3, Pride of “A”
そういえば、日本語基準で大丈夫だと言われたが、名前等から察するにこの辺りはイタリア語に近いらしいな、と思いながら差し出されたコーヒーに似た飲み物を一口。コーヒーと言っても一口に色々と味のバランスがあるが、これは酸味が弱くて苦みが強い。強めに焙煎してあるのか実に俺好みだ。この辺りもイタリアっぽい。
「うーん、夢にまで見たティレニア海(異世界)……パッと見は」
石造りの室内から外を見れば、この聖堂自体がそこそこ高い場所にあるらしく、緩やかに降って行った先に真っ青な海が見える。本家本元だったら気兼ねなく遊びに出ていたんだが……まあ、流石に今はそんな気分にはなれない。事件が事件だけに被害者とかもいる訳だし。
――アステゥム。御覧の通り無事着いたぞ。
――早速仕事してくれたね。今、件の被害者たちが救出されたよ。
――それは重畳。
空中に浮かぶスクリーン越しにメッセージのやり取りを済まし、コーヒーもどきを一口すすって頬杖を付く。使い方などはしばらくアステゥムの下に滞在して覚えたが、いざ使ってみると案外悪くない。なんとなくだけど、その辺りは初めてスマホを持った時の感覚に似ている気がする。
しかしまあ、もっと慌ただしくなるかと思いきや、見事に放置されたな。
言いだしっぺの責任として、自ら突入に行こうとしたのを止められたのが業腹というのもあるが、あのアブラスマシが教会の内の相当な位置に食いこんでいた事や、同罪の者たちが続出した事もあって、見事に放置プレイを喰らって退屈だ。エミリオたち5人のトップも組織崩壊の危機とあって大忙しだそうだ。
「……おそらく、こうならないように隠密裏に尻尾を捕まえて消すつもりだったんだろうな」
だがしかし、神が政治的な配慮をするとは思えない。神の為の教会かもしれないが、教会の為の神という訳では無いから当然と言えば当然だ。
政治的な全てをすっ飛ばされたら教会としては堪ったものじゃ無かっただろうと思う。それと同時に俺は自分自身の立ち振る舞いについて考えさせられる事がある。
今回のように単刀直入に切り込むのか、政治的配慮を行うべきなのか。今回のように時間との勝負になる場合は問題ないだろうが、今後ここで生きていく上で多少の配慮は必要になってくる気がする。おそらくそのバランスをうまくとるのも俺の仕事なのだろう。
だけど、どうも自分でも塩梅が狂ってきていると感じている。
テーブルの上に白い羽を取り出すと、ポンッと音を立てて分厚い書類へと変わる。これは俺がアステゥムの下に居た際に、リスト化した断罪者の調査書だ。同じものを既にエミリオ達に渡してあるが、様々な国、様々な立場と実に多岐にわたる。殺人、暴行ぐらいならばまだ可愛い物で、絵にかいたような乱行に人身販売、人体実験……これを調べた時には人嫌いになりそうな程にガンガンと精神的に来たが、それ以上に精神的に来たのは「このリストに載せないと判断した事」だ。リストに載せた事と比べて比較的軽い、と判断し、後回しにした事案の方が多い事は、俺自身の無力さをこれでもかと突きつけてきた。
まだ大丈夫だ、と冷静を装って判断した。
これは介入する程の事ではない、と切り捨てた。
間にあわない、と諦めた。
「助けて」と声がしているのに取捨選択をせざるを得なかった事が赦せない。
だが、選んだのは他でもない俺自身だ。それなのに、俺はこの件についてはここまでしか出来る事が出来ないのだ。それは他ならぬ神、アステゥムの意向だ。人の手で裁かせろ、という意向はわかるんだが……どうも座りが悪い。俺は人ではないのか。
眼の前で再び羽を残して消えていく書類を見ると、あながちそれも間違いではないのかもしれない。
――君は私ではどうしても出来ない事をやってくれた。それでも君の手から零れた者が多数いる事は確かだけど……君は自分自身を愛する勇気を持って欲しい。君が潰れると困るんだよ。
――流石、人を操る事はお手の物か、アステゥム。
皮肉と怨嗟を込めたメッセージを送りつけて深くため息。入れ込み過ぎるなと言われる理由はわかる。こんな事を繰り返していたらいつかは壊れるだろう。神様から人間扱いされなくても、心は人間のままだ。
「……しゃーねぇ、動くか」
ぐるぐると渦巻く色んな黒い感情を宥めるようにコーヒーモドキを呑み干し、傍らに置いてあったリヴォルビングライフル“クラウドバスター”と名付けたそれを手に取って立ち上がる。全てを投げ打って打ちひしがれる前に、やらなければならない事が多過ぎる。
◆ ◆
夕方までに帰ると言い置いて無理矢理出てきたが、少し失敗したかもしれない。このペースは夕方は超えそうな予感だ。
この眼に入る全ての光景が目新しいのが悪い。
アステゥムの下でホームステイをしていた頃に色々とこの世界については調べたつもりだ。だが、それはあくまでもデータでしか無い。画像で見た事はあるが、大聖堂の威容は歩いているだけで圧倒される。中央に俺が降り立った主神アステゥムを祀る主聖堂。そこから四方を囲むように大地神マグナ、太陽神エルソラ、月神ラキ、星神エテルニターティの“4大神”の聖堂があり、更にそれを囲むように数え切れないほどの神々を祀る聖堂が存在する。それら神殿群、及びそれに付随する関連施設群を纏めて『大聖堂』と呼ぶのだ。
その幾何学的な配置は空から見ても中々の威容だったが、実際に人の視点から見ても凄まじい。見上げる程の高さの建物に、人の手で成し得たとは思えない装飾がいくつも施されている。また、その装飾も祀る神の特徴、性格によって色々と変えられているから見ていて飽きない。どちらかというとこういう文明的な観光地よりはリゾートとかの方が好きな人間だったが、それでもこの大聖堂の凄さはわかる。ささくれた心を落ちつける為にもそれこそゆっくりと鑑賞したい所だが……。
「テンシさま、遅くなってしまいますよー。夜にはエミリオさまたちとの協議もあるんですから早く早く」
そうもいかないようで、掛けられた声に現実に戻ってため息を一つ。案内役と思えばありがたいが、護衛と称されると身構えてしまう眩しい容貌の少年がピョンピョンと跳ねていた。サラサラの金髪に二つし性別と年齢を倒錯するあどけない顔の美少年。だが、残念ながら俺に男色の趣味も無ければアイドル趣味も無い。どちらかというと俺は、その子犬系と称していい純真な彼が携えている武骨なハルバードに「やべぇ」とテンションを上げる方だ。
小柄な子に超重兵器というのは浪漫だよな?
何を思って彼――アストラを俺に付けたのか時間があったら彼の主人である星神エテルニターティに問いただしたいと思う。アステゥムの所にいた頃に何度か魔法などを教えてもらったが、ショタコンでかつ腐ってやがるんだよな、あの堕女神。
他人の趣味や浪漫を無暗に否定はしたくないが、語られたり押しつけられる身にもなってみろや。
「どうしたんですか?」
「いや……ちょっとな。考え事を」
主に君に加護を与えている神が目を輝かせて男×男の物語について熱く語っていた事などあえて言うまい。それは……あまりにも残酷すぎる事だ。
「そうですか……あ、そういえば、テンシさまは神々の御下に居たのですよね?」
「居た、とは言っても僅かな間だったけど、色々学ばせてもらったな」
「という事は、私の守護神、エテルニターティさまともお会いした事も?」
「……ああ、まあ」
「わぁ!いいなぁ!私は声だけは何度かおかけ頂いているのですが、さぞや理知的でお美しい方なんでしょうね!」
姿だけは、という言葉はなんとか呑み込みましょう。君は純真なままでいてくれ……はしゃぐ度にハルバードとサーコートの下の軽鎧が当たってガッチャガッチャ鳴っているけど。
真面目な話、他の国の影響を一切受けない大聖堂においては、彼の様に神官と騎士を兼任する者も珍しくないという。特に彼の場合はエテルニターティから直接の寵愛と加護を受け、見た目にそぐわない力を有している。普通ならば神の声を聞く事も難しいらしいが、何度も聞いているという辺り、余程の寵愛を受けている事が窺える。個神的な嗜好も入っているのだろうが、それだけでは寵愛を与える程神は個人に甘くは無い。
「いつかは私も……至らぬ所もあるかと思いますが、宜しくお願いします!」
「ああ、こちらこそ宜しく。アストラ」
確かにこの裏表の無い態度は好ましい。時には煩わしいと思う事もあるだろうが、少なくとも不穏な性格をされるよりは余程いい。
「多分……これからいろいろと迷惑を掛けるだろうからな」
「いえいえ、それはお互い様って事で」
あえて否定せずにお互い様、という辺りが彼が明るくいられるスタンスだろうか。聞き様によってはお互い酷い事を言っているような気もするが後ろ暗さがまったく無い。
少しは救われた気にはなるな。
「さて、じゃあ、さっさと行くか」
「はい!技巧神殿の職人街でしたね」
「ああ、色々と準備をしないとな」
悪人の断罪についてはその問題の性質上、実行については任せるにしても、そこに至るまでは俺一人が背負うべき課題だ。
だが、聖遺物の回収については違う。元いた世界で山に登ったり、海に潜っていたのでわかるが、危険が伴う所へは絶対に一人出の行動は出来ない。必ずバディを組むし、念入りに準備をする。だからこそ、俺が真っ先にやるべき事はアストラの様な協力者を増やす事と、準備を怠らない事。
だからこそ、必要な物が揃うであろう場所へは真っ先に向かうべきだ。
……それと、そこに行けば俺に先立ってこちらに来ているはずのもう一人の協力者もいるはずだ。
アストラとは違って酷く厄介で……圧倒的にソリの合わない奴だけど。