証拠
大神官・ラミュエルが手に持った背丈よりも長い錫杖で床を軽く打つ。予想に反して、石の床は余韻を残すほど長く響いた。
「悪しき者の気配を感じ来てみれば、何の騒ぎですか」
子供に説教されているのを不自然に思わないほど、彼女の声には強い信念が籠って居た。瓦礫と化した部屋にも動じないのは、彼らが争うのはこれが初めてと言う訳ではないのだろう。むしろ、彼女が仲裁役だったのかもしれない。
「白々しい事を。わしの後で国王に会った、そなたなら何があったか承知の上で来たのではないのか?」
マカカイエ・ジェストが含みのある笑いを浮かべたが、ラミュエルも怯まなかった。
「どういう意味ですか。私が嘘をついているとでも?」
「先に話を聞いてくれ。ラミュエル、国王が殺されたのだ」
会話を進めるため慌てて間に入ったが、ラミュエルは黙って、探るように周囲に視線を向けた。そして、ゆっくり息を吐くように、再び尋ねた。
「……何があったのです?」
「この場所で……」
部屋がいかに密室だったか説明しようとしたが、それがどれだけむなしい事か。窓は割れ、扉は壁に開いた穴となっている。詳細は省いて話を先に進めた。
「護衛の兵士が殺され、奪われた剣で国王が背後から刺し貫かれ絶命していた。これだけの事が部屋の中で行われていながら表の衛兵は物音さえ聞いていなかった」
話の途中からラミュエルの視線が真っ直ぐに向けられていた。慎重に言葉一つ一つの真偽を品定めするような視線だった。
その視線の意図を計りかねていたが、突き刺さった剣はゼイガスが抜いた後だったと思い出した。周囲を見渡し、剣を探したが見当たらない。それだけでない、国王の死体もないのだ。
「……これは…………」
偽りなく話したと言うのに、その言葉を裏付ける証拠が何一つない。言葉に詰まると、ラミュエルは歩き出し横を通り抜ける。
彼女の姿を目で追うとその先に玉座に座った国王の姿があった。いや、座っているのではない。吹っ飛ばされた死体が玉座にもたれ掛かっているだけだった。
「玉座に座ったまま、殺された訳ではないのですね……」
ラミュエルは玉座の前で静かに頭を下げる。鎮魂の沈黙の後、彼女の視線が国王の遺体に向けられた。
「胸の傷、出血の跡。……確かに、お話の通りですね」
「あっ、ああ、そうなんだ……」
言い訳せずに済んだことへの安心感から慌てて彼女の言葉に同意したため、妙に嘘くさい返事たと自分でも感じた。だが、それを特に気に留められなかった気まずさから視線をそらした先に、奇妙なものを見つけた。床石の模様に隠された取っ手である。
「……これは、隠し通路か?」
「そうです。王宮には緊急時に備えて、様々な抜け道が用意されています。何処に繋がっているかすべてを知る者は王家の限られた者たちだけですが、いくつかの入り口は使用人たちも知っております」
「それなら、国王を殺した犯人は、ここから逃走したのか?」
密室である前提さえ崩れた。隠し通路から飛び出して国王の不意をつけば、もしくは物音を立てさせないほど素早く制圧できるだけの人数を揃える事も。いくつかの可能性を考えたが、どの手段をとっても国王の倒れている場所、護衛の兵士、犯行のタイミング、それらがうまく組み合わさらない。だが思考のパズルを組み立てる前にそれらのつながりを否定された。
「いえ、その入り口は魔術の錠がかかっています。誰も出入りしておりません。それに神聖術によれば悪しき者はまだ、この部屋の中に居ます」
「神聖術は、そんな事が分かるのか?」
「罪を犯した者を見つけ出し、偽りを見抜くのも、神聖術の力です」
錫杖の先が音叉のように震えた。インインと静かに高く広がる波が部屋を満たす。厳かな沈黙よりも、清らかな歌声よりも神聖に感じ、その場に膝をつきそうになった。だがそれを遮ったのは、低く響くマカカイエ・ジェストの声だった。
「誰に対しての罪なのか。戒律を守らぬ者をあぶり出す術ごときで偉そうに、素知らぬ顔をしていられるのも、今の内じゃ」
「邪法を研究し神を冒涜したあなたの罪は、まだ許されておりませんよ!」
「待ってくれ、二人とも。今は、国王を殺した犯人を捕まえる方が先だ」
再び諍いを始めた二人の間に入った。そこには解決するのが困難な深い因縁があるようだったが、まずは目の前の問題を解決しなくてはならない。
ラミュエルの神聖術が暴く罪がどのような類の物であっても、それに頼って犯人探しをする訳にはいかない。マカカイエ・ジェストの過去を映し出す魔法と同じく、いくらでも真実を捻じ曲げる事が出来る。彼女の道徳心や公平さに判断を任せ責任を押し付けるのは避けるべきだ。
目の前にある手がかりを繋ぎ合わせて、犯人を見つけるべきだ。だが、どうやって?