きみとの思い出はノスタルジーの中
学校祭当日、毎年のことながら賑わっているようで、廊下も出店も学校中が人で埋め尽くされていた。
そんな人の波を掻き分けるように、流されるように歩いていたら「先輩!」と体を後ろに引かれる。
振り向いた先には、いつもは髪を結い上げてエプロンをしている後輩が、指定の制服で俺の後に立っていた。
走って来たのか、肩が上下して、息が弾んでいる。
どうしたの、と笑って乱れた髪を手櫛で整えれば、慌てて居住まいを正す。
「先輩の描いた絵、凄く好評で……」
ひょこひょこと揺れる髪を見ながら、そんな報告に頷く。
まるで自分のことのように喜んで、報告しに来てくれる後輩に、ありがとう、と笑う。
「この後のライブも、見に行きますから」
頑張って下さい、と言われて、自分のこの後の予定を思い出す。
そろそろ行かないと不味かっただろうか、時間を確認すれば、後輩が笑顔を浮かべて俺の背中を押した。
***
美術部以外にも掛け持ちで軽音楽部に入部している俺だけれど、その実、そちらの部活に顔を出すことは少なくて、ライブをやることが決定してから活動を始めることが殆どだ。
二年生の途中からボーカルに任命されて、半ば流されるように入部したけれど、そこそこ楽しく歌わせてもらっている。
学校祭でライブをやることになって、練習に引っ張り出されたことを思い出しながら、エナジードリンクを煽った。
うげぇ、と舌を突き出せば他のメンバーが笑うので、俺は苦笑を返す。
ライブをやる場所は当然ながら体育館で、ステージに立てばそれなりの広さの体育館が、人手いっぱいになっているのが分かる。
上からだと、良く分かる。
薄暗い中で真っ直ぐに向けられた視線に笑みを浮かべ、息を吸い込む。
後は周りの音と合わせて、歌詞を吐き出すだけ。
マイクを通して体育館に響く自分の声は、自分の声には思えないくらいに良く響き、壁に当たっては弾き返される。
声を出せば出すほどに、聞こえてくる周りの音も大きくなっているような気がした。
学校祭用に選んだ曲はどれもアップテンポなもので、周りのノリも良くなる。
そのことにメンバーの口元も緩まっているのが見えた。
割と落ち着いていて、周りが良く、見える。
全曲終わる頃には、結構な汗が浮き出ていて、着ているカーディガンを暑苦しく感じていた。
聴いてくれていた人からはアンコールの声が聞こえていて、メンバーが目を合わせている中、マイクを持ったまま口を開く。
「あー、アンコールありがとう。凄く、嬉しい」
マイクパフォーマンスが得意かと言われると、決してそういう訳ではない。
寧ろ喋りたがらない方だと自覚しているので、いつもメンバーの中の誰かに渡すのだけれど、今日だけは特別、譲れなかった。
俺がマイクを握って喋っていることには、流石のメンバーも驚いて目と口を開きっ放しである。
それが面白くて更に笑みが深まるけれど、俺はマイクを握ったまま言葉を続けた。
「でも、今日は俺、この後に約束があってもう行かなきゃ駄目なんだ。だから、俺はここまで!」
へらり、笑えば観客はポカンとした顔をした後に、えー!なんてお決まりの声をくれた。
メンバーは聞いてないぞ、みたいな顔をしているけど、言ってないもん。
ギターの奴に無理矢理マイクを持たせて、そのままステージから飛び降りる。
またしても驚いた観客が道を作ってくれた。
神話か何かにも、海がこんな風に真っ二つに割るシーンがあったような気がする。
それが何の話だったのかとか、どんなストーリーだったのかは思い出せないけど。
「行こう、作ちゃん」
ただ一人、真っ直ぐにステージを見つめて、煽っても一切乗ることなく、静かに聴いていてくれた人。
人の多さにやられたのか、篭った熱にやられたのか、ぼんやりとしていた。
だけれど、手を差し出せば、一瞬だけ眉を寄せて掴んでくれる。
俺よりも小さな手をしっかりと握って、周りから何かを言われるよりも先に体育館を飛び出した。
あぁ、青春じゃないか。
***
重い扉を開ければ秋らしい細かい雲の多い青空が見えて、それなりに緊張していたらしい体を伸ばす。
冷たい風が火照った体を冷やしてくれる。
一緒に走って来た作ちゃんの方は、それどころではないようで、息も絶え絶えに喘いでいた。
「作ちゃん、大丈夫?」
「……っ、それは、もっと、前っ、に!聞いて、欲し、かった!!」
勢い良く噎せる作ちゃんの背中を擦りながら、締りのない笑顔を向ければ、眉を寄せた後黙って俯いてしまった。
作ちゃんはその見た目通り体力が無い。
高校生の女の子があるべき体力すらないのに、何かを創っている時はそれを凌駕する集中力と精神力を見せて、何徹でもしてしまうと聞いたことがある。
ちなみにその後は死んだように眠るとか。
濁点の付きそうな勢いで唸る作ちゃんは、流れてくる汗を拭って座り込む。
それを見届けて俺も隣に腰を下ろせば、約束なんてしてないよ、と言われてしまった。
多分、ステージで言っていたことだろう。
「うん。してないよ」
「嘘吐き」
溜息混じりに吐かれた言葉に肩を竦めた俺は、約束はしてないけどこうするつもりだったことを語る。
相変わらずハイライトのない瞳は、真っ直ぐに俺を見て、黒にしっかりと俺を映して反射していた。
屋上なのに、学校祭の喧騒は細く聞こえてきて、ほんの少し眠くなる。
欠伸を噛み殺しながら、それでもその欲に負けるように、太陽の光を吸っていた生温いコンクリートに寝転がった。
眩しい太陽ではないけれど、暖かい優しい光だ。
ますます眠くなる。
「……絵、見て来たんだ。四人で」
寝転がったまま視線を隣へ投げれば、作ちゃんは足を伸ばしていた。
伸ばした足をゆらゆらと左右に揺らしながら、そこに視点を合わせて口を動かす。
「ボクと文ちゃんとMIOちゃんとオミくんで」
美術部としての出し物は毎年同じで、美術室を開放して美術部員全員の絵を何点か並べている。
今年も例外なく前日までに並べ終えていて、受付を部員で交代しながら行って自由に見てもらっているのだけれど、そうか、見てきたのか。
「崎代くんには、あんな風に見えているんだね」
ゆらり、向けられた目は細められていて、そこから覗く黒が綺麗だと思った。
俺と作ちゃんは別の人間だから、見えているものが違うのは当たり前のことだ。
それでも、誰かの視点で見える世界は新鮮なもので、全く別物なのだろう。
「凄く、素敵だった」
幼い子供が自分の宝物を語るような口調で、何かキラキラしたものを含んで告げられた言葉だけで十分だった。
満足出来た。
結局今年は一作品しか出さなかったけれど、自信作だし、そう言ってもらえたならば成功なのだ。
真っ赤な長い髪の女の子が笑顔で隣の女の子の腕に絡み付いていて、その隣では唯一の男の子がバランスを崩した二人に手を伸ばしている。
更に女の子を挟むようにして黒縁眼鏡の女の子が優しく見守っていて、三人に挟まれて囲まれた女の子は、どうしようもなく愛されていることを感じさせる楽しそうな笑顔を浮かべているのだ。
「俺にはそう見えてたし、見えてるよ。ずぅっと、そこが作ちゃんの帰る場所であるべき場所なんだろうなぁって」
キャンバスにぎゅうぎゅうに詰められた四人の間に、他の誰かが入ることは出来ない。
俺もそこには入れないのだから。
だから俺はそれに『箱庭』と名付けて、ネームプレートを付けたのだ。
MIOちゃんなら「ちょっと嫌味入ってる」なんて言うんじゃないかなぁ、と思う。
「それじゃあ、崎代くんにも箱庭があるの?」
首を傾げる作ちゃんに、視線を空へと移す。
箱庭とは文字通りに小さな箱の中で山水の景色や庭園を作ったもので、擬似世界のようなものにも思える。
そこから飛び出せば、本物の広い世界があるような、そんなものにも思えるから、嫌味にも捉えられる言葉なのだろう。
「俺には、理想郷があるよ」
「理想郷」
噛み締めるように繰り返した作ちゃんに、腕を枕にしながら頷く。
俺の理想郷は、作ちゃん達が箱庭から飛び出して、大きな広い世界を旅する時に、一緒にいること。
もっと言えば、多くを願えば、作ちゃんと手を取り合って、とか、そういうの。
俺の言葉を聞いて、何とも言えない顔をする作ちゃんは、本当に可愛いと思う。
マジかよお前、って目をしているけれど、ちょっとだけ口元が緩んでいる。
「作ちゃん、好きだよ」
頭の下から片腕を抜き取って作ちゃんの方へと伸ばす。
迷ったような指先が触れてきて熱が交わる。
ほんの少しの進歩が酷く嬉しくて、心臓が焼けるように熱くなるのを感じた。
「崎代くんのことは、嫌いじゃないよ」
どうか、願わくば、この日が過ぎ去ったとしても、この想いを告げ続けることが出来ますように。
もしも、この過ぎ去った日を思い返した時に、この小さな手が俺の手に収まって、好きだと言ってくれたなら、俺は幸せ過ぎて、どうにかなってしまうかもしれない。




