ストロングスタイル
立て込んでいた政務を全て終わらした日の昼下がり。自室でハンスと向かい合い気晴らしのボードゲームを楽しんでいた。
それぞれ役割を持った異なる駒を順に一手ずつ動かし、最終的に相手の王を取った方の勝ちというシンプルなこのゲーム。これは御師様が古文書を紐解き考案したゲームで、我が屋敷でできない者はいない。
私とハンスは絶望的に弱く、逆に爺やは鬼のように強い。ゲームを誘ったときの爺やはそのまま逝ってしまうのではないかというほど嬉しそうにするが、強すぎてつまらないのであまり誘わない。
今日もいつも通りハンスと屋敷内最弱争いをして楽しんでいたのだが、旗色が悪くなってきたのでそろそろやめたいと思っていた。
「……ハンス、街へ出かけないか」
このままだと負けるので、外出して勝負を有耶無耶にしよう。
「はい、それはかまいませんが、どこのです? 屋敷にルルアナスタシア様がいるんですから遠出をするならタチバナさんやパラウドにも報告をしておかないと後でうるさいですよ」
「ベリオールを見て回るだけだ、半日もせずに帰るさ」
ベリオールは屋敷のある高台の下に広がるハイルズ領で最も栄えた町であり、ピューアの中でも王都に次いで豊かで賑やかな町。政務の気晴らしに街を見て回るのが私の趣味の一つだ。領民たちの笑顔が仕事の活力源であり、生き甲斐でもある。
「なら大丈夫そうですね。俺も準備してきますので、外套を装着したらどこにも行かずジッとしておいてください」
「いつも私がふらふらどこかへ行ってしまうみたいな言い方だな」
「そう言ったんです。伯はちょっと目を離した隙にどこかへ行ってしまいますからね」
「ハンスは私のママかな? おっぱいを吸われたいのか?」
「聞く人が聞いたら勘違いされるからやめてください。俺から言わせれば伯は糸の切れた凧か、手放した風船みたいなもんですよ。あっ、ゲームはそのままにしておいてください――」
ハンスは扉を開けて出ようとしたところで振り返り、敗北濃厚だったボードゲームを片付けようとした私の動きを止めた。
「どうして辺境伯の寝室からハンス君が!? おっぱいを吸われたいとかなんとか聞こえたんですけど!」
「うわ…………マリーさんが想像しているようなことは絶対にありませんよ」
「朝帰りするところかと思っていたんですが、朝の奉仕が終わったところだと!?」
「事後設定で思考を固定するのはやめろ――」
ハンスが私が部屋から出ると廊下にはマリーがいたらしく、楽しそうに言い合いをしながら声が遠ざかっていく。
あの二人は最近妙に仲が良い気がする。まさか男女の付き合いを始めて男女の突き合いをしているわけではなかろうな……。だとしたら素直におめでとうと言える気がしないぞ。私より後に生まれて、先に童貞を失う従者など従者失格だ。真の従者なら童貞にも付き合え。
さて、外套を着てハンスを待つか。五分経っても来なかったらマリーとよろしくやっているかもしれないので全力で邪魔しに行こう。
と、その前に、ハンスの駒を一つずらしておくか……。
☆
ハンスとともに屋敷を出てベリオールの街を散策する。
町の中心にある大通りはとても賑わっており、行きかう人々の表情に暗さは感じない。
「今日はどこへ向かうんです」
「行きつけの酒屋でワインを買うつもりだ。ついでにハチミツも調達してルルに土産をやるのも良いな」
ルルはハチミツが好きだ。見ているこっちが幸せになる可愛らしい笑顔でハチミツを舐める。
だったら愚息にハチミツを塗って舐めさせれば、みなが幸せになれるのではないだろうか……と、馬鹿な事を。いたいけな少女に何をやらせようとしているのだ。
「伯はルルアナタスタシア様に甘いですね。手を出さないでくださいよ、色々面倒ですから」
「当たり前だ。私が率先して法を犯すはずがあるまい」
「人が見てないうちに駒を動かしておいてよく言えますね」
「……」
駒を動かしたことは良心の呵責にたえれず自分から白状して謝ったのに、ハンスは怒っているようだ。
「でも伯が買いに行かなくとも屋敷にあるんじゃないですか? どうしてわざわざ」
「わかっていないな、ハンス。買い物の妙味、醍醐味というものを」
「はぁ」
「……面倒くさそうな返事するなよ。語りたいのに語りづらくなったじゃないか」
「いや、いいですよ存分に語って。さぁ語ってください、俺は傾聴させていただきますので」
余計語りづらくなったわ。
「……今から私のする話は、その風景を想像しながら聞くんだぞ。買い物というのはな、店に並んだ商品を自分の目で物色し、気になる品を手に取って調べ、時間をかけてこれだと言うものを買い、茶色の紙袋を抱いて自室に戻るまでが買い物なのだ」
「それが妙味ですか? いたって普通の買い物風景が浮かびましたが」
「いいから最後まで聞け。紙袋の中身を取り出し、一人自室で封を開ける……。店に並んでいた物が我が手にあるという特別感……。角度を変えながら何度も眺め、最後はゆっくりと味を楽しむ――どうだ?」
「いや、どうだと言われましても、やっぱりピンときませんね」
「欲しいものを買ったという達成感、欲しかったものが手元にあるという喜びを楽しむのだ。わからないようなら、そうだな……買った物が色本だったらと考えてみろ。胸に抱えた茶色の紙袋には前々からあればいいのにと思っていた自分好みの絶妙なシチュエーションの色本。それは自分以外にはまず需要がないレアシチュで、まず色本になるわけがないと思っていた希少価値の高い本だ」
ハンスは真剣な顔で考えている。街中で自分好みの色本を妄想するとか、こいつ阿保だろ――と思ったが口には出さない。
「買い物の妙味、完璧に理解し共感できました。買い物最高です」
「そうだろう」
ハンスとはノリが合う。嫌なものは嫌と言い、くだらない話でも真面目に考えて乗ってくれる。私とハンスは同じレベルの阿呆だからこそノリが合うのかもしれない。
空を見上げると抜けるような青空が広がり、太陽が私の目を焼く。手をかざして光を遮り、何となくかっこよさげな雰囲気を出してみる。
「いでっ!」
と、よそ見をしていたため大柄な男にぶつかってしまった。
「痛ぇな、よそ見して歩いてんじゃねーよ!」
「す、すまなかった」
「チッ」
ぐうの音も出ない正論。男は舌打ちを鳴らして裏路地の方へ消えていった。
「何してるんですか伯、真っ直ぐ見て歩いてくださいよ。空にはスカートもパンツもありませんよ」
「執務室でルルの下着を見て勃起したときのことを言っているのか? ならば誤解だ。あれは子供相手に欲情したのではなく、下着に興奮しただけだ」
「布切れに興奮するのも、子供に欲情するのも大差ない変態ですよ」
街のど真ん中で好みの色本を妄想していたハンスには言われたくないが、今回は分が悪そうなので余計な反論はやめておこう。
二度と空など見上げまいと心に誓い、ハンスとベリオールの散策を続ける。
ワインを買い、ハチミツを買い、ついでに貧民街をうろついた。
ベリオールが豊かな町とは言っても当然貧富の差はある。全ての者が富豪になれればそれに越したことはないが、そうはならないことぐらい理解しているし、貧富の差はどうしても生まれると言うのは何十年も前に折り合いをつけている。
それでも貧しき者を見るのは胸が痛む。貧しい者たちに少しでも真っ当な生活ができるようにと直接的な援助制度は考えた。だが公にやってしまうと貧民層以上の領民たちが新たな不満を抱えてしまうため、貧民層救済制度は中々公表できずにいる。
なのでせめて私個人にできることがあればと、こうして困っている者はいないか、声に出せぬ不満を抱えたものはいないかを定期的に探しに来るのだった。
「他の町に比べればましな方ですよ。王都の貧民街はこんなもんじゃないですからね。毎日どこかに新しい死体があるって言われてましたし、公園で子供たちが遊べるだけでも他領から見れば異常なぐらいです」
「そうは言うが、ベリオールの貧民街の犯罪率も高いには高いのだ。今期の逮捕人数を知ってるか?」
「貧民街は一応俺の担当でもあるので数字は把握はしてますよ」
しまった、そうだった。今朝方調べて知ったばかりの情報だったので偉そうに語ろうとしたが、ハンスが担当なら獅子に狩りの仕方を教えるようなもの。ボードゲームの一件をここで晴らそうと思っていたのだが、相手の得意分野で勝負するのは悪手だ。話を変えよう。
「軽犯罪者は二十四人、重犯罪者は五人。うち重犯の五人は全員成人男性だったので大穴の探索部隊に組み込むことで刑罰を軽くすることで決まりましたよね。今のところ大規模調査は止めてるので牢に入れてますが」
くっ、話を流し損ねた!
よくスラスラと出てくるな、私の従者のくせして優秀なやつめ!
「あ、あぁそうだったな」
「大穴と言えばギルドマスターのカイさんから新たな大穴の気配を感じるって手紙が来てましたけど、近いうちにギルドに顔を出した方がいいんじゃないですか? 忙しいようなら俺が行ってきて資料だけもらってきますし、指示書も作ってくれたら渡してきますよ」
よくハンスは仕事をサボっていると言われているが、ハンスほど的確に働いてくれる者は少ない。
ハンスは仕事の効率化が上手い。無駄を省き、最小限の働きで最大限の成果をあげてくれるタイプだ。やることをやっているなら息を抜こうが手を抜こうが手で抜こうが好きにしてくれていいと私は考えている。
「そう言えばそうだったな。ここ最近はルルの相手に忙しくてすっかり失念していた。これでは領主失格だな」
漸くルルの淫らな恰好にも慣れてきて、自分はロリコンではないと胸を張って言えるようになった。
「普段から大穴の探索はギルドが主体となって上手くやってくれてますから伯が気にするもんでもないですよ。でもカイさんが手紙を送ってくるってことはよっぽどのことがあったのではとも思います」
「それもそうだな、では時間を作ってまた今度顔を出して――」
「伯、あれを見てください」
ハンスが私の肩を叩く。
「なんだ、ハンスのイチモツを見ろと言うならお断りだぞ」
「街で出さねーよ、伯かよ。いいから俺の指さす方を見てください」
さらっと失礼なこと言われた気がしたが素直にハンスの指のさす先を見ると、そこには二人の男がいた。男は薄暗い路地裏で麻袋を担ぎ、一軒の小屋へと入っていく。
片方の男は見覚えがある。あれは先ほど私がぶつかってしまい、二度と空を見上げぬと誓わせた男か。
「加工した小麦の搬入作業か?」
「小麦粉なら時期的には考えにくいですね。心当たりがあるんですよ」
「心当たり?」
「はい、最近貧民街で行方不明者が続出しているんです」
爺やからの報告書で読んだな。ここ最近家に戻らぬ者が増えていると。対策として貧民街に警備のための衛兵を配置していたが、その後の進展はなく、行方不明者の数は減らずにいた。
ハンスはその件と繋げているのだろう。
「あの男たちが人攫いである可能性があると言いたいのか。根拠はあるのか?」
「根拠はいくつかの目撃情報です。数人の男たちに麻袋に人が詰め込まれるのを見たという者がいます。いずれも時間はバラバラですが、ちょうどこの近辺だったとみな口をそろえています」
「追うぞ」
「迷いがないですね。ですが慎重に、冷静でいてください」
ハンスが言うのだ、確証はなくとも迷うわけがない。
「わかっている……」
わかっているとは答えたが、私の心は少しも落ち着いていなかった。
込み上げるのは純然たる怒り。もしもあの麻袋の中身が小麦ではなかったら、この怒りを抑え続けるのは難しくなるだろう。
「入っていった小屋は間違いなく空き家です。元々機織りを営んでいた老夫婦の家でしたが、昨年夫婦ともに亡くなっています」
「詳しいな。ハンスは街の全てを把握しているのか?」
「まさか、怪しいと睨みこの辺りで不逞の輩がアジトにしそうな場所を調べておいたんですよ」
見つけたのは偶然かもしれんが、調べている時点で評価できる。やはりハンスは優秀だ。
失念していたがハンスは元々貧民の出だ、貧民街を担当しているのもそれが理由だったはず。
「小屋の構造はニ階建て。地下に機織り機や織物の倉庫がある作りなので外から見れば実質的には一階建てです。男たちが出てくる様子はありませんね、もう突入しますか? 念のため他に仲間がいないか待ってから入ることを提案しますが」
「いや、待たずに行く。麻袋に人が入っていると決めつけるには、しょうしょう……そうしょう……早漏……?」
「尚早」
「それだ。尚早かもしれないが、遅れれば大事だ」
小屋に連れ込まれて即座に首を斬られる……殺されずとも暴行を受ける可能性もある。私はそれを許容できない。
「……待つことを強く勧めます。決まったわけではありませんが、今の男たちが人攫いの類なら二人グループだとは考えにくいです。ただの実行犯を捕まえても――」
「捕まえて吐かせればいい。それよりも今は人命の救助が優先だ」
「まぁ……そうですね。将棋最弱の俺たちが頭を使ってもしょうがないですしね」
領主としてどうなのかとも思わなくもないが、頭を働かせるより体を動かす方が得意だ。私は日に六十九回抜けるほど体力がある。貧血さえ起こさないよう甘勃起で抑えれば、もう少し記録だって延ばせる。
小屋の前に立ち中を窺おうとしたが、窓は木の板で閉められており外からは中の様子が窺えなかった。
「入るぞ」
「はい」
ハンスは外套の中でもぞもぞと動かしている。イチモツをいじって抜いているのかと思ったが、得意のダガーナイフを抜いたのだろう。
木製の扉を押すと錆びた金具特有の音がする。
室内は薄暗く、ほとんど灯りはない。埃っぽくカビの臭いが充満し、とても人が暮らして生活しているようには思えない。
「地下室はどこだ?」
「見取り図では部屋の奥にあったはずなんですが隠されていますね。隠すってことは完全にクロでしょう」
ハンスが床を探り、板張りの床にナイフを突き刺す。隙間に刺したナイフで板を梃子の原理を利用してあげると、地下室へ繋がる階段が現れた。
「器用なものだな」
「隠し方が雑なんですよ。若干光が漏れていましたから。それに老夫婦が殺害されたときにも一度見に来ています、あっ、先にいかないでくださいよ」
殺害されたという言葉には反応せず、ハンスよりも先に階段を下りる。足音を立てぬよう慎重に降りるが、怒りのせいか足早になってしまっている。
階段を降り切ると小屋の入り口よりもやや大きい木製の扉があった。
円状の金具を掴み、耳を当てて中の声を聞こうとすると突然勢いよく扉が開く。扉にぴったりくっついて私は、扉と一緒に滑るように室内へと吸い込まれていった。
「誰だ――うわぉお、なんだこいつは!?」
「…………」
とても気まずいが、いつまでも蝉の様に扉に張り付いたままでいるわけにもいかない。
「お前、上を閉めなかったのか?」
「いや、閉めたと思うが……」
「あぁ、ここを新しい住まいにしようかと不動産屋と話をしてきたんですが、そしたら中で人の話が聞こえまして。あなたたちこそどちら様ですか?」
ハンスが私よりも先に尋ねる。
仕方ないので私は部屋の様子を確認しよう。部屋の中央には足の長いテーブルが一つ。椅子は四つ。
壁の前にはいくつもの麻袋が積み上げられていた。
「……残念だがここはもう俺たちが借りちまった。他を当たりな」
「おかしいですね、ここは相続人がない領主預かりの土地になっていて、不動産屋は領主様の許可さえ下りれば使っていいとのことだったのですが……。もしかして先に領主様の認可証を取ってしまわれたんですか? よかったら見せてもらっても――」
「うるせぇなぁ。今は持ってねぇよ、引っ越す前の家に置いてきちまったんだ。いいからさっさと出て行け、ここはもう俺たちが領主から借りてるんだよ」
「ですって、伯」
「うむ」
なにが「ですって」なのか分からんが、ハンスが何らかの合図をしたのはわかる。
「ハクさんっていうのか、あんた。悪いがここはもう――」
「私はハイルズ領主、ベルヴェール・ディオール辺境伯なのだ。この小屋を誰かに貸した覚えはない」
「は?」
男は若干の困惑と焦りの表情を浮かべる。
だが私の方がもっと焦っていた。貸し出した土地など逐一覚えているわけがないのだ。ハンスに促された勢いで言ってしまったが、これで本当は貸し出していたら私の立場がない。
「冗談はやめてくれよ兄ちゃん。こんなところに貴族様が来るわけないだろう」
「ディオール家の紋章だ。確認しろ」
外套の中の内ポケットからハンカチを取り出して男に見せる。男の顔色はみるみるうちに悪くなり、二歩三歩と下がっていく。
「ありゃ本物の紋章だぞ、どうする……」
「しらっばくれるには無理があるな……」
「ああ、仕方ねぇ……」
男たちは腰に佩いていた剣を抜こうとしていた。既にハンスは外套の中でナイフを構えているが。
「話を聞いてもいいか」
「話……ですかい?」
「うむ、ここに麻袋を抱えて入って来ていたな。見たところそこらに積まれている物と同じようだが、中を確認してもいいだろうか。なに、手間はとらせん。最近この辺りで認可なしに小麦の売買を行っている者がいると聞いてな」
男たちは顔を見合わせる。
「……かまわねーけど、大事な品物だ、雑に扱わないでくだせーや」
「わかっている。私も真っ当な商売の邪魔をしたいわけじゃない。認可の手間を惜しんで倉庫として勝手に使ってしまったのだとしても、それぐらいで罰を与えるような狭量な領主ではないから安心してくれ」
実際、認可の段取りがもたついて領民たちを困らせることがある。他領からの移民が多く入って、手続きが遅れてしまうときなどがそうだ。だが今期は移民の流入はない。
「……」
「調べさせてもらうぞ。ハンス、頼む」
「はい」
ハンスが壁に面して積まれている麻袋を一つ確認する。
「中は小麦です。これだけ多いとなると、あなた方が個人でやっていると思えませんね。どこの商家の倉庫でしょうか」
「す、すまねぇ、雇われているだけで、名前までは知らないんだ」
「そうですか」
ハンスは男の返答にさしたる興味も示さず次々に麻袋を確認して回る。
「全て小麦粉ですね。認可印はされていますが、よくもまぁこれだけ集めたものです」
「そうか、ご苦労だった」
その時、机がカタリと音をたてる。男たちの顔には一層の緊張が見て取れた。
「ハンス、机の下だ」
「はい」
ハンスが机を動かし、地下室へ続く階段を見つけた時と同じ要領でナイフを板と板の隙間に滑らせる。
中には小麦が入っていた麻袋と同じもの。それをハンスが引き上げ、麻袋の中からは髪の長い女性が現れた。
「チッ……悪いな領主様、どうしてここに来たのかは知らないが見つけられちまったなら仕方ない。運が悪かったと思って死んでくれ!」
男の一人が剣を抜き、私に向ける。
「愚かなことだ……」
「伯、かっこつけている場合じゃありませんよ」
「……」
そんな言い方しなくてもいいだろ。
「護衛を一人しかつけずに来たのが間違いだったな!」
「そうかな?」
「ああそうなんだよ!!」
突進してきた男が剣を振り上げる。
ちらりとハンスの方を見ると、救出された女性の顔が腫れあがり、衣服を身にまとっておらず青痣だらけになっている体が視界に映った。ハンスが外套を脱いで隠したが、女性は恐怖が抜けないのだろう、震えたまま動けないでいた。
「この……クソ愚か者がぁッ!」
「グゲェッ!?」
振り下ろされる剣を躱しながら男の顔に掌底を叩きこむ。
御師様に鍛えられた体術、プロレス技の一つだ。
男は壁際まで吹き飛び、激突した山積みの麻袋が崩れて白い粉が舞い上がった。
「貴様ら……力なき民に何をしたッ!」
怒りで視界が赤くなる。
私の最も大切にするもの。その第一が屋敷で働く使用人たちだ。口に出して言ったことはないが、彼らを家族同然に思っている。
第二は領民。領民の生活を守り、少しでも豊かな暮らしを提供するため私は政務に心血を注いできた。
その領民をこうもいたぶられては怒りを抑えられるはずもない。ましてや、いたぶられていたのは女性だ。力の強い男が、力なき女性をいたぶるなど――。
「なっ……へ?」
「そこを動くなッ!」
「う、うわぁぁ!!」
猛然と突っ込み、もう一人の男の前に出る。横薙ぎに払われた剣を腰屈めて躱し、足に力を込めて立ち上がり腹部へと膝蹴りお見舞いする。
「うぼぉっ」
前かがみとなった男の横を抜け、背後へと回り込む。両手で腰をがっちりと掴み締め上げる。
「た、助けて、やめて――!」
「やめん!」
渾身の力で巨大なカブを引き抜くように持ち上げ、そのまま背後へ男の後頭部を叩きつける。御師様直伝のコンビネーション、ニーキック&バックドロップである。
「いぎゃ!」
久々に使った技だったせいか角度が浅く、男は剣を落とすもまだ動いていた。
もがいて逃げ出そうとしているがそれは甘い、この技が一度で終わるものと思ってもらっては困る。
「ぬぉぉお!」
「ひぃやッ!」
男を掴んだまま体を転がし、再度立ち上がらせてじたばたともがく男を引っこ抜く。
つま先立ちをして僅かに高度を増させたことでバックドロップはさらに威力を増す。
「ゲゥ……!」
さらにもう一度立ち上がらせ、高速低空バックドロップで止めを刺す。
叩きつけられた男は板張りの床を貫き頭から突き刺さってピクリとも動かなくなっており、戦闘続行は不可能だと判断し外套についた埃を払う。
「ハンス、民は、女性は無事か!?」
「生きてはいます。ですが……」
顔を腫らした女性は被されたハンスの外套を震える手で掴み縮こまっていた。
「て、抵抗しませんから……も、もう殴らないで……」
「ッ!!」
女性の顔は目が開かぬほど殴られており、私たちが助けに来たという状況が飲み込めていない。
怒りは頂点に達したが、晴らすべき相手は既に沈黙している。
「大丈夫だ……私たちは貴女を救いに来たのだ。遅くなって済まない……」
深呼吸をし、怯えさせないようになるだけ優しげな声を出すよ努めた。
「や、やだ、もう痛くしないでぇ……」
震える女性はまだ恐怖が抜けないのか、胸を締め付けるような声で泣く。
強く噛みすぎた唇が切れ、血の味がする。
女性をここまで恐怖させるとは……。腐れ外道め、あれだけで終わらせてしまったのは早まったな。
この怒りをどう発散すればいい。倒れた者をいたぶっては私も同じ外道に落ちてしまう。
そうだ、ハンスなら頑丈だから――
「伯、後ろ!」
「死ねぇ!」
叫ぶハンスの視線を追って振り向くと、初めに掌底を放った男が粉だらけのまま剣を振り上げていた。
振り下ろされた剣を咄嗟に躱すが外套を切り裂かれる。
「……揺れ動く布を斬るとは大した技量だな」
「なんで躱せるんだよ……」
そうか立ち上がってくれるか。
怒りと喜びがない交ぜになった奇妙な感覚。しかし、圧倒的に怒りが勝っているので浮かび上がった笑顔はさぞおぞましいものになっているだろう。
「剣の腕もさることながら、私の掌底を受けてなお動けるその頑丈さ、高く買ってやろう。貴様が私兵に入りたいというなら喜んで迎え入れ、冒険者ギルドで働いていれば特別報奨を与えることもあっただろうな」
怒りのやり場に困っていたところだ。危うくハンスに拳骨を落として泣かすところだったぞ。
掌底一発で沈まぬ相手ならば、もう少し派手に技をかけても死にはしないはずだ。
「なんだ、何を言って――」
「確認しておこう。何かの間違いであったら申し訳ない。貴様が、この女性を傷つけたのだな?」
勘違いならやはりハンスに拳骨だ。
「ああ、それがどうした! やかましく抵抗するから黙らせてやったんだよ!」
「……このクソ愚か者、貴様は自分の犯した罪の重さをまだ理解していないようだな! どういう育ちをすればこのような悪逆非道に手を染められのかは知らぬが、一度死んで父の睾丸からやり直してこいッ!!」
「伯、聴き出さないといけないので殺すのはなしですよ」
わかっている。頭が燃えるように熱くなっているが、手加減ができる余裕はまだあるつもりだ。
「てめぇッ、さっきは油断していいのを食らっちまったが甘く見るんじゃねぇぞ!」
激昂した男は剣の構えを変えて腰を落とす。独特なその構えには見覚えがあった。
「その構えはアッシュヘンの剣術か。御師様もその構えを取っていたな」
「……」
男は何も答えない。剣術の流派を知られるのは戦いにおいては致命的だ。相手の戦術や戦技が割れているのだ、警戒しないわけがない。
「ぐッ……」
「歯を剥き出しにして威嚇するとは、それではまるで獣だぞ。そらどうした、居合に似せた突きを放つのだろう。早くやってこい、今なら私に届くかもしれないぞ」
「見抜かれたとして、躱せるもんじゃねぇだろッ!」
男の叫びは自分に言い聞かせているようにも聞こえる。
案の定、腕を突き出し、剣は横薙ぎの軌道に見せかけてから胴を狙って一直線に向かってきた。御師様の剣技に比べれば子供が棒で遊そんでいるも同然な緩慢な動作。私に到達するまでにあくびを出してしまいそうなほど遅い。
伸びる片刃の剣を上から軽く叩き軌道をずらす。男の型はやや崩れ、僅かな隙が生まれた。
「取った」
「なっ! くっ!」
無造作に男の手を掴み引き寄せる。男は抵抗を試みようと剣を持たない方の手で拳を突き出す。
「終わりにしよう」
「うわぁぉお!」
突き出された拳も躱し、その腕を取ってさらに引き寄せる。足を掛けて完全にバランスを崩させ壁目掛けて投げつけると、転ばぬようにと珍妙なステップを踏みながら男は走り出し、置かれた麻袋に躓き壁に顔から激突する。
それでもなお闘志が衰えぬのか、男は振り向き、鼻血を流しながらも剣を構えようとしていた。
「一片死んで死なない程度に死ぬほど反省してこい愚か者がッ!!」
魔力を足に回して脚力を高め、床が抜けるほど強く踏み込む。魔力の軌跡が足から続き、長い滞空時間を終えて振り向いた男の顔に私の両足が突き刺さる。後頭部が壁に埋まるほどの一撃を与え、迸る魔力が足を伝って男の頭を貫通し背後の壁を粉砕する。
三十二文ロケット砲。御師様直伝の大技である。
「あが……あ……」
ぐらりとゆれた男は前のめりに倒れる。歯は砕け、鼻は埋没していた。
「伯、殺しちゃ駄目だって言ったじゃないですか」
「殺してはいない。魔力は全て壁に流れている」
男の頭部に私の魔力が停滞すれば、針でつつかれた風船の様に破裂していただろう。
「この者たちはあとで衛兵に連れて行かせる。それよりも女性の方だ」
「下手に俺たちが触れない方がいいんでしょうが、そうも言っていられませんね……。瞼が開かないほど腫れているので骨にひびが入っているか、折れている可能性があります。顔なので早いところ医者に連れて行きましょう」
女性相手に酷いことをする……。
「私はここで男たちを見張る。途中で衛兵を見かけたら声をかけておいてくれ。最優先事項はその女性の治療だ」
また目を覚ましたら締め技の一つでもお見舞いしてやる。
「立てますか、無理そうなら――」
ハンスが女性を抱き上げ、地下室から出ていくのを見送る。
改めて倒れている二人の男を見る。
剣術はアッシュヘン発祥のものだったが、流派を学んだだけでアッシュヘンの者かはわからない。
――アッシュヘン王国。
我がハイルズ領に隣接する歴史ある国。過去には勇者が生まれ、魔大陸のシャラザード――魔族とは一悶着あったと聞く。
もしもこの人攫いがアッシュヘンの者だとしたら何故ハイルズに入ったのか……。ルルがハイルズに来ていることと何か関係があるのだろうか。
私が考えても答えが出るようなことではない。衛兵に突き出し、罪状を決める前に洗いざらい吐いてもらうとしよう。
我がハイルズ領をアッシュヘンが踏み荒らそうとしているならば、民を傷つけようとするならば――相手が国であろうとも私は容赦なく叩き潰す。
ベルヴェール・ディオール
ステータス:ピューア王国ハイルズ領領主 四十六歳童貞 甲殻類
状態:怒りの闘魂 かわいそうなのは勃たない
人攫いの男から見た姿:足の裏
ハンス
ステータス:執事衆
状態:揺らさないように猛ダッシュ
ルルアナスタシア・シャール(仮)
ステータス:魔王の娘 ロリビッチ(仮)
状態:九歳 ベルヴェールはどこ?
マリー
ステータス:ルルアナスタシアの従者 闇の探究者 光の提唱者
状態:朝練ご苦労様です♪