三
下駄箱を確認すると幸いにも先輩はまだ帰ってなかったようで、航にメッセージを飛ばしてもらった。 返事はすぐに返ってきて、あたしたちは先輩のいる三年の教室に向かう。
教室に入る寸前、航があたしの腕を掴んだ。
「ちょっと待て、みちる。お前なんて言って先輩に説明する気だ?」
ん? どういうことだ?
「まさか『言霊が~』とか言うつもりじゃないよな?」
「当たり前じゃん。これは航だから言ったんだよ」
同じ文芸部員なのだ。三人だけの秘密だ。知らない人に言っても信じてもらえなさそうだし。
航の目が忙しなく動き出したのはなんでだろう?
「どうせ文芸部員だからとしか考えてないわよ」
おぉ、さすがほのこ。分かっている。
航が肩を落とした。仲間外れにしなかったのになんで落ち込むんだ。
「おー北岡。本返してくれた?」
教室にはまだ何人かの生徒が残っていた。航の先輩はドア近くの席に座って勉強してたようで、すぐに気づいてくれた。
「すんません、勉強中に。本はちゃんと返しときました。あの本のことで聞きたいことがあるってヤツがいるんすけど、ちょっといいですか?」
「おーなに?」
そうして航はあたしを促した。
「いきなり押しかけてすみません。あたし、二年三組の桜原みちるっていいます。あの本について聞きたいんですけど、あれ、いつ借りたんですか?」
「あれ? あれ借りたの俺じゃないんだよ。俺の彼女」
先輩、彼女いるんだ! かっこいもんな。
「彼女さん! 紹介してくれませんか!」
「なんで?」
先輩は訝しげな顔をしている。まぁそうだよな、不審に思うよな。
でもちゃんと理由を考えてきたから大丈夫!
「実は文芸部の次の部誌で、夏目漱石についての随筆を書こうと思ってるんです。いろんな人の感想を聞いて、それをまとめたいなぁって」
我ながらカンペキな理由! 不自然さのかけらもない!
「そっか。でもごめんけど会わせられない」
「なんで! ……ですか?」
まさか断られるとは思わなかった。思わずタメ口にもなっちゃう。
先輩は沈んだ表情をしている。
「ずっと休んでるんだ、学校」
あたしたちは顔を見合わせた。
*
週が明けて月曜日。あたしとほのこは、資料館で文芸部の活動をしていた。
結局きのうはあれ以上、先輩を追及することはできなかった。
彼女さんはひと月くらい、休んだり早退したりを繰り返しているらしい。なにか事情がありそうだ。先輩の表情がそう物語っていた。
「病気かなぁ」
大好きなイラストも筆が進まず、気づけばぼんやり考え事をしていたあたしはそう呟いていた。
「なんか、訳アリっぽかったわよねぇ」
ほのこがキーボードを打つ手を止めて、あたしに言う。
先輩はどこか言いよどんでる風でもあった。どう考えてもなにか事情がある。
「あー、さくっと解決して先生の鼻を明かしたかったのになー」
あたしはテーブルにあごを乗せた。うまくいかないものた。
呆れたため息が上から降ってくる。
「解決ってどうするつもりだったの。みちるは言霊が見えても、どうこうできるわけじゃないんでしょ?」
「それはそうだけど……」
痛いところを突かれた。
まぁ確かにほのこの言うとおりだ。先輩の彼女さんに会えたあとのことを全然考えていなかった。
あたしは口ごもる。
「吉崎さんの言うとおりですよ」
階段から声がした、振り向くと、館長さんがお盆を手に上ってくるところだった。館長さんはテーブルにティーカップとクッキーの缶を置いていく。
「昨日、利用者さんからいただいてね。お茶にしないかい?」
イストのクッキーだ! めっちゃおいしいけどめっちゃ高いやつ!
あたしは意気揚々とスケッチブックを片づけた。
「昨日って、ここ開いてたんですか?」
呆れ顔のほのこもそそくさとポメラを片づけた。ほのこもイストのお菓子好きなんじゃーん。
紅茶もいいとこのもののようで、クッキーとよく合う。あたしストレートって苦手なんだけど、これならいける。
「あぁ、土日は一般の人も利用できるようになってるんだよ」
「そうなんですかー。知らなかった」
「HPに書いてあるわよ」
だからなんでほのこはそんなに詳しいんだ。
館長さんはティーカップを置いて、あたしに向き直った。
「さっきの話の続きだけどね、言霊にはいいものと悪いものがある。扱い方を間違えば、命に関わることもあるんだ。ナツメ君はこの仕事を始めてもう長いからそこまで心配していないけど、桜原さんはまだその存在を知ったばかりだ。あまり無茶はしないでおくれ」
館長さんの言葉にあたしはうな垂れた。
確かにおもしろ半分なところがあったかもしれない。小説の主人公になったような気分で、突っ走っていた。
先生を見返したい、なんて気持ちで踏み込んじゃいけなかったんだ。
「わかりました……。気をつけます」
しゅんと肩を落としたあたしを見て、館長さんは小部屋の方へと向かった。そこから漆塗りの箱を持ってくると、テーブルの上でふたを開ける。
「まだ言霊が見えるかい?」
箱の中にはあの『こころ』が納められていた。もやがふわりと舞って、本の中へと消えていく。
「はい。まだ言霊が憑いているみたいです」
やっぱり見間違いなんかじゃなかった。この本には確かに言霊が憑いている。
館長さんはうすくほほ笑んでふたを閉めた。
「これはナツメ君から借りたものでね、江戸時代から伝わるものらしい。昔は言霊を浄化させる力を持っていたらしいんだが、今ではその力も薄れて、悪さをしないように抑えておくことだけしかできないそうだよ。だけどこれに入れておけば言霊はひとまず大丈夫だから、桜原さんたちはその彼女さんをつれておいで、木曜日に」
その言葉にあたしの心は浮上する。館長さんはなにも関わるなと言っているわけではない。無鉄砲に突き進むなと言っているのだ。
危ないときは引く。そして館長さんか先生を頼る。
「はい!」
館長さんはにっこり笑ってうなずいた。
よーしがんばるぞー!!
*
火曜日の昼休み。あたしは保健室にやって来た。
別に具合が悪いわけじゃない。ほのこからメッセージが着たのだ。
『彼女サン、保健室に登校の模様』
ほのこはこういう情報をいったいどこから仕入れているんだ?
でもその次に着たメッセージは、重要なものだった。
『彼女さんは美大の予備校に行ってるんだって。そこに通う浪人生から言い寄られてたらしい。しかもそれが――』
スマホに目を落としていると、急に保健室のドアが開いた。驚いてあたしはスマホを落としそうになる。保健室の先生だった。
「あら、驚かせてごめんなさいね。具合悪いの?」
「あ、えっと。ちょっとお腹が痛くて……」
「そう……。先生職員室に呼び出されちゃってね。悪いけど、熱計って机の上の紙に記入しててもらえるかしら。すぐ戻ってくるわ。あんまりきつかったらベッド使っていいからね」
そう言って保健室の先生は行ってしまった。チャンスかも?
あたしは静かにドアを明けた。壁際の机で参考書を広げている女子生徒がいる。先輩の彼女さんだ。
美術部の副部長だとは聞いていたけど、あたしこの人と会ったことある。一年生のころ、美術部に勧誘された。イラストしか描けないですって言ったら下がり眉がますます下がってすごく残念そうな顔をしていたのを覚えている。
「えっと、桜原さん?」
おぉ、名前覚えていてくれたんだ。というかあたし、副部長の顔をじろじろ見すぎだったかも。
「わー覚えていてもらって嬉しいです。話すの一年振りくらいじゃないですか?」
「ふふ、そうかも」
副部長は控えめに笑う。
よかった、これで話すきっかけを作れた。あたしはこれはチャンスと副部長の向かいに座った。
「副部長、どっか悪いんですか? カゼ?」
導入はあくまでさりげなく。警戒されないように。
だけど副部長の肩はびくりと揺れた。
「あ……まぁそんなとこ」
バレバレである。副部長ウソ下手だなー。
「そういえばあたし文芸部に入ったんですけど、いま部室が資料館なんですよー。この前部員の子が本返しに来たんですけど、それ頼んだのがサッカー部の先輩だったらしいんです。あの先輩、副部長の彼氏さんなんですってね!」
もういいや。慎重さとか知らない。ダイレクトアタックかましちゃえ。
副部長は泣きそうな顔で黙り込んでいる。あぁ、困らせたいわけじゃあないんだよな……。
「なにか、悩んでいることがあるんですか」
あたしは静かに告げる。副部長は顔を強張らせて視線を上げた。
よし、もう一押し。
「木曜会へ来てください。力になれるかもしれません」
昼休み終了五分前。
あたしは返事を聞かずに保健室をあとにした。




