26.袖のボタンは一人でつけられる??
(絶対工藤先生よ、あれ……)
テレビでも話題のこのアウトレットモールがセールをやっていると聞きつけて、せっかくのお休みだし足を運んでみたんだけど……
見覚えのある赤い車を見て、まさかと思った。
近寄ってみると、彼が愛用していた芳香剤に目が留まる。
工藤先生がこのモールのどこかに……?
私は運命のいたずらかと思った。
ボンネットに手を当てるとまだ温かい。
そんなに遠くに行っていないかも!
はやる気持ちを抑えながら、彼の姿を必死で探す。
私は、彼と婚約するって確信していたのに。
突然『婚約はできない。別の人と結婚することになった』そう淡々と言われて私は一気に目の前の色味を失った。
確かに工藤先生は最初から私との結婚話にあんまり乗り気な感じじゃなかったのは否定しないわ。
でも一緒に居ればいつか心を開いて、私の事を好きになってくれると思っていたし、そうさせる自信もあった。
IT企業の社長である父の娘である私は、小さい頃から厳しい英才教育を受けて、正直他の女性になんか簡単に負けたりしない自信があるわ。
私より彼にふさわしい人って一体どんな人なの?
この前の体育祭では、確かにお弁当を見るにつけ、奥様のお料理の腕前はありそうだった。
でも私だって負けてないわ。
工藤先生とお付き合いしていた時に、何度も彼の部屋で私の手料理をふるまって、確かに彼は『美味しい』って言ってくれたんだから!
……でも、それだけだった。
『帰りたくない』って、毎度のように私は今まで積み上げてきた女性の魅力ってものをフルパワーで放出し、彼を誘惑したのに……
『それじゃ、また』返ってくる言葉はいつもそればっかり……
重ねて不運だったのは、婚約しないって話になった時、お父様がもっと工藤先生に口添えしてくれるかと思っていたのに、あっさりと引き下がっちゃって!!
私は本気で彼の事を好きになっていたのに……
(いた……!! 隣の人は……まさか奥さん?!)
彼と親し気に手を繋いでいる女性……というよりは、服装や雰囲気からしてまだ女の子な感じ?
もしかしたら、妹?
でも彼は一人っ子って言ってたわね……
いとことかかしら??
とにかく奥さんではなさそうね。
そう判断して遠慮なく彼を呼び止めた。
でも全く反応してくれない。
それどころか急に連れてた女の子を引っ張りながら足を速めだした。
結局見失ってしまった……
でも、彼は必ずあの車に帰ってくるはず。
もう一度……
私の気持ちをちゃんと伝えたいの!
他の男性なんて全然目に入らない。
どんなにイケメンだって、どんなにお金持ちだって。
私が手に入れたいのは工藤先生だけなんだから……!!
「夏帆、ごめんな……。西野先生の事についてはちゃんと話をしとかなきゃいけなかったんだが……」
きまり悪そうな朝陽さんの顔を私は見ないふりをして背を向けた。
「確かに、西野先生がうちにご飯を作りに来たり、二人であの車に乗ったこともあったよ。でも、それはな……」
やだ!!もう聞きたくない!!
私は力任せに両耳を塞ぐ。
「夏帆、ちゃんときいてくれ! 付き合ってたって言ったって夏帆の思っているようなことは何にもなかったんだから!」
背後から聞こえる先生の必死な声に私は聞くべきかほんの少し心が揺らいだ。
「でも、あの車に二人で乗ったんでしょ??」
あんな二人乗りの車に女の人を乗せるなんて、何にもないわけないでしょうに!
「確かに乗せたよ。でも――」
「嫌!! もう聞きたくないったら!!」
私と朝陽さんだけが知るあの車の空間だと思ってたのに、すでに西野先生がそこにいたなんて!!
「夏帆!!」
朝陽さんは私の肩を思いっきり掴み、彼の方に振り向かせた。
「嫌だったら!!」
こらえきれずに涙がサングラスの奥から頬を伝う。
見られてしまった涙に動揺して咄嗟に俯いた時、彼の手が私のサングラスを外す。
視界が明るくなって見上げた時には……
もう唇が重なっていた。
私たちの間だけに静かな時が流れ、自分の胸だけがトクントクンと騒いでいる。
「朝陽さん……誰かに見られちゃうよ……」
すぐ横にはたくさんの人が川を下るように流れている。
かろうじて柱の陰に隠れている私たちを覗こうと思ったら簡単に丸見えになるはずだ。
「別にいいだろ……そんな事、どうだって……」
朝陽さんの大きな胸にギュッと引き寄せられる。
恥ずかしくて真っ赤になっていた頬は、いつの間にか朝陽さんの胸の中でピンク色に染まっていた。
「……うん」
結局現金なんだ私は。
どんなに言い合いをしたところで、こんな風にされたら完全に私の負け。
「西野先生を車に乗せたのは俺の父さんに呼び出された時だけだよ。それ以外は一度だってない」
大きな手が私の髪の毛を優しく撫でる。
彼の胸の中でコクリと頷き、おもいっきり背中に手を回して抱きしめた。
「ここは……今日は諦めよう。ここまで出てきたんだし、他にもきっとお店はあるよ」
残念だけどそうするしかない。
いいんだ、別に服なんて……
私が嬉しく感じるのは、こうして朝陽さんと二人きりでデートができる時間なんだから……
「分かった。とりあえず出よう」
気を取り直して彼に微笑み返す。
私たちは西野先生がいないことを慎重に確認しながら再び車へ向かった。
(絶対来るはずだわ! 今日はお買い物なんてもうどうだっていい! もう一度彼にアタックするんだから)
工藤先生の赤い車の隣の大きなワンボックスカーの陰に隠れ、戻ってくるのをひたすら待つ。
すると思っていたより早く女の子を連れた彼の姿を捉えた。
(なに、あのサングラス……)
息をひそめながら、身の丈に合っていない女の子の様子を見て吹き出しそうになった。
すると、工藤先生が彼女の頭に手のひらを当てる。
とてつもなく近い距離で彼女に顔を近づけた。
「ちょっと、朝陽さん、こんなところで……」
そんな女の子の言葉と同時に額に嬉しそうにキスをする工藤先生の顔が映り込んだ。
(……え……?)
声をかけるつもりだったのに、声の出し方を忘れてしまった。
彼女の後姿しか分からなかったが……確実に普通の関係ではなさそうだった。
(彼女が……言ってた奥さん……? まさか……ね)
若すぎるでしょう?
顔が見えなくても分かるわよ。
下手したら、ウチの生徒と同じくらいの年じゃない??
『西野先生、この前生物実験室の準備室でやらしい事してたでしょー?』
そんな女生徒の冷やかしの声を思い出した。
『工藤先生袖に糸と針ぶらさげてさ、慌てて出てきたんだよ? ウチらの事騙せるとでも思ったのかな?? あんな狭いところでコソコソと先生の袖にボタン付けてたの西野先生でしょ??』
ムフフと笑っていた。
全く心当たりがなかったけど、その時は何も思わず私も笑い返した……
でもその話……
今思えばしっくりくるかもしれない。
まさか……! まさか、うちの生徒じゃ……ないわよね……!?




