四
「それで、俺は来るか来ないか分からないヤツのために、待たされているっていうのか」
そして迎えた木曜日。放課後、資料館に向かうと先生はもうすでに来ていた。二階の小部屋には本が積まれていた。
「わー、それ言霊が憑いていた本ですか?」
「話を聞かんか小娘。これは言霊とは関係ない。ただ修理していた本だ。館長に頼まれていた分」
小娘呼ばわりされたのはちょっと気にかかるけど、先生はちゃんと教えてくれる。
「ていうかなんでもう知ってるんですか?」
「館長がメッセージ送ってくれた」
おぉ、そうなのか。館長さんがスマホ使うところは想像できないけど、そういえば下にはパソコンがあった。それならスマホも使えるのかな?
「副部長は来ますよ」
あたしには確信があった。
ほのこからの情報。副部長は美大を目指しているらしい。そして春休みから予備校に通っている。
休みがちになったのは新学期に入ってから。副部長がこの資料館に本を借りにきたことは、館長さんが覚えていた。四月中旬のことだという。
そのとき、下でドアの開く音がした。
あたしは先生を見てにっと笑う。先生は仏頂面のまま、漆塗りの箱を持って小部屋を出た。
先生に続いて小部屋を出ると、館長さんが副部長を連れて上がってくるところだった。
「ようこそ木曜会へ。副部長、こちらへどうぞ」
あたしは椅子を引いて副部長を迎えた。一度下に降りた館長さんが、紅茶をお盆に乗せて持ってきてくれる。
副部長はカップに視線を落としたまま黙り込んでいる。館長さんの紅茶おいしいから飲んでって思うけど、まぁそうなっちゃうよね。
「副部長、紹介しますね。この人はこの資料館の本の修復をしている、先生です。そして、心のよどみを解消してくれる人でもあります」
「おい」
先生がじろりと見下ろしてくるけど、話合わせてよ。大体合っているでしょ?
副部長は先生を見上げた。その顔には必死なものが浮かんでいる。
先生は「はーっ」と大きなため息を吐いて、あたしの隣に座った。そしてテーブルの上に漆塗りの箱を置くと、ふたを開けた。その中身を見て、副部長の肩がびくりと震える。
そこには『こころ』が納められていた。副部長の顔をちらりと見ると、その表情は強張ってしまっている。
「見えているな?」
『こころ』には黒いもやが絡みついている。
あれ? 言霊って力のある人にしか見えないんじゃなかったっけ?
先生は副部長を睨みつけるようにじっと見つめている。元々目つきがいいとは言えない先生だけど、そんな目していちゃ副部長が怖がっちゃうじゃん。
でも副部長はそれどころじゃなさそうだ。『こころ』に目を縫いつけられたかのように微動だにしない。
「物語とリンクしすぎだ。お前はお前、お嬢さんはお嬢さん。間違えるな。お前はまだ引き返せる」
副部長は予備校で知り合った人から言い寄られていた。付き合っている人がいるからと断るけれど、その人は押しが強い。できるだけ距離を置きたいけど、予備校には通わなければならない。彼氏を裏切っているようで、先輩は身も心もぼろぼろだった。
もやが色濃くぐるぐると渦巻いてきた。大丈夫なの? これ……。
「さぁ、お前はどうしたい?」
副部長の唇が震えた。膝の上の両手がぎゅっとスカートを掴む。
「わた、しは」
その唇から微かな声が紡がれる。風が起きた気がした。本から? あたしたちの前髪をふわりと浮かせる。
「私は……! あの人にはちゃんとお断りの返事をします……。私は彼が好きだから」
副部長の瞳から、涙が一筋零れた。そっと拭う様がなんだか綺麗だ。
先生が口の端を上げて笑った。
「よく言った」
そうしてどこに持っていたのか、傍らから一冊の本を取り出した。
その本を箱に納められたままの『こころ』に掲げる。
「惑い迷いし言霊よ、在るべき場所へと戻りたまえ」
先生が掲げた本から柔らかな白い光がもれ出す。光は黒いもやを包み込んだ。光が先生の本へと吸い込まれていく。
やっぱり幻想的な光景だ。最初はなにが起きているのか分からなかったけど、あれは言霊が救われているんだと今なら分かる。ぐるぐると行き場を失った想いが言霊となって本に取り憑いてしまう。それを救うのが先生のような言霊使いなんだ。
先生は本を閉じた。副部長がその様子を呆然と見ている。
「今の……なに……?」
「察しはついているんだろう? あれはお前が悩んでいたことが具現化したものだ。あのままだったらやばかったけど、お前はさっき、どうしたいか口にした。言葉には力が宿る。あとは行動に移すだけだ」
先生の言葉に、副部長は目を見開いた。先生を唖然と見上げて、やがて口をきゅっと引き結ぶ。
「……はい、ちゃんと彼氏と話してきます。いろいろありがとうございました」
そう言って副部長はぺこりと頭を下げると、資料館をあとにした。
先生は箱にふたをすると立ち上がる。下に向かうしろ姿に、あたしはついていった。
「先生、先生! さっきのどうやったんですか!? あたしも練習すればできるようになりますか!?」
「お前には無理だ」
「教えてくださいよー!」
あたしもできるようになりたいよー。先生のケチー。
ぶーぶー言うけれど、先生はあたしを無視して一階に降り立つ。ぐるりと見渡すと、航たちが座っているテーブルに目を留めた。
「あの本を持ってきたのはどっちだ?」
「あ、俺です」
航は睨みつけるような目をして答える。なんでそんなに怒っているんだよー。仲間はずれして一階で待たせたのがそんなにイヤだった? でもあんまり多いと副部長も警戒するだろうし……。
「あの子から預かったのか?」
「いえ、別の人からですけど……。なんでそんなこと聞くんすか?」
二人ともトゲがあるなぁ。もしかして相性悪い?
「そいつを連れて来い」
どういうことだ?
*
航の先輩はまだ教室に残っていたようで、呼び出しにすぐ応じてくれた。訝しげな顔をしながら、二階のテーブル席に座る。
向かいには先生だけが座って、あたしたち三人は傍に立っていた。
「なんすかコレ。北岡にどうしてもって言われて来たけど、あんた誰?」
サッカー部はトゲ標準装備なのか。先輩は落ち着きなく目をきょろきょろさせている。
まぁろくに説明もせずに呼び出せば、そうなるよな。先生はなんで先輩を呼ぶ必要があるのか、教えてくれなかった。先輩から航に疑問符を向けられるけど、答えようがない。
先生は漆塗りの箱を開けた。
「あれ?」
なんだ? なんだこれ。
「どうしたの? みちる」
そっか、見えているのはあたしだけなのか。
だって封じたはずの言霊が……。
「お前もこれを読んだな?」
先生が静かに言う。先輩の肩がぴくりと震えた。
箱の中の『こころ』からは、少しだけど黒いもやが染み出していた。言霊はさっき先生が封じたはずなのに、なんでだろう?
「……それがなに?」
「別に読むことは問題じゃない。ただ、そのあとの行動が問題なんだ」
先輩はぐっと押し黙る。
先生は小さくため息を吐いた。
「あんたになんの関係があるんだよ。俺らの問題だろ」
「そう、お前らの問題だ。じゃあなぜ彼女になんの相談もなく動いた?」
今度こそ先輩はなにも言い返せなかった。俯いて、唇を噛んでいる。
「……あいつから聞いたのかよ。確かに牽制しに行ったのは悪かったと思うけど、あいつは俺らの関係を知っていたはずだ。彼氏がいるのに告るとかずりーだろ。友達だと思っていたのに」
なるほど、そういうことか。ようやく話が繋がった。
副部長は予備校生から言い寄られていた。でもそれは自分の彼氏の親友だった。きっぱり振りたいところだけど、彼氏と親友の仲の良さを、副部長は知っている。
そんなときに出会ったのが『こころ』だった。副部長は先生とKとお嬢さんの関係に、自分たちの姿を重ねる。そうして悩んだ末に、言霊が生まれてしまった。
副部長には言霊が見えていた。先生いわく、想いが強すぎるとまれに見えてしまう人もいるらしい。『こころ』を気味悪く思った副部長は、見舞いに来た彼氏に返却を頼んだ。
それを読んだ先輩は、『こころ』に自分たちの関係を重ねてしまい、二重に言霊が憑いてしまったのだろう。
「『向上心のないものはばかだ』」
ふいに先生が言った。先輩は顔を上げる。
それは『こころ』に出てくる台詞だった。
「お前もこれを読んだなら分かるだろう。彼女がお前に言わなかったのは、別に浮気しようとしていたからじゃない。お前と友達の関係を慮って、言えずにいたんだ。先生とKのようにならないように」
先輩は目を見開いた。
親友に先輩がなにをしたかは分からない。作中でKは自殺してしまう。親友が自殺してしまうほどのことを先輩がしたとは思えないけど、あの様子を見ると結構揉めたのだろう。
「どうすべきか、もう分かるだろう?」
だけど先生は優しく諭す。先輩がどうするのか、自ら口にするのを待っているようだ。
「あいつに謝ってきます。まず、彼女にちゃんと話してから」
先輩はうな垂れていた。だけどその目にはしっかりとした意志が宿っている。きっともう大丈夫だろう。
先生がなにか呟いてあの本を箱に近づけたのは、あたしにははっきりと見えていた。だって幻想的な光が先生の手元から漏れていたから。
*
先輩の帰ったギャラリーで、あたしは漆塗りの箱を指先でなぞっていた。
「先輩と副部長、大丈夫ですかねー?」
「大丈夫だろ。言霊も封じられたし」
箱を取り上げられた。もうちょっと見ていたかったな。『こころ』からはもうもやは出ていない。美しい箱に納められた本は、なんだか穏やかに見えた。
「ところで先生、なんで先輩の言霊も憑いているって分かったんですか?」
そこがずっと疑問だった。副部長の言霊を封じて、一度は落ち着きを見せた本だ。それに言霊の残骸が見えたとしても、単純に考えれば副部長のものだと思いそうなものだ。
「簡単な話だ。こころは『先生』と『私』視点で語られる物語。思い入れが強くなるのは主人公と同じ立ち位置の者が多いっつーだけ」
なるほど……。あんまり深く考えて本を読んだことはないけど、冒険やバトルが多い少年マンガの方が、共感するのは男の子か多いっていう感じかな?
「ま、俺くらいの言霊使いなると、この本に憑いていた言霊が一人分じゃないってことはすぐ分かる。まぁ今回は、お前が副部長のバックグラウンドを調べていたからちょっとは助けになったがな。次も頼むぞ、小娘」
そう言って先生はあたしの頭をぽんぽん撫でた。
……なんだこれ。なんか心臓がおかしいぞ?
「って小娘ってなんですか!」
「なにってお前、小娘だろ。チビの方が良かったか?」
「そういう問題じゃなーい!」
そりゃあ先生から見れば子どもだろうし、背も高い方じゃないけど……。でも子ども扱いされるのはなんかいやだ。
「せんせー。副部長のことを調べたのは、主に私ですけど」
「おぉ、吉崎さんも助かった」
「なんでほのこは名前なの!?」
先生とほのこはけらけら笑っている。
納得いかない。でも、撫でられたところがまだ感触が残っているようでドキドキして、あたしはそれ以上追求することができなかった。
この感じ……。いやいやまさか!! だってあの先生だよ!? あんなに意地悪な!!
あたしは先生の方を見る。先生は館長さんと笑いながらなにか話をしている。なんだかその姿がキラキラして見える……。
間違いない。あたしは先生に恋をしてしまったようだ。




