10話 人と熊。
細部の表現や誤字脱字の修正を行いました。内容的には変化ありません。多くの方に読まれて、テンションで書いたけれど、推敲が甘過ぎました。
お目汚し、失礼しました。⇩は投稿時の前書き。反省の為に消さない。
お読み頂けて、感想、評価、ありがとうございます。10話が書き上がりましたので、投稿いたします。一応は、完結へのフック回と認識しております。
また、頂いた感想、大変嬉しく思います。他所様で頂いた、ご指摘の序盤に固有名詞を詰め込み過ぎ、文が詰まっていて、読みにくいなど、完結後、修正や改稿に挑めたらと考えております。ありがとうございました。物語書きの練習の為に、低評価、厳しいご意見なども、参考にしたく存じます。多少なりとも、僅かな娯楽となれましたら。
大異界、霊峰エトナ火山。上層、中層、低層から成る。巨大異界。
その自然は苛烈であれど、既に人類種により、低層の攻略は完了している。
広大な大地と山麓拡がる異界は、シシリアの地へ恵みを齎す福音でもあった。そして中層は、霊獣達の楽園だった。
立ち込める中層の草いきれの中。レンツォが対峙しているのは霊獣ではない。人である。恐らくはだが。
「何処の誰かは知らないが、事後とはいえ、流石に殺しは見過ごせないな。首を揃えての出頭を勧めるぜ」
エトナ中層へは、調査の為に来ていた。
以前に低層にてクマを見つけ、報告を行なっている。その後にも各地でクマの発見が相次いだ。
シシリア行政府と冒険者組合カターニア支部は共に、密やかに低層から中層への調査を開始している。
大っぴらでないのは、確証がない為だ。都市カターニアのみならず、シシリア州は財源の多くを、エトナ火山に依存している。
ただでさえ、支柱であったオリヴェートリオを欠く今。州民へ不安を与えぬ為に、必要な措置だった。
なので、事情を知り、かつ信頼の置ける冒険者へ、行政から協力要請が下るのは、当然の話であった。
「だんまりかよ」
そして、調査の為に入山していたレンツォは、出会してしまった。四人の黒ずくめの集団が、一人の男を斬り殺す様を。
倒れ伏す男に、既に息はないだろう。頸と四肢が、離れている。
構える黒ずくめ達。その手には、鋭利な白刃が握られている。刺突にも、斬撃にも振るい易い、長剣だ。半身のそれは、斬る事に特化した形状。体表厚く、皮膚の硬い霊獣向けではない、武器である。レンツォもまた、盾と斧を構えた。
「目撃者を、消すつもりかよ」
言葉はないが、剣呑な気配であった。その推測は間違いではないだろう。一人も二人も同じ。どういった事情からかは判らぬ迄も、闘争の気配に気を昂らせるレンツォだった。
鋭い刃音が鳴る。盾を傾けて、白刃と打ち合った。響いたのは硬質な音。敵手は刃を立てず、引く事により、レンツォによる武器破壊を凌いだ。
「どこの剣術かは判らんが、結構な腕だな?」
語り掛けるも返答はない。斧を振るう事で、一人への牽制としている。
三方向までなら、この大盾で受けられた。数での不利を、装備と戦術で補っている。
だが、このままではジリ貧だ。とも考えている。
レンツォには四人を仕留める技など無かった。防げるものの、倒せはしない。
それは、いつかとも同じである。そして、その時にはあった信頼が、今はない。だけでなく、弱味はもう一つあった。
消す。つまりは殺すつもりの相手達である。みすみす見逃してはくれないだろう。
証左に、切先には殺気が込められている。それは、レンツォの持つ得物である斧に、ないものだった。
「なぁ。お前さん達よ。見逃して欲しいって、命乞いしたら、どうする?」
返ってくるのは、剣閃だ。
判っていた事とはいえ、中々にしんどい。数度撃ち合う中で、四名の力量は見切れている。
実力的には錬鉄といった所か。それなりの剣術であるが、その動きは対人剣術である。
急所を狙い、突き、斬る動きであった。その手合いであるならば、余程に逸脱した者でない限り、まず、完全武装のレンツォが、負ける事はない。
またもや三方向からの斬撃を、盾で受ける。
同志撃ちを恐れているのか、はたまた身を張るつもりはないのか、攻撃は温く、残心は甘い。
だが、殺意だけは本物だ。切り抜ける為には、打ち倒すしかない。
斧での両断。可能であると、理性は告げる。
盾での撲殺。これも可能だろうと思考は囁く。
だが、どちらも選べないでいる。
それは、レンツォの経験故だった。
錬鉄の士である冒険者。兵のなり損ないである冒険者。大楯使いのレンツォは、まだ人を殺した経験がなかった。
反撃がない。という事に、たかを括っているのか、黒ずくめ達の剣閃に、嗜虐的なものが混ざり始める。
それは油断か驕りか。彼等の攻撃は、防御を捨てた型となり始めている。
剣を盾でいなしたその時に、片手に握る斧を振るえば、斃せるだろう。
レンツォの剛力は、山に棲む霊獣達の骨まで断った。防御の甘い人の身など、紙切れの様に断つ。
だが、ただ、それだけの事が、出来ないでいる。
それが倫理観からのモノなのか、本能的な恐れからのモノなのか。レンツォにも判断がつかない。
だが、このままでは不味かった。
血臭が濃い。外気に晒されて、夏の陽射しで温められた遺骸が、濃密な死臭を醸し出し始めている。
ここは、霊獣達の楽園。エトナ中層だ。野生は死に対し、敏感な性質を持つ。己のモノでも、他のモノでもだ。
己の死は忌避すべし状態であり、他者の死は糧となる。血に飢えた獣達が、糧を求めぬ筈もない。
——早く決着を、つけねばならん。
そう焦りはあるものの、攻撃を出来ないでいる。これは多分に、レンツォの性格的なモノによるものだ。
全力であれば、勝てる相手達だった。殺人者達の剣には、彼を屠る力はない。生命の危機を、感じなかった。
彼等は恐らくであるが、シシリアの者でも、そして冒険者でもない。
殺人者であり、敵だ。ならば、遠慮など、する必要もない。頭では、そう理解している。
だが、心が、魂が。ソレを拒んだ。
幼き日。まだ、四つか五つだったか。憧れたのは、兵である。
エンナという、田畑くらいしか見る物のない田舎に、駐留していた兵達だ。
彼等は皆、君達のお陰で、この島には飢えて死ぬ者達が、殆どいないんだよ。そう伝えてくれた、気の良い大人達だった。
彼等は、嵐が来れば土嚢を担いで川を堰き止め、氾濫を防いだ。大雪が降れば天幕を張り、そして後には雪掻きへと励んだ。強い風が吹き、潮風が吹いた後は農家であるエンナの民達と共に、地道に、作物を枯らす塩を、土より取り出した。
子供であったレンツォにとって、それらは大きな驚きだった。
当時の、放送や絵物語などで見る兵達は横柄で、身を張る兵に、捧げ物をするのは当然。という様な風潮があった。
この時期は南スラビア共和国での紛争期にあって、悲惨な内戦が継続していた。
大人となった今ならば、放送や絵物語は、政治的宣伝の産物だったと判るものの、実際に接する兵達と、印象に残る映像との解離は、幼い彼には混乱を齎すものだった。
その頃に、兵の一人と親しくしている。まだ二十歳になったばかりの、若い兵だった。それでも子供のレンツォからしてみれば、頼れる大人であった。
彼に、その疑問をぶつけた事がある。兵の本当の姿は、どっちなの? と。彼は真剣に考えて、答えてくれた。
多分、どっちも、本当の姿なんだよと。
兵は、民を護る為にいる。
それは、僕等の存在意義だ。時に横暴な行いや、非情な決断を下さなければならない時もあるけど、銃後の民を護る事こそが、兵の本分なんだと、伝えてくれた。
若者の、何気ない一言だったのかもしれない。だが、その言葉は、幼いレンツォが親しんで、憧れを抱いた『英雄』と重なるものだった。
物語の中の、理想の『英雄』なんかではない、本物の『英雄』が、側にいる。憧憬を、抱かない筈もなかった。
農家として励むと共に、彼の様な大人になりたい。叶うものならば、兵となり、彼とも沓を並べたい。とも、望んだ。
そんな彼も、亡くなった。エンナに発生した小規模異界の中でであった。それも、迷い込んだレンツォを助ける為に。
発生した異界は、『塩の迷宮』。
異界そのものが塩であり、土地を侵食する。農産地であるエンナでは、致命的な異界であった。
本来、この様な新造の異界には、準備を整え攻略をする。戦力に不安があれば応援を求めるし、充分な装備と作戦を以て、挑むものだった。
だが、状況とタイミングが悪かった。
その異界が発生した時、その場所に、レンツォは居た。その場所は、彼の家の畑から、最も近い空き地であった。
かつて、塩害により立ち直れぬと畑を手放し、その家族の生命さえも手放した、エンナの元農家が、残した土地だった。夕方から夜に掛けて、二人はその空き地を待ち合わせ場所としていた。遊ぶ、為である。
彼はロウムの学府出で、元々のシシリアの民ではなかった。だが、学生時代に訪れたシシリアを大層気に入り、学府終了と共に、移住したらしかった。
連邦国家の内戦で、世相は荒れていた。ぽっと出の若者に、碌な就職先がある筈もない。そんな中の選択肢の一つとして、彼は志願して、兵となった。
シシリアは、絶妙に田舎である。都会者に対する偏見があった。軽薄で、信用ならないと。そして、シシリアの州兵は、地元民の男達が成るものだ。
育まれた恩返しとして、成人の後の二年後の二十歳以後、一年間の兵役が科された。これは、二十歳までにシシリアに住民票があり、かつ、その時点でのシシリア民にのみ適用される法だった。
彼に、兵役の義務はない。だが、シシリアは志願兵を受け入れている。
深く聞いた訳ではないが、彼は異物であった。
だからこそ、余暇の時間を、偏見を持たないレンツォと共に過ごしていたのかもしれなかった。
そんな彼が、異界発生場所を聞き、駆け出さぬ筈もない。
約束の時間で、場所だ。主と国家の間の愛し子を、危険に晒して我慢出来る筈もなかったのだろう。
この時彼は、報告、連絡、相談を怠るという、過ちを犯している。
そして、その頃のレンツォは、異界の中で、泣きべそをかいていた。
仕方がなかろう。まだ五つといった所であったし、異界は恐ろしいものだとも教育されている。
更には、精製された塩だけで構成される真っ白な異界は恐ろしく、怨念じみた声が反響しているのだから、いよいよもって、仕方がなかった。
そこに駆け付けたのが、彼だった。彼の姿を認めたレンツォ少年は、瞳を輝かせた。
やはり、彼は、兵とは、『英雄』なのだと。この時に湧き上がった感情の名前を、大人となったレンツォも、判らないでいる。
だが、この時に誓いを得ていた。生きて帰って、州兵を目指そうと。
出よう。と言ったレンツォだったが、兵の彼は首を振る。出口はない。異界の主を倒すしかないのだと。
その時は知らなかったが、迷宮型の異界には、出口が無い事が多い。出る為には、攻略、つまりは設定された条件を果たす必要があった。
それは異界の主の討伐かもしれず、また別の条件かも判らない。取り敢えず、主を倒す事にするのが習慣だった。
どちらにせよ、主を倒せば『侵食』が収まる。未知と不思議に彩られた『異界』という現象に、立ち向かうのは人類種の義務でもあった。
この攻略は主の討伐により、達成された。レンツォも無事に異界から生還している。だがしかし、彼だけは還らなかった。
この時の彼の装備は、制式のものである。
ビタロサの軍人の習いとして、得意の得物、彼の場合は槍だった。腰には剣を一振りと、銃。そして懐には、禁じ手とされる、最後の手段。
これだけの装備で、足手纏いのレンツォを守りながら、異界の主へと挑んだ。
発生したばかりの異界の主。そう強大ではないだろうという、甘い打算もあった。
だが、相性が悪かった。異界の主は、塩だった。意思を持つ塩だ。槍や剣、銃や半端な術式などで、屠れる相手ではない。
力があるではない。彼も、傷を負う事はなく、無難に闘っていた。だが、決め手がなかった。
仮に、彼が強大な術師であれば、どうとでもなったのだろう。時間が許せば、応援も訪れて、生還の目は確かなものとなったのだろう。
だが、そうはならなかった。レンツォに、塩分による中毒症状が現れていたからだ。
幼く、身体が小さい頃である。
レンツォだって、塩を口にする様な真似はしていない。
だが、口鼻での自然な呼吸や、皮膚呼吸からも、体内へ塩分は浸透していた。実物の塩よりもなお凶悪な、異界の塩。それが、幼い命を蝕んでいた。
だから、彼は決断したのだろう。ビタロサの兵には、禁じ手としての、最後の手段が与えられている。それは、唯一神教会の異端。暗殺教団により、齎された秘術。彼等が、『主の裁き』と呼ぶ、強力な破壊術具の存在だった。
この術具は単純だ。これに術力を込める事だけで、発動する。
その術具は、体内術力と連動しており、その効果範囲は狭い。精々が、術師の周り程度の範囲である。
だがしかし、威力はニュークリアによる極大破壊にも匹敵した。権能は消滅だ。文字通りに、何も残さない。だが、周辺に広く被害を齎さない。
危険で、慈悲深い存在だった。
暗殺教団による、対象へ抱きついての自爆に使われて、兵達には最後の手段、自決用の禁じ手として、渡された物だった。
「じゃあな。レンツォ。俺みたいな、情けない兵にはなるなよ。どうせ目指すんなら、『英雄』だぜ」
それが、彼の最後の言葉だ。
新造の異界は消滅。塩分中毒に罹っていたレンツォは治療され、一命を取り留めた。
そして、文字通りに記憶と記録以外、残ったものはなかった。
レンツォの安全以外、何も残さなかった彼は、脱走兵として処理されかけていた。
体調の落ち着いたレンツォが、大人達の噂話で聴かされた話だ。これに我慢ならず、州軍、エトナ編隊詰所へと乗り込んだ。
彼を、立派な兵で、『英雄』であった彼を、不名誉除隊になど、してなるものか。証拠となる物品はない。あるのは記憶と心。のみだけである。
だから、レンツォは言葉を尽くした。
遥かに目上の、治安維持を担い、エンナの庇護者でもある彼等に真っ向から噛みついて、彼が本物の、シシリアの兵である事を必死で伝えた。
最初は取りあわれはしなかった。だが、異界発生を知り、そこへ彼が駆けた事を知る情報部がおり、またレンツォの言葉を信じた両親や祖父母達の嘆願もあって、正式に、過去視をも用いての、調べとする事が決定された。
過去視は二つの異なるアプローチからされている。
レンツォの記憶を覗き、場所の過去を検証している。これにより、彼の名誉は守られた。
そして、彼の同僚である兵達に、深い心の傷を残した。
彼等は、仲間を信じていなかった事を悔いた。都会育ちの軟弱者と白眼視し、深く関わらなかった、自分達の不明を恥じた。
立派な男で、兵で、『英雄』だと、失って、初めて知った彼等であった。
レンツォにとっての『英雄』である彼は、二階級特進後、名誉除隊となっている。
その後のレンツォは、他の兵達とも親しみ、いつか、彼の様な『英雄』になろうと励んだ。
それが彼等の過去であり、レンツォ自身の心に強く影響を残す出来事だった。
兵は、護る為にある。
それこそが、レンツォの原点。そして、それこそが、この場においての弱味である。
敵は彼の生命を脅かす様な手練ではない。今ここに、護るべき者はない。あるとすれば、己自身であるのだが、それではレンツォには力が湧かない。冒険者としても、兵としても、悪癖であった。
もしも、倒れた冒険者に息があったのならば、闘えて、敵を倒していたかもしれない。それは、護る為の闘争だからだ。
だがしかし、現実はそうでない。故にレンツォは決断出来ずにいる。
理性では、殺人者など、例え殺してしまっても、問題はないと叫んでいる。
だがしかし、彼等も人であり、家族や友人や恋人なんかがいるかもしれないと考えてしまえば、本能が禁忌に触れる事を拒んだ。故に、守勢に徹する事しか出来ないでいる。
けれど、矢張り血の匂いに誘われたのか、周囲には霊獣達が集まる気配を感じていた。
争いを見守り、漁夫の利を得る気配である。疲弊した愚かな得物達を屠らんとする、貪婪な気配であった。
そして、一際大きな気配。
それは、エトナベアのモノ。もしもヤツがこの場に辿り着けば、彼等程度の腕では防戦にもならない。刃など、通らぬからだ。レンツォとて、ソロでのクマ狩りなど、御免であった。
だがしかし、霊獣達の気配が薄れてゆくのとは対照的に、クマの気配は濃くなって来ている。
大きさと感覚から考えて、まだ若い個体だ。この時期でもあるし、親離れしたばかりの個体かもしれなかった。
だが、油断はならない。クマの巨体も膂力も、脅威でしかないのだ。そして、その気配が近付いて——。
レンツォの背中側へ現れた。
一息に跳ぶ。クマの直前的なぶちかましは、エトナボアの五倍を超える。つまりは、音の五倍以上であった。
だが、クマは、立ち上がったまま動かない。その瞳で、周囲を、獲物達を睥睨している。
クマの厄介さには、この生物としての強大さから来る威圧感にもあった。人類種は本能的に、敵わぬ、喰われるとの恐怖を抱く。
そして、それを増幅させ、動きを縛るのが、エトナベアによる恐怖の術式だ。言語を介さない、天然の無詠唱術式であった。
地を蹴ったレンツォで、我を取り戻したのか。殺人者達は、踵を返す。正解だ。彼等では、クマの餌となるしかない。
レンツォも足腰へ強化を籠める。
良き相手に恵まれて、三年前のあの日より、彼もまた成長している。クマの速度は脅威だが、それも直線的なモノだ。
立体的な移動を可能とする彼が、逃走に徹するならば、経験の浅い若クマになぞ、捕らえられる道理はない。
息を吸い、一つ吐く。測るのはタイミング。クマの動きの後の先さえ取れば、逃げ切れる。そう確信を込めている。
だが、思わぬ事態が起こる。
逃走を計った殺人者達だが、あろう事か、冒険者の遺骸に向かい、その離れた頭部を拾い上げ、クマへと投げた。
五月蝿そうにしたクマは、腕を振る。冒険者の頭部は、そのまま弾けた。
目が眩む。真っ赤な視界が滲んだ。
奴らは、何をした? 事実は単純だ。遺骸の頭を拾い、クマへと投げた。斬り落とした、人の頭をだ。
クマは何をした? こちらも単調に、腕を振るっただけだ。邪魔だと、五月蝿そうに。
その結果。何が起こった? 簡単な答えがある。弔われべき、哀れな犠牲者の頭部は消失した。原型を留めぬ程に、砕け散った。
ふつふつと、腑が煮えくりかえる。
人は、誰もが尊厳を保たれなければ、ならない。単純で、普遍的な道徳観だ。戦闘は、世の習いでこそある。敵ならば、闘わなければならないし、殺すべき時には殺す事こそが、正道だった。
しかして、死者を辱めてはならない。敵であり、害であろうとも、同族であり、共に生きる、同胞なのだから。そして、誇り高き戦士の尊厳は、決して穢して良いものではない。
その時に、クマの咆哮が響き渡ったのは、僥倖だった。一時、我を忘れかけていたレンツォは、己を取り戻した。
人の尊厳を踏み躙る、外道をのさばらせてはならないと。
もうそれは、人ではない。死者へと報いる為に、覚悟は決まった。
その為には、この危地を脱せねばならなかった。
逃走は充分に可能だ。
だが、クマは畜生だ。残る遺骸も食い荒らす事だろう。人一人の尊厳を、胃の腑へ収めて、満足して眠るのだろう。自然の理であるが、それでも許せはしなかった。
ならば、逃走ではなく、闘争だ。
静かに大斧を振り被る。
盾は放している。クマの骨を断つには、片手の力では足りなかった。
クマは、そんなレンツォへ注意を払っていない。
血の滴るご馳走に、舌舐めずりをしている。
所詮は畜生か。獣め。貴様に未来は無いぞ。
そう思考すると同時に、レンツォは駆けている。一瞬の間であるが、時が止まった様だった。
「兄貴っ! クマ殺し、おめでとうございます!」
「やっば、レンツォの兄貴はすげーぜ!」
「怪我とか、してませんか?」
「いや。偶々だからな。実力を、過信して貰っては困るぞ」
冒険者組合に併設されたバールにて、最も騒ぐのは三名の少年冒険者達である。
他にも大勢の冒険者達がいるが、彼等に挟まれて、レンツォは苦い顔付きをしている。
何も、苦言を呈しているからではない。単純に、クマ肉が臭くて不味いからだった。
バールのマスターが腕によりをかけても、これだ。クマ狩りなど、流行る筈もないという、正直な感想であった。
クマの頭部を両断したレンツォは、殺害された冒険者の残った遺骸を拾い集め、収納の施された鞄へと仕舞った。そして熊の遺骸をおぶって、山を降りている。
オリヴェートリオ街道では、行き交う馬車や車両が事故を起こしたが、不注意運転だろう。気を付けて運転して貰いたかった。
カターニアの門へと辿り着くと、流石に守衛には見咎められたが、門へ入ろうとする不審者がレンツォであると判ると、祝福されてもいる。
単身でのエトナベアの討伐は、あくまでもシシリアでの地域称号でしかないが、クマ殺しの称号を得る。
それは実力の証明であった。
そして、クマ殺しの称号には、数字が付く。討伐数の証明としてである。
名誉あり、実力の証明でこそあるが、この数字を好んで増やす者は多くない。単身でのエトナベア討伐など、無謀で非効率であるからだ。
何せ、エトナベアの価値は低い。経済的な意味で。
まず、肉は臭くてマズイ。内臓も全部だ。毛皮も硬さはそれなりで、ゴワゴワとして質が悪い。脂も質が悪く、火を灯しても中々燃えなかった。残るは腱や骨だが、腱は死後すぐに収縮を始め、無駄に硬くなる。その硬さもそれなりで、使い道はあまりなかった。骨は硬いが、充分に鉱物で代用の効くものだ。それ程の商品価値はなかった。
エトナベアは強大で脅威であるが、文明に寄与する様な特徴はまったくなかった。
人類種とっては、危険で傍迷惑なだけの害獣であった。
では、何故。レンツォはそんな害獣をおぶってまで、街へと持ち帰ったのか。
それは、シシリアの冒険者達の習慣にあった。
初めてのクマ殺しでは、遺骸を持ち帰り、マズイ肉を振る舞う習慣だ。悪趣味極まりない。
しかも、その際に収納を用いてはならないというのも伝統だった。
頑固で悪趣味なシシリアの古い冒険者達は、大量のクマの血で紅く汚れたオリヴェートリオ街道を、ヴァージンロードと呼んだ。実に品のない話であった。
何でも、この習慣は、オリヴェートリオの初代が島へ訪れて、初めて行った事績から来ているらしい。
実に碌でも無い習慣だった。
だから、レンツォは、嫌々ながらも習慣に従う必要がある。男性先輩冒険者達は頑固であり、面倒臭い連中だった。
中にはこのクマ殺しを熟してこそ、真の錬鉄と呼ぶ者までもがいた。
彼等に認められないと、合同依頼なんかには、組み込まれ辛いのだ。『英雄』を目指すレンツォには、切実な事情であった。なお、この習慣が適用されるのは、男性冒険者だけである。
クマは映像越しに見れば、大変愛らしい見た目をしている。加えて、子供向けアニメの主人公、小熊のビーさんとしても、人気を博していた。
女性達はその可愛らしさに騙されて、クマに甘いと男達は語る。
クマ達は雌雄を問わず、繁殖期以外は大人しく、しかも女性には懐きやすい。繁殖期こそ無理だが、そのせいで、見せ物小屋に連れて来られたりもしていた。
クマへの感情は、男女間で随分と異なるのだ。男達にとってクマ殺しは誉だが、女達には蛮行であった。
それでも、男であるレンツォは、伝統に従わねばならない。マズイ肉を囲んでの宴会は、男達との結束の宴であった。時にその絆は、何にも勝るものとなる。
なお、この日以後、レンツォは周囲に妙な気配を感じる様になったのだが、暫く様子を見ても、特にこれといった事は起こらないので、捨て置いている。
後に、その迂闊を悔いる事となる。
ともあれ、一クマ殺しレンツォは、真なる錬鉄。真鉄として、面倒臭い冒険者仲間達に受け入れられた。
一応は、めでたし。めでたしである。
読まれたいし、感想とから評価も欲しいんだ。




