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第3話:母を訪ねて何千里?







 その夜、私は夢を見をみた。

 そこは、見慣れた自分の家だ。見慣れたリビング、見慣れたソファ、見慣れたテレビ。

 何も変わっていない。

 なのになぜか居心地の悪い、ゲシュタルト崩壊を引き起こしたような感覚。

 空気が違う。


「………お母さん?」


 誰もいない、返事はない。

 とても静かだ。


 思い返せばいつもなら、冷蔵庫の音とか、時計の音、あとテレビの音とか、そういった生活の音であふれていたような。

 静かだ。

 誰もいない。

 何も聞こえない。

 私はリビングを歩いた。

 すると、どこからか声が聞こえた。


「………あの子、ちゃんと食べてたかな」


 お母さんの声。


「食べてたよ」


 お父さんの声。


「そう……」


 少し間があった。


「………もっと。ちゃんとしてあげればよかったかな」

「十分やってただろ」

「でも………」


 そこで、声は途切れた。

 私は立ち止まる。

「お母さん?」


 私は声の聞こえる方へ歩く。

 暗い部屋の向こうに、両親の影が見えた。

 二人並んでイスに座っている。

 俯く母の隣に、何も言わずに父が座っている。

 

「……私、何も困ってなかったよ」


 そう言おうとするが、喉の奥から声が消えた。


「欲しいって言ったものは買ってあげてたし、行きたいと言ったところにも連れて行ったわ。」

 お母さんは続ける。

「学校だってちゃんと行かせて……」

 お母さんの声が震える……。


「なのに、どうして……」


 私はゆっくり両親に近寄る。


「ここにいるよ」


 手を伸ばすが、触れられない。いつもみたいに、その指先は母の肩をすり抜ける。


「私のせいだわ……きっと」

「そんなこと」

「いいえ」


 お母さんの声が、次第に低くなっていく。


「正直、イライラすることもあったの」

「……」


 私は動きを止めた。


「何をしてあげても当たり前みたいな顔をしてて」

「蕾はまだ子供だろ」

「わかってる……でも、私だって言うほど大人じゃないの」


 お母さんは自虐的に笑った。

 泣いているのか、笑っているのかわからない顔。


「早く自立してほしいって…家から出て行ってくれたらこっちも楽なのにって……何度も思ってた」

 私は何も言えなかった。

 父が静かに口を開く。


「俺だってそれくらいあるよ」

「貴方も?」

「そりゃあるだろ」

「……そう」

「親だからって、いつも子供を好きでいられるわけじゃない」

 お父さんも、少しだけ俯いた。


「それって、愛が足りないってことだったのか?」

「わからないわよ」


 母はため息をつく。

「でも、あれだけ頑張って育てて、人生をつぎ込んだのに、全部無駄骨だって思ってる。……大切な娘だったはずなのに、後悔しているのよ。……ふざけんなって、時間返せって」

「………」


 視界がぼやける。

 私は泣いているのだろうか。

 わからない。

 でも、涙は落ちなかった。


 そう思ったところで―――。

 目が醒める。

 ビジネスホテルの天井。

 窓のそとがかすかに朝日で黄色くなっている。


「………夢?」


 私はぼんやり独り言を呟く。

 優しい両親の夢。

 でも、ちょっと赤の他人みたいな。

 生きてた頃の、私の知っている両親よりも、ずっと普通の人間みたいな。

「………なんだ」

 私は小さく笑った。


「ちゃんと、普通の人間だったんだ」


 そういった瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。




*




 カーテンの隙間から差し込む日差しが、次第に大きくなり、部屋の床を細長く照らしていた。

 私はベッドの横に立って、まだ寝ている葦切くんを見下ろす。


 昨日はスクーターに乗せてもらって、コンビニに寄って、ホテルに泊まった。

 そして、幽霊も眠ることはわかったが、私は既に目を覚ましている。

 つまり。


 暇だった。


「……葦切くん」

 返事はない。

「葦切くーんっ」

 ない。

「朝ですよー」

 寝息だけが聞こえる。

 私はしばらく考えると、ベッドの上に乗った。

 そしてそのまま、葦切くんに跨る。

「起きて」

「…………」

「おーい」

 軽く肩を揺する。

 起きない。

 仕方がないので、顔を覗き込む。

 寝ていると、こいつは意外と普通の顔をしている。

 起きている時はなんというか、ずっと機嫌が悪そうなのに。

「よく寝てるなぁ」

 そうつぶやきながら、葦切くんの首元に目をやる。

「ん?」

 Tシャツの襟から、細いチェーンが覗いている。

 その先には、小さな指輪。

 宝石が付いていた。

 朝の光を受けて、ほんの少しだけきらりと光る。

「………綺麗」

 思わず手を伸ばす。

 指先は、触れる直前で止まった。

 幽霊だから、触れられない。

 それでもじっと見ていた。

 なんだろう、高そう。

 それに、すごく大切なもののように見える。


「これなに?」

 

 当然、返事はない。

「………まぁ、寝てるしね」

 指輪を眺めながら、しばらく考える。


 そのとき。


「ちけーよ」


「わっ」


 葦切くんが目を開ける。

 ばっちりと目が合う。


「おはよう」

「……」

「およはよう」

「近い」

「そう?」


 葦切くんは顔を横に向けた。

 私はまだ彼の上に跨っている。


「ごめん」


 といいながら、どく気はない。

「起きないから」

「起こし方おかしいだろ」

「でも起きた」

「……」


 葦切くんはしばらく天井を眺めた後、ため息をついた。


「よくねむれた?」

「………お前は寝てたのかよ」

「寝てたよ」

「ほんとかよ、幽霊なのに?」

「うん」

「ふーん」


 葦切くんは起き上がる。

 私はそのままベッドの端に移動した。


「今日はどうするの?」

「とりあえず朝飯」

「朝ごはん?」

「腹減ったしな」

「幽霊はお腹減らないんだよね」

「そうかよ」

「でも食べてるのを見るのは好き」

「趣味悪いな」

「葦切くん美味しそうに食べるよね」


 葦切くんは返事をしなかった。

 着替えて財布をポケットに入れて、部屋を出る。

 私もついていく。

 エレベーターで一階にあるレストランに向かう。

 静かだが、朝の時間帯でも結構な人数がいた。

 スーツ姿の人や家族連れ、旅行客。

 その中を葦切くんは歩いていく。

 私は後ろを歩く。

「ねぇ」

「………」

「その指輪何?」

「………」

「綺麗だね」

「………」

「宝石ついてる」

「………」

「高い?」

「………」

 無視された。

 昨日言われたことを思い出す。


 ”人が居るところで話しかけるな。”


 なるほど。

 返事はできないらしい。


 葦切くんはこちらをみない。

 朝食のプレートを受け取って、席につく。

 焼いたパン。スクランブルエッグ。ソーセージ。ポテトサラダ。それからコーヒー。

 私は向かいの席に座る。

 体重は椅子にかからないが、その状態を保つことはできる。


 葦切くんはもくもくと食べ始める。


「おいしそう」

「………」

「味気になる。私も食べたい」

「………」

「でも食べられない。昨日の水も飲めなかったし……」

「………」

 無視。

 徹底している。

 私は頬杖をついて、葦切くんの朝食を眺める。

 卵を食べる。パンを食べる。ソーセージを食べる。パンを食べる。それを繰り返していた。

「もしかしておかずがないとご飯食べられないタイプ?」

「………」

「ホテルの朝ごはんって、なんか旅行って感じするよね」

「………」

「私、こういうの好きだったんだよね」

「………」

「家族旅行で泊まったホテルの朝食って、だいたいバイキングだったから、いろんなメニューあっていっぱい食べちゃうんだよね」

「………」

 葦切くんの手が、ほんの少しだけ止まった。

 けれど、何も言わない。


「お父さんとか元取って来いっていうんだ」

「………」

「ホテルの朝ごはんって元取るって何(笑)」

「………」

「私、朝はパン派だったな」

「………」

「葦切くんは?」

「………」

「ご飯派?」

「………」

「バイキングでご飯もあったけど、パンにしたってことはパン派?それとも、今日の気分?」

「………」

「聞いてないね」


 それでも喋る。

 なぜだろう。喋っていると、すこしだけ楽しい。

 昨日は、誰に話しかけても返事は帰ってこない。

 それは葦切くんも同じだ。

 こっちをみないし、無反応。

 でも、葦切くんは私を無視しているだけで、ちゃんと私がいることを知ってくれてる。

 それが、なんとなくうれしい。


「ねぇ、葦切くん」

「………」

「今日、どこ行くの」


 葦切くんはコーヒーを一口飲んだ。

「………」

「お母さんを探すんでしょ?」

 今度は、ほんの少しだけ視線が動いた。

 でも、やっぱり答えない。

「ねぇ」

 私は笑う。

「旅って、どこまで行くの?」

 返事はない。

 それでも私はしゃべり続ける。

 どうせ暇なのだ。

 そして葦切くんは、どうせ聞こえている。

「私、山に行きたい」

「………」

「海もいいな。いっつも見てたけど、今見ると印象違いそう。」

「………」

「温泉とかも入れるかな」

「幽霊でも?」

 初めて、葦切くんの口が開いた。

「え?」

「だから、幽霊でも温泉入れるのかって」

「入れないかも」

「だろ」

「でも見たい」

「見るだけ?」

「うん」

「変な奴」

「葦切くんだって」

「………」


 葦切くんは、一度だけ、胸元に手をやる。

 チェーンの先。

 小さな指輪。

 透明な宝石が、朝の光を反射している。

 見とれる私の目を葦切くんはのぞく。


「これ?」

「うん、綺麗」

「………母親の」

「お母さんの?」

「あぁ」

 葦切くんは、指輪をシャツの中に戻す。

「昔、母親がつけてたやつ」

「へぇ」

「俺がもってたわけじゃない。ばあちゃんが預かってた」

「なんで?」

「金になるから」


「え?」

「生活費の足しにしろって……母親が置いていったらしい。」

 私は少し黙った。

「お母さんが?」

「じゃあ、大切なものじゃないの?」

「さあな」

 葦切くんは、パンをかじる。


「なのに置いていったんだ」

「だから、金になると思ったんだろ?」

「………そっか」


 葦切くんはコーヒーを飲んだ。

 そのまま話を終えるのかと思った。

 けれど、珍しく、葦切くんのほうから続きを話した。


「母親な、昔は都会に出たかったらしい。」

「都会?」

「夢があったんだと」

「なんの夢?」

「知らね。そこまでは聞いてない」

 葦切くんは窓のそとを見る。

 私もつられて、窓の向こうの朝の街を眺める。


「でも一人娘だったから、家名を残したがってたばあちゃんとかなりもめたらしい」

「家?」

「あぁ、昔からある家なんだと」

「それで、お母さんは都会に行けなかった?」

「一回は出ていったらしいけどな」

「けど?」

「夢がかなわなくて、結局帰ってきた」


 葦切くんの声には、妙なほど感情がなかった。

「で、帰ってきたら、今度はお見合い」

「……お見合い?」

「あぁ」

「それでお父さんと?」

「婿養子で迎えたらしい。でその二人の子供が俺」

「梅行」

「そ、俺」

 葦切くんは卵を食べた。


「でも、夫婦は上手くいかなかった。」

「………」

「まぁ、当然だろ」

「そうなの?」

「夢も諦めさせられて、知らない男と結婚させられて、家に縛り付けられて」

「………」

「子供までつくらされてよ」

 葦切くんは自嘲するように笑った。


「俺がいたから余計に逃げられなかったのかもしれないけどな」

「……それで?」

「母親は、別の男と恋をした」


 私は、何も言わずに聞いた。


「それで、家を出た」

「葦切くんを置いて?」

「あぁ」

「………」

「その代わり、俺の親権をばあちゃんにうつした」

「どうして?」

「母親が別の男に嫁ぐ代わりに、俺をばあちゃんに渡す。そうすれば家を存続できる。」

「………そんなの」

 私は言葉を探した。

「家族なのに」

「家族だからだろ」

「え?」

「家族だから、家を残すために家族を使うんだよ」


 葦切くんは淡々と言った。


「母親も、ばあちゃんも」

 そして少しだけ笑った。

「俺も」

「葦切くんも?」

「家を残すため、俺がいればいい。その目的の為の利害で全員動いた。」

「………」

「それで、俺の父親も自分の家に帰って別の家族作って、母親も再婚して、俺はばあちゃんとふり暮らしだった。でも、それなりに普通に生きてきた」

「それなり」

「………なんだよ」

「いや」


 私は少しほほ笑む。


「昨日から気になってたから」

「何が」

「葦切くんって、不幸なのかなって」

「………」

「だって、お母さんいなくなっちゃったたんでしょ」

「それだけで不幸って決めつけんなよ」

「そうだけど」

「俺だって飯食って、寝て、学校行って………まぁあんま行ってないけど」

「不良なんだ」

「うるせぇ」


 葦切くんはコーヒーを飲みほした。


「でも最近ばあちゃんから聞いたんだが、再婚相手はだいぶ前に死んだらしい。あのババァ、俺にそれをずっと隠してやがった…」

 葦切くんはポケットから、折りたたまれた紙を取り出した。

 ちょっと色褪せたはがきだった。


「相手が死んで、母親は今、一人で暮らしてるらしい」

「……」

「だから会いに行く」

「この指輪を返すため?」

「あぁ」

 葦切くんは、首元のチェーンを指ではじいた。

 ちいさな指輪が揺れる。

「もし母親が別の男つくってたり、幸せに暮らしてんなら、別に会わなくてもいい。」

「え?」

「わざわざ会いに行く必要ないだろ」

「………」

「幸せなら、それでいい」

 その言葉だけ聞けば、優しい息子みたいだった。

 でも。


「一人で苦しい生活をしてたら?」

「その時はこれを突き返す」

「………」

「生活の足しにしろってな」

 葦切くんは笑った。

 今までみたことない、すこし意地の悪い笑い方だった。

「で、言ってやる」

「なんて?」

「俺は幸せだって」

「………」

「お前がいなくても、俺はちゃんと幸せに生きてるって」

 指輪を握る。


「ざまぁみろって笑ってやる」

「………復讐?」

「ああ」

「……変なの」

「何が」

「会いたいんじゃないの?」

 葦切くんの手がとまる。

「……は?」

「だって、会いたくなかったら、わざわざ指輪もって探しに行かないでしょ」

「違う」

「じゃあ何で?」

「魚の小骨みたいなもんだよ。ひっかかってうっとうしいだろ。別にこんな指輪いらねーし」

「ふーん」

「………なんだよ、その顔」

「別に?」

 私は葦切くん首元の指輪を見る。

 また、小さく光る。


「綺麗だね、それ」

「……そうか?」

「ん」

「じゃあ、持って帰れば?」

「幽霊だから持てないよ」

「あぁ、そうだったな」

「それに」

 私は少しだけ笑う。

「それは葦切くんのお母さんのだから」

「……」

「返しに行くんでしょ?」

「……ああ」

 葦切くんは立ち上がった。

「行くぞ」

「まだ朝ご飯食べたばっかりだよ」

「だから出発するんだろ」

「せっかち」

「お前がついてくっていったんじゃねーか。まだまだ先は長いからな」

「うん」

 私は立ち上がる。

 そして、葦切くんの後ろをついていく。

 でも、忘れ物を思い出したみたいに立ち止まる。

「?」


「終わったら、今度はお前の旅につきあってやるよ」

「え?」

「いろいろ行ってみたいんだろ?」

「……うん!」


 彼の首元で指輪が揺れていた。

 母を訪ねて何千里?

 その一歩後ろに、私は続いた。





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