降りしきる雨
「――アガル……」
力なくファンジオが見据える先に縛られ、膝を付くのはミイの父親であるアガルだ。
苦渋に満ちたその表情からは後悔の念さえも伺える。
その隣にはもう一人の男。こちらも同じく縛られているが、その表情は憤怒に満ちていた。
「最悪の結果だ……くそ……っ!」
二人を縄で捕らえた張本人であるルクシアは、マインに事情を説明するために家の中に入っていた。
それまでの経緯を見守っていたファンジオは、突如現れたフーロイドを一瞥して「はぁ」と深いため息をついた。
「……アンタ、さっき下って行っていた老人だな?」
フーロイドは長く伸びた白鬚を丸めて得意げな様子で杖を突いていた。
それに対してファンジオ一家襲撃の長を担当していたアガルはフーロイドの余裕気な雰囲気を察して「まさか……」と一人ごちる。
「あれは罠だったということか……」
そんな呟きにフーロイドは変わらず得意げな顔で「ご名答じゃ」とファンジオを眺め見た。
「敵を欺くにはまず味方からというやつじゃ。のぅ、ファンジオ」
「ニヤついた顔すんのは止めてくれよ……フー爺。アンタ、知ってたんだな? こうなることを」
ファンジオの溜息を意にも介さずにフーロイドはアガルの顔を覗き込む。
「お主等が見たワシは本物には変わりない。主等が見たのは、馬車で家から下っていくワシの姿じゃったはずじゃ。それを見てファンジオ宅に突撃をしかけようとしたんじゃろう? 蛮族よ」
「……かっ。安い罠に嵌ったもんだな……」
それは村人たちにとってはあまりに早計なものでもあった。
短絡的な問題として、彼らにとってまず第一の関門だったのはフーロイドの存在だった。
王都からやってきた高名な魔術師がアランの師匠となった事実は皆が知っていること。
彼らが突撃する際にフーロイドがいては何の意味もない。
だからこそ、フーロイドとルクシアが家を下っていったのは村人たちにとっては最良のタイミングにして、最大の好機だったのだ――が。
「残念だったの。ワシはこの家に来るときは毎回転移物質を使用しておっての。わざわざ王都からここまで来るのに馬車などは使わぬ。お主等、よくもまぁ攻撃する対象のことをよく調べずに突撃できたもんじゃて。猟師失格じゃのう」
「……ぐっ……!」
アガルと男は、フーロイドの発言に対してぐうの音も出ない。
「フー爺、そんくらいにしといてやってくれよ」
そうファンジオが仲介に入る頃にはフーロイドの弁舌はとっくに終わっており、その対象がファンジオに移り変わりつつあった。
「……もしも、お主に相応の覚悟がなければ。ワシはアランとエイレンだけを救い出して立ち去るつもりだった」
「……?」
「お主が単に腑抜け、甘えた奴でないと知れたからこその助け舟じゃ」
「良かったの」と小さく呟いた背中の小さなその老人は風に吹かれるままに草原の先をじっと見つめる。
「……ところで蛮族よ。必死の形相でアーリの森から走って来る者は新たな刺客かの? それにしては随分必死なようじゃが」
フーロイドの指さす先をファンジオ、アガルが同時に見つめる。
すると、草原の先から縋るようにこちらに向かってくるのは二人の猟師。
片や、よく見れば右腕が欠落している。片や、頭からは大量の鮮血が噴き出ている。だがなおも生きる希望を見失おうとせずに向かってくる様に疑問を抱くフーロイドに対して、ファンジオは「おいおい、アガル、お前――!」と責め立てるようにアガルに詰め寄った。
縛られたアガルの襟首をぐいと掴んだファンジオは眉間に皺を寄せて声を荒げる。
「お前……アーリの森に入ったのか!?」
「……ああ」
「この雨の中、アーリの森に入ることが自殺行為だということは理解していないのか! もしも、もしも『森の主』にでも遭遇してしまえば誰の命も保証できん! 貴様等は自分等の命を捨てにいったのか!? 誰が向かった! 今すぐに吐け! 取り返しがつかなくなる前に!」
「お、お前は現に二年間も生きてるじゃねぇか……! アーリの森にはかなりの人数を割いた! しかもアイツがそう簡単にやられるはずはないだろ!」
アガルの言い返しに、ファンジオは驚きのあまりに何も返答することが出来なかった。
自身が今までにいかに慎重に行動し、慎重に熟考したかを全く鑑みずに突っ込んでいた村人たち。
隣ではフー爺が顎を傾げる様にして「何なんじゃ此奴等の蛮族加減は」と最早開いた口が塞がらないと言った様子だ。
それでもファンジオは見捨てようという気にはなれずにいた。
「……何人だ。何人がアーリの森の中に突っ込んでいった」
ファンジオの冷静とも取れるその怒気に、アガルは力なく「エラムが率いている十四人だ」と答えた。
「エラム……!」
統率者の名を聞いたファンジオはふと、家の方を向いた。
エラム・ニーナ。
今、アランの遊び相手でもあるエイレンの父親にして、ファンジオの最大の狩猟仲間だったその男。
――あのバカ……!
「おい、ファンジオ! 馬鹿なことは考えるでないぞ!」
フーロイドの静止もままならぬ間に、ファンジオは剣を持って一気に裏庭を駆けだした。
人質であるアガル等を捨て置いたままに裏庭を駆け抜けたファンジオは一直線に草原の方に目を凝らした。
「ふぁ、ファンジオー……! はぁっ……あっ……」
息を切らしてこちらに向かってくるのは悲壮な表情を浮かべた二人の男。
慌てて駆け寄ったフーロイドに「何も出来るわけがねぇ。今、森の中に入るのは自殺行為以外にないからな……」と苦渋の表情を浮かべたファンジオは大声で家の中にいる大人たちの名を叫んだ。
「ルクシア、マイン。中でこの二人を手当てしてやってくれ。重傷だ」
右腕を欠落させた者、そして頭から鮮血を流す者が家の近くにたどり着いた途端にマインは全てを察知したかのように家の中に飛び込んで救急道具を探しに行く。
ルクシアはフーロイドの許可を取るかのように師の言動を見守るが、指示を待つ前に家の中から「ルクシアさん! 急いで手伝ってください!」といつになく激しい声のマインに気圧されて、一度師にお辞儀をしたのちに走って家の中に去っていく。
「ふぁ、ファンジオ……まだ、中に……エラムがいる! ドラゴン! ドラゴンに遭遇したんだ、俺たちは……!」
一人の男が意識もまばらに叫ぶ中で、ファンジオは冷静にことを察知していた。
「おそらくそいつは霧隠龍と呼ばれる龍族の一種だ。あの森が指定危険地域にされている所以だ……。他の者の所在は分かるか?」
「分からん……だが……半分以上は奴等に食われた……! 頼む、頼むよファンジオ! 皆を助けてくれよ! みんなが死んじまう! 殺されちまうんだ……!」
そんな男の縋るような声を、杖で殴り飛ばしたのはフーロイドだった。
「主等、都合がよすぎるとは思わんのか? 殺そうとした相手に命乞いなど百年早い。……死ぬか?」
「待ってくれフー爺」
そう言って剣を持ち直したのは、ファンジオ。
降りしきる雨の中で一切水滴を拭おうとせずに彼は森の奥を見つめていた。
「エラムは馬鹿だが弱者ではない。アイツは強い。それは俺が保証する。それにアイツに死なれたら……な」
それは、エイレンを慮ってのことだった。
エラムとは旧知の仲である。彼の弱さも、強さも。ファンジオは理解しているつもりだった。
だからこそ――。
「……っはは……。出てきたぞ、エラムだ」
森の奥からがさりと姿を現したのはエラムだった。
遠巻きからにでも見えるその姿にファンジオは自身が殺されそうになったことすらも忘れて一種の懐古にもにた感情を覚えていた。
ただ、出てきたのはエラムだけではなかった。
「――ヒョォォォォォォォォォォッ!!」
彼の後ろにぴったりと張り付いた一匹の大きな霧隠龍から何とか逃げようとしているその現場こそ、ファンジオが見た光景だった――。




