お釈迦様の背中を追いかけて(4/4)
「えっ? だっ? だってこれ『音写』ですよね!? 『Prajñā』って聞いて『般若』って当て字しないですって! 『符羅時似弥』とかになるって!」
「どこの暴走族ですか?」
「まぜっかえさないでくださいよ! あっ! わかった! 今は『プラジュニャー』っていうけど、昔は『パンニャー』だったんだ! 発音が! その! 1380年で変わって!」
「法隆寺貝葉経は玄奘三蔵が活躍したのとほぼ同時期の書物ですよ」
詰んだわ!
◇
嫌な予感がしてきた。
「えっと……つまり……玄奘三蔵は音写を間違えたわけですか? そんな……これタイトルなのに……」
「クマラジューヴァだって『般若波羅蜜』って訳しましたよ」
え?
◇
「2人して間違えたんですか?」
「いいえ。玄奘三蔵はクマラジューヴァ訳『般若波羅蜜』に、より発音が近くなるよう『多』という字を足しました。パンニャーパーラミッ『ター』です」
宇宙空間にいきなり放り出されたような気持ちになる。
◇
オトは泰然としていた。
対して紫陽は開いた口が塞がらない。『音写』なのに音が違う? さっきからなに言ってんだこの人?
一瞬の緊張のあとオトが破顔した。
「はははは! すみません。正解を申し上げます。サンスクリット語ではなくパーリー語で『プラジュニャー』を『パンニャー』と言うんですよ」
「そんなことか!」
早く言ってよ!
「『サンスクリット語』は文語。『パーリー語』は口語です」
「なんだ〜。言い方が違うだけで同じ意味か〜。あっ! なんかわかってきた! 聖徳太子が『和をもって尊しとなす』と書いたら『文語』『周りと喧嘩しぇんと仲良うしとくんね』と話したら『口語』」
「いや、まあ雑ですが大きく理解するとそういうことですね。それより聖徳太子そんな話し方してないと思いますよ」
「聖徳太子奈良の人じゃん」
「飛鳥時代ですよ」
奈良弁を話す聖徳太子、ちょっと可愛い。
◇
「それにしてもカブラギさん。不思議だと思いませんか? 玄奘三蔵はクマラジューヴァ訳を参考にしながらも、単語一つ一つに気を配って翻訳をしている。それなのに、なぜ『プラジュニャーパーラミッター』を目にしながら『般若波羅蜜多』と音写したのか」
「確かに」
「それを言うなら、クマラジーヴァだって不思議です。彼も経典を訳すとき『プラジュニャーパーラミッター』と目にしていたはずなんです。なのに彼はそれを『般若波羅蜜』と『音写』した」
「パーリー語はあったけど、サンスクリット語がなかったのでは?」
「お釈迦さまの存命中すでに『パーリー語』も『サンスクリット語』もあったんですよ」
「その線も無しなのかー」
もう打つ手なしじゃん。
◇
「さて……カブラギさん」
オトは急に改まった。足を閉じ、両膝をつけた。そしてお行儀良く両手を軽く握って太ももに乗せた。
先生に叱られる子供のように畏る。
「ここから先は……どこの文献にも載っていない……言わば僕の妄想です。笑って聞いていただけますか?」
生真面目に語るので、紫陽も生真面目に返した。
「わかりました」
「お釈迦さまって、自分の教えを『何語』で話したと思いますか?」
◇
「……サンスクリット語?」
「サンスクリット語は『文語』ですよ」
あっ。そうか。お釈迦さまは自分の教えを文字にしなかったんだった。
「あの……もしかしてですが………………『パーリー語』?」
上目遣いになった。
自信がなかった! でもそういう結論になるではないか。『サンスクリット語』も『パーリー語』もあって、サンスクリットを話さなかったというなら残るは一つじゃないか。
「お釈迦さまはインドのルンビニで生まれました。そこでは『マガダ語』が話されていました。お釈迦さまは『マガダ語』だったんですよ。しかしお釈迦さまの直弟子たちはさらに西域までお釈迦さまの教えを布教していきました。そこで使われたのが『パーリー語』です。
マガダ語とパーリー語はとても似ています。双方口語です。
お釈迦さまの言葉が初めて文章になったとき。パーリー語でした。パーリー語は最もお釈迦さまの言葉に近い、いわば『最初の翻訳』です。
お釈迦さま入滅後1000年たって生まれた玄奘三蔵はもはやマガダ語に触れられなかった。彼が一番お釈迦さまの言語に近いと考えたのは『パーリー語』だったんですよ。
そこでもう一度聞きます。
なぜクマラジューヴァや玄奘三蔵は『プラジュニャーパーラミッター』を『完全な智慧の真髄』と訳さずに『般若波羅蜜多』と『音写』したんでしょう」
「………………お釈迦さまの教えを……お釈迦さまの『言葉で』伝えたかったから……?」
オトは大きくうなずいた。
「ええ。僕はそう思う。いえ、そう『願う』のです。
『和をもって尊しとなす』と書くよりも『周りと喧嘩しぇんと仲良うしとくんね』と話した方が血の通った生の人間の言葉のような気がしませんか。
お釈迦さまは権威を持って、周りを威圧しながら布教をしたのではありません。親しみやすい言葉で、人の苦しみや喜びに寄り添っていたのです。『般若心経』とは究極の『悩み相談の答え』と言ってもいいでしょう。
カブラギさん。あなた、コラムを書くとき一文字、一文字魂をこめて書くでしょう。文字からあなたの気迫が伝わってきますよ。どうすればこの歌集の良いところが伝わるか、どんな言い方をすればいいか考えて書いているでしょう。その美しい容姿なくとも、これは素晴らしいコラムです」
「ありがとうございます」
素直に頭を下げた。嬉しい、そしてありがたい言葉だ。『相棒に認められた』という気持ちになる。
「それは玄奘三蔵も同じです。僕はね。玄奘三蔵が経典を長安の都に持って帰ってからの20年を想うんですよ。彼はそのときすでに43歳です。
毎日、毎日、筆を持って。この偉大な教えをどのように伝えるか。ひたすら悩む男の姿が浮かび上がってくる。
単語一つに1日中天井を見上げた日だってあったでしょう」
少しでも、お釈迦さまに近づきたい。
死ぬまでそう思いながら生きた。だから『般若波羅蜜多』は『パーリー語』の『音写』なのだ。
彼は翻訳することで衆生を救おうとした。そして死してなお、1360年もの間苦しみ悩む人を救い続けている。
『般若心経』は、彼の命そのものなのである。
第1章 完
【次回 第2章『安倍晴明はなぜ政変を察知したか』】
お昼になり蕎麦を食べにきたオトと紫陽。駅ビルの中で占いをやっているのを見つける。
「占い大好きなんです!」
「女性は好きですね」
「男性は好きじゃないですね」
「いいえ。1000年前は男も女も占い大好きだったんですよ。大好きなあまりクーデターの日も占いで決めたんです」
「クーデターの日を!?」
それってどういうこと???
(たった今資料を読み始めました!!)