりだ。そしてアンタらがすべきことはもうここにはない。金ならくれてやるからとっとと帰れ!」


 その発言に今度は空護が源一郎を制した。背後から外套を掴み無言で宥める。源一郎はもういつ抜刀してもおかしくないくらいに殺気立っている。気付かれてはいないが見た目だけでも平静を装えていることが奇跡に近い。


 しかし空護も、いっそ金など受け取らずに目の前の阿呆を斬り捨ててしまいたい衝動が沸々と燃え上がるのを必死で堪えている状態だった。


 岩戸村における神代日向の扱いは筆舌に尽くし難いものだし正直不憫に思うが、空護の神経を逆撫でしたのはそこに含まれる悪意を隠そうともしない門脇の態度だ。


 空護がどうやって門脇を闇に葬るか真剣に考察していると、それに待ったをかける一言が門脇の後方から聞こえた。


「…………やめよう門脇くん」


 そう言ったのは先程まで口を閉ざしていた村長だった。


「は? おい、なに言ってんだ村長」


 門脇の慌てた様子を他所に、村長は空護と源一郎の前に進み出ると深々と頭を下げた。


「魔狩さん。申し訳ありませんでした。数々の無礼にあまつさえ偽るような真似まで、こんなしがいない年寄りの身では到底足りませんが深くお詫びさせて頂きます」


 その行動に誠意を感じたのか、源一郎からみなぎっていた殺気がみるみる薄れていく。


「村長さん……」


 源一郎は先刻と打って変わって努めて穏やかに語りかける。だが、門脇はそんな村長に見苦しく食ってかかった。


「村長! なにを寝ぼけたことを!? こんな余所者に、それどころか堅気でもねぇ連中に卑屈になってんじゃねぇ!」

「門脇くん、この人達は村を救ってくれた。それはお金のためかもしれないけど、それでも彼らはこの村の恩人だ。私はそんな人達に不誠実でありたくない」


 しかし村長は揺るがなかった。


「全て……とはいきませんが、白状しましょう。まず、日向ちゃんがあなた方に伝えたことは……真実です」


 噛み締めるように村長は語った。空護も源一郎もその一語一句を静かに受け止めた。


「この村を守るために、あの娘に山へ入るよう頼み――いえ、違いますな。そちらの彼が言うようにあの娘を山へ追いやりました。理由は、多分あなた方の考えた通りのことです」


 村長は言いながら空護と目線を合わせ、しかしすぐに逸らして視線を落とした。空護はまるで自嘲するかのような村長から目を離さなかった。


 そんな村長を見かねてか、源一郎が静かに声をかけた。


「村長さん。それでは、やはり――」

「そうです。私らは日向ちゃんを人身御供としたのです」


 空護には察しがついていた。神代日向がそう言わなくても彼女の証言と、この状況から導き出される解はそれしか思い浮かばなかったからだ。


 なぜそんなことをしたのか聞くまでもない。だが源一郎はそれでも村長に発言を求めた。ただし最初と違い極めて優しく。


「なぜ……そんなことをしたのか、聞かせて頂きたい」

「はい……。日向ちゃんに山へ入るよう頼んだのは五人目の犠牲者が出た後です。当時は装備を十二分に整えて臨んだ討伐が失敗して死者まで出したことが痛手でして、これ以上被害を出さないためと言ってとんでもない案を実行してしまいました。それは誰かが山でヒグマの注意を惹きつけ村へ下りてこないようにするというものでした。馬鹿げた話です。犠牲を出さないために確実に誰か一人を犠牲にするなど……。当然、誰が行くかが問題になりました。立候補する者などいる筈もなく、その結果、我々は日向ちゃんに役目を引き受けてくれるよう頼みました。そんなことを……してはいけなかったのに」


 最後の部分はまともに声として吐き出されなかった。きっと後悔と羞恥のせいだろう。


「なぜ、日向さんが選ばれたのか聞いていいだろうか?」

「……それは言えないのです。決して面子や後ろめたさで隠すのではありません。理由を話せば日向ちゃんの名誉に傷が付くからです。なにを勝手と思われるでしょうが、これだけは話せません。……きっと日向ちゃんに聞いても話してはくれないでしょう」


 そこまで言われると余計に気になるが、余所者に身内の恥を晒した村長がここまで頑なに隠すのなら余程の理由があるのだと空護は納得した。


 源一郎もどうやらこれ以上の追及はしないらしく、一つ気になる疑問が残してこれで事の真相ははっきりした。


 ――しかし、源さんはこれを言わせてどうするつもりだ?


 こうなることは源一郎が望んだ流れであっても、空護にはこの先の展開が全く読めない。そんなモヤモヤした気分でこの後の展開を思案していると、空護の耳にできればもう聞きたくない不快な声色が飛んできた。


「……いいじゃねぇか。話しちまえよ村長」


 しばらく村長の後ろで沈黙を保っていた門脇が勇み出た。


「門脇くん! なにを言ってるんだ!? このことは――」

「ふざけんな! 中途半端な暴露話しやがって、これじゃまるで俺達が悪者じゃねぇか! なにも知らねぇ連中にそんな風に思われちゃたまったもんじゃねぇよ!」


 その言葉にさっきまで静かだった村人達がざわつき始めた。


 風向きが怪しい。事実を知ることが有益だとしてもこの流れは不味い。第一に理由など空護はもちろん源一郎もどうでもいいと思っている。


 思えば理由開示の拒否をすんなり聞き入れたことから、源一郎の狙いは事実をはっきりさせた先にあって、理由にまで踏み込む気はなかったのだと空護は察していた。


 その証拠に当の源一郎が覆面越しでも分かるくらいに険しい顔をしている。


 そんな怪しい状況で、門脇のドスの利いた声が響いた。


「魔狩の旦那。アンタだって知りたいよな? なんで村の人間が揃いも揃ってあんな小娘に大役を任せたのか。村長が無理ってんなら俺が教えてやるよ」


 余計な世話だと言おうと空護は踏み出したが、それより早く源一郎が空護と門脇の間に割り込んで唸った。その声には既に穏やかさなど微塵もなかった。


「いやお断りする! 村長は日向さんの名誉に関わると言った。私らはそこまで詮索するつもりはない!」

「遠慮するなって。こっちもアンタらに誤解されたままだと寝覚めが悪いんだよ」


 しかし門脇は口を閉じなかった。神代日向が嘘を吐いていると偽ったことから、この男は彼女を貶めることで自分の正当性を証明しようとしている。


 空護にとって門脇に対する評価は最底辺だが、この行為は空護の中でこの男を人間という枠組みから外すきっかけとなった。ただの悪意という塊が人間の形をして口を動かしているだけだ。そして悪意は極めてドス黒い言葉を吐いた。


「いいか? あの小娘はな――」

「やめるんだ! 門脇くん‼」


 吐き出された悪意は村長の誠意を飲み込み、この場を黒く満たした。


「人間じゃない。……魔精なんだよ!」


 それが響いた直後、静かな空間に確実に黒いなにかが伝搬するのを空護は感じた。門脇の発言に一瞬とは言え思考が停止したのは本日二度目だ。騒ぎ出した周囲を他所に空護は非常に不本意だが門脇に問いかけた。


「門脇さん……言っていることが理解できないんで聞き直したいんだが、魔精というのは日向嬢のことを言っているのか?」

「そうさ。他に誰がいる?」

「だったら恐ろしく質の悪い冗談と受け取らしてもらう。……彼女は正真正銘人間だ。体のどこにも魔精の特徴を有していない。魔狩として断言する。彼女は魔精じゃない」


 そもそも人間と魔精では内在する生命力――気力の性質が異なる。魔精の持つそれは《魔晄(まこう)》と呼ばれ、肉体的な特徴以上にこれの有無でほぼ完璧に魔精かどうか判断できる。


「違う……そうじゃねぇんだよ。アンタが言ってんのはあの小娘の体のことだろ? そういう意味じゃあれは確かに人間だ。でも俺が言いたいのはそういうことじゃねぇ」


 じゃあどういうことだと問い返すと、空護の予想の斜め上を行く回答が返ってきた。


「あれは魔精に育てられた娘なんだ。元を言えばこの村の人間じゃねぇんだよ」

「……なんだって?」


 なんとも安い反応をしたと空護は後悔したが、それだけ飲み込むのに抵抗がある答えだ。


 彼女は亡くなった神代夫妻の娘と言っていた。村長はもちろん本人からも確認済みで、ついでに嘘じゃないことも煉が確認している。状況が掴めずにいると、それを察したのか門脇が補足した。


「あれは神代さんと血が繋がってねぇ。五歳くらいの時に神代さんが引き取ったんだよ」


 門脇が言ったことをまとめると――。


 今から十年近く前、岩戸村近辺の山に魔精の集団が住み着いた。それが分かった時には当然の如く騒ぎになったが、魔精側の申し出によって事態は沈静化した。


『我々は決してそちら側の領域に干渉しない』


 彼らはそう語って村と一定の距離を保ち続けた。それでも近くに魔精がいる事実に多くの村民は不安を抱えていたが、いずれいなくなるという確約が得られて落ち着きを取り戻した。聞けば流浪の一族らしく一か所に定住することはないと言う。


 そして互いに不干渉な共生関係が半年続いた頃にそれは起こった。


 発覚のきっかけとなったのは他所からきたハイカーが犠牲になったことだった。今回と同様の事件――岩戸村付近に変化が出没したという知らせは村民を恐怖に陥れた。


 村に直接の被害はなかったが厳戒態勢が敷かれた。しかし事は唐突に終わりを迎えた。


 事件が発覚して数日後、村と不干渉の約定を結んだ魔精族の若者が瀕死の状態で村に姿を現した。その手に幼子を抱えて。


 村に再び緊張が走ったが、若者は村人達の前で崩れ落ちると幼子を差し出して言った。


『凶暴な獣に襲われ一族は全滅した。獣は打ち倒したが自分ももう助からない。生き残ったこの子を救ってくれ。……この子はあなた達と同じ人間だ』


 若者は幼子を村に託すと息絶えた。その時に託された幼子が神代日向だった――ということらしい。


「その時、日向嬢を引き取ったのが神代夫妻だった……ということか?」

「そういうことだ。これで分かっただろ? あの小娘がこの村にどれだけ厄介事を持ち込んだかってことが」

「……? 待て。今の説明でどうしてそんなことになる?」

「はぁ、なに言ってんだ。昔と今回の件……二回も村が魔精の被害にあったんだ。どう考えても小娘が疫病神に決まってんだろ! なら責任取って生贄になったって文句はねぇ筈だ。アンタらだってこれで俺達が正しいって理解できただろう?」


 分かってたまるかとは口にはしなかった。この場所でその言葉に意味がないことを空護は受け入れていたからだ。なぜなら、ここの村人は彼女を人間として見ていない。門脇はもちろん、彼の話を聞いていた村人の誰もが異議を口にしなかった。


 誰も神代日向を庇わない。例外はせいぜい村長だけだ。大多数の村人は彼女を厄介者の《魔精》としか見ていない。


 生贄にされた理由などろくでもないと分かってはいたが、それどころじゃない。空護も、恐らく源一郎も村が極限状態でなにかの弾みで暴挙に出たと推察していたが、真実は十年近く積層した歪みや悪意の成れの果てだった。


 最初からどうこう言ってなんとかなる話じゃなかった。源一郎もそれを痛感したのか、これ以上の話は必要なしと空護に視線を送り最後の疑念を口にした。


「村長さん、最後に確認したいんだが、日向さんに帰る家はあるのか?」


 そう。それが現状、源一郎にとって唯一の懸念だろう。これまでの反応からほとんどの村人は神代日向の生存を喜んではいない。と言うより最初から望んでいなかったというのが正しい。だとしたら彼女の帰る場所が無事に残されているかは激しく怪しい。


 そして問答や暴露話で憔悴した村長の返答は悪い方向に空護の予想通りだった。


「日向ちゃんは……役目を引き受けてから財産をほぼ全て処分していました。生きて帰れないと覚悟していたんだと思います」


 それを聞いて空護は今日で何度目かの溜息を漏らした。


 ――十代半ばのガキがそんな悲壮な覚悟を決める環境ってどんなだよ。


 それ以上にそれを聞き入れる大人も考えものだ。


 そんな空護の内情を察してか村長は話を続けた。


「財産の幾らかは私が預かっています。生きているなら、また村で暮らすこともできます」


 その言葉に村人はざわつき始めた。聞き耳を立てると大半は神代日向を拒否する反応を見せている。村に戻るかどうかは神代日向の気持ち次第だが、果たしてこんな場所に帰りたいと思うものだろうか?


 そんな空護の思考を他所に村は再び騒然とし出した。するといきなりスマホの着信音が鳴り響いた。見ると着信は煉からだ。


「もしもし。どうした?」

『あぁ空護、そっちの状況どう? こっちは神代さんに事情聞いてたら、ちょっと厄介なことになっちゃって』


 開口一番、煉の《厄介事》発言に空護は嫌な予感しかしない。


「……聞かなきゃダメか?」

『とりあえず聞いてくれなきゃ困る。えっと神代さんなんだけど、どうも村には帰れないらしいんだ。山に入る前に財産を全部処分しちゃったみたいで』


 予感的中。つまり彼女に帰る意思はない。空護は念のため先程の村長の言葉を伝えた。


「それなんだが、こっちでもその話が出てだな……その財産の幾らかは村長が預かってるらしい。だから村に戻ろうと思えば戻れるんだが……」

『そうなの? ちょっと待って。神代さん、仲間が村の方でさ………………………………それでいいの? ……………………分かった。空護、助かっても村を出るつもりだったらしい。ご両親も亡くなって身寄りもないからって』


 本音を言うと、空護はこのまま放置したい気分だった。だが不本意だったとはいえここまで首を突っ込んでおいて問題を丸投げするのは気が引ける。


 それに元を辿れば空護が発見したのが始まりなのでその責任は取る必要がある。となると取れる手段は一つしかない。


 気は進まない。それに結構無理な解釈で正直かなり魔狩の領分を逸脱しそうだ。


 しかし他に良案も思いつかない。仕方なく、空護は思いついた案を村長に提案した。


「村長、あなたが先程言ったことを日向嬢に知らせたんだが、彼女はもう村に戻る気はないらしい。役目を引き受けた時から決めていたそうだ」

「……! そう……ですか」


 こちらの言葉で打ちひしがれる村長を不憫に思うが今は構っていられない。矢継ぎ早に空護は村長に語りかけた。


「そこでだ。村長、日向嬢の身柄をこちらに預けてもらえないだろうか?」

「…………えっ?」


 空護自身、見たことはないがハトが豆鉄砲を食らうとこんな顔になるだろう。横を見れば、源一郎も驚いている様子が覆面越しでもよく分かった。


「まぁ、簡単な話だ。こんな仕事をしていると魔精に家族を殺されて天涯孤独になる人間てのは珍しくなくてな。そういう人間のアフターケアも魔狩の仕事の内なんだよ。日向嬢の場合、少々変則的なケースではあるが村で面倒見れないならこちらで面倒見よう」


 この提案に真っ先に反応したのは門脇だった。


「随分いきなりだな。悪い話じゃねぇが、タダじゃねぇんだろ?」

「心配しなくても村に報酬の要求はしない。この場合、依頼人は神代日向個人だ。報酬は彼女からもらうことになる。強いて言うなら、そちらには日向嬢が預けていった幾らかの財産の返還を要求する」

「なっ……!? ちょっと待て、あれは――」

「既に処分した財産であなた方の懐はそれなりに温まっているだろ。だったらもしものために残しておいた分を彼女に返すことになんの問題がある?」


 これには流石の門脇も黙り込んだ。彼だけじゃなく周囲の村人達もどこか気まずそうに落ち着きがない。どうやら図星のようだ。


 皆が沈黙する中、村長が歩み寄った。その顔には幾らか精悍さが戻っていた。


「分かりました。ただ、手続きに手間がかかるので今すぐは無理なのです。少し時間を頂いても宜しいですか?」


 空護は村長の要望を了承すると源一郎に諸々の事務手続きを頼んだ。源一郎は手際良く話をまとめていった。


「なにからなにまで、ありがとうございました」


 村長は頭を下げ、それ以上弁明も謝罪もしなかった。なにも言う資格がないと自嘲するように。それがこの人の精一杯の誠意と空護は受け取った。


 源一郎ももうなにも言うつもりはなかった。


 ――これですることは全て終わったな。


「ふん、あんな化け物娘引き受けようなんて酔狂なこった。まぁアンタらもまともな人間じゃねぇってことで同情でもしたか? こっちは礼なんか言わねぇぞ。頼んだ訳じゃねぇし、きっちり対価は払ったんだからな」


 そう思った空護の後ろ髪を引っ張ったのはまたしても門脇だ。


 この男だけじゃない。他の村人も口に出していないが門脇と同じ心境だと容易に分かる。


「そんなもの求めていない。こちらもこれ以上あなた方にどうこう言うつもりはない」

「当たり前だ。そもそも元からなにも言われる筋合いなんかねぇよ」

「そうだな。悪かったよ。俺はもうなんも言わない。だから――」


 そう言って空護は門脇に歩み寄り、その不愉快な顔を見上げ、そして――。


「お前は……もう喋るな」


 手にした刀の柄頭で門脇の顎を打ち上げた。続けて浮き上がった門脇の腹部に掌を当て、それを押し込む要領で門脇の体を吹き飛ばした。


 門脇はそのまま近くの土手に一直線に叩き付けられ地面に崩れ落ちる。小刻みに痙攣しながら失神する様がなんともお似合いだ。


 直後、村人達から空気を埋め尽くす程の悲鳴が上がった。


「うっさい喚くな! 死んだ訳じゃあるまいし!」


 空護はそれを一喝して黙らせた。夜の山村を一時の静寂が包む。少し間を置いて空護への糾弾の嵐が吹き荒れた。数多の罵詈雑言の中から聞き取れたのは「なんて非道いことを!」とか「それでも人間か!?」だったり「化け物め!」といった言葉だ。しかし耳に入る言葉は全て空護の真芯に響くことはない。


 空護には聞こえる全てが《言葉》ではなく《音》にしか聞こえなかった。そんな騒音を一つ残らず聞き流し空護は踏み出した。途端に騒音は鳴りを潜める。再び訪れた静寂の中、空護の口から吐き出された言葉は驚く程に暗く冷たいものを纏っていた。


「酷い言われようだ。言われても仕方ないとは思うが、せめて言葉は選ぶべきだろう。誰だよ『それでも人間か!?』なんて言った奴? そう言うセリフはまともな人間が言うから意味があるもんだ。まさか自分達がまともな人間だと勘違いしてるんじゃないか?」


 最後の一言にこの場にいる全員が絶句していた。それもそうだ。こんなことを言われてショックを受けない者はそうそういない。


 そして空護はこうなることを十分理解した上で、込められるだけの悪意を込めて言葉を紡いだのだ。自分でも相当非道な行いに手を染めていると分かる。それでも、


 ――これだけは言わずにいられない。


 決して人道を説く気などない。神代日向に同情したのでもない。ましてやこんな連中を更生させようなど欠片も思わない。自分はそんなできた人間じゃない。だからこれを言うのはあくまで憂さ晴らしであり、侮蔑するためだ。


「……なんだよ。お前に俺達のなにが分かるってんだ! ずっと得体の知れない存在がすぐ近くに住んでて、どれだけ気が気じゃない生活を強いられたと思ってる!? その上こんな酷い目に遭って、まともでいられる訳がないだろう! 大体お前なんか、まとも人間どころかほとんど化け物じゃないか! そんな奴が偉そうに人様見下してんじゃない‼」


 ショックから立ち直った村人の一人が心情を吐露したが、そんなこともどうでもいい。


 そっちの都合は既に分かり過ぎている。だが空護が気に入らないのはそこじゃない。


「あぁ誤解するな。これでも俺はあんたらのことを理解しているつもりだ。そりゃ人間だって分かっていても魔精と深く関わった者を受け入れるのは簡単じゃない。もしものことを考えたら過剰だろうと警戒して然るべきだし、先の安全のために排除したいと思うのも無理はない。しかし――」


 そう、空護が特に気に入らないのはこの一点なのだから。


「死者を除いてここにあの娘以上に酷い目に遭った者がいるのか? 二度も家族を失い、挙句が死地に追いやられるような目に遭った者が? 死の覚悟を示しながら感謝も称えもされず、弱者が弱者を慰めるための捌け口にされた者がここにいるのか?」


 この発言に感情を吐き出した青年は刺された顔で後退る。青年だけでなく大多数の村人が目を泳がせ、口元を震わせ、挙動不審に陥っていた。


 弱いだけなら罪はない。誰もが困難に立ち向かう強さを持ってはいない。しかし弱さを受け入れず強さを誤魔化す行いこそ許されざる罪だ。


 ましてやそのためにより弱い者を虐げるなど外道のすることだ。そういう意味で岩戸村の人間の多くは罪人であり正真正銘の弱者だ。


 その存在こそ空護が気に入らない――許せないことだった。


 そんな村人全員を見据えて空護は冷たく静かに言い放った。


「最後に……さっき言われたことだが、俺はあんたらを見下したりなんかしないよ。言われた通り俺はまともな人間どころか魔精以上の化け物だ。それは否定しない。だがな……無害な少女を貶めてテメェの小さな自尊心を必死になって守ってる奴は人間でも魔精でもない。ただのゴミだ。見下すどころか見る価値もない。陽の当たる場所でゴミに成り下がるなら、日陰で化け物扱いされた方がマシだ」


 投げつけた言葉は三度目の静寂を生み出し、そしてそれが破られることはなかった。


 空護と源一郎は風の音だけが侘しく響く村に背を向け歩き出す。きっと二度と訪れることのない場所に無言で別れを告げた。背中越しに村人達が無言で慟哭しているのを感じたが、それが空護の後ろ髪を引くことはなかった。



 煉達との合流地点へ向かう道中、空護は激しい後悔の渦の中にいた。たかだかカッとしただけで、なんとも軽はずみなことをしてしまった。


 村人連中に言った通り、魔精の被害者を支援するのも魔狩の仕事の内ではある。


 しかし身柄を引き受けるというのは些かやり過ぎだと空護は猛省していた。


 先程から隣にいる源一郎が一言も喋っていないのもそれを助長していた。やはり前以て相談しておくべきだったかもしれない。


 話しかけるのも躊躇われ、されど、この空気感に身を置くのも限界で、仕方なく空護の方から音を上げる形で、会話のきっかけになればという気持ちで今の内情を言葉にした。


「……彼女の身柄、どうしよう?」


 それに対する源一郎の反応はこうだった。


「……やらかしたな。どうするよ?」


 というものだった。意外な反応に一瞬ポカンとしたが、それが沈黙感を一蹴した。よく見ると源一郎は満面の笑顔だった。


 それを見て空護は腹の底から物申したい気持ちで源一郎を問い詰めた。


「なに笑ってんだ『どうするよ?』じゃねぇよ! 元はと言えば源さんが余計なことに首突っ込むから話が拗れたんだろうが! むしろどうしてくれんだよ!」


 ほぼ八つ当たりだった。確かに元を辿れば源一郎に端を発しても判断を下したのは空護だ。責任転嫁も甚だしい発言だったが、源一郎は怒るどころか笑いながら空護を宥めた。


「まぁまぁ落ち着け。確かに俺の見通しが甘かったのは認めるが、決断したのはお前だろう。そう噛み付くもんじゃない。それに……俺は随分と粋な対応をしたと思うぞ。お前らしくないっちゃないがな。流石のお前も日向さんを不憫に思ったのか?」


 源一郎が『粋』と言う時は手放しで褒めている時だと空護は知っている。


 正直に嬉しく思ったが、事を起こした理由が理由だけに苦笑いしかできない。


 まさかカッとなったとは言えず、そしてなぜあそこまでカッとなったのか自分でも分からなかった。


「俺は源さんみたいに神代日向に同情したんじゃない。ただ単に連中の態度が気に食わなかっただけだ。大体、源さんはどうしてあんなに彼女のことにこだわったのさ? 大体の理由は分かるけど」


「ほう。ならお前の推理を聞かせてもらおう。なぜ俺が日向さんにこだわったのか」


 事実確認を提案された時は源一郎の真意を読みかねていたが、村長とのやり取りで大体のことは察しているので空護はそれを口にしてみた。


「要は村の連中と日向嬢を和解させるきっかけ作りがしたかったんだろ? 理由はともかく、年端もいかない婦女子を人身御供にした非を村側に認めさせて、村人が彼女に謝罪できる土台を整えたかった。彼女がわだかまりなく村に戻れる配慮だな」


 だからこそ村長に対して必要以上に非を認めるよう問い詰めた。理由そのものは目的と関係ないため聞く必要がなかった。


「正解! お前も分かるようになったじゃないか!」

「分かってるからって俺は源さんみたいにしない。そうしようとした訳じゃないし。事実、後悔してる」


 いつもの空護なら絶対にしない決断。


 源一郎と違って首を突っ込むつもりもなかった筈なのに。なぜ?


「ぶっちゃけ丸投げして知らんぷりしようとも思ったんだけど、やっぱ寝覚めが悪い上にあの娘を見つけたのは俺だから責任取らなきゃって考えたんだよ」


 とりあえずそんな理由でお茶を濁してみた。


「責任か……。そんなに重く考えるな。お前は十分な働きをしたんだ。後の面倒は俺が見てやるよ。それより問題なのは門脇をブッ飛ばした件じゃないか?」


「知ったこっちゃない。魔狩に仕事を依頼するのが違法な以上、連中が事を公にする筈がない。会津集会所からは苦情が来るかもだけど、それこそ知ったこっちゃない」


 道中、互いに笑い声を響かせながら空護達は合流地点に到着した。既に待っていた三人は機嫌良さそうな二人を訝しそうに見てなにがあったのか尋ねたので、村での一部始終を報告すると、風真が大層むくれる事態が発生してしまった。


「二人ともズリィよ! オレだってあの馬鹿を半殺しにしたかったのに!」

「ダメだ。俺は超絶手加減したけどお前は確実に半殺しじゃ済まない」


 源一郎が「あれで超絶手加減なのか?」と呟いたが超絶に無視する。


「それにしても厄介なことになったね。源さん、これって問題にはならない?」

「かなり変則的な処置ではあるが、適切な判断だったと俺は思うよ。仕事の成功と併せてそれについても今から集会所へ連絡を入れるから、三人はあの娘に説明を頼む」


 言ってから源一郎は事後処理を手早く済ましていった。しかし出された指示に対し風真から帰ってきた返事はこうだ。


「源さん、それなんだけど……彼女……寝てるぜ」

「「……は?」」


 これには源一郎だけじゃなく空護も間の抜けた反応をするしかなかった。


「空護に電話してすぐに『疲れたんで休める所ありますか?』って言うから、今は車の中でぐっすりと」


 煉の報告に空護は頭を抱えると同時にちょっとした懸念を抱いた。だが察しのいい煉はそれを先読みして杞憂であることを教えてくれた。


「村のことでショックを受けて傷心って訳じゃないよ。一応読んでみたけど、精神状態は極めて穏やかだった。僕の《読心術》じゃ思考までは読めないからなに考えてるかは分からないけど」


 強力な読心術は触れるだけで相手の思考や記憶を探ることが可能だ。でも残念ながら煉の力はそこまで強くなく、気力の痕跡を追ったり感情を読む程度――それでも魔狩の仕事では十分役立つ――なのだ。


 この場合、感情に不快さや激しい起伏が見られないことから煉は精神状態が正常と判断したのだろうが、そうなると空護は益々頭を抱えることになる。


「あの娘本当に大丈夫か? 自分で言うのもあれだが、死ぬかもしれない状態から帰還してこんな覆面被った怪しい連中の前に連れて来られてなぜ寝れる?」


 しかも精神的な揺らぎを一切持たずに、だ。


「いわゆる天然って奴か? でも話してたらすげぇイイ子だったぜ」

「とにかく、彼女の容認も得ずに連れて行くのは不味い。不躾だが起こして確認してくれ」


 空護は車に戻ると無礼と知りながら眠る彼女を起こし、こちらで保護するので同行して欲しい旨を伝えた。


 神代日向は眠気眼ではあったがはっきりと「分かりました。お願いします」と言って、また眠りについた。


 その間に源一郎は北茨城集会所に結果と彼女のことを報告し終わったらしく、空護達はそのまま帰路につくこととなった。


 家を出て半日程度の短い工程ではあったが、振り返ると随分と濃い内容の仕事だった。


 格安で引き受けた仕事を依頼主に一晩で終わらせろと言われ、天涯孤独の女の子を保護して、最後にその子の身柄を引き受ける羽目になるなど空護の記憶の中でもトップクラスの高難度ミッションだった。


 しかし後の始末は源一郎が引き受けてくれる。神代日向のこれからは多少気にはなるが、これ以上厄介なことにはならないだろう。そう思うと急に気が緩んだのか空護にも強烈な睡魔が襲ってきた。


 なにも心配事がなくなったので空護はそれに抗うことなく意識を深い場所へと落としていった。そして数時間後、空護は見通しが甘かったことを思い知るのであった。

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