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ネズミの巣穴

ラットとベラは裏路地を抜けてルピナスの裏から離れると、首都ダリアの南端の通りへと足を運んでいた。先ほどのルピナス通りとは違い、道は整備されておらず、土がむき出しであるものが目立つ。周囲の建物も建設途中のものが大半で、人が住んでいるという気配はない。

「ラット様、この場所はどういったところなのでしょう? なんというか、少しさびしげな場所ですよね?」

 そんな雰囲気を感じ取ったのか、ラットの後ろを歩くベラが、周囲を見回しながら質問してくる。

「夜は、な。昼になれば大工の連中が集まって喧しくなるさ」

 ラットは歩みを緩めないまま、片手間に返答した。周囲の警戒に気を張っていて、真っ当に取り次ぐ余裕がないからだ。

ただでさえ、明らかに一般市民では手が出ないような上等なドレスを着込んだ、嫌でも目立つアルビノの少女を連れ回しているのだから、人目は絶対に避ける必要がある。強盗や人さらいにでも見つかれば目を付けられかねないし、そうでなくても口伝えに城の人間へ届く可能性があったからだ。

「ダイク……確か、建物を建てる人たちのことですよね? 集まるということは、たくさんいらっしゃるんですか?」

 しかし、そんな心労など露とも知らないのだろう。ベラはお構いなしに質問を重ねる。

「ん……まあ、そうだな」

 これにラットは少し顔を引きつらせた。どうもベラは気に入った答えが返って来るまで質問をやめる気はないらしい。

仕方なく、ラットは一度立ち止まる。

「この場所は見た通り“未完成”で、通りの名前すらまだついていないんだ。だから、日の出ている時には常に金槌の音が絶えない。いわゆる開発区ってやつだな」

「未完成? 開発区?」

それに釣られるように、ベラも首を回す。

 周りの建物はよくても半分ほど組み上がっているものが大半で、作業用の足場やはしごで一面が埋められており、背の高い建物には滑車式の木製リフトも設置されていた。道には資材が山積みにされており、この一角の完成には長い時間を掛けることが見て取れる。

「この街は今でも少しずつ大きくなっているからな。ここに限らず、端っこの方はみんな似たり寄ったりさ」

 フリチラリアの首都『ダリア』は、その名の通り花の名を冠した街だ。名が体を表すとはよくいったもので、この街はダリアの花弁が咲き開くように、今も少しずつその円形の領域を広げている。城の周りや街の中央に行くほど歴史も建物も古いが、少し外側に進めば、このような未完の風景が見られるのだ。

「そうだったのですか……!? わたくし、全然知りませんでした……」

 初めて目の当たりにする自分の国の姿に、ベラは感心半分と不甲斐なさ半分といった様子で呆ける。

「ははっ! 確かに、あんなに高い城壁の内側にいれば、街のことなんてわからないだろうな。王女様ってのも難儀なもんだ」

 そんな、なにも知らないベラの反応が愉快で、ラットは声を上げて笑ってしまった。

「そ、そんなに笑わなくてもよいではありませんか!」

 それに腹を立てたのか、ベラは頬を膨らませる。

「ふふっ、ゴメン、ゴメン。……ほら、行こう、もうすぐ俺のアジトに着く」

 子供のように怒るベラを保護者のようになだめながら、ラットは再び歩き始めた。


                   ※


 名もない通りを少し行くと、ラットとベラは他の建築物よりも少しだけ背が高い石造の建物へとたどり着く。ここもまた例にもれず未完成の建物で、ところどころの石壁には隙間が散見される。入り口にも扉はなく、代わりのボロ布が垂れ下がっているだけだ。

「ここは……?」

 ベラはラット背中越しにその屋舎を見上げている。

「俺のアジト。といっても、ただ寝泊まりしているだけど。……ほら、入りなよ」

 ラットは布幕をめくり上げ、扉すらない入り口を潜った。

「あっ! は、はい」

ベラもそれに続く。

 アジトの中は月明かりが壁の隙間から差し込み、妙に明るい。ただ、一階には床すら敷かれておらず、外と同様に土がむき出しのままで放置されていた。あるものといえば、奥の方に石階段が一つ見えているだけ。

ラットはその石階段を無言で登る。

ベラも一階のありさまを見て一瞬戸惑ったようだったが、慌ててその後を追っていった。

 二階に上がったその先には、一階に比べれば少し生活感がある風景が広がる。床は薄い木板張りだが、壁のところどころに釘を打ち込んで作った物掛けがあり、小物や衣類、畳んだ毛布が掛けられている。

部屋の中央にも小さな机と椅子が一つだけあり、その上には使い古されたカンテラも乗せられていた。

 ラットはそのカンテラを手に取ると、懐から取り出したマッチで火を燈す。壁の隙間から漏れる月明かりだけで照らされていた室内が、橙色の灯りで上塗りされた。部屋の全貌が明らかになると、その片隅にわらの山を布で纏めた簡易的なベッドも姿を現す。

「ようこそ、俺のアジトへ。さ、座んなよ」

 ラットはベラに歓迎の言葉を掛けると、手にしていたカンテラを机に置き、手元の椅子を引いて、ベラに座るよう促す。

「あ、ありがとうございます……」

 ベラは物珍しそうに部屋の中を眺めながら、その小さな椅子に腰を下ろした。あまりに粗悪な椅子の上に、上等なドレスを着込んだ顔立ちのよい少女が座っているので、その光景はやや滑稽に見える。

椅子に座った後も、ベラは落ち着かない様子で、忙しなく視線を駆け回していた。

そんなベラを見たラットは、恥じるように苦笑いを浮かべる。

「ははっ……笑っちまうぐらいボロいだろ? ま、人間様が住むところには見えないよな」

 ラットは机の上に飛び乗るよう座ると、肩を竦めながら自分のねぐらをこき下ろした。

「とはいっても、放置されてるものを勝手に使わさせてもらってるんだ、文句は言えない立場さ。盗賊の中には家を持ってない奴なんてザラだし、これでも俺は恵まれてる方だ」

 この屋舎は元々、とある商人がこの開発地に新設しようとしていた倉庫だったらしい。しかし、気が変わったのか、もしくは商売に失敗して夜逃げでもしたのだろう、建設途中で放り出されていたもの。それを、ラットは無断でアジトとして使っていた。

 当然、建設途中で放り出された屋舎は所々が雨ざらしの風ざらし。目をやるところ必ずなにかしらが傷み破損しているあり様だ。

 そんな部屋を見回したベラは、戸惑うようにラットに聞いてくる。

「ラット様は、ずっとここに一人で住んでいらっしゃるのですか?」

そういうベラの目は、どこか哀れむようでもあった。

「がっかりしただろ? まあ、こんなボロ小屋に招かれたら、誰だって困っちまうよな。一国の王女様ならなおさらだ」

 そんなベラの目から、ラットは気まずそうに視線を逸した。不満の一つぐらい言われても仕方のない住処ではあったが、やはり面を合わせてそれを言われると、辛いものがあったからだ。

「まあ! そんなことはございません!」

 しかし、ベラはラットの態度と言葉を受けて、真面目な顔で言葉を返してくる。

「素晴らしい場所ではないですか! ここは命のにおいがします!」

「命のにおい?」

「はい! ここには“人が生きている”というに空気があるのです! うまく説明はできませんが、わたくしにはわかります! ……わたくしの部屋にはない空気です!」

 先ほどの哀れむ視線から一転して、ベラは少々興奮気味に部屋を見回し、胸躍らせているようだった。

(命のにおい……か。生活感があるってことなんだろうか?)

 物こそ少ないが、この部屋にあるものはどれも使い古されているもの。人の営みの残り香があると言われれば、それはきっと正しいのだろう。それはラットにも納得できた。

 それを受け、ラットはふと、先ほど拝見したベラの部屋を思い出す。

ベラの部屋は豪華絢爛ではあったものの、あるとあらゆるものが真新しかった。どこを見ても埃一つ落ちておらず、まるで部屋全体が美術作品として作られたようで、どこか人間が生活している気配が薄かったように思えた。

ベラが自分の部屋にはないという“命のにおい”、それは確かに存在するのかもしれない。ラットにも、それが薄らと感じ取れる。

(確かに、あの部屋にいた時は俺も落ち着かなかった。それは俺が貧乏人だからだと思ってたけど、お姫さまもそうだったのかな?)

 ふと湧いた親近感に、ラットの表情が綻ぶ。

「ただ、この部屋からは“さびしさのにおい”もするのです。」

 そんなラットと相反するように、突如として、ベラが表情を曇らせた。

「寂しさ?」

「はい。ここにラット様がずっとお一人でおられたのでしたら、この“においの元”はラット様なのでしょう? ……今まで、辛くはありませんでしたか?」

 ベラは今にもう泣き出してしまいそうな、悲壮な表情でラットの顔を見上げている。

「そんなにおいがするのか……?」

 そんなことを言われたラットは、自分の部屋を見渡す。目に映るのはどれも見慣れたものばかり、机や椅子に手製のベッドはもちろん、床のシミから壁の隙間まで、どれも飽きるほど見た光景だ。

普段それらを見ている時、さびしさを感じたことはなどなかったはずのラットだが、

「……ああ、なるほど」

それも、今は少しだけ違った。

「よくもまあ、今まで気付かなかったもんだ」

 言われて見ると、この部屋は恐ろしく心寒く感じる場所だと、ラットは自覚できた。なにせこのアジト、ラットにとって完全に寝て起きるためだけの場所なのだから。

一人でこんな場所に長年住んでいれば、さびしく思わないわけがない。それを他人から指摘されて、ラットは初めて気付いた。

(今まで、生きるのに必死だったからなぁ)

 ただ、それを考える余裕がなかっただけなのだろう。なにせ、このように他人と談笑することすら滅多にないのだから。

(さびしかったんだな、俺って。……この状況を“かわいそうだ”と言ってくれる人すらいないんだから)

 初めて湧いた切ない感情に、ラットは暫し放心する。

そうしていると、ラットの顔を覗き見ていたベラが、控えめに声を掛けてきた。

「ラット様……」

「うん?」

「その……今もさびしいですか?」

 ベラは目線を切ったり合わせたりしながら、恐る恐るといった表情で訊ねてくる。

この質問をどういった心情でしてきたのかは、ラットには表情を見れば簡単にわかってしまう。

そして、ベラがどのような答えを求めているかも。

「……今は全然さびしくないよ。王女様が一緒にいてくれてるからね」

 ラットはそれを察すると、自分が今まで使ったこともないようなキザな言葉を並べた。言い終わってから、恥ずかしさに少し後悔するほどに。

「よかったぁ……!」

 そんなラットの心情とは逆に、ベラはその言葉を受けて、顔を太陽のように明るくさせ、心底嬉しそうに胸に手を当てている。

(どうも、この子を見ていると王族の印象が変わるな)

 これはラットの勝手な想像だが、王族というのは下々の者を見下し、他人の痛みに無関心なものだと想像していたところがある。

しかし、ベラはそれはラットの空想とはまるで真逆、むしろ、人一倍それに敏感なように見える。王族であるという先入観を捨てれば、物語に出てくる穢れのない聖女のようだ。

そんなベラを見て、“この国も捨てたもんじゃない”、そんな言葉がラットの頭に過った。

「――ふぁ……」

 ラットがそんなことを考えていると、ベラが小さな口をめいっぱいに開きながら、手を当てつつあくびする。

「ん? 眠いのか?」

「…………少し」

 ベラは謙虚に答えているが、その顔にはまぶたが重くて仕方がない、と書いてある。

「そりゃあ、いけないな。夜更かしは美容の大敵だって聞く。特に、王女様みたいな白い肌に隈でもできたら大事だ」 

ラットは机から飛び降りると、わらのベッドに近寄る。そしてその表面を二~三度払い、ウトウトしているベラに手招きした。

「ほら、この寝床は使っていいから、今日はもう寝な」

「…………はぁ」

 ラットはそう言って勧めるが、寝床を奪うことに遠慮しているのか、ベラは眠気眼を擦りながらも、椅子に座って動こうとしない。

「あの……ラット様はどこで……?」

 自分がそこを使ったら、ラットの寝場所がなくなるのではないか。そんな意図があるのだろう。ベラは睡魔に目蓋を重くさせながらも、必死にそれに抗い、謙虚を振舞っている。

「……心配しなくていいよ。別の場所にも寝場所はあるから」

 嘘である。ラットの寝場所はこのわらのベッドだけ、他に寝場所などありはしない。

しかし、ラットとて男だ、相手が女性なら寝床の一つぐらいは当然譲りもするし、諦めもつくというもの。それに、このアジトを手に入れるまで、ラットは道端で野宿をして生活していたという経緯を持っている。床で寝ることくらい、今更、苦ではない。

「本当ですか……?」

 ベラは半分落ちたまぶたの隙間から、疑いの視線を向けてくる。眠気眼だということもあり、酷く目付きが悪い。

「本当だって。……明日は謝肉祭に行くんだろう? 早く寝ないと起きれないぞ?」

 そんなベラを見せつけられては、一刻も早く睡眠を摂らせなければならないと、誰もが思うだろう。それはもちろん、ラットも例外ではなかった。

「うっ……そうですね。…………では、お言葉に甘えて……」

 半ば無理やり言いくるめられてだが、ベラは渋々と了承し、席を立ちあがる。

 ふらつく足取りではあったが、ベラはなんとかベッドの脇まで自力で歩む。

一度ラットに物言いたげな視線を向けるが、ベラはそのまま、眠気に負けてベッドに横になった。ベラの小さな体が倒れると、わらのベッドは大きくたわむ。

「わぁ……! ふっかふかですねぇ……!」

 うつらうつらとしながらだが、ベラはわらの包み込むような柔らかさに、幸福そうな表情を浮かべていた。

「ふふっ……このベッドは俺のアジトで唯一の自慢だからな」

 ラッドはそう言いながら、壁に掛けてあった一番清潔な毛布を手に取る。

そして、それをベラの体にゆっくりと被せた。

「じゃあおやすみ、王女様」

「はい……明日はよろしくお願いします……ラット様…………」

 ベラは目を閉じながら小さく返事をしたかと思うと、すぐに寝息を立てはじめた。毛布にくるまり、猫のように体を丸くして。

 そんな微笑ましい姿に、ラットは思わず笑みを溢した。

「ははっ、まるで赤ん坊みたいだな。あっという間に寝ちまった」

 ラットはベッドから離れ、部屋中央の椅子に腰を下ろす。

「まあ、疲れてはいたんだろうな。この年頃の女の子が、この時間まで起きていることだって珍しいだろうし。……でも正直、俺の方が疲れている自信はあるがな」

 そして、上半身を投げ出すように、ラットは机へと突っ伏した。

(本当……疲れた……)

ラットは今までに感じたことがないほどの疲労感に襲われていた。

『王宮への侵入』、本来ならばそれだけでも心身ともに摩耗するというのに、そこへ住まう姫君を連れ出したというのだから、それも当然。ラットにかかる精神的な重圧は、それこそ並大抵のものではない。

ラットは腕を枕にして目を閉じると、体が泥のようにとろけてしまいそうな心地よい眠気が襲ってくる。

(……そういえば)

 そんな睡魔に朦朧とする意識の中、ふとラットの脳裏に一つの疑問が浮かんだ。

(城を出てからアジトに着くまで、今日は誰にも会わなかったな。いくら夜中だって、普段なら誰かしらかうろついてるんだが……)

 仮にもこの街は国の首都、酒飲みや浮浪者の一人や二人、夜道を歩けばすれ違わないわけはない。だが、今日に限ってはまるで図ったかのように、人の気配がまるで皆無だった。

この街に住みなれたラットからすれば、それはどこか違和感があるように思える。

(都合がよかったことは確かだけど、俺ってこんなに“ツイて”いたっけかな?)

 身の丈に合わない“幸運”に、ラットは唸りを挙げ、少しだけ困惑した。

(……あ、ダメだ。目がしぱしぱする)

 しかし、そんな疑問も襲い来る睡魔の前にかき消されてしまった。

半ば気を失うかのように、ラット視界は暗転する。


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