一
先生ー! あたし言霊捕まえましたよ!
『おぉ、よくやった。よしよし』
えへへー。もっと褒めてくれてもいいんですよー?
『そうだな。この前も頑張ったしな。ごほうびだ』
え? 先生……なんでそんな近づいて……。やだ、そんな……ダメですってー!!
ジリリリリリ…………
そこで目が覚めた。見慣れた天井が目に入る。あたしは鳴り続ける目覚まし時計を止めた。
「……夢?」
重症だわ……。
*
「あっはははは! それで? ベッドから落ちたの?」
「さすがにそこまでベタなことはしていないよ! 思い出し笑いはしたけど……」
そこまで笑うことないじゃん!
まだ笑い続けるほのこに、あたしはふくれっ面を浮かべた。
初恋っていうわけじゃない。 それなりに恋愛はしてきた。まぁ実ったり実らなかったりだけど……。
「色ボケしていて、中間テストは大丈夫だったのかしらねぇ」
「うっ、それは言わないでよ……。もう終わったことなんだから……」
だいたい、体育祭のすぐあとに中間テストをやること自体が間違っているのだ。みんな疲れて集中できないじゃないか!
まぁ運動音痴のあたしの場合、体育祭はいかに少ない競技で済ませるかの行事ではあるんだけど。
そんな悩みも今日で終わりだ。なんていったってテスト明け! ビバ天国! 開放感ハンパない!
「あ、こっち右ね」
あたしはほのこの案内に着いていく。
中間テストの終わった放課後、あたしたちは文房具屋へと向かっていた。夏休みにほのこはまたイベントに出るらしく、そのための材料の買い出しに来ているのだ。紙とかラミネートとかを買うらしい。
「ていうか近くの文房具屋じゃだめだったの?」
学校の近くにも文房具屋はある。それなりに大きい店だから、欲しいものはだいたい揃いそうだ。
「うーんだめじゃないけど、一回行ってみたかったお店なのよ。わりと老舗らしいし、雰囲気いいところだし。それに……みちるも喜ぶと思う」
ほのこはさっきからそれだ。なにかその文房具屋に行きたい理由があるらしいのだけど、決定的な理由を教えてくれない。怪しいなー、なんだろうなー。
「あ、ここだ」
ほのこの立ち止まったところ、見上げる看板は年期の入ったものだった。古めかしい木の看板には、『柳井堂』と記されている。
「ここ?」
「そうここ」
なんていうか、これは……。
「すっごい好き!」
「でしょう?」
ほのこはにやりと笑って答えるけれど、さすがほのこ! 分かっている!
大通りに面しておきながら、時代を感じさせる佇まい。ドアこそ自動ドアになっているけれど、その昔はきっと引き戸だったのだろう。
ガラス張りのドアの向こうには、扇子や線香などの季節の商品が並べられている。奥に見えるのはきっと、二階に続く階段だろう。
「よく見つけたね! こんなところ! あたしの好みドンピシャ!」
ほのこの顔は満足げだ。さすがほのこ様! 好き!
「さ、いつまでも外にいないで早く中に入りましょ」
「はーい!」
ほのこはあたしを中へと促した。
「いらっしゃいま、げ」
自動ドアの開く音に、入り口近くの棚の陰にいた店員さんが声を上げる。
ん? 『げ』ってなに?
「えっ? 先生!?」
そこにいたのは、ワイシャツにネクタイ、スラックス姿の先生だった。
やだかっこいい!
……じゃなくて!
「なんで先生がここにいるんですか!?」
「あー……。吉崎さんの仕業か……」
先生はあたしのうしろを見てそう言う。振り返ると、ほのこがにんまりと笑っていた。
「んふふー。私の情報収集力、舐めないでください」
え、なに? どういうこと?
前を振り向くと、先生は渋い顔をしていた。
「先生はここで働いているのよ」
ほのこの言葉に、あたしはしばしフリーズ。
「まじで!?」
「反応遅っ」
ほのこが鋭くツッコミを入れる。だってー、思いもしなかったんだもん。
ほのこがなにか企んでいるようだったのは、こういうことだったのか。
「騒ぐなよ、小娘。さっさと買い物してさっさと帰れ」
「ちょっとー? お客様に対してその態度はないんじゃないんですかー?」
これはいつもの立場が逆転しちゃうんじゃないのー?
先生は眉間のしわを深めた。
「買わない客は客じゃねぇ」
「買いますよー!」
そのために来たのだ。材料を買わないと帰れない。
「ナツメ君、どうかしましたか?」
そのとき、棚の陰から先生に声をかけてきた人がいた。
先生と年齢はそこまで変わらなさそうだ。柔らかそうな茶色い髪はその優しげな雰囲気とよく合っていて、細いシルバーフレームのメガネがその印象を深めている。先生と同じような格好で、胸元には『柳井』のネームプレートが付いていた。店長さんかな?
「穂波さんは引っ込んでいてくださいよ。トラブルが起きる」
え、店長さんにもその態度!?
でも店長さんは気にした様子もなさそうだ。
「あ、もしかして噂の女子高生? えっと、みちるさんですっけ?」
お? 噂になっているのか? 先生、いったいなんて話しているんだろう……。
「はい、桜原みちるです。もしかして、店長さんですか?」
「柳井穂波といいます。ナツメ君がいつもお世話になっていますね」
「どっちがだ。俺が世話してやっているんです」
なんだとー!? まぁたしかにそうだけど……。
「良かったら奥でお話ししませんか? ナツメ君の様子を聞きたいです」
「おい穂波さん」
先生はじろりと店長さんを睨む。もう敬語さえなくなった。
そんな先生に、店長さんはにっこりとほほ笑みかける。
「裏に引っ込んでおいてほしいんでしょう? 『ポンコツ穂波』は」
店長さん自虐!?
でも先生はそれを聞いて黙り込んでしまった。よーしお呼ばれだ!
レジ横のドアを潜って、あたしたちは応接間のようなところに通された。
クーラーの効いた店内だけど、外は暑かった。でも店長さんの煎れてくれた緑茶は、熱いけれどおいしい。館長さんといい、店長さんといい、お茶をおいしく煎れられる人っていいな。
猫舌のほのこは冷ましながらなんとか飲もうとしている。
「みちるさんは、言霊が見えるそうですね」
その言葉にあたしはぴくりとした。
「えっ、店長さん、そのこと知っているんですか!?」
「柳井でいいですよ。店を継いだばかりで、店長と呼ばれるのはなんだかむず痒い……。柳井の家は代々言霊使いでしてね、ナツメ君も僕がこの道に引きずり込んだんですよ。と言っても僕にはそこまで力がなくて、ナツメ君からポンコツ呼ばわりされているんですけど」
それでさっきの『ポンコツ』か。いやでもひどい。
「僕らは幼馴染なんですけど、見えない僕に対して、ナツメ君は言霊の気配がするだけで具合が悪くなるほどの力の持ち主でしてね……。コントロールできるようになるまで随分かかったんですよ」
柳井さんから聞かされたことに、あたしは言葉を失った。あの先生が本当に……? そんなに繊細だったなんて信じられない。
黙り込むあたしに、柳井さんはにっこりほほ笑みかけた。
「みちるさんと出会ってからのナツメ君は、調子が良さそうです」
「え……?」
「言霊が安定するんでしょうね。僕も気配を感じられるだけですが、この辺りの言霊も随分穏やかです。あなたの力もなかなかすごいものですよ」
本当にあたしにそんな力があるの? 自分じゃなにもしてないと思うんだけど……。
「でも先生は、全然そんなこと言っていなかったですけど」
「意地っ張りだからねぇ。年下相手ですし、みちるさんの前ではかっこつけたいんでしょう」
は!? あの先生が!?
いやいやありえない……。あたしを見る先生の目は、いつだっていじめがいがありそうな子を見る目をしている。百歩譲ってあたしが言霊を安定させられていたとしても、先生から頼られるなんて考えられない。柳井さん、いたいけな女子高生をからかっているなー?
「おい、なんの話をしているんですか」
そこに先生が顔を覗かせた。
「別に。ナツメ君は可愛いなぁという話ですよ」
「大のおとな捉まえて可愛いはないでしょう、可愛いは。穂波さん、日の江製紙の営業さんが来ていますよ」
「そうだ、今日いらっしゃる約束だったんだ。それじゃあみちるさん、ほのこさん、ごゆっくりどうぞ」
そう言って柳井さんは出ていってしまった。
「ほらお前らもさっさと茶飲んでさっさと買い物して帰れ」
「またそんな意地張ってー。あたしがいないと先生倒れちゃうんでしょう?」
「は? ……あぁ、穂波さんか。一応言っておくが、あれはガキのころの話で今はそんなことはない。小娘ごときの力で俺に一役買っているなんて思うなよ?」
「もー! ほんと素直じゃない!」
やっぱり頼りにされているなんて嘘みたいだ。でも内心ではそう思っているのかな?
まぁでもそろそろ目的を果たさなければ。あたしたちは売り場の方へ行こうと腰を上げた。
そのときだった。
ガタン!!
売り場の方から大きな音がした。
あたしたちは顔を見合わせた。