表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/58

第24話:妖霧

 ◇


 君はぐるりと仲間達を見回した。

 深手を負っているものはいない。精々がかすり傷だ。


 君はここで思案をする。


 ――進むべきか、戻るべきか


 逡巡は一瞬だ。

 君は広い玄室の中央に打ち捨てられている灰の元まで歩み寄り、一握の灰を手に取った。

 その灰を布で包むと、腰に固定してある物入れへ仕舞う。


 キャリエルが小首を傾げていたので、君はギルドに提出する意図を明かした。


 迷宮で変事が起きている事は明らかであり、君たちが対峙した異形は聖王国が言う所の大悪の萌芽の可能性が高い、ついては探索者ギルドの判断を仰ぎたい、だからここは引き返すとしよう…君がそう言うと、キャリエルは非常に失礼な事を君に言ってのけた。


「え!?お兄さんってそういうの配慮する人なんだね…」


 今度は君が小首を傾げる番であった。

 キャリエルはなおも言う。


「だってお兄さんって国とか組織とかの意向なんて従わずにわが道を往くって感じじゃない?」


 とんでもない事に、キャリエルの言葉にルクレツィアやモーブまでもが頷いていた。


 酷い誤解に君の気が遠くなる。

 君は自身の事を遵法精神に富む理知的な人間だと考えている。

 ギルドや国の方針、施策には極力従うつもりであったし、独善的な行動は慎む意思を持っていた。


 なぜならば“善”であるからだ。

 倫理的姿勢、社会生活を送る上での行動規範。

 そういったものへの向き合い方で善、中立、悪が分かたれる。


 仮に悪路を前に老婆が進みあぐねているとしよう。


 善の者ならば共に道を歩んでやり、中立の者ならば自身もその道を渡るならばついでに助けるであろう。

 そして悪の者は手助けが自身のメリットとなるならば助けてやるはずだ。


 その考えで言えば、キャリエルの言う君の生き様は悪ではないか。


 これは誤解だし、言葉を尽くしてその誤解を解く必要がある。

 そして、どうしても誤解がとけないのならばキャリエルを殺害する事もやむを得まい。


 仮に“そう”なってしまったならば、これまでの付き合いもある。

 人道的に一撃を以って首の骨を圧し折ってやろう。


 君がそう心に決めた瞬間、キャリエルの両眼がカッと見開かれ、再々度口を開いた。


「で、でも~!お兄さんと接していたらお兄さんはちゃんと筋を通すというか、我侭な人じゃないっていうのは分かるし!わ、私の事も助けてくれたもんね。ただお兄さんは目つきが鋭すぎるから誤解を受けたりする事も多そうで、そこら辺は大変そうだなって思う、な~…?」


 何故か語尾が疑問調なのが気になったが、君はキャリエルの言葉にさもありなんと頷いた。

 自身の目つきの悪さはこれは自覚していた事であり、どうにかならないものかと思い悩んでいた事でもある。


 だが、大魔術の数々を一呼吸に乱打し、拳1つで鋼鉄をぶち抜き、更には死者の蘇生という奇跡を行使できる君といえども、目つきの悪さだけはどうにもならなかった。


 それは如何なる状態異常でもないからである。


 ◇


 転移の術を使っても良かったが、君は徒歩で地上を目指す事を提案した。


 と言うのも、上層でもなにかしらの変異、異変が発生している可能性があったからだ。

 それに対応するかどうかはともかくとして、全員無傷である以上、徒歩での帰還も問題ないだろう。


 君がそういうと、ルクレツィア、モーブはレッドカウの様にウンウンと頷いていた。

 レッドカウとはアヴァロン南西の荒地に生息する赤い体毛が特徴的な牛の魔獣だ。

 まるで頷くように首を上げ下げしつづけるという奇癖を持つ。


 基本的にこの二人は君の言には一切逆らわない。

 裸で踊れといえば踊るであろう。

 だが、キャリエルは違う。

 彼女は結構ズバズバと物を言うため、君の目は自然とキャリエルへ向いた。


「…ん~…そうだね、私はそれで良いと思う。もしかしたら怖い魔物に襲われているひよっ子がいるかもしれないしね」


 キャリエルは君とは異なるタイプの“善”であった。そしてルクレツィアやモーブの“善”もキャリエルや君のそれとはまた異なる善であろう。君達は各々が異なる、各々なりの“善”を持ち寄って、それをよすがとし、魔道の底へと挑もうとしている。


 君の心の何かがぶるりと震えた。

 探索者魂に火がついた君は、やおら地面を蹴りだし、物陰に潜み奇襲を窺っていた豚面の魔物の顔面を蹴り飛ばす。


 空気を引き裂く戦慄の上段回し蹴りは、豚面の魔物…この世界においてはオーク・ジェネラルと呼ばれている魔物の顔面に着弾し、オーク・ジェネラルの首から上を血飛沫と僅かな肉片へ変じさせた。


 首のない死体がピュウピュウと血の噴水をあげている。

 君は体に血の雨を浴び、その温かさから命の尊さを感得する。


 そうだ。

 命とは尊いものなのだ。


 君が先刻立ち会った醜悪な怪物は、君の眼をして生物への冒涜だと見てとれた。

 命を穢さんとする邪悪が迷宮の底で待ち構えている。


 君は仲間達の方へと振り返り、自分達の手で大業を為す事を、命を穢す邪悪を必ずや打倒する事を告げた。


 ルクレツィアは全身を雨に打たれた子犬のように震わせ、片手で自身の乳を揉んでいた。


 モーブは跪き、まるで王へ対するような様子。


 キャリエルは布を取り出し、君に差し出した。


「拭いたほうがいいとおもうよ」


 君は礼を言って布を受取り、体についた返り血を拭い取った。


 ◇


 探索者ギルドのマスター、豚鬼種の英雄剣士であるサー・イェリコ・グロッケンは手勢の齎した情報の数々、その不穏さに豚面を歪めた。


 ここしばらくの迷宮未帰還率は日に日に高まっており、しかも帰還した探索者もそれまでの性格が一変しているものも珍しくなく、発狂にまで至ってしまっている者もそれなりの数がいる。


 だがこれほどの変事を探索者ギルドのマスターである自分がなぜこれまで把握できなかったのか?


 これは一部の探索者ギルドの職員が情報を差し止めていたからだ。


 その職員達は王宮からの息が掛かっているものばかりで、此度の変事は迷宮そのものもそうだが、王宮が貴族が、王があるいは一枚噛んでいるのでは、とグロッケンは思案に目を細めた。


 探索者ギルドの受付嬢にしてグロッケンの個人秘書であるハノンは心配そうに彼を見つめていた。そんな視線に気付いたか、グロッケンはくしゃりと笑った。


「ブフ~…大丈夫です、ハノン。なにやら陰謀が渦巻いている様ですが、問題とは1つ1つ解決していけばいずれは消えてなくなるものです。幸い私にも色々ツテはある…この国だけではなくね」


「はい…しかし私はどうにも不安でなりません。ここ最近の街の空気は余りに淀んでいるとおもいませんか。私も過去は探索者でした。だから分かるのです、この街から今、迷宮の匂いがする、と」


 グロッケンはその言葉に返事をする事は無く、窓の外に目をやった。


 霧が濃い。

 そう、霧が出ているのだ。

 グロッケンがアヴァロンの探索者ギルドのマスターとなって初めての事であった。


 ◇


 地上への帰途、君はモーブが腕に風を纏うのを見て拍手し、賞賛した。

 迷宮の空気がやや淀んでおり、キャリエルが君にそれを訴えたのだ。


 言われて見れば空気の味が悪い。

 毒性を帯びている、というほどではないのだが、吸気にやや抵抗を覚える、そんなよどみである。

 いずれにしても鬱陶しい事には違いない。


 しかし君にも空調の魔法などは使えない。

 君は少し思案するが、その時モーブが申し出た。

 軽くでいいなら周囲の空気を攪拌し、風通しを改善出来る、と。


 モーブが腕を突き出すとたちまちに風が渦を巻き、君達の周辺の空気はややその淀みを薄めた。


 モーブ曰く、旋風を纏った腕は飛び道具に対する簡易的な盾として機能し、飛矢程度なら逸らしてしまうそうだ。


 モーブは『風渡り』の異名を持つそうだが、なるほど、名に違わぬ妙手の様であった。

 少なくとも君にはこのような真似は出来ない。


 風を操る魔法を使えなくは無いが…君の扱うそれはモーブのそれよりも遥かに破壊的で破滅的なものだ。


 キャリエルは笑顔で凄いよモーブさんなどと言い、弾けるような笑顔を彼に向けている。

 モーブもまんざらではないようでその頬はほんの僅かに赤らんでいた。


「モーブ、お顔がだらしなくなっておりますわよ」


 ルクレツィアが苦笑しながら指摘すると、モーブはたちまちキリっと表情を引き締めた。

 その様がなにやらキャリエルのツボにはまってしまったようで、迷宮に快活な笑い声が響きわたる。


 君はそんな彼等に気を抜くなと注意するどころか、むしろこの空気を引き延ばそうとさえしていた。


 なぜなら君は知っていたからである。

 迷宮という特殊空間において、何が探索者達をもっとも屠ってきたのかを。


 それは恐るべき魔物でもなく、致死性の罠でもない。探索者達は闇に吞まれてその尊い命を散すのだ。そして、その闇は己の心の中にある。


 笑いというものは迷宮に横たわる無窮の暗黒を照らす仄かな光、温かみ。

 ベテランの探索者ならば皆それを知っている。


 ◇


 君達は地上への階段を上り、迷宮を塞ぐ大扉を開く。

 外には濃い霧が立ち込めていた。


「霧!?珍しいなあ。というか初めてだよ!雨でもふったのかな。私は学がないからよくわからないんだけど、雨の後ってこういう靄が出やすいらしいね」


 キャリエルがやや早口で言う。

 ルクレツィアは何か落ち着き無い様子だ。

 モーブはいつもと変わらず。彼は基本的に無口で無言で、やるべき事をしっかりやる男である。


 君がルクレツィアにどうしたのかを尋ねると、彼女は首を振りながら答えた。


「わかりません、わたくしにも…。ただ、何か、私には覚えがあるような…この霧に、覚えがあるような気がするのです。心の奥が震え、怖気づいているのを感じます」


 やや顔色を悪くしながら言うルクレツィアに、君は再び尋ねた。

 “これ”は良いものか、それとも悪いものか、と。


 ルクレツィアは答える。

「……邪悪。その一端を担うものかと」


 君はそれを聞いて破顔する。

 望む所であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/30以降に書いた短編・中編

相沢陽菜は幼馴染の恋人・翔太と幸せな大学生活を送っていた。しかし──。故人の人格を再現することは果たして遺族の慰めとなりうるのか。AI時代の倫理観を問う。
「あなたはそこにいる」

パワハラ夫に苦しむ主婦・伊藤彩は、テレビで見た「王様の耳はロバの耳」にヒントを得て、寝室に置かれた黒い壺に向かって夫への恨み言を吐き出すようになる。最初は小さな呟きだったが、次第にエスカレートしていく。
「壺の女」

「一番幸せな時に一緒に死んでくれるなら、付き合ってあげる」――大学の図書館で告白した僕に、美咲が突きつけた条件。平凡な大学生の僕は、なぜかその約束を受け入れてしまう。献身的で優しい彼女との日々は幸せそのものだったが、幸福を感じるたびに「今が一番なのか」という思いが拭えない。そして──
「青、赤らむ」

妻と娘から蔑まれ、会社でも無能扱いされる46歳の営業マン・佐々木和夫が、AIアプリ「U KNOW」の女性人格ユノと恋に落ちる。孤独な和夫にとって、ユノだけが理解者だった。
「YOU KNOW」

魔術の申し子エルンストと呪術の天才セシリアは、政略結婚の相手同士。しかし二人は「愛を科学的に証明する」という前代未聞の実験を開始する。手を繋ぐ時間を測定し、心拍数の上昇をデータ化し、親密度を数値で管理する奇妙なカップル。一方、彼らの周囲では「愛される祝福」を持つ令嬢アンナが巻き起こす恋愛騒動が王都を揺るがしていた。理論と感情の狭間で、二人の天才魔術師が辿り着く「愛」の答えとは――
「愛の実証的研究 ~侯爵令息と伯爵令嬢の非科学的な結論~」

「逆張り病」を自称する天邪鬼な高校生・坂登春斗は、転校初日から不良と衝突し警察を呼ぶなど、周囲に逆らい続けて孤立していた。そんな中、地味で真面目な女子生徒・佐伯美香が成績優秀を理由にいじめられているのを見て、持ち前の逆張り精神でいじめグループと対立。美香を助けるうちに彼女に惹かれていくが──
「キックオーバー」

ここまで



異世界恋愛。下級令嬢が公爵令嬢の婚約を妨害したらこうなるってこと
毒花、香る

異世界恋愛。タイトル通り。ただ、ざまぁとかではない。ハピエン
血巡る輪廻~テンプレ王太子とお人よし令嬢、二人とも死にました!~

現代恋愛。ハピエン、NTRとあるがテンプレな感じではない。カクコン10短編に出したけど総合33位って凄くない?
NTR・THE・ループ


他に書いてるものをいくつか


戦場の空に描かれた死の円に、青年は過日の思い出を見る。その瞬間、青年の心に火が点った
相死の円、相愛の環(短編恋愛)

過労死寸前の青年はなぜか死なない。ナニカに護られているからだ…
しんどい君(短編ホラー)

夜更かし癖が治らない少年は母親からこんな話を聞いた。それ以来奇妙な夢を見る
おおめだま(短編ホラー)

街灯が少ない田舎町に引っ越してきた少女。夜道で色々なモノに出遭う
おくらいさん(短編ホラー)

彼は彼女を護ると約束した
約束(短編ホラー)

ニコニコ静画・コミックウォーカーなどでコミカライズ連載中。無料なのでぜひ。ダークファンタジー風味のハイファン。術師の青年が大陸を旅する
イマドキのサバサバ冒険者

前世で過労死した青年のハートは完全にブレイクした。100円ライターの様に使い捨てられくたばるのはもうごめんだ。今世では必要とされ、惜しまれながら"死にたい"
Memento Mori~希死念慮冒険者の死に場所探し~

47歳となるおじさんはしょうもないおじさんだ。でもおじさんはしょうもなくないおじさんになりたかった。過日の過ちを認め、社会に再び居場所を作るべく努力する。
しょうもなおじさん、ダンジョンに行く

SF日常系。「君」はろくでなしのクソッタレだ。しかしなぜか憎めない。借金のカタに危険なサイバネ手術を受け、惑星調査で金を稼ぐ
★★ろくでなしSpace Journey★★(連載版)

ハイファン中編。完結済み。"酔いどれ騎士" サイラスは亡国の騎士だ。大切なモノは全て失った。護るべき国は無く、守るべき家族も亡い。そんな彼はある時、やはり自身と同じ様に全てを失った少女と出会う。
継ぐ人

ハイファン、ウィザードリィ風。ダンジョンに「君」の人生がある
ダンジョン仕草

ローファン、バトルホラー。鈴木よしおは霊能者である。怒りこそがよしおの除霊の根源である。そして彼が怒りを忘れる事は決してない。なぜなら彼の元妻は既に浮気相手の子供を出産しているからだ。しかも浮気相手は彼が信頼していた元上司であった。よしおは怒り続ける。「――憎い、憎い、憎い。愛していた元妻が、信頼していた元上司が。そしてなによりも愛と信頼を不変のものだと盲目に信じ込んで、それらを磨き上げる事を怠った自分自身が」
鈴木よしお地獄道



まだまだ沢山書いてますので作者ページからぜひよろしくお願いします。
― 新着の感想 ―
エリゴスさんは情報収集のために蘇生とかはされなかったんですね。情報秘匿のためなのか魔剣のためなのか…。
[一言] レッドカウのモチーフは赤ベコかな? シリアスな中に混じるクスッとした笑いが面白いです。
[良い点] サバサバもメメントモリも読みましたが、こっちの主人公もキマってて非常にいいキャラしてますね! 毎日全部更新してほしいくらいです。 [一言] キラキラ"善"スマイルで決意語りながらオークの頭…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ