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第10話 崩れる道

地下三階の通路が揺れていた。


天井から落ちた粉塵が、赤い非常灯の中を雪のように舞う。


黒瀬玲央(くろせれお)は、灰原(はいばら)ナギの腕を掴んだ。


「走れるな」


「走れるって言った」


「なら遅れるな」


「遅れない」


灰原は工具ケースを抱え直し、黒瀬の横を走った。


背後では、非常用電源盤の赤いランプがまだ点滅している。


温度起爆は止めた。


だが、爆弾本体は残っている。


完全解除ではない。


ただ、今すぐ死ぬ可能性を一つ減らしただけだった。


WRISTの表示が揺れる。


《温度起爆:停止》

《主爆薬:未解除》

《地下二階避難未完了》

《地下三階救助者脱出中》

《構造振動:増大》


黒瀬は通信を開いた。


「真神、六人は」


『階段に向かってる』


通信の向こうで、真神(まがみ)アキラの声が返る。


息は乱れていない。


だが、その背後には咳き込む声と、足を引きずる音が混じっていた。


『負傷者は俺が背負ってる。残り五人は歩ける』


「止まるな」


『止まる理由がない』


「いい」


黒瀬は灰原を見る。


「爆弾は?」


「揺れが続くとまずい」


「起爆するか」


「本体の固定がずれてる。衝撃が入れば、別系統が反応するかもしれない」


「かもしれない、か」


「断言できない方が悪い時もある」


灰原の声は低かった。


恐怖を隠しているのではない。


恐怖を計算に入れている声だった。


上階から、伊吹透(いぶきとおる)の声が通信に入る。


『隊長、地下二階、避難者二十人超えた。消防の誘導路に流してるけど、南側通路が死にかけてる』


「獅堂は」


『前。というか、壁』


黒瀬の眉がわずかに動く。


『文字通り、壁やってる』


通信の向こうで、低い声が聞こえた。


『喋ってる暇があるなら、前を見ろ』


獅堂鉄平(しどうてっぺい)の声だった。


その声に混じって、金属が軋む音がする。


黒瀬は足を止めずに言った。


「獅堂、状況は」


『通路の天井が落ちかけてる。支柱一本、死んだ。消防が補強材を入れるまで、俺が押さえる』


「無理するな」


『無理しねえと通れねえって言っただろ』


黒瀬は短く息を吐いた。


「三階から六人上がる」


『分かってる。道は空ける』


「持つか」


『持たせる』


獅堂の声は重かった。


強がりではない。


決めた男の声だった。


伊吹が通信に割り込む。


『隊長、今から地下二階の避難者を二列にする。子どもと怪我人を内側、歩ける大人を外側。獅堂さんの横を抜ける時だけ、絶対に走らせない』


「できるか」


『できるように言う』


「任せる」


『了解』


伊吹の声が館内放送に切り替わった。


地下街に、落ち着いた声が響く。


『聞こえる人、今から通路を抜けます。走らないでください。走ると、前の人が倒れます。倒れた人を助けようとして、全員が止まります』


その声は、軽くなかった。


『子どもと怪我をしている人は壁側へ。歩ける人は外側へ。前の人の肩だけ見て進んでください。煙を吸わないように、低く。声を出さない。返事もいりません』


泣き声が少しずつ小さくなる。


伊吹は続けた。


『大丈夫。出口はあります。今、開けています』


黒瀬は走りながら、目を細めた。


嘘ではない。


だが、まだ出口が安全とは言い切れない。


それでも、人は言葉で動く。


伊吹は、それを知っている。


地下三階の階段が見えてきた。


その手前で、真神が負傷した作業員を背負い、残りの五人を壁際に寄せていた。


作業員たちは顔を煤で汚し、肩で息をしている。


灰原を見ると、一人が小さく言った。


「爆発……するんですか」


灰原は答えなかった。


黒瀬が代わりに言う。


「今はしない」


「今は……?」


「今のうちに出る」


作業員は震えながらうなずいた。


真神が黒瀬を見る。


「階段、煙が濃い」


「灰原」


灰原は耐熱カメラを向けた。


「上の方が温度低い。通れる。でも長くは無理」


「真神、先頭。負傷者を背負ったまま上がれ」


「問題ない」


「灰原、後ろにつけ。俺が最後」


「うん」


黒瀬は作業員たちを見る。


「手すりを離すな。前の人間の背中を見るな。足元だけ見ろ。上を見れば煙を吸う」


一人が咳き込む。


黒瀬は声を落とした。


「生きて出るぞ」


誰も返事はしなかった。


だが、全員が動いた。


階段を上がる。


一段。

二段。

三段。


煙は上から下りてきている。


防煙マスクのない作業員たちは、服の袖やタオルで口元を押さえていた。


真神は負傷者を背負ったまま、速度を落としすぎず、上げすぎもしない。


速すぎれば後ろが崩れる。


遅すぎれば煙に沈む。


黒瀬は最後尾で、全員の足元を見ていた。


一人が膝をつきかける。


黒瀬が腕を掴んだ。


「止まるな」


「すみませ……」


「謝るな。吸う」


作業員は口を閉じた。


階段の上から、伊吹の声が聞こえる。


『地下三階組が上がってくる。道を空けて。壁側に寄って。押さない。押したら戻すからね』


いつもの軽口に近い。


だが、その声には妙な説得力があった。


地下二階へ上がった瞬間、熱と煙と人の気配が一気に増えた。


避難者たちが、通路の壁沿いに並んでいる。


誰もが怯えている。


泣いている子どもを抱えた母親。

スーツ姿の男。

足を引きずる老人。

制服姿の学生。

飲食店の従業員。


その前方で、獅堂が大型シールドを斜めに構えていた。


ただ敵を防ぐためではない。


崩れかけた天井の一部を、支えるためだった。


シールドの上には、落ちかけた鉄骨と天井材が乗っている。


獅堂の両腕が震えていた。


それでも、膝は折れていない。


「獅堂」


黒瀬が呼ぶ。


獅堂は顔だけを向けた。


「遅い」


「悪いな」


「謝るな。人が増えた」


伊吹が避難者の列を整えながら言う。


「獅堂さんの下を一人ずつ抜ける。止まらない。触らない。写真も撮らない。こんな時に撮る人いないと思うけど、念のため」


「伊吹」


黒瀬が言う。


「余計なことを言うな」


「緊張を落としてるんだよ」


「落としすぎるな」


「了解、隊長」


伊吹はすぐに列へ戻った。


「はい、次。子ども先。お母さん、手を離さない。大丈夫、その大きい人は怖い顔だけど味方です」


獅堂が低く言う。


「余計だ」


子どもが泣きながら、獅堂を見た。


獅堂は何も言わない。


ただ、さらにシールドを押し上げた。


子どもと母親が、その下を抜ける。


次に老人。


次に負傷者。


真神が背負っていた作業員を、消防隊員へ引き渡す。


消防隊員が驚いたように真神を見る。


真神は短く言った。


「まだ息がある。早く運べ」


消防隊員は我に返り、作業員を受け取った。


その時、WRISTが震えた。


《構造振動:急上昇》

《主爆薬:未解除》

《衝撃起爆リスク:上昇》


灰原が顔を上げる。


「まずい」


黒瀬は聞く。


「爆発か」


「今の揺れで本体が動いてる。次に大きい崩落が来たら、反応するかも」


「止められるか」


「ここからは無理」


灰原は悔しそうに言った。


「温度起爆は止めた。でも本体は残ってる」


美月の声が入る。


『黒瀬、地下三階の爆発物状況を再送してください』


黒瀬は答える。


「主爆薬未解除。衝撃起爆リスク上昇。全員の脱出を優先する」


『消防へ退避範囲を拡大させます。残り避難者数は?』


伊吹が答えた。


『地下二階、こっちで確認できてるのはあと七人。地下三階の六人は消防へ接続中』


「七人」


黒瀬は通路を見た。


七人。


数字にすれば小さい。


だが、一人ずつに人生がある。


ここで落とせば、全部終わる。


獅堂の腕が沈んだ。


シールドの上で、鉄骨が嫌な音を立てる。


黒瀬は叫ぶ。


「獅堂!」


「まだだ!」


獅堂の声が響いた。


その一言で、避難者たちの足が止まりかける。


伊吹がすぐに声を飛ばす。


「止まらない! 今止まったら、獅堂さんが無駄に頑張ることになる!」


「おい」


獅堂が低く言う。


伊吹は続ける。


「嫌でしょ? あんな怖い人に借り作るの。だったら進んで!」


避難者たちが、震えながらも動き出す。


黒瀬は伊吹を横目で見た。


伊吹は汗を浮かべながら笑っている。


だが、その目は笑っていなかった。


人は恐怖で止まる。


だから、別の感情で押す。


それが伊吹のやり方だった。


灰原がWRISTを見た。


「排煙、まだ生きてる。でも電源盤の本体がずれてるせいで、負荷が上がってる」


「落ちるか」


「落とさない」


「方法は」


「今の電源系統を切らずに、負荷だけ逃がす」


「できるのか」


灰原は一瞬だけ黙った。


「さっきなら、できなかった」


「今は」


「温度起爆を切ったから、触れる系統が増えた」


黒瀬は灰原を見る。


「やれ」


「ここからだと遠隔だけ」


「十分か」


「十分じゃない。でも、やる」


灰原はWRISTを操作した。


耐熱カメラから取得した配線情報と、消防から送られている設備データを重ねる。


排煙設備。

非常灯。

防火シャッター。

電源盤。

偽装された爆発物。


すべてが、嫌な形で絡んでいる。


灰原は歯を食いしばった。


「本当に性格悪い」


黒瀬は言った。


「文句は後で本人に言え」


「捕まってるんでしょ」


「なら面会申請でも出せ」


灰原は一瞬だけ黒瀬を見た。


こんな状況で何を言っているのか、という目だった。


だが、少しだけ呼吸が戻った。


「……冗談、下手」


「知ってる」


灰原の指が動く。


WRISTに表示が流れる。


《排煙系統:稼働継続》

《非常灯:一部遮断》

《負荷逃がし:実行待機》

《消防共有設備へ指令送信》


美月の声が入る。


『灰原、何をしていますか』


「排煙を落とさずに、電源負荷だけ逃がす」


『承認されていない操作です』


「爆弾本体には触ってない。設備側の負荷調整だけ」


『危険性は?』


「失敗したら非常灯が落ちる。排煙は残す」


美月は一拍置いた。


『消防指揮へ共有します。実行を承認』


WRISTに白い表示が出る。


《設備負荷調整:承認》

《消防設備系統:一時接続》

《実行者:灰原ナギ》


灰原は短く息を吸った。


「実行」


地下街の照明が、一瞬だけ落ちた。


避難者たちがざわめく。


伊吹が即座に声を張る。


「暗くなるだけ! 止まらない! 前の人の背中じゃなくて、足元を見て!」


非常灯のいくつかが消えた。


だが、排煙の音は止まらない。


むしろ、わずかに強くなる。


灰原が画面を見る。


「通った」


黒瀬はうなずく。


「残りは」


伊吹が数える。


「五人。四人。三人」


獅堂の腕が限界に近い。


シールドの端が床を削る。


その音が、地下街の中で嫌に大きく響いた。


黒瀬は獅堂の横に立った。


「あんたも抜けろ」


「まだだ」


「最後まで支える気か」


「最後が通るまでだ」


「なら最後を早く通す」


黒瀬は振り返る。


「伊吹」


「分かってる」


伊吹は残った避難者に近づいた。


最後尾にいたのは、足を怪我した老人だった。


その隣に、若い男が付き添っている。


老人は首を振っていた。


「先に行け……わしは、歩けん」


若い男が泣きそうな顔で言う。


「置いていけるわけないだろ!」


列が止まりかける。


獅堂のシールドが沈む。


黒瀬が動こうとした瞬間、伊吹が老人の前にしゃがんだ。


「おじいさん」


老人は伊吹を見る。


伊吹は笑っていなかった。


「ここで止まると、後ろの怖い人が怒ります」


「……何を」


「怒るだけならいいんですけど、たぶん、死ぬまで支えます」


老人の目が揺れる。


伊吹は続ける。


「だから、あなたが歩かないと、あの人が死にます」


老人は獅堂を見た。


獅堂はシールドを押し上げたまま、何も言わない。


顔は苦痛に歪んでいる。


それでも、逃げろとは言わない。


老人は震える手を伸ばした。


「……肩を、貸してくれ」


若い男が老人を支える。


伊吹も反対側に入る。


「そう、それでいい。ゆっくり。でも止まらない」


三人が動く。


一歩。

二歩。

三歩。


シールドの下を抜ける。


老人が通り過ぎた瞬間、獅堂の膝が落ちかけた。


黒瀬がシールドの端に手をかける。


「抜けろ、獅堂!」


「お前が先だ、隊長」


「あんたが先だ」


「命令か」


「命令だ」


獅堂は歯を食いしばり、シールドを最後に押し上げた。


黒瀬がその下を抜ける。


次に獅堂が体を引いた。


その瞬間、天井が落ちた。


重い音。


粉塵。


獅堂の背中を、黒瀬が引く。


獅堂の肩に瓦礫が掠った。


獅堂はよろめいたが、倒れなかった。


黒瀬は言う。


「肩は」


「動く」


「嘘をつくな」


「少しは動く」


「十分だ」


灰原が叫んだ。


「振動、入った!」


WRISTに赤い表示が出る。


《主爆薬:反応》

《衝撃起爆リスク:急上昇》

《全員退避推奨》


美月の声が鋭くなる。


『全員、地上へ退避!』


黒瀬は全員を見た。


伊吹。

灰原。

真神。

獅堂。

救助された民間人。

消防隊員。


「走るぞ」


伊吹が目を見開く。


「さっきまで走るなって」


「今は走れ」


「了解!」


伊吹が叫ぶ。


「全員、ここからは走って! でも押さない! 押した人は僕が一生覚える!」


誰かが泣きながら笑った。


その笑いは、すぐに咳に変わる。


全員が地上へ向かう階段を駆け上がった。


真神が負傷者の一人を抱える。


獅堂は肩を押さえながらも、後方に残る。


黒瀬が睨む。


「獅堂」


「後ろを見る奴がいる」


「俺が見る」


「隊長が最後に残るな」


「命令してるのは俺だ」


二人の視線がぶつかる。


その間に、灰原が二人の横を通り過ぎながら言った。


「喧嘩は外でして」


伊吹が続く。


「そうそう。爆発する地下街で上下関係確認しないで」


黒瀬は短く息を吐いた。


「行くぞ」


全員が階段を上がる。


地上の光が見えた。


白い。


煙の向こうにある、嘘みたいに明るい光。


最後の消防隊員が地上へ出る。


真神が負傷者を救急隊へ引き渡す。


伊吹が避難者の数を確認している。


灰原がWRISTを見る。


獅堂が肩で息をしている。


黒瀬が最後に地下街入口を抜けた。


その直後だった。


地下から、低い音が響いた。


爆発音。


地面が揺れる。


入口から黒い煙が噴き上がった。


消防隊員が叫ぶ。


「下がれ!」


黒瀬たちは反射的に身を伏せた。


続いて、地下三階側から二度目の衝撃。


だが、地上の入口は吹き飛ばない。


爆発は地下深くで封じ込められていた。


灰原が顔を上げる。


「本体がいった」


黒瀬は聞く。


「被害は」


灰原はWRISTを見る。


「地下三階の一部崩落。排煙系統は落ちた。でも、地上側への爆圧は逃げてない」


「民間人は」


伊吹が息を切らしながら答えた。


「確認できる範囲、全員出てる」


美月の声が通信に入る。


『消防からも確認。地下二階、地下三階の要救助者、全員地上へ退避』


一瞬、誰も声を出さなかった。


その言葉の意味を、体が理解するまで時間がかかった。


全員。


その二文字が、ようやく届いた。


獅堂がその場に座り込む。


「……重かった」


伊吹が隣にしゃがんだ。


「天井?」


「子どもと老人」


伊吹は少しだけ笑った。


「そっちね」


真神は手袋についた煤を払っている。


「殺すより疲れる」


黒瀬が言った。


「慣れろ」


「嫌だな」


「慣れろ」


真神は黒瀬を見て、ほんのわずかに口元を動かした。


「考えておく」


灰原は地下街入口を見ていた。


黒煙の奥。


もう赤いランプは見えない。


爆弾は爆発した。


完全には止められなかった。


それでも、温度起爆を切ったことで、時間は生まれた。


排煙は最後まで動いた。


人は逃げた。


黒瀬は灰原の横に立った。


「灰原」


「何」


「お前は止めた」


灰原は小さく首を振った。


「止めてない。本体は爆発した」


「それでも、お前は止めた」


灰原は黒瀬を見た。


その目に、いつもの無表情はなかった。


「温度起爆だけ」


「それで人が逃げた」


灰原は何も言わなかった。


唇を結び、また地下街入口を見る。


黒瀬はそれ以上言わない。


褒めるには早い。


慰めるにも違う。


ただ、事実だけを置いた。


白羽美月が、少し離れた指揮車の前で立っていた。


通信ではなく、直接こちらを見ている。


黒瀬は美月の方へ歩いた。


「統括官」


美月は端末を見ていた。


その表情は硬い。


だが、昨日とは違う硬さだった。


「地下街内部の要救助者、全員救出を確認しました」


「そうか」


「二次爆発による民間人被害は、現時点で確認されていません」


黒瀬は短く息を吐いた。


「なら、成功だ」


美月は黒瀬を見る。


「成功です」


その言葉は、はっきりしていた。


黒瀬は少しだけ目を細める。


美月は続けた。


「ただし、未承認装備の限定使用、危険区域への進入、撤退判断の遅延については、すべて記録します」


「好きにしろ」


「好きにするわけではありません。必要だから記録します」


「同じだ」


「違います」


美月の声は硬い。


だが、拒絶ではなかった。


「今回は、あなたの判断を承認しました」


黒瀬は黙って聞いた。


「ですが、信用したわけではありません」


「だろうな」


「次も同じように説明してください。勝手に動くのではなく、判断を渡してください」


黒瀬は美月を見る。


昨日なら、その言葉をただの縛りだと思ったかもしれない。


だが、今は少し違って聞こえた。


判断を渡せ。


それは、止めるためだけの言葉ではない。


一緒に背負うための言葉にも聞こえた。


黒瀬は短く答えた。


「分かった」


美月は少しだけ目を伏せる。


「……任務、お疲れさまでした」


黒瀬は返事をしなかった。


代わりに、隊員たちの方を見る。


獅堂は救急隊に肩を見られている。

伊吹は避難者の数をまだ数えている。

真神は壁にもたれ、目を閉じている。

灰原は地下街入口から目を離せずにいる。


誰も、勝った顔をしていない。


それでも、誰も死んでいない。


WRISTが震えた。


全員の端末に、任務結果が表示される。


《任務完了》

《作戦区域:新東京第七地下街》

《任務種別:火災救助/閉じ込め救助/爆発物二次災害対応》

《要救助者:二十七名救出》

《地下三階作業員:六名救出》

《二次爆発被害:限定》

《民間人死亡:確認なし》

《残刑日数加算:+7》


伊吹が表示を見て、小さく笑った。


「七日分の命か。今回は高いね」


黒瀬は言った。


「人の命に値段をつけるな」


伊吹の笑みが、少しだけ薄くなる。


「つけてるのは、僕らじゃないよ」


黒瀬は答えなかった。


七日。


数字だけが、白く浮かんでいる。


助けた人数。

防いだ被害。

残った爆発痕。

焦げた手袋。

震える指。

崩れた地下街。


それら全部が、七日という数字に変わる。


悪趣味な制度だ。


だが、その七日で、また誰かを助ける時間が増える。


灰原がぽつりと言った。


「解除じゃなかった」


黒瀬はそちらを見る。


灰原はWRISTの表示ではなく、黒煙を見ていた。


「止めたんじゃない。選ばされた」


黒瀬は少しだけ黙った。


それから言う。


「それでも、お前は選んだ」


灰原は答えない。


だが、工具ケースを握る手に、少しだけ力が入った。


遠くで、報道ヘリの音がしている。


ニュースでは、また別の名前で呼ばれるのだろう。


警察特殊救助班。

消防との連携。

地下街爆発事故。

テロの疑い。


第6部隊リコードの名は、どこにも出ない。


それでいい。


助けた人間が、誰に助けられたかを知らなくても。


生きていればいい。


黒瀬は地下街入口から目を離した。


首元のNOXが、白く細く光っている。


その光は、まだ首輪の光だ。


自由の光ではない。


だが、第6部隊リコードは、また一つ現場から人を連れて帰った。


それだけは、消えない。

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