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11話 君がいない。


 どうも、最近はきな臭いな。そうは思いつつも、普段通りの生活を送るレンツォだった。


 朝も早くから組合へ赴き依頼を漁り、誠実に、堅実に仕事をして、下宿先へと帰る。

 そこからは、鍛錬や学問だ。クマ殺しとなったとはいえ、然程、生活に変わりはない。

 強いて違いを言うならば、バディを組む事となったくらいか。


「おっす。レンツォの旦那。次の安息日には、お山に籠るからよ。準備はよろしくな」


 側頭部を刈り上げて、長い髪を後に結んだ緩いノリのこの男。フランシスコという。現在組んでいる二人組パーティ。バディの相方であった。


「準備って、何だよ。バーベキューの用意でも、するんか?」

「おっ。それ良いな。薪は持ってくわ。食材は現地調達で、酒は旦那持ちだな。米の澄まし酒をよろしく」


 飄々とした捉えどころのない男だが、素性は知れている。

 通常のバディの様に全幅の信頼を置くではないが、それなりに信用をしていた。


「ネズミが隠れ棲むなら、お山だろうとよ。どうやって入って来てるのかは知らねぇが、ま。ウチにも粗はあらぁな」

「ちゃんと、仕事してくれよな。公務員」

「そういうのは、入管の仕事だぜ。生活安全課の俺に、余計な仕事を回さないで欲しいよな。まったく」


 身元確かな、カターニアの市職員であるからだ。加えて兼業冒険者でもある。


「乗り掛かった船だし、報酬も悪くはない。協力もやぶさかではないのだが、お前さんが、真面目にやらんならば、俺は降りるぞ」

「型っ苦しい事言うなぁ」


 クマ殺しとなった調査報告の後、行政府により付けられた人員だった。

 どうやら、あまり良くない兆候である様だ。エトナ火山では、植生の変化が起こり始めていると、見ているのだろう。

 冒険達の山中でのソロ活動を危険視し、調査協力の見返りに、こうやって人を付けてくれている。


「大体、黄金位階の冒険者が、何故俺に付く。戦力を割くべきは別の場所だろう」


 二人は労働依頼の帰り道であった。

 市からのものだ。クマの血で汚れた街道の清掃である。原因はレンツォであるので、自業自得であった。


「旦那の見つけた黒ずくめ達が、何かを握ってる。そう睨んでるんだろうぜ。それに、俺だって余計な手出しをする気はねーし」


 掃除屋と二つ名で呼ばれるフランシスコは、黄金位階という実力者である。

 戦力としては、レンツォより何枚も格上である筈だ。なのに、サポートに徹し、矢面に立つ気はないと宣言している。


「それにアイツらも、目撃者の旦那を消しに来るだろうぜ。じっくりと、観察させて貰うさ」

「役目とはいえ、ずりぃよな」


 フランシスコの役目は情報収集なのだ。

 レンツォによる証言では、黒ずくめ達の扱う剣の流派を特定出来なかった。

 しかし行政府は、剣術に関してど素人であるレンツォの、中々に、対人剣術の修練が身に付いている様に見えた。という証言を重く見ていた。

 扱う流派が特定出来るならば、有力な情報となる。その身元の洗い出しも困難ではなくなった。

 そして、フランシスコは情報分析の専門家である。見てさえいれば、流派の洗い出しなぞ容易い。


「そういや。遺骸はロウムへ還せるらしいぜ」


 黒ずくめ達による凶行の犠牲者の、身元は割れている。彼は王都の警務官だった。冒険者位階は錬鉄であり、ソロでの入山の資格があった。


「しかし、何だってロウムの警務官がお山に来てたんだろうな」

「一応、向こうにも問い合わせてはいるがな。あんま期待すんなよ。どうせ捜査上の秘密だとかで、碌な情報は出てこねぇ」


 だろうな。とは思う。お役所仕事とは、そういうものだろうといった謎の信頼感があった。

 しかし、警務官殺しか。

 そう考えるとこの事件。大変に微妙なものだった。被害者は警務官という公僕ながら、レンツォが気付かなかった様に制服を着用していなかった。つまりは職務中ではない事となる。


 基本的に公務員は面子商売で、舐められたならば、殺す。という気質であった。

 職務中の警務官が逆らわれたならば、地域の警務官達が一丸となって、相手の一族郎党含めての殲滅に走る。そんな集団である。

 しかして彼は制服を着ていなかった。つまりは非番であり、私人として行動していた事となる。そうなると、流石にそこまでの無茶はしないだろう。普通ならば。


「一応、捜査はこちらの管轄になる。扱いは、普通の殺人事件だ。そこは心配いらねーよ」

「殺人を心配いらないってのは、微妙だと思うが」


 ロウムの警務官達が仲間の敵討とばかりに、シシリアへカチコミを掛けてくる事を恐れていたが、どうやら心配ないらしい。なんともありがたい話であった。


「まぁ。今ん所は生死を問わずにだ。次こそは存分に、やってやんなよ」

「失敗するかもしれんぞ? 別に俺は、戦士じゃないしな。ま。もしもの時は、頼んだ」


 そのつもりはない。この前こそ殺す事に躊躇いがあったが、今はない。

 せめて報いを受けさせねばならない。

 だが、慎重かつ、実は小心なレンツォだ。失敗の可能性も考慮して、軽口を叩く。


「余計な仕事を増やして欲しくないんだがな。ま。失敗しても、フォローはしてやるさ。それも、お仕事の内って事よ」


 そのつもりなどなくとも、戦闘は時の運にも左右されるものだ。保険として、後の憂いを残さなくても済むのはありがたい事だった。


「尤も、心配はしてはいないがな。信頼しているぜ。レンツォの旦那」

「高みの見物とは、人が悪いよな。だが、その信頼は預かった」


 例え若くはなくとも、信頼は嬉しいものである。

 同年代で、遥かな先を行くフランシスコ達に嫉妬がない訳ではない。そういった気持ちは常々抱えてもいる事だ。自分以上の強者なぞ、腐る程に見て来た。

 才能の不公平。実力の不平等。

 当たり前にあって、それでも認めるには辛い事だった。自分に突出した力量などない。そんな事は良く判っている。だが、それでも。

 例え、どれ程の強者であっても、取り零す事もあれば、どうにもならない理不尽があった。

 どれほどに強大であれど、人、一人に出来る事など、限られたものである。


 たからこそ、人類種は社会を育み、『異界』や『超越者』といった脅威に対抗する為に力を求めた。やがて戦闘の専門集団、軍を組織した。

 それを構成するのは、単体の英雄の力ではない。群体としての英雄である兵達であった。

 取り零される者がない様にと、力を尽くす者達だ。

 そんな彼等に憧れて、レンツォはこれまで、やってきていた。


「良からぬ事を考えて、殺人という禁忌を犯した連中がいるんだぜ。お人好しの冒険者には、放ってはおけんものだろう? それに、オレ達はよ。そういう奴等に、期待しているんだ」


 既に社会は、少数の『英雄』達の力で変えられるものではなくなっている。

 だからこそ、一般的な冒険者、ごく普通の只人である自分達が手を伸ばし、僅かにでも、理不尽へと抗わなければならない。

 それは矜持で、同時に責任だ。

 より良い今日を、より良き明日を。平凡な男であるからこそ、願うのだ。

 何せ、冒険者レンツォの根っこの所は、環境を整え、育む事で満足を得る、農家なのだから。




「あら。旦那。今朝も早くから、冒険かい? 精が出て、結構な事だねぇ」

「おう。おはようさん。そちらも、お疲れ様。君の方こそ、朝まで仕事とは、頑張るな」


 自分なりに、格好の良い決意こそ固めたものの、日常は変わる事なく過ぎてゆく。

 仕事をしてようが、山へ登ろうが、そうそう都合良く、騒動に見舞われる事はない。圧倒的に、何もない日が多いものだった。


「あー。草臥れた。一晩中の、スケベ親父達の相手はしんどいよ」

「君の様に魅力的な女子が、酌婦をしているのだからな。離れ難く思うのも、無理ないさ」

「お上手ね。旦那は、お店には遊びに来てくれないのかしら?」


 流し目を送る女は、美人だ。舞踊か武道に嗜みがあるのか、小股が切れ上がった佳い女。

 そんな言葉が当てはまる。それでいて、胸も尻も服の上から判る程、豊満であった。好み直撃である。


「いやいや。俺みたいな貧乏冒険者には、高級なクラブなんて、遊びにゃ行けんよ。それに、こうやって朝から組合に迎えば、美人も拝める。甲斐性なしには、過分なご褒美さ」


 軽口で受け流す。レンツォもごく普通の男であるからして、美人は好きだ。

 ちょっと佳い女がいれば、目は行くし、ついつい鼻の下も伸びる。

 だが、美人自体は見慣れてもいる。その中身がとても厄介だという事も知っていた。

 馴れ馴れしくならない様、されど親しく接する術を身に付けてもいた。

 組合の受付達やアルティエリの姉妹達による、薫陶の賜だった。

 綺麗な花には、毒がある。その事を身を以て判らされてきたのが、カターニアの男冒険者達だった。


「あら。欲のない。まぁ。そうね。旦那には、お嬢さんもいる事ですし、夜遊びは良くないかしら」

「俺達は、そういった関係ではないぞ」

「あら。でも、秋の夜会には、エスコートを頼まれているのでしょう?」


 お嬢さんとはイラーリアの事で、彼女がそう呼ぶのも、寮の店子であるからだ。

 入寮したのはレンツォがクマ殺しの称号を得てからなので、つい最近の話であった。

 見たままに美人だし、気風も良いので、皆からも親しまれている。旧アルトベリ男爵邸である寮は、独身寮であった。


「それは、恋愛物の読み過ぎだろう。別に、そういった関係の者のみがエスコート役に選ばれるではないさ」


 クスクスと揶揄う様に微笑む女。イラーリアの父である男爵の気紛れであるが、女性入居者の家賃を下げたのは、かなり良い手だったのではないかと、思ってしまう。

 これはカターニア、ひいてはシシリアの男達の気質にあった。


 多くの男達は、家事をしない。

 例外もあるが、幼少期から学問や鍛錬の他に、家の仕事を手伝う男の子達である。時間はあまりない。

 街の治安は良いので、余暇の時間では外へ遊びに出るし、家へと帰ってもやるべき事は数多い。

 これを甘やかすのが、母親達だった。


 唯一神教や、ガリア王国の影響の強い、ビタロサの女達は、家庭は我が城で、砦であるという矜持を持っている。

 家事へ勤しみ、家庭を守るのを誇りとしていて、現代のビタロサでも、女達の憧れである職業第一位は、素敵なお嫁さんであった。

 この為に、女の子へは家事を仕込めど、男の子への家事教育は後回しとなっていた。

 これ幸いと、遊び呆ける男の子達である。

 これでは、家事の習慣など、身に付け様もない。一応は学園でも、一通り習うのだが、生活に根差した習慣ではない。

 真面に家事を行う男達は、実の所、希少であった。


 そんなだから、レンツォの様な冒険者のみならず、独身の男達は食事を外食で摂るし、風呂や洗濯などにも温泉などを使う。

 値は張るが、公娼はそれらも全て賄った。自由恋愛を愉しんだ序でに、生活の諸々が解決してしまう。

 男達の憧れとする娯楽第一位は、公娼通いである。

 男達は掃除もあまり、しなかった。

 独身は必要な諸々を外で賄い、物を買う習慣もあまりないので、ゴミなども限られた為である。

 そういった諸々を世話する為に、イラーリアは管理人として、忙しく立ち働くのだ。

 家政婦や侍女などの職業や労働依頼が多いのも、こういった習俗とは、決して無関係ではなかった。


「ふぁーあ。……いってらっしゃいな。旦那。アタシは、お嬢さんとの掃除洗濯を手伝うからさ。その後には一眠りをして、またスケベ親父達相手の仕事さね。それじゃあ、良い一日を。そうあれかし」

「うむ。息災にな。良い一日を、そうあれかし」


 男爵が、自分の部屋の家事を行う女性入居者を求めたのは、イラーリアの負担を減らす為だった。

 一部屋分でも掃除の負担が減れば、その時間は自由となる。

 腰をいわした彼女の父。アルトベリ男爵は、田植えの時期に娘への田んぼでの働きを求めた。

 自分の代わりにである。その為の施策であった。春の年度替わりの時期に、何名かの入寮者達が、婚姻などを期に寮を出ていた。


 二人はだらしない男達の文句を言いながら、掃除洗濯などに勤しむのだろう。

 さっぱりとした気性の彼女は、イラーリアとも仲良くやっている様だった。

 学園生時代から、女友達があまりいなかったイラーリアだ。今更ながら、遅れてきた青春を取り戻すのもそう悪い事ではない。

 レンツォはそう思いながらも、冒険者組合へと足を進めている。





 ——夜の盛り場。

 一組の男女が、額を寄せ合っていた。

 猥雑な酒場の中であるが、睦み合う様な、甘さはない。女の唇が開く。

 紅を差したソレは、艶めかしくも赤い。


「白鳥を餌に、釣り上げる。だが、くれぐれも丁重にね。犬達が騒ぎ出すと、面倒だからね」


 艶めかしくも、感情を滲ませない声だった。


「条件には、当てはまらぬか? 噂では……」


 対して男の声は、枯れている。疑念の籠った声だった。


「ねんねだよ。女の勘だけど。そうでなくとも、恐らく王は、満足されないよ」

「勘ならば、信頼しよう」

「なら。計画としては……」


 更に額を寄せ合う男女。

 この店の名は、『浅葱の風』。落ち着いた調度品で調えられた、高級ナイトクラブであった。

 夜の蜜を愉しむ数多くの男女達には誰も、その男女から萌芽する悪意に、気付けずにいた。





 そして安息日。

 レンツォが山から降ったのは、日も暮れてからだった。彼が一緒にいるのは、バディを組むフランシスコであった。

 二人が遅くなったのは低層奥地、中層への結界付近に僅かながらも人の生活痕があって、その調査の為だった。

 普段から、冒険者達が行き交うエトナである。生活痕自体は珍しいものではない。

 だが、その発見された生活痕は、新たに造成された山で見つかったものだった。


 例外や、跳ねっ返りはいるものの、シシリアの冒険者達は、こういった場所を警戒し、組合や行政などの調査が済むまではあまり踏み入らない。

 偶然から出てしまう事もあるが、そういった慎重さが無ければ、生命など儚いものだった。


 普段ならばまず、レンツォも向かいはしない。だがそれが、殺人者達のモノである可能性もある。

 植生の記録や、地図を作成しつつ、新山を調査するのは自然な流れであった。

 この日は慎重に進んだ為、思う程に調査は進まずに下山している。

 泊まりでの調査は現実的ではなかった。

 市職員であるフランシスコには明日からも仕事もあるし、レンツォにだって、日雇いとはいえ、仕事があった。

 元々、予定していた依頼だ。現状の情報においての優先順位はその依頼にある。


 この依頼。なかなか美味く、レンツォには非常に都合が良いものだった。

 組合による、エンナへ帰る農家達の、護衛である。

 クマ殺しとなった事で、この様に、割が良く、信頼が無ければ候補にも上がらない依頼も受けられる様になっていた。


 秋にあるイラーリアへの夜会でのエスコートについて、家族にもちゃんと説明しなければならない。


 一応は、『網信』と手紙によって、アルトベリの騎士となるので、その任務として、ご令嬢のエスコートを賜ったのだ。と伝えてはいる。


 だが、お調子者で、ノリと勢いで生きるエンナの農家達は、すわ貴族のお姫様との祝言か。

 などと、盛り上がっていた。

 確かに、夜会でのパートナーは、異性の親族以外では、配偶者や婚約者、恋人の務めであった。

 だが、二人の関係は、そのどれでもない、


 近頃の王都などでの夜会では、家付きの騎士や、侍女にパートナーの代行を委任する事が増えていた。


 国際都市であるロウムでは、夜会に参加するのも様々な身分や、出自の者達である。

 そういった者達の親族だからといって、都合が付く事ばかりではない。それに、誰もがお相手がいる事など、ありえなかった。

 その為に、家人をパートナー代行として委任する事で面目を保っている。


 一時期は商魂逞しいビタロサ王家であるサヴォア家が、レンタル恋人という、風変わりな商売をして、そういった隙間需要を賄っていた。

 だが、この商売は長続きしていない。色々と問題が起きたからだった。


「なぁ、別にもう、身を固めても良いんじゃねぇか。旦那なら、これから先も冒険者で、食っていけるぜ」

「つっても、錬鉄だぞ。農業は金が掛かるし、時間も掛かる。不安定な冒険者では、家庭の生計を維持するのも骨じゃぁないか?」

 

 フランシスコの言葉へ、一般論を述べるレンツォであった。フランシスコはふぅん。と嫌らしく笑い、そうだよな。嫁さんに、苦労なんかさせたくないよな。などと言った。

 そりゃ、そうだろうとレンツォは思う。

 好き勝手に生きて来た、平凡な男だ。

 財産だって、あるではない。その位には気遣えなければ、将来の嫁さんにだって、悪いではないかと考えている。


「んじゃ、俺は役所へ戻るからここで。次は、泊まりにしようぜ。明日はしっかりやんな」

「うむ。ならば、またでな。次は、そう出来る様にしておこう。……しっかりも何も、誤解を解くだけだ」


 気の早い田舎者達へ、釘を刺さねばならない。

 よしんば、契約婚が成立するからとして、それは五年も先の事だ。

 両親はともかく、祖父母達だって、元気な保障はない。今、騒いで寿命を縮めるよりも、長生きして行末を見守って欲しいものだった。

 レンツォの家族が思い描く様な、不幸な結末は本意ではないのだ。

 いつかイラーリアが心の傷を癒やし、本当に愛する人と一緒になる事が、一番の望みなのだとレンツォは信じている。


「お前さんなら、判るだろう? アイツの幸せが、今の一番の、俺の望みなんだよ。長年の付き合いだ。その為には惜しむものなど、ないさ」


 それをフランシスコへ伝えれば、彼には物凄い顔をされた。何言ってんだ。コイツ。という顔だ。どうやら、彼は、まだ恋を諦めていないらしい。


 フランシスコがシシリアナの家族であり、冒険者パーティの一員の、秘書としても支えるシシリア州議会議員。二の舌要らずのエレノア女史へ、積年の恋心を募らせているというのは、有名な話である。

 どこか天然で初心な女史は、彼の想いに気付いていないというのも、周知の事実であった。

 いつ、彼の想いに、彼女が気付くか。それは一部の州民達の賭けの対象ともなるモノとなる。

 一番人気は、気付かれない。現実は非常である。であった。彼女は、未来を、子供達のより良い生活を夢見る、理想主義者であるからだ。

 フランシスコが勇気を振り絞らない限り、進展はなかった。


「ったく。お節介な旦那だぜ」

「まぁ。外野の戯言であるが、彼女もお前さんを、憎からず思い合っているだろうさ。後は、タイミングだな。頑張れよ。大事なら、離すんじゃないぞ」


 そういった事情などを知っているので、揶揄い半分で発破を掛けてやれば、フランシスコはもの凄く、間抜けな顔付きをしていた。

 その表情はまるで、夕焼け小焼けに照らされた赤トンボじみた、とても間抜けなものだった。


「他人事には、聡いのな」

「ん? なんだ?」

「なんでもねぇよ」



 そんなこんなで、家。借り暮らしの寮であるが、寝ぐらへと帰れば、非常に珍しい、だが、良く知る男性の姿が見えた。


 痩せぎすであるが、引き締まった身体の、初老の男性である。作業用の野良着を土で汚したままに纏い、細くとも大樹の様に確りと立つ、白髪坊主の男性であった。

 レンツォは彼の事を良く知っている。アルトベリ男爵。つまりは、イラーリアの父君であった。


 そんな彼が、こちらへ気付いた。ずんずんと、大股で歩み寄って来る。

 レンツォも早足で進んだ。街中では、走る事は憚られる事だった。道には子供達も行き交うのだ。ぶつかってしまったら、只では済まない。




「これは、アルトベリ卿。私に何か、ご用がおありでしょうか」


 先に声を掛けたのは、レンツォだった。

 ビタロサの身分制度上。礼儀としては、街中では立場が下の者から声掛けし、上位の者が、その応える先を選ぶ。

 部屋や屋敷の中ならば、反対だ。これは民。普段接する事の少ない下の立場の者から、貴族達が意見を拾い上げる為の、習慣から来るものだった。


「レンツォ殿っ! イラーリアはっ! 我が娘イラーリアは、此方へ伺っておらぬかっ!」


 叫ぶ男爵殿。声量は大きく、腹に響く低音だった。彼の声は有名で、若き日には、飛ぶ鳥さえも落としたという。

 ここ二十年は封じているそうだが、その声量に衰えはなかった。

 男爵は、怒鳴ったり、叫んだりする事をここ二十年程は謹んでいる。それでもなお衰えぬ、逞しい声であった。

 レンツォとて、ここまでの声は初めて聴いた。ずっと、封じられていたからだ。

 理由は、五つの幼きイラーリアが、男爵の大声に鼓膜を破いた為である。

 子煩悩な男爵は、それからは長く、大声を出す事がなくなった。

 娘を傷付けた事が、余程に衝撃だったのだろう。

 レンツォも聴いていた普段の声は、張りこそあるも、落ち着いたものだった。


「はて。私も今し方、帰ってきたばかりです。今日は、お嬢様は野良仕事ではありませんでしたか。とうに、家へと引き上げている時間でありましょうが」

「あやつ。帰っておらんのじゃ。あやつの行く所なぞ、ここくらいしかない。本当に、ここには来ておらんのか」

「それは、判りかねます。私も、今し方帰って来たばかりですので……」


 聴く所。今日のイラーリアは体調があまり良くはなく、男爵も野良仕事の途中であるものの、家へと帰した様だった。

 そして野良仕事を終えて帰っても、愛娘が帰った様子がないという。

 彼女は身持ちの硬い女で、社交的な訳でもない。理由なく行方を眩ますなど、あり得ざる事である。

 男爵は妻である彼女の母にも尋ねたが、本日は、野良仕事だったのでは? などと返されたそうだ。

 これで、不安を覚えぬ筈もないだろう。

 男爵は街と街道とを通って、娘を探した。

 だが、それも実もなく終わり、可能性の一つとして、旧アルトベリ邸。つまりは現在の独身寮へとやって来たらしかった。


「アイツが訪れるならば、ここしかない。本当に、今日は来ておらぬのか」


 ざわざわと、胸の内が小波立った。

 それは判らないが、もしも来ていたとすれば、何かしら痕跡がある筈だ。彼女は管理人として、合鍵の資格を有している。

 家主である男爵も持つが、流石に遠慮したのであろう。レンツォの帰宅を待っていた様だった。

 そろそろ老境にも差し掛かる男爵の厳つい顔に、不安の色が見えた。


「御免」


 失礼だと知りながら、男爵を押し退けて部屋へと戻る。

 もしもイラーリアが来ていたならば、何らかの痕跡がある筈だ。彼女は店子が不在の間に部屋の掃除をし、寝具を干す。この十年、彼女がそれを怠った事はない。どれ程に、体調が優れなくてもだ。

 だから、来ていればその痕跡がある筈である。それを確かめようと、扉を開いたレンツォは見た。

 朝から、何も変わった様子もない室内を。

 履き清められた様子もなければ、寝具を干した様子もない。朝、出た時のままである。


「どうやら、来てはいないようだが……」


 言い掛けて、玄関にて靴を脱ごうとする。寮の個室は土足厳禁である。自然、足元を見る事となった。

 そこに、思わぬ物品が落ちていた。

 破損した、女物の髪飾りである。

 雀の親子達を模した、玩具の様に、ちゃちな造りの髪飾りであった。

 屈み込み、拾い上げたレンツォが、それを見間違う事などなかった。


 あの、紳士服店から、仕立て屋までを巡らされた日の事だ。

 一通りの用事が済んだ後、一番街へ戻った際に広場では露店が催されいた。

 小学園の子供達が、授業で作成した小物を売りに出す為の、バザールの露店であった。

 露店自体は委託業者によるものだが、その売上は子供達自身へと還元される。

 拙い制作物であり、素人が、授業で作製した程度の物なので、大した値段は付かない。

 だが、子供達が一生懸命に作製したという物品で、イラーリアはそういった物品をこそ、好みとしていた。

 それを知るレンツォが、見て回ろう。もしかしたら掘り出し物だって、あるかもしれないからな。

 そう誘いを掛けたのは奢られっ放しへの、ささやかな抵抗であった。

 騎士の習いとして、主家に世話となる事自体は当然の事である。

 だが、レンツォは農家の三男坊だ。知識としては得ているが、騎士の習いなど、知った事ではないし、女に奢られ放しでは沽券に関わると考える、シシリアの田舎者でもあった。


 壊れ落ちているのはその時に、買って贈った髪飾り。当然ながら、安物だ。

 イラーリアは惹かれた様で、長らくこの髪飾りを目で追っていた。だが、購入にまでは踏ん切りが付かない様だった。

 可愛らしくはあるが、子供っぽいデザインである。髪を短くもしているので、装飾品としての髪飾りも、あまり必要としていないからだ。

 なので、ただの気紛れであるものの、買って贈ってやった。

 その日から、雀の髪飾りは、彼女の髪を飾り付ける装飾品となっていた。




 それが、どうしてか破損して、ここに落ちている。その意味する事など、知れた事だろう。


「親父殿。家へと戻り、待っていてくだされ。イラーリアは俺が、必ず連れて帰って参ります」

「どういう事だ? 何があった」


 その問いに、応える事は出来ない。何を知る訳でもないからだ。だが、確信があった。

 近頃感じていた気配が、これまでは様子を伺っている様だったソレが、ついさっきから、挑発的なモノを宿している。

 闘争や野生を知るレンツォだ。その意味する事など、ここに来れば、察せた。


「貴方の娘の騎士を、信じて頂きたい」


 ギリ。と、歯を噛み締める男爵。彼も貴族の男だ。何かを察したのだろう。


「判った。信じよう。だが、三日。三日の内に、お前から報告が無ければ、届出を出す。良いな」

「承知」


 それは誘いだ。大した事をした記憶はないが、どうやら奴らは自分の事を、随分と警戒している様だなと、レンツォは思った。

 目撃者を消す。犯罪者にとっては当然の思考なのだろうが、その為に人質を取るなど、愚かな思考だ。

 見られたモノが重要であったという証左でもあるし、手を広げれば、粗も出れば怒りも買う物だ。

 その証拠に、レンツォの胸には、憤怒の炎が宿っている。


 ——イラーリア。イラーリア。

 何処にいる。何処へ、連れ去られた。何の罪もないお前が、俺と関わりがあるという理由でだけで、何故攫われた。


 許せる筈がない。赦せる筈もない。その怒りの矛先が向かうのは、敵と、そして己自身。


 弱さが。甘さが。この事態を招いている。ほんの僅かな慢心で、全てが失われるかもしれなかった。それは恐怖で、同時に怒りの薪だ。

 これまでに無いほどの強度で強化(ストレングセン)を発動させれば、研ぎ澄まされた感覚に、引っ掛かるものがある。それは誘いで、同時に願いだ。


 街中の喧騒の中に隠された、殺意を、祈りを感じ取る。それは既に視えているモノ。


 奴らは、人質があれば、万全だとでも奢っているのだろうか。笑わせる。

 彼女は、いつもの様に穏やかに、それでいて、寂しげに、待っているのだろうか。言葉には、表し難い感情が、胸の奥から湧き上がる。


 ——嗚呼。待っていろ。イラーリア。君は俺が、必ずや、救ってみせる。


 一人の男が、街中へと駆け出した。


 『兵』を志した青年がではない。『英雄』に憧れる冒険者がでもない。

 ただ一人の女の為に、ただの平凡な男が、胸の奥からの衝動により、ただ、駆けた。

 

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更新ありがとうございます! 文章ですが、きちんと読めますし助詞や接続詞等、違和感を感じてしまう程のものはありませんので、悪文とは思いません。 ただ今回は、少し句読点が多いかなと感じました。句読点が多す…
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