第47話:深淵の聖母シェディム②
◆
要するに物量戦だ、と君は言った。
君はかつて別の地で、魔術を反射する敵と相対したことがある。
東方の女術師だった。
ゆったりとした衣を纏い、あらゆる魔法を跳ね返す恐るべき使い手。
だがその反射には限界があった。
一度の攻撃を一度反射するのみ。
連続攻撃には対応できなかったのだ。
この敵もそういう相手の可能性がある──君はモーブとキャリエルにそう告げた。
「じゃあ私がやるよ」
キャリエルが即座に申し出る。
「倒すのは無理でも──まあ、ちょんってやるくらいなら」
モーブが無言で頷いた。
彼は彼女を援護するつもりだ。
君は二人の提案を受け入れる。
理由は単純だった。
君の攻撃は加減を知らない。
仮に君の斬撃が反射されれば、君自身が即死する可能性が高い。
「お兄さんの攻撃って、容赦ないもんね」
キャリエルが苦笑を浮かべる。
先ほど君が真っ二つになりかけた光景を思い出したのだろう。
「行くよ」
キャリエルが地を蹴った。
赤い髪が炎のように靡く。
短剣が鋭い軌跡を描いてシェディムへと迫り──
鮮血が舞った。
キャリエルの腹部に深い裂傷が刻まれる。
反射だ。
自身の攻撃がそのまま返ってきたのだ。
「ぐっ……!」
体勢を崩す彼女へ、シェディムの白い腕が伸びた。
指先には禍々しい紋様が浮かび上がっている。
触れられれば、ただでは済まないだろう。
だが次の瞬間、風が吹いた。
モーブがキャリエルを抱え上げ、攻撃圏内から連れ去る。
風渡りの異名は伊達ではない。
君はその隙を見逃さなかった。
ローン・モウアが閃き、シェディムの伸ばした腕を斬り飛ばす。
反射はされない。
やはり、一度使えばしばらくは使えないのか。
「ギィィィイイイ!」
シェディムが絶叫を上げた。
切断面から黒い体液が噴き出す。
君は追撃を加えようと踏み込み──
剣がすり抜けた。
シェディムの胴体を、まるで幻を斬るかのように通過する。
実体化の制御か、と君は舌打ちをする。
反射だけでなく、物理攻撃を無効化する能力も持っているらしい。
厄介な組み合わせだ。
だが、完全無欠の防御など存在しない。
君はキャリエルに視線を向けた。
もう一度行け──冷たく告げる。
モーブが眉を顰める。
「しかし、彼女の傷は──」
キャリエル以上の適任はいない、と君は断言し、同時に手を伸ばす。
──“小癒”
僧侶系魔法の初歩中の初歩。
だが君が使えば、それなりの効果を発揮する。
キャリエルの傷口が見る間に塞がっていく。
完治とまではいかないが、動くには十分だ。
「……お兄さん」
キャリエルが君を見上げる。
その瞳に宿るのは理解だった。
君が彼女を捨て駒にするつもりはない。
必要だから、最適だから選んでいる。
それが分かったのだ。
「うん、行ってくる」
再び地を蹴る。
今度は単純な直線ではない。
左右に身体を振りながら、不規則な軌道で接近する。
シェディムが腕を振るう。
無数の黒い槍が虚空から生まれ、キャリエルへと殺到した。
だがキャリエルは止まらない。
槍の雨を紙一重でかわし、あるいは致命傷を避ける形で受けながら突き進む。
そして──
短剣が煌めいた。
今度は胸元を狙う。
シェディムは実体化している。
槍を放つためには実体が必要なのだ。
刃が肉に触れる瞬間──
シェディムの体が再び透明化した。
短剣は虚しく通過する。
だが君は既に動いていた。
実体化と非実体化。
反射と透過。
これらを同時には使えない。
今、シェディムは透過を選んだ。
ならば──
君の剣が横薙ぎに振るわれる。
案の定、刃は通過した。
だがそれでいい。
君の狙いは別にある。
キャリエルが素早く身を翻し、もう一度斬りかかる。
シェディムは慌てて実体化し、反射を試みる。
キャリエルの刃が跳ね返され、彼女の肩口が裂けた。
「今だっ!」
モーブが叫ぶ。
反射直後の隙。
実体化している今。
君のローン・モウアが蒼白い軌跡を描く。
狙うは胴体。
真っ向からの一撃だ。
シェディムは透過しようとする。
だが間に合わない。
反射から透過への切り替えに、わずかなタイムラグが生じている。
刃が肉を裂いた。
深々と。
容赦なく。
「ギャアアアアアアアアア!」
シェディムの胴が斜めに裂ける。
黒い体液が噴水のように吹き上がった。
だが君は油断しない。
この手の化け物はしぶとい事を君は知っている。
案の定、裂けた上半身が宙に浮かび上がる。
下半身は蜘蛛のように這いずり回った。
まだ生きている。
上半身が残った片腕で印を結ぼうとする。
最後の魔術か。
君は即座に呪文を放った。
──“静寂”
それも二重に束ねた強化版だ。
シェディムの詠唱を封じ込めようと、無音の波動が広がる。
だが──
効かない。
呪文は虚しく霧散した。
チッ、と君は舌打ちをする。
魔術が得意な相手というのは大抵この手の無効化能力も高いものだ。
シェディムの片腕が複雑な印を結び終える。
何が来るか分からない。
だが──
風が吹いた。
いや、風などという生易しいものではない。
暴風だ。
嵐だ。
モーブが動いた。
直線の機動力なら、彼は君以上に素早い。
風渡りの名は伊達ではない。
風を纏い、風と一体化し、風そのものとなって突進する。
シェディムが振り向く暇もなかった。
モーブの剣が、風の刃と化して襲いかかる。
上半身を真っ二つに裂き──
いや、それだけではない。
風が内側から爆発するように広がり、シェディムの体を粉々に吹き飛ばした。
肉片が四散する。
黄色い宝玉が砕け散る。
光の粒子となって消えていく。
深淵の聖母は、ここに滅んだ。
モーブが着地し、剣を鞘に収める。
彼の表情は相変わらず無表情だが、どこか満足げにも見えた。
静寂が、戦場を包む。
君は剣を鞘に収め、振り返った。
キャリエルが血まみれで座り込んでいる。
ルクレツィアが彼女に駆け寄り、傷の手当てを始める。
満身創痍だ。
だが、生きている。
全員が、生きて勝利を掴んだ。
お疲れ様、と君が声をかけると、キャリエルが弱々しく笑った。
「モーブさん、かっこよかった……」
モーブが僅かに頬を赤らめる。
この男にしては珍しい反応であった。