工房の少年
金属板を外すと、その奥から黒い球体が姿を現した。
「……やっぱり違う」
久世律は、思わず顔を近づけた。
作業台の上に横たわっているのは、犬を模した四脚型の機巧。
ただし、町で荷物を運んだり農作業をしたりしている機巧ではない。
町の外を徘徊する、野良機巧だ。
すでに動力は切られ、胴体から下の大半は取り外されている。
残っているのは頭部と首元の一部だけ。
律は細い工具を差し込み、頭部内部のセンサー基板を慎重に持ち上げた。
「配置が逆だ……」
十六歳。
身長は百七十センチほど。
細身の身体に、油染みのついた濃灰色の作業着。
少し伸びた黒髪は、作業の邪魔にならない程度に手でかき上げられているだけで、きちんと整えられているとは言い難い。
人と話している時はどこかぼんやりして見える灰黒色の瞳も、機巧を前にしている時だけは別だった。
律は基板を光へかざした。
「町で使ってる偵察機巧なら、測距器はこっちに付く。でもこれは――」
「律」
作業台の向こうから低い声が飛んできた。
律は顔を上げる。
「なに?」
「それ、観察する仕事じゃないぞ」
父――久世誠司が呆れた顔で立っていた。
四十代半ば。
律より少し高い百七十五センチほどの身体は、決して大柄ではない。
それでも、捲り上げた作業着の袖から覗く前腕は太く、長年工具を握り続けてきた職人の身体をしている。
短く切った黒髪には、最近になって白いものが混じり始めていた。
「分解して部品ごとに分けろって言っただろ」
「やってる」
「さっきから十分くらい、その基板見てるぞ」
「初めて見る型だから」
「だからって仕事が止まっていい理由にはならん」
律はもう一度、基板へ視線を戻した。
「でも、これ現行型と構造が違う」
「野良なんだから違って当たり前だ」
「そうじゃなくて――」
「律」
「……はい」
誠司に睨まれ、律は渋々基板を部品箱へ入れた。
久世工房。
黒瀬の町で三十年以上続く、小さな機巧工房だ。
農業用。
運搬用。
警備用。
探索用。
扱う機巧に決まった種類はない。
壊れた機巧を修理し、古い部品を再生し、ときには複数のメーカーの部品を組み合わせて一台を作り上げる。
律は十四歳で基礎学校を終えてから、この工房で父の仕事を手伝っていた。
もっと正確に言えば。
手伝わされているというより、好きで入り浸っている。
「律ー」
今度は作業場の奥から、女性の声が聞こえた。
「なに?」
「ちょっとこっち来て」
帳場から顔を出したのは母――久世佳奈だった。
四十代前半。
肩ほどまである焦げ茶色の髪を、仕事中は首の後ろでひとつに束ねている。
薄い色のシャツの上には、端末や筆記具、小さな工具まで入るポケットの多い仕事用エプロン。
誠司とは違い、実際に機巧を分解することはほとんどない。
だが、工房の注文、帳簿、部品在庫、客の名前まで、父より正確に把握しているのは佳奈の方だった。
律が帳場へ行く。
「どうしたの?」
「さっきの犬型ね。胴体も置いていってくれるって」
律の目が変わった。
「ほんと?」
「ほら、その顔」
「どんな顔?」
「機巧の話をした時だけ分かりやすい顔」
佳奈が笑う。
「持ってきた探索士さんが、もう使える部品は好きにしていいって。処分代の代わりだって」
「誰?」
「白峰さん」
「奏さん?」
「そう」
律はすぐに作業場の入口を見る。
ちょうどその時。
「呼んだ?」
扉の向こうから声がした。
一人の若い女が、工房へ入ってくる。
白峰奏。
二十歳。
百七十センチほどの細身の身体に、使い込まれた探索用防護衣を着ている。
肩に届かない黒髪は無造作に切られ、細い目は普段から少し眠そうに見えた。
整った顔立ちをしているのに本人はあまり頓着していないらしく、頬には乾いた泥の跡まで残っている。
防護衣にも細かな傷がいくつも刻まれていた。
町の中にいる時の気の抜けた雰囲気からは想像しづらいが、正式な探索士だ。
そして久世工房には、野良機巧や壊れた探索装備を頻繁に持ち込んでくる常連でもある。
「胴体もくれるの?」
律が聞いた。
「いいよ」
「脚は?」
「片方しか残ってないけど、それでもよければ」
「欲しい」
「即答だね」
「駆動部見たい」
「売れる部品残ってないと思うよ?」
「売らない」
「じゃあ何するの?」
「分解する」
「知ってた」
奏が笑った。
誠司が作業場の奥から言う。
「律、先に頭部終わらせろ」
「分かってる」
「今すぐだ」
「……分かった」
律は作業台へ戻る。
奏もその横へ来て、犬型の頭部を覗き込んだ。
「そんなに珍しい?」
「このセンサー」
律が先ほど外した基板を指した。
「町の偵察機巧と配置が違う。それに、ここ」
「うん」
「通信系が大きい」
「へえ」
「どこで見つけたの?」
奏は少し考えてから答えた。
「北東。町から十二キロくらいかな」
律の手が止まる。
「一体だけ?」
「三体」
「三体?」
「全部犬型。まあ、一体しか持って帰れなかったけどね」
「襲ってきた?」
「それがね」
奏の表情が少しだけ変わった。
普段の眠そうな目が、わずかに細くなる。
「最初は、来なかった」
「……来なかった?」
「こっちを見てた」
律は奏を見る。
「どれくらい?」
「しばらく」
「何してた?」
「分からない」
奏は作業台の犬型へ視線を落とした。
「距離を取って、こっちの周りを動いてた。追いかけてくるわけでもない。すぐ襲うわけでもない。ただ……見られてる感じだった」
「それから?」
「こっちが近づいたら、一体が逃げた」
「残りは?」
「追ってきた」
「じゃあ逃げた一体は――」
「さあ」
奏が肩をすくめる。
「仲間を呼んだのかもしれないし、ただ逃げただけかもしれない」
律は犬型の頭部を見る。
停止したセンサー。
無数の傷。
少し前まで、これが自分の意思を持っているかのように外を走っていた。
「……見てみたい」
「何を?」
「動いてるところ」
奏が律を見る。
「野良機巧?」
「うん」
「工房に来るのじゃ駄目なの?」
「止まってる」
「そりゃ止めてから持ってくるからね」
「どうやって周りを見るのかとか、どう歩くのかとか、何を見て進路を決めてるのかとか」
律の言葉が少しずつ速くなる。
「分解したら構造は分かる。でも、動いてるところ見ないと分からないこともある」
奏はしばらく律を見ていた。
そして。
「探索士になれば?」
「え?」
「見たいんでしょ。外で」
「探索士……」
「三日後、試験あるよ」
律は瞬きをした。
「三日後?」
「黒瀬支部の仮探索士試験。十四歳以上なら受けられるはず」
「学校行ってなくても?」
「関係ないよ。筆記と実技に通ればいい」
「難しい?」
「死なない程度の知識があるかを見る試験だから、律なら筆記は大丈夫じゃない?」
「実技は?」
「知らない」
「奏さん受けたでしょ」
「昔の試験とは変わってるかもしれないし」
奏は笑う。
「まあ、受けるだけなら八千円だったかな」
「八千円」
「そこで悩むんだ」
「部品買える」
「命より部品なんだね」
律は答えなかった。
◇
夜。
工房の仕事を終えた律は、自室に戻った。
部屋の隅。
一体の機巧が立っている。
百四十センチほどの小型人型機巧。
左右の腕は違う型。
脚も何度か交換している。
塗装も統一されていない。
工房で廃棄される予定だった古い機巧を、律が頼み込んでもらったものだった。
少しずつ修理して。
部品を交換して。
動くようにした。
性能が高いわけではない。
制御核も二世代前。
命令されたことを実行する程度の判断しかできない。
それでも。
律にとっては、初めて一から面倒を見た機巧だった。
「探索士……」
机に座り、携帯端末を開く。
黒瀬探索士協会。
資格試験。
奏が言っていた項目はすぐ見つかった。
《仮探索士資格試験》
《受験可能年齢:十四歳以上》
《受験料:8,000円》
《試験内容:筆記・実技》
《次回試験日:三日後》
律は画面を見つめる。
探索士になりたいと思ったことは、今までなかった。
外の世界に憧れていたわけでもない。
冒険がしたいわけでもない。
金を稼ぎたいわけでも。
強くなりたいわけでもない。
ただ。
動いている野良機巧を見てみたい。
それだけだった。
「八千円か……」
もう一度見る。
やっぱり八千円。
律はしばらく迷った。
そして。
《申し込む》
指で押した。
《受験料:8,000円》
《支払いを完了しました》
《受験番号:K-184》
「……申し込んだ」
部屋の隅に立つ機巧を見る。
当然、返事はない。
「三日後」
律は椅子にもたれた。
三日後。
自分は探索士になるための試験を受ける。
そして。
試験に通れば。
今まで工房へ運ばれてくるのを待つだけだった野良機巧を、自分の目で見ることができる。
律は再び端末へ視線を落とした。
画面には、黒瀬の外へ続く地図が表示されていた。
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