ファンジオ・ノエル
「剣を持て、アガル。何もせずに死ぬのでは意味がなかろう」
ファンジオの目つきはいつになく鋭かった。
その瞳は同じ人間と対峙するものではなく、獲物を見つけた眼光だった。
必ず仕留め、逃がさない。
アーリの森で数年を生き抜いた強者に一切の躊躇、油断は見られない。
それを悟ったアガルは体に付着していた草を取り除き、ファンジオの前に姿を現す。
「……だろうな、こんな姑息な手を考え付くのはお前だろうとは踏んでいたさ」
冷や汗を流すアガルに対して、ファンジオは至って冷静だった。
「……一つ……聞いていいか?」
アガルは伸びた黒髪を夏の風にさらしながらファンジオの瞳を一瞥する。
「お前、なぜあの時……『悪魔の子』を捨てなかった」
アガルの縋るような表情はファンジオにも十分届いていた。
四年前、アランの能力が発覚した時の事。
村人たちはこぞって、能力を保有する『悪魔の子』であるアランをどこか遠くへ、アーリの森などに捨ててはどうかと何度も進言していた。
悪魔の子は災いを産む。それは古来より言い伝えられていた世界の掟だった。
コシャ村を仕切っていたオルジでさえも、アガルも、エラムも――皆がこぞって薦めたことを、あの時もファンジオは一蹴した。
「あいつがいなければお前はコシャ村で一生マトモな暮らしが出来たはずだ。皆と協力して、村の一角として生きていられたはずだ。何故従わなかった。何故『悪魔の子』を放棄しなかった!」
アガルは背から剣を取り出した。
一対一の勝負だった。互いの剣は森の恵みを分けてもらうための神聖なものだ。
それを向け合っている。
「……マインと話すのにはそんなに時間はいらなかったさ」
「……?」
「『悪魔の子』だか何だか知らねえ。愛する女が腹を痛めて産んだその子を簡単に放棄する? あんな可愛いただの一人の男の子を森に放棄して、肉食獣の餌にする? それで俺たちが村で生き残れたって、それのどこがマトモな暮らしだというんだ」
「そうじゃない、俺たち村が言っているのは――」
「何が違う。お前たちの行おうとしていることは人殺し以外の何物でもない。あの時からお前たちは何一つ変わっていない。変わろうとしていない」
ファンジオは冷たい目つきでなおもアガルを睨み付ける。
「『悪魔の子』だか何だか知らん。妻を、息子を。養って、護って、あいつらの笑顔を見るために俺は狩りに出る。それが俺の中のマトモな暮らしだ」
「そのためならば、人殺しも辞さない――ということか。変わったな。ファンジオ」
アガルはそう言って、殺された仲間二人を一瞥した。
胴を真っ二つにされた男の目は白い。鮮血が辺りに流れ出ていた。
片や額に突き刺さった一本の矢は確実に一人の男の命を奪っている。
ファンジオが極端に嫌う行為の何物でもなかった――その行為を。
その様子を眺め見たファンジオは「何を勘違いしているのかは知らんが、俺は人殺しはしていない」とアガルに正面を向いた。
「俺が殺したのは――人間以下のクズ共だけだ」
「……なんだと……!?」
先に激昂したのはアガルの方だった。
「貴様ら『悪魔の家系』を放っておくわけにはいかないんだよッ!!」
手に持った狩猟用の直剣で一気に間合いを詰めようとするアガルに対し、ファンジオは剣を水平に構えた。
――昔は、良い仲間だった。
ファンジオの脳裏によぎったのは過去の記憶だった。
共に編隊を組んでコシャの森に向かっていた。
仲のいい猟師仲間四人から五人の中に含まれていたのはアガル、エラム。ファンジオだった。
皆が皆、卓越した技術を持っていたわけではない。
だが、互いが互いの背中を任せ合って森の肉食獣の群れから抜け出したこともあった。
一匹の小さな獲物を見つけるためだけに日が暮れるまで探し回ったこともあった。
アガルが怪我を負えば、エラムとファンジオが背負って村に連れ帰る。そして村の簡易診療所に連れて行って、悲鳴を抑えるために四肢を抑える役割を担ったこともあった。
皆で肉を共有し、酒を酌み交わし、夢を語った頃の面影は見る影もない。
今のアガルは、アガルであってもアガルと認めることは、ファンジオには到底出来なかった。
「変わったな、アガル」
アガルは歯をぎしりと噛み、力を込めた。その直剣に全ての力を込めて、ファンジオを斬殺するために。『悪魔の家系』を滅ぼすために――。
それを全て受け入れたファンジオは、達観したかのような目つきでアガルを一瞥した。
日々をコシャ森で仲間と共に研鑽しているアガルと、日々を危険指定区域であるアーリの森で、たった一人で家族を養うために生き抜いてきたファンジオ。剣の差は歴然とも言えた。
「おおおおおおおおおおおおッ!!」
大上段で斬りかかって来るアガルの剣筋をファンジオはじっと見極めている。
自身の筋の駆動、相手の剣筋の速度、迫りくるタイミング。そのすべてを正確に、的確に見極めたファンジオが取った行動は一つだった。
「――おおっ!!」
大上段の斬りかかり。ゆらりとふらつくような仕草をしたファンジオを狙ったアガルの剣は、ファンジオの肩に迫り来たその刹那。
ファンジオは一瞬にして斜め下段から、アガルの指を切り落とさないように正確無比な一閃を放った。
「……な……にっ!?」
刀身とアガルの指の間に出来たわずかな隙間を縫って、ファンジオの剣がアガルの眼前を通り過ぎる。
ビリビリとした激しい衝撃で腕の感覚がなくなったアガルは衝動的に持っていた剣を放す――それを見計らったファンジオは片足で素早くアガルが落とした剣を蹴り上げて散らした。
「……降伏しろ、アガル」
ファンジオは剣先をアガルの目の前に突き付けた。
「獲物のないお前に勝ち目はない。このまま大人しく降伏してくれ……頼む」
ポツリ、と。
一滴の雨が直剣刀身先に零れ落ちた。
「……くっ……!」
アガルの表情は苦痛に満ちている。
そんな中でポツリ、ポツリと二人の間を分かつその雨は次第に勢いを増していく。
「――俺の負けだ、ファンジオ。煮るなり焼くなり好きにすればいい……!」
苦渋の顔から絞り出されたわずかな後悔の念を感じ取ったファンジオは、警戒を一切緩ませずに「お前を含めた三人だな?」と問い詰めた。
「なるほど。お前は三人と見定めていたのか。とすると、そこに倒れる二人と俺ってことだな……」
「何だと? アガル、お前……何を……」
「策は二、三張り巡らせておくのが定石ってもんだ、ファンジオ。一人遅れてこっちに来させていたんだよ。俺はただの足止めとも言える。抜かったな、ファンジオ!」
アガルの声を聴いたファンジオは、瞬時に蹴り落した剣の方向を一瞥した。
――迂闊だった……!
ファンジオは心の奥底で一人ごちた。
二秒。
アガル一人を有するのにそれほどの時間はかからないと判断したファンジオは剣を持ったままに、アガルに背を向けた。
その様子を見たアガルの口角がにやりと上がった。
「残念だったな、ファンジオ。今頃はお前の妻と子供は肉塊になっているだろうよ! 『悪魔の子』を滅ぼしたとなればお前はもはや怖くない!」
高笑いをするアガル。彼は懐にしまい込んでいた狩猟用ナイフを手に持ち、投擲するように一気にファンジオの首を狙う。彼らに降り注ぐ雨が一気に激しさを増す中で、一つの声が木霊した。
「詰めが甘いのぅ、ファンジオよ」
アガルの前に、ひゅっと音をさせて現れたのは一人の女性だった。
翡翠の髪に紅の瞳を持ったその女性は瞬時に持っていた縄をアガルに巻き付けて地面に頭を付かせる。
「……何だ、お前ら……!? 誰だ、誰だおい!」
アガルの絶叫が場に響き渡る中で、どさりと彼の横に置かれた一人の男。その男もまた例外なく縛られている様子だった。
ことの状況が分かっていないアガルに「おっふぉっふぉ」といつものように高らかな笑い声をあげた一人の老人は、アガルと男の前にしゃがんだ。
「お主の言っていたもう一人の刺客というのはこやつのことかの? 随分と弱っちい刺客を寄越したもんじゃのー。流石は蛮族。考えていることも行動も蛮族じゃのー。っふぉっふぉっふぉ」
「……フー爺に……ルクシア!?」
ファンジオが家の中を見てみると、そこにいたのは笑顔でアランとエイレンを抱くマインの姿。
「さてと。お主等には聞きたいことが山ほどある。楽に死ねると思うでないぞ、蛮族ども」
フーロイドの高らかな笑みが雨の降りしきる裏庭に届き渡っていたのだった――。




