第三話
人魔、最後の決戦はさすがに壮絶を究めた。
魔軍十万に対し、汎人類帝国軍の軍勢はその数何と三十万にまで及ぶものの、個々の力は魔軍が大きく上回るという状況で、まず、形勢は互角のうちに推移した。
やがて、数にまさる人類軍がその威力を見せはじめた頃、魔軍が戦場にドラゴンを投入し戦況は逆転、その後、互いに精霊魔法や召喚魔術を駆使したさらなる死闘へと至った。
あたりに火焔と突風の魔法が飛び交い、四大精霊が乱舞し、異次元から呼び出された恐るべき幻獣が強大な力を振るった。
しかし、両軍に膨大な犠牲を生む血みどろの死闘は、夕陽が地平の彼方に沈む頃、イルミーネのもとに敵軍の総帥〈皇王ラドクリム〉の身柄がもたらされるという形で終結した。
ここに人類軍は十万余もの犠牲を出してついに敗れ、魔軍が勝利したのだった。
「魔物の王、人類の裏切り者め」
ヴァンパイアロードのハイファンの手で、椅子に座すイルミーネのまえにひざまずかせられたラドクリムは、深刻な憎悪が宿った血走った目で彼女をにらみ据えた。
そのまま彼女に向けつばを吐きかけようとしたが、リザードキングのフリディヤによって頭を地面に叩きつけられる。
「ふむ」
イルミーネは小暗い興味を込めて、魔法の縄で縛られたかつての汎人類帝国大君主の顔を見下ろした。
「裏切り者と来たか。ぼくに云わせれば、裏切ったのは人類のほうなんだけれどね。聖女としてまじめに暮らしていたぼくを陰謀に陥れ、その地位から追い落としたのはあなたたちのほうだよね? その件がなければ、いまでもぼくは人間の側についていたと思うよ」
「それがどうした! すべてはおまえが聖女としての力を発揮できなかったため。それに、ほんとうに人の心があるのなら、たとえどのような扱いを受けたとしても魔物などには力を貸さないはずだ。やはりおまえは人間ではない。妖魅のたぐいに過ぎぬ」
「人間ではない、か」
イルミーネは苦く笑った。
「あなたはそれがよほど強い侮辱だと思っているんだね。その醜悪な人間至上主義が酷烈な魔族差別を生み、今日この日の決戦につながったんだよ。わかっているのかい?」
「差別だと? 莫迦な。貴様ら魔物ごときが我ら人間と対等であるかのような発想こそが僭越というものだ。神は人間をこそ嘉したもう。呪われよ、魔物ども!」
ハイファンがため息を吐きだした。
「話になりませんな。いのちは人間だけのものではない。ありとあらゆる生きものはすべて平等だ。それにもかかわらず、この御仁は人間だけを選ばれたものと考えているようだ。いったいどうすればこのように傲慢になれるものなのか」
「黙れ、化け物ども! 貴様ら魔物は生まれながらにして邪悪で淫奔なのだ。それはその姿を見ていればわかること。貴様らには正しき道で生きることの意味などわかるはずもない」
「ええ、わからないわ」
淫魔のピスティが嘲けるように云った。
「その正しさとやらの名のもと、あなたたちはわたしたちの仲間を何十万も虐殺した。いったいかれらが何をしたと云うの? かれらは生まれながらに邪だと? それこそ、あなたたちの底知れない邪悪さと残虐さの証拠に他ならないわ。正しさをはき違えることほど危ういものはない。そうでしょう?」
「くだらぬ」
人間の王は云い捨てた。
「さっさと殺すが良い。怪物どもめ」
イルミーネはピスティと視線を交わし合った。この男は、信念という監獄に自分を閉じ込めているのだ、と思った。
その牢はさぞかし狭く、居心地が良いのだろう。だが、そのために暴虐を振るわれてはたまったものではない。そう、この男や、同類の人間たちに必要なものとは――
「殺しはしないよ」
若き魔族の女王は莞爾とほほ笑んだ。
「いまからきみの心を支配させてもらう。きみは、残りの人類を懐柔するための道具になってもらうんだ。良かったね、生きのびられて。ああ、今後の生活のことは心配いらないよ。ちゃんとえさはあげるから」
「莫迦な――」
「それじゃ、やらせてもらうね」
「呪われよ! 呪われよ! 呪わ――」
イルミーネがその魔眼で強く見つめると、人類の盟主である男のひとみがしだいに濁っていった。まるで鴉片でも飲ませたかのように。
イルミーネはかれに向かって優しくささやきかけた。
「ぼくに従うかい、ラドクリム?」
「はい。永遠に」
「よろしい」
これで良い。
イルミーネはひとり、うなずいた。
人類の軍勢との大規模な決戦は、これで終いとなることだろう。いまから平和の時代がやって来るのだ。むろん、それは多くの人間たちにとっては屈従を意味するかもしれないが。
イルミーネはその柔らかなくちびるに昏い微笑を浮かべた。
そう、彼女と彼女の軍勢は、いままで人間たちが治めていた土地を、地の果てまでも蹂躙し、征服し、支配することだろう。しかし、人間たちが魔族に対しそうしたように、人類を絶滅させようとする必要はない。
ほんとうに必要なのは、鏖殺ではなく、「適切な管理」なのだ。すべての人類はこれから、魔王たる彼女の支配のもと、その繁栄をコントロールされることになる。
云わば、人類全体が彼女の飼い犬となるのだ。人類に自治と自由を与えてはらない。与えれば必ずその独善と差別と虚栄の心によって暴走する。
そのかわり、それなりの幸福と満足を与えてやろう。かれらにはその程度のもので十分。否、むしろそれこそがかれらにとっても最も望ましい在り方なのだ。
人間とは、病んだ愚かな狂犬。聡明な飼い主のもとで初めて、真の充足を知る。
「ぼくに逆らうことは許さない。でも、ぼくに従うのなら、人類も魔族と同じように幸せにしてあげるよ」
イルミーネは低くささやいた。
そのまわりで、四人の元帥たちが満足そうにうなずきあう。かれらの忠誠は、いまこそ完全に報われたのだった。
ときに大陸暦一〇七六年。こうして、魔王イルミーネ率いる魔軍は勝利した。
魔族にとっての夜はようやく明けた。そして、人間たちにとっての長くゆるやかなたそがれの時代が、いま、始まろうとしている。
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