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ダンジョン仕草  作者: 埴輪庭


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第54話:The most powerful saint in Canaan④

 ◆


 アヴァロン大迷宮の入り口は、巨大な洞窟というよりは大地に刻まれた巨大な()()のようであった。立ち込める霧は地上よりもなお濃く、まるで意志を持っているかのように渦を巻き、集結した者たちの足元にまとわりつく。


 そこに集ったのは純白の鎧に身を包んだカナン神聖国の聖騎士団と、ギルドマスター直々の召集に応じた歴戦の探索者たち。


 本来ならば、決して交わることのない二つの集団であった。規律を重んじる神の兵と、自由と実利を旨とする迷宮の掃除屋(スカベンジャー)たち。彼らが今、奇妙な統一感を持って整列しているのはあまりに分かりやすい脅威が眼前にぶら下がっているからに他ならない。


 先頭に立つのは二人。


 一人はその巨体そのものが威圧である豚鬼の英雄、サー・イェリコ・グロッケン。

 そしてもう一人はこの場に不釣り合いなほど清らかで、しかし鋼のような意思を瞳に宿した女──法皇レダ。


「ブフゥ……なんとも、壮観ですな。これだけの戦力が集うのはかの悪竜戦役以来かもしれません」


 グロッケンが重い息と共に呟く。その言葉には皮肉と現実が奇妙なバランスで混在していた。これだけの数を揃えても、この先に待つものを思えば、まるで焼け石に水ではないか。そんな諦念が彼の太い指先を微かに震わせる。


「数ではありません、グロッケン殿。質ですわ。そして何より重要なのは……死なぬこと」


 レダは静かに返し、迷宮の暗闇を見据えた。


 作戦は単純であった。聖騎士団と探索者ギルドの混成部隊が第八層を目指す。指揮系統は別個とし、ギルドは斥候と遊撃を、聖騎士団は本隊としての中核を担う。一度にこの人数が突入してしまえば渋滞を引き起こし、範囲魔法などで薙ぎ払われかねない。だからいくつかの部隊に分かれて進軍することになる。


 第一陣として、レダとグロッケンが率いる中核部隊が重い鉄の扉の向こう側へと足を踏み入れた。


 ひやりとした空気が肌を刺す。第一層「薄暗回廊」。


 だがいつもの薄暗さとは明らかに質が違っていた。


 空気が重い。まるで湿った泥が肺に流れ込んでくるかのようだ。


 先行していたギルドの斥候部隊「猟犬」の数名と、聖騎士団の斥候兵がすぐに異変を報せた。


「マスター! コボルドも小鬼もいやがらねえ! だがもっとヤベェのがうろついてる!」


 報告と同時に、回廊の奥から地響きにも似た足音が響いてきた。


 薄闇から現れたのは本来この階層には決して存在しないはずの魔物たちであった。


 石の皮膚を持つ岩魔(ガーゴイル)、そして大鬼君主(オーガロード)が三体、巨大な棍棒を引きずりながら闊歩している。


「第一層でこれか……!」


 探索者の一人が悪態をつく。


「陣形を組め! 聖騎士は前衛、盾を構えよ! 探索者の方々は側面支援を!」


 アーク・ロードの一人が鋭く叫ぶ。


 だが連携は上手く機能しなかった。


 聖騎士たちは訓練通りに密集方陣を組もうとするが探索者たちはそれを邪魔とばかりに散開し、個々の判断で魔物の懐へ飛び込もうとする。


「馬鹿ども! 死にたいのか!」


 聖騎士の怒号が響くが探索者たちも言い返す。


「てめえらこそ、そこで固まって的になってどうすんだ!」


 その一瞬の混乱は、しかし戦闘の号砲としては十分であった。


 聖騎士たちが盾を構えるよりも早く、数名の上級探索者が矢のように飛び出した。彼らにとって第一層の魔物など、たとえオーガロードであろうと単なる獲物に過ぎない。


「獲物は早い者勝ちだぜ!」


 二刀流の剣士がオーガロードの足元に滑り込み、その両足の腱を瞬時に断ち切る。巨体がバランスを崩して倒れ込むところを、別の探索者が投げた斧が眉間に深々と突き刺さった。


 天井から急降下したガーゴイルの一群も、聖騎士団の分厚い盾に爪を弾かれ、動きが止まった一瞬をギルドの魔術師が放った氷槍に貫かれて砕け散る。


 流石はギルドマスターの召集に応じた精鋭たちであった。最初の小競り合いこそあったものの、個々の実力は確かだ。オーガロードやガーゴイルといった中級レベルの魔物は、彼らの手にかかれば物の数ではなかった。


 ものの数分で魔物の群れは掃討され、探索者たちは鼻を鳴らす。


「なんだ、大したことねえな」


 だが、その言葉を嘲笑うかのように、回廊のさらに奥から、先ほどのオーガロードとは比べ物にならないほどの重い圧が放たれた。


 ずしり、と空気が震える。


 薄闇から現れたのは、一体の魔将(デーモンコマンダー)であった。魔将とは、魔界の軍勢において一定の部隊を率いる指揮官クラスの悪魔を指す。個としての強さもさることながら、下位の魔物を統率し、戦場を混沌に陥れることを本分とする存在だ。


 その姿は、大鬼君主よりもさらに一回り大きく、黒ずんだ鋼のような肉体が禍々しいオーラを放っている。何より目を引くのは、その太い首にじゃらじゃらと巻き付いたおぞましい装飾品であった。


 それは、この霧に誘われて迷宮の肥やしとなった下級探索者たちの生首であった。十数個はあろうかという頭部は、どれもこれも苦悶と恐怖に歪み、断末魔の形相を晒している。


 魔将の両の目には、理性の欠片もない純粋な殺意が燃え盛っていた。


「……ありゃあ、ちとヤベェか……」


 先ほどまで余裕を見せていた探索者の顔色が変わった。


 魔将は咆哮と共に地を蹴った。


 先ほどオーガロードの腱を切った二刀流の剣士が、その速さに対応しきれず、魔将の振るった巨大な戦斧の一撃で盾ごと両断された。


「ぐあっ!」


「馬鹿な、速すぎる!」


 聖騎士たちが慌てて盾を並べ防壁を作るが、魔将は構わず戦斧を叩きつける。轟音と共に盾がひしゃげ、数名の聖騎士が血反吐を吐きながら吹き飛んだ。


「神聖魔法を叩き込め!」


 アーク・ロードが叫ぶ。


 後方の聖騎士や神官たちが一斉に光の矢を放つが、魔将はそれを鬱陶しげに腕で振り払うだけだ。


 阿鼻叫喚。


 先ほどとは一転、精鋭部隊は明らかに押されていた。これでは第八層どころか、第二層に辿り着くことすら怪しい。


 グロッケンが愛剣「大猪牙」を抜き放とうとしたその時、魔将は防衛線を完全に突破した。


 雑兵には目もくれず、この集団の中で最も強い聖なる気を放つレダへと狙いを定める。


 側近のアーク・ロードが二人、瞬時にレダの前へ立ち塞がる。


「法皇猊下! お下がりを!」


 二人の聖剣が十字を描き、魔将の突進を受け止めようとする。


 だが魔将の膂力は彼らの想像を絶していた。


 轟音と共に二人の聖騎士は盾ごと弾き飛ばされ、壁に叩きつけられて動かなくなった。


 魔将が勝利を確信し、その鉤爪をレダの喉元へと突き出す。


 その刹那。


 レダはまるで散歩でもするかのように、半歩だけ、右に動いた。


 魔将の爪がレダが寸前までいた空間を虚しく切り裂く。


「──魔の者、我が身を傷つける事能わず」


 静かな呟きが魔将の耳元で響いた。


 レダの姿はいつの間にか魔将の懐にあった。


 細く、白魚のようと称された彼女の右手がゆっくりと持ち上がる。


 それはまるで舞を舞うかのような、優雅な動きであった。


 その繊手がぎゅうと握りしめられると、淡く光を放つ。


 神聖力による肉体強化。


 カナンの者ならば誰でも使える簡単な魔術だ。


 だがレダはこれしか使えない。彼女には魔術の才がない。魔力の量も大した事はない。


 聖職者としては無能と言って良いだろう。


 しかし、それでも彼女はカナンのトップであった。


 それはなぜか。


 レダの拳が魔将の分厚い胸甲に、そっと触れる。音はない。


 すると空間ごと弾け飛んだような衝撃波が走り、魔将の巨体が爆散した。


 胸甲は紙屑のように引き裂かれ、その下にある肉も骨も、全てが粉砕されて背中側へと噴出する。


 魔将は何が起こったのかを理解する暇もなく、ただの肉片と化して床に散らばった。


 レダは静かに手を下ろし、その指先から立ち上る硝煙にも似た聖なる気を、ふっと吹き消した。


 周囲の聖騎士も探索者も、誰もがその光景に言葉を失っていた。


 ◆


 戦闘が一段落し、負傷者の手当てが行われる中、グロッケンがレダのそばへと歩み寄った。


「ブフゥ……凄まじい御力だ。法皇猊下の武威、噂以上ですな。あれほどの魔物をまるで赤子の手をひねるように」


「これしきで消耗するわけにはいきません。奥にはこれ以上のものが待っているのですから」


 レダは平然と答える。だがその額にはうっすらと汗が滲んでいた。


 第一層でこの惨状である。先行きへの不安はレダとて感じていた。


 グロッケンはその巨体に見合わぬ静かな声で、独り言のようにつぶやく。


「……そういえば、先日ギルドを立った変わり者がおりました。彼奴あやつも、貴女と似たような、常識の枠から外れた力を持っていた」


 その言葉に、レダの眉がピクリと動いた。


「変わり者……? ああ、ルクレツィアを連れてきたという彼ですわね」


「ブフゥ……。ええ。私の鼻がそう告げています。あの男は危険だ、と。しかし邪悪ではない」


 グロッケンの評価に、レダはふっと口元を緩めた。


「わたくしも手合わせしましたが実に業の冴えた者でした。もし彼が生きていれば、この先の戦いで面白い働きをするかもしれませんわね」


 レダはそこで言葉を切り、再び迷宮の奥を見据える。


「……まあ、この惨状です。既に迷宮の肥やしになっているかもしれませんが」


 二人の指導者の視線が再び迷宮の奥の暗闇へと向けられる。


 彼らが語るその男が今まさにその最深部で、狂気の修練を終えたことなど知る由もない。


 部隊は負傷者を後方へ送り、再び歩を進め始めた。


 地の底へと続く、長い長い道のりを。

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まだまだ沢山書いてますので作者ページからぜひよろしくお願いします。
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