反撃の狩猟
エラムたちが霧隠龍に遭遇する、少し前のお話です
「……平和だねぇ」
それは昼下がりのファンジオの呟きだった。
フーロイド、ルクシア、アラン、エイレン、マイン、ファンジオ。
六人で囲んだ先ほどの食卓はとても賑やかなものだった。
ルクシアが一から作ったオーゾマと呼ばれる伝統的な麺料理。
そしてマインは、ファンジオが昨日狩っていた筋肉狼を使って二品を作り上げる。
すべてを食べ終わったのちに、フーロイドとファンジオは一つの商談を成立させていた。
比較的値が高い筋肉狼の肝臓を銀貨六枚で購入。
ホクホク顔で簡易的な袋に詰めたフー爺は「それでは、行くかのぅ……」と杖をトンと地面に打ち付けた。
「帰るのか? フー爺。アランやエイレンの修行はもういいのか?」
そんなファンジオの問いに答えたのは、ルクシアだ。
「ええ、本日はフーロイド様の御体がすぐれないとのことですので、早めに引き上げさせてもらおうかと……」
「……見た感じそうは思えないがな」
マインから「いつもありがとうございます。お帰りの道中、これを……」とミーナと呼ばれる果実から作ったジュースを手渡された二人は笑顔で言葉を返す。
「ふぉっふぉっふぉ……。ミーナジュースか。ワシも久々に飲むのぅ。マインや、感謝するぞ」
「あ、ありがとうございます、マインさん! で、でもこれって、作り方難しいって言われてませんか!?」
若干興奮気味のルクシアに、マインはクスリと笑みを浮かべる。
「ええ、でもこれ、やってみると意外に簡単なんです。ルクシアさん、よろしければ明日にでも一緒に作ってみませんか?」
「え、い、いいんですか! 光栄です! 光栄です!」
「申し訳ないんですけど、ちょうど材料が切れてしまって……よろしければ――」
と、マインが困ったように手を合わせて頼みのポーズを取ろうとするとすかさずルクシアは目を輝かせて「任せてください! 買ってきます! 上質なものを持ってきます!!」と、胸をドンと叩いた。
その様子を落ち着いた様子で見ていたフーロイドは厳しい目つきで「ルクシア」と彼女を静止する。
「帰るぞ。いつまでそうしておる。マインも困っておるじゃろうが」
「……はっ!? す、すいません、マインさん! つ、つい……」
「い、いえいえ、謝らなくても私は全く困ってませんよ?」
穏やかな笑みを浮かべるマイン。おろおろと泣きそうになるルクシア。そんな二人を見たファンジオは、はにかみながら未だ厳しい眼光を浮かべるフーロイドを一瞥した。
「良かったじゃねぇか。ルクシアさん、ウチのに随分懐いてくれてる。アイツも長い間俺たち以外とは話してなかったんだ。感謝するぜ」
対してフーロイドは草原で楽しそうに魔法を使わない遊びを興じているアランとエイレンを眺め見て、呟く。
「……呑気じゃの、お主等」
そんなフーロイドの突き刺さるような言葉を苦笑いで流したファンジオの手元を見た老人は、「ふむ……」と目を凝らした。
それを察したファンジオは「生き延びる術ってやつだよ」と手元にあった小さな土の像を指示した。
「虚像ってんだ。土魔法の一種で、これを使用すれば魔法力と近くの土を使って自分そっくり――等身大の像からちびっこいものまで作ることが出来るんだ」
「……何のためにそれはいるんじゃ?」
「自衛ってやつだ。これを森の中に置いておく。そして次の日に向かって壊れていたらその近くには肉食獣が潜んでいる可能性があることが分かる。そして歯形、壊れ方から大体の生息動物が判断できるってことだ」
「お主もマメじゃのぅ」
「ま、用心するに越したことはないってやつだ。森はお友達なんかじゃねぇんだからな……」
達観したかのようなファンジオの態度に、フーロイドは「フン」と鼻を鳴らした。
「お、遅れてすいません~……」
ルクシアは多少申し訳なさげにフーロイドの元に駆け寄ると同時に、相変わらず何かを警戒しているような態度を示すフーロイドは「馬を出せ」と告げた。
「う、馬ですか……? て、転移魔法は……」
「忘れた」
「忘れた!? フーロイド様ともあろうものが……そんな小さなミスを……?」
「――ファンジオ」
「……どした?」
日ごろ必ず転移魔法を使って王都とここを往復するフーロイドが転移魔法アイテムを忘れたことに対して驚いていたファンジオに、言葉がかかる。
「ワシらは所詮外部の人間じゃ。じゃがそれ以上にワシはアランを育てるという使命がある」
「……何が言いたい、フー爺」
「来る時が来た、ということじゃ。この先主がそれなりにやれることを証明して見せよ。主が歩む道は、茨の道ぞ」
そう言ってフーロイドはそれ以上何も告げなかった。
彼の言う茨の道――と、その意味が分かるまでに数十分の時間を要す。
フーロイドがわざわざ馬車で帰ったことに起因しているのか、否か。
「……む」
ファンジオは不穏な風を感じていた。
猟師の感か、はたまた生命の危機を直感的に感じたのか。
ファンジオは無意識に家に立てかけてあった弓矢と一本の直剣を手にしていた。
アランとエイレンは現在、家の中。彼らはマインが作ったお手製のおやつを食していることだろう。
そして、マインはというと裏庭の手入れをしていたはずだ。
それも、ファンジオの目の届かないところで――。
「……まさか……!」
夏の生暖かい空気がファンジオの頬を撫でた。
背中に弓を、そして手には鞘に納められた一本の直剣を。
ファンジオは今一度ぐっと拳を握って裏庭を目指していた。
「――んっ!! ん!」
その時だった。
裏庭から微かに聞こえてきたのはマインの小さな、小さな悲鳴にも似たもの。
「よう、ファンジオ。久しいな」
裏庭に出ると、そこにいたのは一人の男だった。
名を、エギナ。持ち前の白髪が似合うその男は、過去のファンジオの狩猟仲間の一人だった。
エギナはその太い腕でマインの身体を拘束していた。右手でマインの顔をふさぎ、左手でマインの身体を拘束しつつその首筋にはナイフが充てられていた。
――奴は人を殺めることは絶対に避ける……!
エギナはマインを拘束しつつ心中は穏やかだった。
アガルに与えられた一つの任務。それはマインの拘束だった。
ファンジオは昔から無益に人と争うことを嫌う。そして、極度に人を殺めることを避ける性格だった。
感染症にかかった仲間を、治せないからという理由で幾人か殺さなければならなかったときも、彼は何もしなかった――いや、何もできなかった。
――俺のこの手は人を殺すためじゃない。人を守るためにある。
そんな心情を変わらず持つファンジオに、いくら何でも旧知を殺せるわけなどないと判断したアガルの一つの作戦だった。
「ファンジオ。そこを動くなよ……。少しでも動いた瞬間、この可愛い――あがっ……?」
一切の躊躇はなかった。
ファンジオは瞬時に背から弓矢を射出。それは、アーリの森で長年生き続けて会得した速射能力。
そしてその正確無比な弓矢は一直線にエギナの元に飛んでいき、その脳天を穿った。
「……が? ……あ……あ」
ガクガクと後ろに、徐々に下がっていくエギナに一切構わずファンジオは初動最高速でマインの元に駆け寄り、腰から直剣を抜刀し、エギナの胴を真っ二つに切り裂いた。
「なるほど……フー爺が示唆していたのはこういうことか……」
「ふぁ、ファンジオ……? こ、これって……これって……」
いまだ状況が追い付いていないであろうマインは口をがたがたと震わせていた。そんな怯えるような妻を一度抱きしめたファンジオは「大丈夫だ、中で子供たちを見ていてくれ」とマインの頭を撫でた。
「う……うん……で、でも、ファン……ファンジオは……!?」
「俺は大丈夫だ。いいから中に入れ」
ファンジオの冷徹な声に我を取り戻したマインが、コクリ、コクリとおぼろげにうなずいて家の中に入っていく。
ガチャリと簡易的なカギを閉めた彼女を確認したファンジオは、すうっと息を吸った。
草の青臭さが彼の肺を満たす中でにやりと笑みを浮かべるファンジオ。
「俺を脅しておけば素直に従うと思ったか?」
ファンジオは目の前に広がる草原を見渡した。
「俺に人を殺せないとでも思ったか?」
ファンジオはなおも続ける。
「貴様ら――俺の領域を崩しておいて、生きて帰れると思うなよ……。どうせこんなことを考え付くのはお前だろうよ、アガル!」
ファンジオは素早く次の弓矢を手に装弾して草葉の茂みの中に放った。
「――がっ!?」
弓矢は一直線に一人の男の脳天に突き刺さる。
バタリと音を立てて倒れるさまを見た、隠れていたアガルは「……くっ!」と歯ぎしりをしていた。
「出てこい、アガル。俺とお前の違いを見せてやる。何もせずに死ぬよりかは幾分かマシだろう?」
ファンジオのその瞳は自信に満ちていた。
それは、数年間アーリの森と言う指定危険区域を生き抜いてきた男の生き様。
そして、家族を護るという決定的なまでに明確化した使命から裏打ちされるものだった――。




