オートル・ミハイル
「……その……悪かったわよ」
その表情に、もう暗さは残っていなかった。
エーテルは一本の太い縄でスリ犯人である老人を縛って座らせていた。
「別に、誤解が解けたなら、それでもいい……ことはないけど……まぁ、気にしない」
アランは苦笑を浮かべてエーテルに向き合った。
氷に埋まったスリ犯人を救出するその前にアランとエーテルは二人掛かりで老人の犯罪の言質を取っていた。
半ば拷問じみたやり方で自らの罪をあっさりと自供した老人の手は氷から解放されてはいたものの、縄で縛られて結局は自由にはなっていない。
「ま、マダム・ミスラ様には私から言っておくわ」
半ば凍ったままの大地を踏みしめるようにして、エーテルは呟いた。
「……何を?」
「犯人を捕まえたのはアラン・ノエル――あなたよ。私は、人が立てた功績を奪うほど落ちぶれちゃいないわ」
「人の話聞かないで先制攻撃しかけてくる方もどうかとは思うがな」
「……ぐっ! そ、それは……わ、悪かったって言ってるじゃない! だからあの時殺しなさいって言ったのよ!」
「そ、それこそホントの犯罪者になっちまうじゃないか…」
そんなアランの苦笑に、地団太を踏んで悔しがるエーテルの隣では、既に溶け始めた大津波の氷がガギッと音を立てて地面に落ちていく。
「……この借りはオートルで返すわ」
その様子を見て、エーテルは右手で縄を掴んだままアランを指さした。
「初めて受けたこの屈辱――オートル高等部の公衆の面前で、あなたにそっくりそのまま返してあげる!」
「いや、ちょっと待て……」
「それまで、私は絶対に、誰にも負けない……! あなたも、誰にも負けることなく私の前に立ちはだかってなさい!」
その眼光に、嘘偽りはなかった。
自らを唯一敗北たらしめた少年を、必ず倒して見せる、と。
その先に見える遥かな道を切り開くために。
今回の敗北で得た悔しさを糧に。エーテル・ミハイルは負けないことを心に誓った――が。
「……オートル高等部……? 何の話だ?」
苦笑いを浮かべて、頬をポリポリと掻くアランに、エーテルは目を丸くしていた。
「いや、あなた……! だって、一般公開日、中央通りに……!」
「ん? あぁ、あれか。ただの夕飯の買い出しだぞ。俺の誕生日だったしちょっと早めにってことで家出ただけだ」
「……オートルの一般公開日……に、受験会場の下見とか……してたんじゃ……?」
「オートル魔法科学研究所……。そういや、よく父さんとフー爺が話してたっけ」
「……ほ、ホントに……!? え、う、嘘でしょう!? あれだけの力を持ちながら、オートルに進学しないの!?」
「……お前本当に人の話聞かないな」
「むぐっ!? う、うるっさいわね!」
アランとエーテルの口合戦の最中、「何でもええから……縄を解いてくれると嬉しいのじゃ……」と小さくホロリ、涙を流すスリ犯人。
そんな犯人を一瞥した二人の足元では、少しずつ凍っていた氷が氷解しつつあった。
アステラル街と王都の間をつなぐのは小さな門だった。
門の向こう側にいるらしい番人に向かって、エーテルは大声を出した。
「犯人は捕縛したわ。ここを開けて」
その声に応じたのか、王都とアステラル街を繋ぐ門が小さく開いて、その間を俺たち三人は抜けていく。
「お勤めご苦労様です、エーテル・ミハイル様。そちらの二人の男が犯人ですか?」
番人の一人が機嫌を取るかのようにエーテルを持ち上げる。
それに対し、エーテルはアランの方を見て「ふふふ……」と笑みを浮かべた。
「縄で縛ってる方がスリの犯人。こっちの男はただの……ただの……」
「……ただの?」
「に、にっくき敵よ! い、いつか倒してやるんだから!」
恥ずかし気に番人に告げたエーテルに、アランは思わず「ブッ」と噴き出してしまっていた。
番人に少しの挨拶を済ませたエーテルとアランは、王都中央通りからは少し外れた場所に移動した。
「……じゃ、私は今から犯人を中央管理局に届け出てくるわ」
人通りの少ない場所を選んだエーテルは、縄を持ちつつも「あなた、本当に――」と呟こうとするが、喉の先まで通り抜けようとしていた言葉を飲み込んで、ふるふると首を横に振った。
「また会いましょう……アラン」
藍がかった髪がふわりと揺れた。
一房に結ばれた藍髪がピコピコと動き、まるでエーテル自身の感情を示しているかのようだ。
一見質素なその服装からでも、彼女自身が持つ品位は変わらなかった。
恥ずかし気に俯いたその少女の頬はほんのりとピンク色に染まる。
「ああ、そうだな――エーテル」
エーテルの気遣いに答えるかのように、アランも彼女のファーストネームを告げる。
アランとエーテルの両者に飛び交う熱い火花に宛てられたスリ犯人の老人が何とか縄を解けないかと画策していたのだった――。
○○○
「海属性……か」
あの手応えがアランの手の内にずっと残っていた。
何故、どうしてああいう戦い方が出来たのか、アランには分からなかった。
気付けば身体が動いていた。気付けば魔法力が流れるように魔法に宛てられていた。気付けばどんな魔法を使うか考えていた。
脳内に沸いてくる魔法の情報、具体的な概要。それをいかに取捨選択し、眼前の相手にぶつけるか。
「……すげぇ……。何でフー爺、使わせてくれなかったんだよ、水臭いなぁ……!」
多少の頭の痛みなど、何の抑制剤にもならない。
魔法を放出するあの一瞬が、いつまでもアランの脳裏に焼き付いて離れない。
それは魔法具銃や魔法具剣で闘っていた時には感じられない快感にも似たものだった。
エーテルと別れたアランは、一度家に戻るべく帰路についていた。
海属性魔法の使い手であるエーテル・ミハイルとの戦闘はアランにとって、幸か不幸かなど、十五歳のアランには判断しようもなかった。
「俺は……」
ふと、暗い路地裏で歩みを進めながらアランが呟いた、その時だった。
「――アラン・ノエル様」
ふと、前方から自身を呼ぶ声に気付いたアランは顔を前方に向ける。
そこに立っていたのは、一組の男女だった。
片や、初老の男性はきっちりと燕尾服を着こなしている。白と黒が入り混じるその髪と髭からは高貴な気品が伝わる。右手を胸に宛てて丁寧にお辞儀をするその姿は、執事の所作の見本とも思える動作だった。
片や、二十前半に見える若い女性は白と黒を基調としたエプロンドレスを見事に着こなしている。スタイルの良さそうなその体躯に煌びやかなフリル。頭にはレース調の白いフリルが紅の髪と相まってとても印象深い者になっている。両手を重ねてこちらもお辞儀をする姿。
そんな二人に戸惑いを覚えるアランに、執事であろう初老の男性は重々しく口を開けた。
「我が当主がアラン・ノエル様に是非とも会いたいと申しております」
次いで、メイド服を着た女性は明るい口調で告げる。
「突然のことに戸惑われるお気持ちは承知しております」
そう告げたメイド服の女性と初老の男性は、真ん中の道を開けるようにして一歩後ろに下がった。
すると、そこからは優し気な表情を保つ男性が一人現れる。
「初めまして……だね、アラン・ノエル君」
その男性はとても病弱に思えた。
アランの父親であるファンジオは筋骨隆々とした男でもあったが、その男性の顔色は白い。着飾ってもいないラフな格好をしたその男性は、「申し遅れたね」とある種最も高貴さのある人間だとアランは感じた。
道の脇に逸れていた二人の従者がお互いを示し合わせるようにこくりと頷いた。
最初に口を開いたのは、執事の初老男性。
それに続いてメイド服を着た若い女性が続いた。
「中央管理局局長、兼」
「オートル魔法科学研究所所長を務めていらっしゃいます」
従者たちの紹介に「ありがとう、二人とも」と弱々しい笑みを浮かべたその男性は、握手を求めてそっとアランに手を差し出した。
「紹介に預かったね。アルカディア王国王都レスティム中央管理局局長兼オートル魔法科学研究所所長、オートル・ミハイルだ。以後よろしく頼むよ、アラン・ノエル君」




