54.未来へ
結婚式当日。王都の空は、驚くほど澄み渡っていた。
かつて『北棟の令嬢』と呼ばれ、恐れられ、閉じ込められていた少女はーー今、白いドレスに身を包んでいた。
鏡の前に立つリシェルは、まだ自分の姿が信じられないように瞬きを繰り返す。
「……これ、本当に私ですか」
「当たり前でしょう」
セレナが即答する。涙ぐんでいるのに、口は止まらない。
「お姉様綺麗すぎます、もうずるいです、世界が負けてます」
「大げさです……」
「大げさじゃないです!!」
後ろでは侯爵夫人が静かに泣いていた。ハンカチで目元を押さえながら、それでも口元は笑っている。
「……こんな日が来るなんて」
その隣で侯爵は無言だった。
ただ、いつもよりずっと静かに、リシェルを見ている。
「お父様…?」
「……行ってこい」
それだけだった。
けれど、その一言にすべてが詰まっていた。
◇
式場は、アルヴェイン領の大聖堂。扉が開き、
光が差し込む。
白いバージンロードの先に、クラウスが立っていた。軍服ではない、式服に身を包み、それでも変わらない鋭い眼差し。けれどその視線は、ただ一人に向けられている。
リシェルが一歩踏み出す。
二歩目。
三歩目。
足音がやけに大きく響く。周囲のざわめきはもう聞こえない。ただ、彼がいる。その事実だけが現実だった。
クラウスは一度も視線を逸らさない。
そして小さく言う。
「遅い」
「すみません……緊張して」
「知ってる」
ニヤリ。
リシェルは思わず笑ってしまう。
その笑顔に、クラウスの表情が緩む。
司祭の声が響く。
誓いの言葉。
沈黙。
そしてーー
「クラウス・ヴァルク殿。汝は……」
言葉は続く。
だがクラウスは途中で遮るように言った。
「彼女を守る」
会場がざわつき、司祭が固まる。
「……誓いの言葉はまだーー」
「必要ない」
即答だった。
クラウスはリシェルを見る。
「もう決まっている」
リシェルは目を瞬く。
「俺は君を二度と一人にしない」
静かに断言する。その言葉に、リシェルの胸が熱くなる。ずっと怖かった“孤独”。ずっと信じられなかった“安心”。
それを、この人は何度でも壊してくれた。
優しく。
強引に。
何度でも。
リシェルはゆっくり息を吸う。
「……私も」
声が少し震える。
でも、逃げない。
「私はもう、一人でいません」
クラウスを見る。
「クラウス様に……ついていきます」
その瞬間、会場の空気が変わった。拍手。涙。笑い声。侯爵夫人は泣き崩れ、セレナは大声で泣いていた。
侯爵は顔を背けながらも、肩が震えている。
◇
式のあと、庭園での祝宴。クラウスは当然のようにリシェルの隣を離れない。色んな人がお祝いの言葉をくれた。嬉しかったが少し疲れた二人は、少し休むことにした。
少し離れた場所で。
柔らかな風が二人を包んでいる。
「さっきのは少し強引すぎます」
「そうか?」
「そうです」
「問題ない」
「問題あります」
リシェルは呆れたように笑う。でも、その笑いは柔らかい。クラウスは少しだけ視線を外し、短く言った。
「嫌だったか」
リシェルは少しだけ黙る。
そして、首を振る。
「嫌じゃないです」
はっきりと。
「クラウス様らしくて好きです」
クラウスはそれを聞いて、ほんのわずかに頬を染め、目を逸らす。
「……ならいい」
それだけ。
でも、それで十分だった。
しばらく二人で空を見上げる。
視線の先には、北東が見えた。
クラウスはしばらく黙っていた。
しばらくして、セレナがリシェルを呼ぶ。探している姿が見えた。家族に囲まれ、大切な人が隣にいる。幸せだなぁ、と、ふと思う。
「リシェル」
「はい」
「行くぞ」
「どこにですか」
「未来だ」
少しだけ間が空いて。
「はい」
リシェルは笑って、その手を取った。




