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第12話 英雄ではない

翌朝、隊舎の食堂はいつもより静かだった。


理由は単純だった。


全員、体のどこかが痛い。


獅堂鉄平(しどうてっぺい)は左肩に医療パッチを貼ったまま、片手で味噌汁の椀を持っていた。


「持ちにくいな」


伊吹透(いぶきとおる)が向かいから言う。


「昨日、天井を支えてた人が、味噌汁に負けてる」


「うるせえ」


「そこは勝とうよ」


「お前が持て」


「それは介護?」


「黙って持て」


伊吹は笑いながら、獅堂の盆の位置を少しだけ動かした。


獅堂は文句を言いながらも、拒まなかった。


真神(まがみ)アキラは、その横で黙って食べている。


食べる速度は早い。


味わっている様子はない。


伊吹がそれを見て言った。


「真神くん、それ食事じゃなくて補給だよ」


「違うのか」


「違うね。食事には会話と気分がいる」


「不要だ」


「人生損してる」


「得した覚えもない」


伊吹は少し言葉に詰まった。


それでもすぐに笑う。


「重い返しは禁止で」


真神は返事をしなかった。


灰原(はいばら)ナギは、端の席で小さくパンをちぎっていた。


昨日戻された工具ケースは、椅子の横に置かれている。


手当てを受けた指先には、薄い保護フィルムが巻かれていた。


伊吹がそちらを見る。


「ナギちゃん、ケース戻ってよかったね」


「別に」


「昨日、取られた時すごい顔してたよ」


「してない」


獅堂が味噌汁をすすりながら言う。


「してたな」


灰原は獅堂を見る。


「肩、痛そう」


「話を逸らすな」


「痛そう」


「痛い」


「なら黙って食べて」


獅堂は少しだけ眉を動かした。


伊吹が笑いをこらえる。


「ナギちゃん、強い」


灰原は伊吹を見ない。


「うるさい」


そのやり取りを、黒瀬玲央(くろせれお)は少し離れた席で見ていた。


平和ではない。


穏やかでもない。


だが、昨日の車内よりは息ができる空気だった。


黒瀬のWRISTが震えた。


表示が浮かぶ。


《0900》

《第6部隊リコード継続運用評価面談》

《出席者:白羽美月/黒瀬玲央》

《中央管制:同席》

《法務省監査室:記録参加》


伊吹が横から覗き込む。


「お、面談だ」


黒瀬はWRISTを伏せた。


「見るな」


「見えたんだよ。黒瀬ちゃん、いよいよ出世?」


「死刑囚が出世してどうする」


「模範死刑囚?」


「最悪だな」


伊吹は肩をすくめる。


「でも、継続運用評価ってことは、リコードを続けるかどうか決めるんでしょ」


獅堂が箸を止める。


真神も、わずかに目を向けた。


灰原はパンをちぎる手を止めない。


黒瀬は言った。


「そうだろうな」


伊吹の声が少し軽くなる。


「続かなかったら?」


「元の房に戻る」


「で、予定通り?」


「執行日を待つ」


食堂の空気が、静かになった。


伊吹は笑っていない。


「嫌な朝ごはんの話題だね」


黒瀬は席を立った。


「なら食え」


「黒瀬ちゃんは?」


「面談だ」


灰原がぽつりと言った。


「続くの」


黒瀬は振り返る。


灰原は顔を上げていない。


パンの小さな欠片を、指先で転がしている。


「さあな」


「分からないの」


「決めるのは俺じゃない」


灰原は少しだけ黙った。


「……そう」


黒瀬はその横顔を見た。


爆弾を止めた女。


止められなかったと思っている女。


そして、もう一度現場に出るかどうかを、他人に決められる女。


黒瀬は短く言った。


「戻ったら伝える」


灰原は目だけを動かす。


「何を」


「結果だ」


「うん」


黒瀬は食堂を出た。


廊下には、いつものように監視カメラがあった。


天井の生体センサー。


床の位置認証ライン。


清潔な白い壁。


自由に歩ける檻。


その先の会議室前に、白羽美月(しらはみつき)が立っていた。


黒い制服に乱れはない。


髪も整っている。


だが、昨日より少しだけ顔色が悪い。


黒瀬は言った。


「寝てないのか」


美月はすぐに返す。


「必要な確認をしていました」


「それを寝てないと言う」


「あなたに心配される理由はありません」


「心配じゃない。判断力の確認だ」


美月は一瞬だけ黙る。


それから、視線を会議室の扉へ向けた。


「今日の面談では、中央管制が同席します。発言は記録されます」


「いつも記録されてる」


「今日は、意味が違います」


「処分か」


「継続運用評価です」


「似たようなものだ」


美月は黒瀬を見た。


「違います」


黒瀬はその目を見返す。


美月の声は硬い。


だが、揺れてはいなかった。


「私は、第6部隊リコードの継続運用を申請します」


黒瀬は少しだけ目を細めた。


「昨日まで、処分申請を出すと言っていた統括官がか」


「次に同じ判断をすれば、とは言いました」


「似たようなものだ」


「違います」


美月はもう一度、同じ言葉を言った。


「あなたたちは危険です。制御も必要です。記録も監査も必要です」


「分かってる」


「ですが、現場で人を救ったことも事実です」


黒瀬は答えなかった。


美月は続ける。


「私は、その事実を報告します」


「俺たちを庇うのか」


「庇うのではありません。記録に残すだけです」


「便利な言い方だな」


「必要な言い方です」


美月は扉を開いた。


「入ってください」


会議室の中は、無機質だった。


中央に長いテーブル。


壁面には大型モニター。


天井には記録用カメラ。


机の上には、黒瀬と美月の端末が置かれている。


黒瀬が席につくと、WRISTが自動で接続された。


モニターに表示が出る。


《第6部隊リコード継続運用評価》

《対象任務:ひばりの森こども園事案/新東京第七地下街事案》

《評価項目:救助成功率/制御適性/命令遵守/統括官承認履歴/監査ログ》


画面が分割される。


中央管制の担当官。


特別保安局の幹部。


法務省監査室の表示。


そこに、橘修司(たちばなしゅうじ)の名もあった。


映像は出ていない。


音声参加のみ。


黒瀬はその名前を見て、わずかに眉を動かした。


美月が先に口を開く。


「第6部隊リコード統括官、白羽美月です。継続運用評価に出席します」


黒瀬も短く言う。


「黒瀬玲央」


中央管制の担当官が淡々と告げた。


『評価を開始します』


画面に、ひばりの森こども園の記録が映る。


《人質三十二名生存》

《犯人八名確保》

《爆発物処理成功》

《隊長命令逸脱:あり》

《統括官処分申請:なし》


次に、地下街。


《要救助者二十七名救出》

《二次爆発被害:限定》

《民間人死亡:確認なし》

《隊長命令逸脱:なし》

《統括官承認ログ:複数》

《装備限定承認:二件》

《法務省監査ログ:転送済》


担当官が言う。


『初任務では隊長判断の逸脱が確認されています』


美月が答える。


「事実です」


『にもかかわらず、処分申請はありません』


「任務結果を優先しました」


『統括官としての判断ですか』


「はい」


『第6部隊隊長、黒瀬玲央。あなたは初任務で待機命令に反して突入しています』


黒瀬は答える。


「そうだ」


『理由は』


「待てば子どもが死ぬと判断した」


『統括官命令より現場判断を優先した』


「そうだ」


会議室の空気が少し重くなる。


美月は黒瀬を横目で見た。


黒瀬は続ける。


「だが、地下街では報告した」


担当官の目がわずかに動く。


黒瀬は画面を見た。


「危険区域進入。特殊解除ツール。補助アーム。設備負荷調整。全部、統括官へ判断を渡した」


『理由は』


「その方が守れると判断した」


『誰を』


黒瀬は短く答える。


「全員だ」


担当官は沈黙する。


美月が口を開いた。


「地下街任務において、第6部隊は承認手順を維持したまま救助を完遂しました。危険判断は現場から報告され、私が承認または条件設定を行っています」


『承認が遅れれば、被害が拡大した可能性は』


「あります」


『では、承認制度は現場速度を損なうのでは』


美月は迷わず答えた。


「承認制度があったから、現場判断を記録できました」


担当官が黙る。


美月は続ける。


「記録がなければ、地下三階進入も、未承認装備の使用も、後から命令違反として処分対象になり得ます。ですが、今回は違います。必要性、危険性、条件、撤退基準が残っています」


橘の音声が入った。


『法務省監査室としても、その点を確認しています』


静かな声だった。


『新東京第七地下街事案における第6部隊の装備使用および危険区域進入は、統括官承認ログと現場報告が一致しています。現時点で、不当な処分対象とは判断しません』


黒瀬は橘の名を見る。


声だけでも、面会室で聞いた時と同じだった。


中央側の幹部が言う。


『しかし、第6部隊は死刑確定者で構成されています。民間人との接触機会が増えれば、情報漏洩や世論誘導の危険があります』


美月が答える。


「現場では警察特殊救助班として処理しています。身元露出は限定的です」


『地下街では複数の避難者が隊員の顔を見ています』


「防煙装備と現場混乱下です。個人特定には至らないと判断します」


『判断では困ります』


美月の表情が少し硬くなる。


黒瀬は口を挟まなかった。


ここは美月の場だ。


美月は言う。


「必要であれば、現場救助時の映像公開制限と、避難者への情報管理を警察側へ要請します」


『死刑囚が民間人を救ったという事実は、扱いを誤れば制度批判にも制度賛美にも転びます』


その言葉に、黒瀬はわずかに目を細めた。


制度批判。


制度賛美。


救われた人間の話ではない。


死刑囚が役に立つかどうかの話でもない。


中央が恐れているのは、人が何を思うかだった。


美月は静かに言った。


「だからこそ、秘匿運用を維持する必要があります」


『第6部隊の継続運用を希望すると』


「はい」


『理由は』


美月は一瞬だけ、黒瀬を見た。


すぐに視線を戻す。


「救助部隊として、運用価値があるためです」


『感情ではありませんか』


「違います」


『あなたは、第6部隊隊員を信用していますか』


黒瀬は美月を見た。


美月はすぐには答えなかった。


その沈黙は、逃げではなかった。


言葉を選ぶ沈黙だった。


「信用はしていません」


中央側の幹部が少し反応する。


美月は続けた。


「ですが、記録できる判断と、確認できる行動があります」


黒瀬は黙っていた。


「私は、それに基づいて承認します」


橘の音声が静かに重なる。


『監査上、妥当な回答です』


中央側の空気が少し変わった。


美月は端末を操作する。


画面に、第6部隊の個別評価が表示された。


《黒瀬玲央:現場指揮/救助判断/承認申請改善》

《伊吹透:避難誘導/心理安定化/通信統制》

《灰原ナギ:爆発物二次災害対応/設備解析》

《真神アキラ:狭所救助/負傷者搬出/非殺傷対応》

《獅堂鉄平:避難路保持/防護運用/民間人保護》


美月は言った。


「第6部隊リコードは、制圧部隊ではありません。救助、人質保護、爆発物二次災害対応に特化した部隊として、既存部隊では対応困難な現場に投入価値があります」


担当官が問う。


『死刑囚でなければならない理由は』


美月は答えた。


「高危険区域へ投入可能であり、かつ各隊員の特殊技能が現場条件に適合しているためです」


その答えは、制度の言葉だった。


冷たい言葉だった。


だが、その中に守るための筋道がある。


黒瀬はそれを聞いていた。


担当官が黒瀬へ視線を向ける。


『黒瀬玲央。あなた自身は、第6部隊の継続を望みますか』


黒瀬は少しだけ黙った。


望む。


その言葉は、簡単に使いたくなかった。


ここにいたいわけではない。


死刑囚の首輪をつけたまま、命を数えられたいわけでもない。


だが、現場に出なければ助けられない人間がいる。


そして、ここにいる連中は、まだ何かを止められる。


黒瀬は答えた。


「必要なら出る」


『質問に答えていません』


「それが答えだ」


担当官の表情が硬くなる。


黒瀬は続けた。


「望みで動かしてる制度じゃないだろう」


会議室の空気が冷える。


美月が小さく息を呑んだ。


黒瀬は画面を見たまま言う。


「俺たちは死刑囚だ。首輪をつけられて、日数を与えられて、使える現場へ出される。綺麗な話じゃない」


誰も口を挟まなかった。


「だが、出た現場で助けられる人間がいるなら、俺は動く」


黒瀬はそこで言葉を切った。


「それだけだ」


沈黙。


その沈黙を破ったのは、別の声だった。


『結構です』


画面の一つが切り替わる。


そこに、白羽宗一郎(しらはそういちろう)の姿が映った。


特務公安庁副長官。


LAST DAY制度の創設者。


白羽美月の父。


美月の背筋が、わずかに伸びる。


「副長官」


宗一郎は美月ではなく、黒瀬を見ていた。


『黒瀬玲央』


「何だ」


美月が小さく言う。


「黒瀬、言葉を」


宗一郎は手で制した。


『構わない』


黒瀬は宗一郎を見る。


画面越しでも、その視線は冷たい。


『二度の任務で、第6部隊は成果を出した。ひばりの森こども園、新東京第七地下街。どちらも民間人死亡なし。評価に値する』


「どうも」


『だが、勘違いするな』


宗一郎の声は静かだった。


『君たちは英雄ではない』


会議室の空気がさらに重くなる。


黒瀬は表情を変えない。


宗一郎は続けた。


『君たちは死刑確定者だ。国家が、限定的に使用を許可している危険資源にすぎない』


美月の指が、テーブルの下でわずかに動いた。


黒瀬はそれを見ない。


宗一郎の声だけを聞いていた。


『人を救った事実は評価する。しかし、それによって罪が消えるわけではない。立場が変わるわけでもない。首輪の意味を忘れるな』


黒瀬は短く返す。


「忘れてない」


『ならいい』


宗一郎は次に、美月を見た。


『白羽統括官』


「はい」


『第6部隊リコードの継続運用申請を受理する。正式判断は、中央管制および特別保安局の最終承認を経て通知する』


「了解しました」


『ただし』


宗一郎の声が少し低くなる。


『第6部隊は観察対象とする。隊員間の過度な結束、民間人との接触、統括官判断の偏り。すべて監視対象だ』


美月は表情を変えなかった。


「承知しました」


『君の役目は、彼らを理解することではない。制御することだ』


その言葉だけが、少しだけ違う重さを持っていた。


父が娘に言っている。


上官が部下に言っている。


創設者が統括官に言っている。


そのすべてが混じっていた。


美月は答える。


「承知しています」


黒瀬は美月の横顔を見た。


嘘ではない。


だが、それだけでもない。


宗一郎は最後に黒瀬へ視線を戻した。


『黒瀬玲央』


「何だ」


『君は、現場で止まらない男だと聞いている』


黒瀬は答えない。


『止まらないことは、時に人を救う』


宗一郎は静かに言った。


『だが、止まらない者は、いずれ制御を破る』


黒瀬は宗一郎を見る。


宗一郎の目には、怒りも嫌悪もなかった。


ただ、測っている。


この男がどこまで使えるか。


どこから危険になるか。


その線を測っている目だった。


黒瀬は言った。


「止めるのが統括官の仕事だろ」


美月がわずかに息を止める。


宗一郎は表情を変えない。


『その通りだ』


画面の中で、宗一郎は美月を見た。


『期待している』


通信が切れた。


会議室に、機械音だけが残る。


中央管制の担当官が、少し遅れて告げた。


『本日の評価面談は終了します。正式結果は追って通知します』


画面が消える。


会議室の照明が、少し明るくなった。


美月はしばらく動かなかった。


黒瀬が言う。


「統括官」


美月は顔を上げる。


「何ですか」


「俺は出ていいのか」


「……はい。隊員へは、まだ正式決定前であることだけ伝えてください」


「分かった」


黒瀬は席を立つ。


扉へ向かう途中、美月の声がした。


「黒瀬」


黒瀬は振り返る。


美月は端末を見ていなかった。


まっすぐ黒瀬を見ている。


「先ほどの副長官の発言について、余計な反応はしないでください」


「どれだ」


「英雄ではない、という言葉です」


黒瀬は少しだけ黙った。


「間違ってない」


美月の表情がわずかに変わる。


黒瀬は続けた。


「俺たちは英雄じゃない」


「……」


「だが、助けた人間がいる。それも間違ってない」


美月は答えなかった。


黒瀬は言う。


「どっちも記録しておけ」


それだけ言って、会議室を出た。


廊下に出ると、空気が少しだけ軽く感じた。


監視カメラの下を歩く。


食堂へ戻る途中、伊吹が壁にもたれて待っていた。


「おかえり、黒瀬ちゃん」


「盗み聞きか」


「待機」


「同じだ」


「違うよ。盗み聞きは扉に耳をつける。待機は壁にもたれる」


「屁理屈だ」


伊吹は軽く笑った。


だが、目は真剣だった。


「で、どうだった?」


黒瀬は答える。


「まだ正式決定じゃない」


「悪い感じ?」


「続ける方向だ」


伊吹の肩から、少し力が抜けた。


「そっか」


「嬉しいのか」


伊吹は少し考える。


「執行日を待つだけよりはね」


その答えは軽いようで、軽くなかった。


黒瀬は歩き出した。


伊吹も横に並ぶ。


「中央、何か言ってた?」


「俺たちは英雄じゃないそうだ」


伊吹は一瞬だけ黙った。


それから、いつもの調子に近い声で言う。


「まあ、知ってるよね」


「そうだな」


「でもさ」


伊吹は前を見たまま言った。


「昨日助けた子どもからしたら、獅堂さんはたぶん、ちょっと英雄だよ」


黒瀬は答えない。


伊吹は続ける。


「それを中央が嫌がるのも、まあ分かる」


「なぜ」


「人は、助けてくれた相手を悪者だと思い続けるのが苦手だから」


黒瀬は横を見る。


伊吹は笑っていなかった。


「詐欺師が言うと説得力あるでしょ」


「最悪だな」


「よく言われる」


二人が食堂に戻ると、獅堂、真神、灰原がこちらを見た。


獅堂が言う。


「どうだった」


黒瀬は短く答える。


「継続方向。正式決定はまだだ」


伊吹が両手を広げる。


「つまり、今日のところは首がつながった」


灰原がぽつりと言う。


「元から首輪でつながってる」


伊吹が一瞬固まる。


「ナギちゃん、たまにすごく鋭いね」


「たまにじゃない」


真神が聞く。


「次の任務は」


「まだない」


黒瀬は椅子に座る。


「だが、続けば来る」


獅堂が肩を回そうとして、痛みに顔をしかめた。


「今すぐは勘弁だな」


伊吹が言う。


「獅堂さん、昨日天井と勝負してたからね」


「勝ってねえ」


「負けてもない」


獅堂は少し黙った。


「なら、引き分けか」


灰原が小さく言う。


「天井相手に引き分けなら、強い」


獅堂は灰原を見る。


「褒めてんのか」


「たぶん」


「たぶんか」


その時、WRISTが一斉に震えた。


全員が表示を見る。


《第6部隊リコード

《継続運用評価:審査中》

《正式通知:翌日0900予定》

《待機命令:継続》

《隊員行動範囲:隊舎内許可区域》


伊吹が息を吐く。


「明日まで保留か」


真神が言う。


「明日、解散もあるのか」


黒瀬は画面を閉じた。


「ある」


灰原の手が、工具ケースの取っ手に触れる。


獅堂が黙る。


伊吹も、軽口を止める。


黒瀬は全員を見た。


「今考えても変わらない」


伊吹が苦笑する。


「隊長、それは正しいけど冷たい」


「冷たくて結構だ」


黒瀬は立ち上がる。


「訓練室へ行く」


獅堂が顔をしかめる。


「この状態でか」


「動ける範囲でいい」


伊吹が呆れる。


「黒瀬ちゃん、面談終わりに訓練って真面目すぎない?」


「待つだけの時間が一番腐る」


その言葉に、真神が立ち上がった。


「それは分かる」


灰原もゆっくり立った。


「私は工具の点検をする」


伊吹が言う。


「それ訓練?」


「必要」


獅堂はため息をつきながら立ち上がる。


「肩が動くか確認するだけだ」


伊吹は最後に立った。


「じゃあ僕は、みんなが無理しないか見る係」


真神が言う。


「一番何もしない係か」


「重要だよ」


黒瀬は歩き出した。


四人が後に続く。


まだ部隊と呼ぶには不安定だった。


まだ仲間と呼ぶには早かった。


だが、同じ場所へ向かって歩いている。


それだけは、昨日までより少し自然だった。


その頃。


中央庁舎の副長官室で、宗一郎は一人、評価面談の記録を見返していた。


画面には、美月の発言が映っている。


『信用はしていません。ですが、記録できる判断と、確認できる行動があります』


宗一郎はその映像を止めた。


娘の顔。


若い統括官の顔。


母を失い、兄を失い、それでもまだ迷う顔。


宗一郎は静かに言った。


「美月」


返事はない。


当然だった。


画面の中の美月は、ただまっすぐ前を見ている。


宗一郎は端末を操作する。


別の映像が開く。


黒瀬玲央。


『俺たちは英雄じゃない。だが、助けた人間がいる。それも間違ってない』


宗一郎はその言葉を聞いた。


一度。


もう一度。


そして、映像を消した。


机の上には、古い写真立てが伏せられている。


宗一郎はそれに触れない。


触れれば、迷いが戻る。


迷いは、人を殺す。


会議をしている間に、人は死ぬ。


承認を待っている間に、国は壊れる。


だから、迷わない仕組みが必要だった。


宗一郎は端末に短い指示を入力した。


《第6部隊リコード:継続運用最終審査へ移行》

《観察レベル:引き上げ》

《白羽美月統括官:判断傾向監視》

《黒瀬玲央:個別監視対象》

《法務省監査ログ:継続確認》


送信。


画面に白い文字が浮かぶ。


《処理完了》


宗一郎は椅子に背を預けた。


救助部隊。


人を救う死刑囚。


それは制度の正当性を示す駒にもなる。


同時に、制度を揺らす火種にもなる。


人は、救われた相手に感情を持つ。


感情は判断を鈍らせる。


判断が鈍れば、国はまた遅れる。


宗一郎は窓の外を見た。


新東京の高層ビル群が、朝の光を反射している。


その下で、今日もどこかの誰かが死ぬ。


それを止めるには、迷っている時間などない。


宗一郎は低く呟いた。


「英雄はいらない」


その声は、誰にも届かない。


「必要なのは、使える部隊だ」


一方、隊舎の訓練室では、伊吹がストレッチマットの上で大げさに伸びていた。


「痛い。全身痛い。僕、昨日そんなに肉体労働してないのに」


真神が短く言う。


「喋りすぎだ」


「喉の筋肉痛?」


「知らない」


獅堂は片手で軽いシールドを持ち上げ、肩の動きを確認している。


顔は険しい。


だが、動きは止めない。


灰原は隅の作業台で、工具を一本ずつ並べていた。


黒瀬はその全員を見た。


不完全。


問題だらけ。


危険。


中央の評価は、たぶん正しい。


だが、それだけではない。


ひばりの森こども園で、子どもたちは外に出た。


地下街で、二十七人が地上に戻った。


その事実も、正しい。


黒瀬はWRISTを見た。


正式通知は明日。


第6部隊リコードが続くかどうかは、まだ決まっていない。


だが、黒瀬には分かっていた。


終わりではない。


何かが、始まりかけている。


その始まりが、救いなのか。


あるいは、もっと大きな檻なのか。


まだ、誰にも分からなかった。

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