第1話:死出の旅
私の人生を例えるならば、それは生涯ケーキだけを食べ続けた人生だった。
不自由なんて何もなかった。
優しい両親に育てられ、友達もいた。成績だって、そこまで悪くはなく、まぁ普通。運動も普通。顔もそこそこ( ここ重要 )可愛いらしい。少なくとも、鏡を見て「うわ、最悪!」とか思ったことない。
ほしいものがあれば、誕生日に買ってもらえた。
行きたいところがあれば、連れて行ってもらえた。
学校で嫌なことがあっても、次の日にはだいたい忘れてた。
大きな病気をしたことがない。大怪我をしたこともない。
人生を変えてしまうような失恋も、世界がひっくり返るような裏切りも、経験したことがない。
ちゃんと舗装された道路を、交通ルールをしっかり守って安全運転する車のような。
信号が赤なら止まる、青なら進む。
目的地は決まっているようで、実際にはだれも教えてくれない。
私は後部座席で窓の外を眺めていて、それは人生経験というにはあまりにもぼんやりとした景色。
安全で、快適で、退屈だった。
結論を言ってしまえば、幸せだったということだ。
ここまで平穏に暮らしておいて、何を不幸だったと言えようか。
幸せだった。それは間違いない。
だから思い残すことなんてないはずだ。
悲しくないし、苦しくないし、怖くもない。
だってせっかくの夏休みだったっていうのに、ひとつも思い浮かばないってそういうことだよね。
………でも
あえていうならば、幸せすぎて不幸だった………なんて、
死んでから考えるようになった。
――――そう、死んだ。
未練なんてないはずだった。
でも、死んだ後もここにいた。
とりあえず、心に残る微かな予感に従うことにした。
旅にでよう。
誰かに言ったら怒られそうな、私の不満。
享年16歳の夏、ケーキみたいに甘くない、人生の苦味を求めて。
*
「あつ~」
「暑いですよね~」
「…………」
「………だめか」
私の姿と声は、普通の人には見えないし聞こえないらしい。何度人に話しかけても、無視されるだけだった。
そんな調子で始まった地元探索。
アスファルトは白く照らされて、道路の向こう側が陽炎で歪む。日差しがこんなに強いのに暑さはまったく感じない。でも熱そうに歩く人たちを見るのとこっちも熱くなりそうなので、海沿いの道路を歩くことにした。
病院には行っていない。私の死体をみて悲しむ両親や友達を見物する趣味はない。
波の音に混じって風鈴の音も聞こえてきた。浜辺で遊ぶ親子もいる。
世界の全部が、ちゃんと夏だ。
でも、私は汗もかかないし、喉も乾かない。
これって結構便利かも。
そんなことを考えながら歩いていると、バス停が見えてくる。日陰を作っている自動販売機があった。
買うつもりはない、そもそもお金もってないし。けど、私は並んだ飲み物たちを吟味する。
「季節限定……」
私はボタンのひとつに指を伸ばした。
指先が、機械の中へすっと入っていく。
やっぱり。
「………本当に幽霊になっちゃったんだ」
自分で言ってて恥ずかしさがあるくらい、現実感が無い。
そのまましばらく、自動販売機を眺めていた。
「買わないの?」
「………」
私は振り返った。
知らない男の子。年は私と同じくらい。髪は少し伸びていて、Tシャツは汗ですこし首元が濡れてる。
後ろにはスクーターが停まっていた。
「さっきからずっと見てるけど」
「………見てたの?」
「見てた」
「どのくらい?」
「3分くらい」
「そんなに?」
「そんなに」
男の子は私の側から自動販売機に硬貨を入れた。
ガコン。
冷たいペットボトルが落ちる。
彼は結露で水滴のついたペットボトルを取り出して、キャップをひねると、心地いいほど喉をならして飲料水を飲む。
「……おいしい?」
「普通」
「…普通なんだ」
「まぁ、ただの水だし」
「そっか」
私はもう一度、自動販売機を見る。
なんでだろう、喉は乾いてないのに、すごくおいしそうに水を飲む姿を見た所為なのか、飲んでみたいと思える。
ただの水なんていくらでも飲んできたはずなのに。
男の子はこちらをチラリとみる。
「お前は飲まないの?」
「……買えない」
「金ないの?」
「ない」
「ウケる」
私は思わずむっとする。
「笑うところじゃないでしょ」
「そう?」
男の子は財布から小銭を取り出し、もう一度自動販売機に入れた。
ちゃり、ちゃり、と一枚ずつ入れていく。
「もう一本飲むの?」
「いや?」
男の子は私がさっきから眺めていたボタンを押した。
―――ガコン。
冷たいペットボトルを、取り出し口から拾い上げ、私に差し出す。
「ほら」
「………」
目の前に差し出された飲料水を見つめる。
透明なボトルの表面を流れる水滴。
冷たそうだ。
「………ありがとう」
私は手を伸ばすが、指先はペットボトルからすり抜けた。
つかめない。
「………飲めない」
「何で?」
「死んでるから」
「………」
男の子が私を見る。
私も男の子を見る。
数秒の沈黙。
蝉の鳴き声が、やたらとうるさい。
それから、ぽつりと。
「ホラーじゃん」
「ね」
私は頷いた。
自分でもそう思う。
死んだことよりも、こうして自分の手がモノをすり抜けることの方が、いまさらながら現実味があった。
男の子は、買ったばかりの水を鞄にしまった。そして何事もなかったかのように、バス停に停めていたスクーターへ向かう。
ヘルメットを手に取る。
エンジンがかかる。
低い振動が足元から伝わってくる。
私はその後ろに回った。
男の子が跨るより先に、座席へ腰を下ろす。
「………」
なんとなくだった。
男の子が振り返る。
「何してんの?」
「え?」
「何で乗ってんの?」
「県外ナンバー」
「は?」
私はスクーターのナンバープレートを指さす。
「旅してるの?」
「誰が?」
「アナタが」
「……………そうだけど」
「私も同じ……今日から出発だけど」
男の子はしばらく私の顔を見た。
「お前幽霊なんだろ」
「うん」
「幽霊がスクーターに乗ってどうすんの?」
「楽しそうだから」
「………」
「だめ?」
「いや、ダメっていうか…」
男の子は困った様子でため息をつく。
「そもそも、俺はお前を乗せるなんて一言も言ってない」
「でも、私を見つけた」
「たまたまだろ」
「水も買ってくれた」
「それは……」
男の子が言葉に詰まる。
「だから、イイ人なんでしょ?」
「関係ないだろ」
「関係あるよ」
「ない」
「ある」
「ない!」
「ある!」
「………面倒くせぇな、お前」
「よく言われる」
男の子は頭をかいた。
そして、諦めたようにスクーターに跨る。
「家出とかでも責任とらねぇからな」
「幽霊だから大丈夫」
「……それが一番信用できねぇんだよ」
エンジンが唸る。
なぜか、スクーターはちゃんと私を運んでくれた。
私は後ろから、彼の肩越しに夏の道路を見る。
海が光っている。
蝉が鳴いている。
暑い日差しも、風も何も私は感じない。
それでも。
少しだけ胸が躍った。
「ねぇ!」
「あ?」
「アナタ名前は?」
「……」
「名前!なんていうの?」
「先に名乗るのが普通だろ」
「私は幽霊!」
「それ名前じゃないじゃん」
「あれ?」
「ははっ」
男の子は呆れたように笑った。
「葦切、葦切梅行」
「葦切くん?」
「あぁ」
「へんな名前」
「じゃあお前はなんて名前なんだよ」
「蕾、春夏秋冬蕾」
「ひととせって、どんな字?」
「春夏秋冬」
「ウケる。おまえのが変じゃん」
「そうかも」
葦切くんは苦笑した。
スクーターはゆっくりと走る。
私たちはまだ、お互いの事を何も知らない。
なのに不思議だ。
私が生きてたら、多分こんなことしなかった。
ただ、夏休みの午後、天から降ってきた糸見たいに現れた男の子。
それにつかまって、身をひるがえすことにした。
だって私は幽霊だから。
この先なにが起ころうとも、それが求めた苦味かもしれないから。
享年16歳。幸せな人生に幕を下ろした私の、死出の旅は、こうして始まった。




