第60話:聖女たちの聖戦
『酔いどれ』ザンクードは前線にいた。
手にあるのは使い込まれた長剣と背の短槍が一本。それだけを頼りに半世紀迷宮を渡ってきた古強者である。
老いとともに衰えを自覚し、ここ最近は余り迷宮に潜っていなかったが、本人はこれが最後の戦場になるだろうと理解していた。
──昔はもう少し心も奮えたもんだがねぇ。
時化た気分で半歩ずれて、空を噛んだ牙の根元へ長剣を落とす。頸椎を断たれた蛇が落ちた。剣士として十分上澄みに在ると誰もが賞賛する動きではあるが、ザンクードとしてはいまいちどころか、いまに、いまさんといった感じだ。自身が思う動きが全く出来ておらず、否が応でも老いを自覚させられる。
「嫌んなるねえ」
ボヤきつつ振るわれる剣の業に派手なものは何一つなかったが、振るえば振るった分の命は確実に奪っている。
寄生された聖騎士の死体が二体こちらへ来るのをザンクードは見た。
「槍ならどうかな、と」
ゆるりと突き出された穂先が、手元の微細な動きに呼応してぶれていく。揺れが手元から柄の中程へ伝わり、更にそこから穂先へと。結句、何が起きるのかといえば──。
まるで蛇のように曲がりくねる槍の鋭い穂先が、聖騎士たちの喉を貫いた。
この技に名はない。
ザンクードの我流である。
こういった恐るべき戦の冴えを見せている者はザンクードのみではない。今回の討伐行には歴戦の探索者が何人も参加している。
例えば『ダンシング・ダガー』のレイラは魔術とも法術ともつかぬ奇妙な業で幾つもの得物を舞い踊らせる美しくも恐ろしい殺戮の剣舞を披露し
例えば『鳳凰脚』のカッファンは一撃千蹴と謳われたその剛脚で蛇の群れを薙ぎ払い
例えば『首切り兎』のシャカ・ラヴィッツは兎の耳を模した装飾のついた奇妙なヘルメットを被って頭を振って襲い来る蛇共を斬り払い
──といった具合に。
蛇も蛇で当然ただの蛇ではなく、鋼の表皮と猛毒の牙を持つという厄介さなのだが、少なくとも現時点では戦線の瓦解は見られなかった。
◆
レダは二度目の突入の最中にいた。
法力を脚へ。踏み込み、跳躍。蛇の波頭を越えて一息に巨体の懐へ入る。
六本指の爪が扇のように薙いできた。その下を潜って右膝へ拳。凝縮した法力が筋繊維を砕き、見上げるほどの巨体が傾ぐ。追って左拳を腹へ。そこで止まった。腹の筋繊維は膝のそれとはまるで別物だ。めり込んだ拳がそれ以上進まない。
単純にパワーが足りないのだ。
ジャーヒルの裂け目が嗤って歌の旋律が変わる。四方から蛇。拳を引き抜いて後ろへ跳んだ。数える気も失せるほどの蛇が追ってくる。レダは砕きながら距離を取った。一発ごとに拳が軽くなっていくのが自分でも分かった。
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レダは自身の世界が狭くなっていくのを知覚していた。
蛇の歌も倒れていく聖騎士の悲鳴も何も聞こえない。決意を握りしめた拳を殺意で覆い、最後の吶喊を試みようとしていた。
──恐らくは、あの眼が。
吐き気を催す濃密な魔力がそこから発されている。核といってもいいだろう。レダはそこを砕けば斃せると踏んでいる。
ジャーヒルの歌はまだ続いていた。
誕生を言祝ぐ呪歌である。
これを聴いてしまうと、呪いが肉体へ浸透してしまう。呪いは時を待たずに白い芋虫のような何かへ変異し、対象の魂魄を喰い荒らし、造り変える。
邪悪な屍操術より遥かに悍ましい邪悪の業である。
対抗手段がないわけではない。
簡単に言えば強い心を持てばよい。
魔力の強弱は心の所作に大きく関係してくる。強い心からは強い魔力が、弱い心からは弱い魔力が生まれる。
そして魔力とは願いの燃料である。魔術とは即ち、魔力を以て自身の願いを叶える事だ。
あのような異形になりたくない、打ち克ちたい。そんな願いが、魔力によって叶えられるという理屈になる。
魔力を法力に置き換えても同じである。両者は結局の所、同じモノであるがゆえに。
ところで、造り変えられてしまった者はどうなるのだろうか。
それは──。
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低い旋律が粘膜の床を這って、剣戟の届かない空洞の隅にまで染みわたっていく。
その隅に若いアーク・ロードの女が横たわっていた。ジャーヒルに叩きつけられて頭部を踏み潰された死体だ。
旋律がひときわ深く沈んだとき、その死体がゆらりと起き上がったではないか。
首の断面から噴き出した赤黒い筋繊維が束ねられて、三本の蛇の様な形を取っている。生前の端正な顔立ちが台無しどころではない、悍ましい邪相であった。
金の眼が六つ灯り、蛇頭の騎士が粘膜の床を歩き出した。呼吸を整えるレダの背後へと。




