第14話:賢者と地獄の谷、あるいはカプサイシンの呪い
札幌での『世界遺産《ビニ本》パニック』から一夜明け。
知識欲と性欲の探求で妙に疲労した俺たちは、心身を癒やすために北海道が誇る名湯へと足を運ぶことにした。
行き先は、札幌から車で一時間半ほどの距離にある温泉街――登別温泉である。
温泉街の最奥に位置する最大の源泉地『地獄谷』へと足を踏み入れた瞬間、ガーベラの顔色が一変した。
「ふ、ふとしよ……! なんじゃこの周囲に漂う、鼻を突くような硫黄の臭気は! それに、見ろ!」
ガーベラが指差した先には、赤茶けた荒涼たる大地が広がり、至る所からシューシューと真っ白な噴煙が上がり、熱湯がボコボコと音を立てて煮え滾っていた。
「凄まじい熱量と、大地のマナの乱れ……! これは間違いなく、超高位の炎と水による複合魔法の痕跡じゃ! いや、それだけではない……地下の奥深くに、強大な『炎の魔竜』が眠っておる気配がするぞ! 太、武器を構えろ!」
最強の賢者様は、今にも強大な結界魔法を展開しそうな勢いで両手を構えた。
周囲の観光客たちが「なんだあの外国人?」みたいな目でこちらを見ている。俺は慌ててガーベラの腕を押さえ込んだ。
「落ち着けバカ! 地球に魔竜なんかいないし、魔法の痕跡でもない! これは火山の地熱で湧き出たただの温泉だ! 名前もそのまま『地獄谷』っていう観光名所なんだよ!」
「な、なんじゃと……? これが自然の力だと言うのか……地球の自然エネルギー、恐るべしじゃ……」
大真面目に警戒モードに入っていたガーベラは、拍子抜けしたように目をパチクリとさせた後、モクモクと立ち上る湯気を不思議そうに見つめていた。
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その後、老舗の温泉旅館にチェックインした俺たちは、さっそく登別の湯を堪能した。
硫黄泉、食塩泉、明礬泉など、様々な泉質が湧き出る登別は「温泉のデパート」とも呼ばれている。
広々とした露天風呂に浸かり、大自然の空気を胸いっぱいに吸い込む。
「ふぁぁぁ〜……極楽じゃ〜……」
女湯の壁の向こうから、完全に骨抜きにされたガーベラの間抜けな声が聞こえてきた。
「太よぉ〜……地球の魔法の湯は最高じゃのぅ……。魔竜の血浴びより何倍も効くわい……」
「だから魔竜は関係ないっての。でも、確かにこりゃあ長旅の疲れが全部溶けていくな」
二人して、文字通りスライムのようにトロットロになるまで温泉を満喫した。
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湯上がり。浴衣姿で夜の温泉街へと繰り出した俺たちは、湯気があちこちから立ち上る情緒ある通りを歩きながら、夕食の店を探していた。
目についたのは、赤提灯が下がるこぢんまりとした居酒屋の看板。
そこには、こんな筆文字がデカデカと踊っていた。
『名物! 登別・閻魔やきそば!』
『激辛注意! 地獄ザンギ!』
「ほう……『えんま』に『地獄』とな」
ガーベラが、その禍々しい名前にピクリと反応した。
「冥界の王と、死者が落ちる奈落の名を冠する料理……! ただの食事にそれほど恐ろしい名を付けるとは、よほどの呪いや猛毒が仕込まれておるに違いない。太よ、最強の賢者として、この私が地球の呪い(グルメ)を調伏してやろうではないか!」
「いや、ただの激辛ご当地B級グルメなんだけどな……。まあいいか、俺も腹減ったし、ビールに合いそうだしな」
店に入り、さっそくその二品と生ビールを注文した。
運ばれてきたのは、胡麻の風味とスパイシーな香りが食欲をそそる、平打ち麺の『閻魔やきそば』。そして、真っ赤な特製唐辛子ダレがたっぷりと絡んだ巨大な鶏の唐揚げ『地獄ザンギ』である。
「むむっ、目が痛くなるほどの赤いオーラ(唐辛子)! いざ、尋常に行ざっ!」
ガーベラが気合と共に地獄ザンギにかぶりつく。
直後、彼女の顔がカッと赤く染まり、目を見開いた。
「辛ァァァァッ!!? なんじゃこれは、口の中で炎の魔法が爆発したかのようじゃ! じゃが……じゃが、美味い!! 肉汁の旨味と、この刺激がたまらん!」
俺も閻魔やきそばを啜る。
ピリリと舌を刺す強烈な辛味の後に、豚肉と野菜の深い旨味が押し寄せてくる。
「うおっ、想像以上に辛え! でも、箸が止まらん! すいません大将、生ビールおかわり!!」
俺たちは額に大粒の汗をかきながら、ヒィヒィと息を吐き、辛さと熱さで感覚が麻痺してきた口へ、冷たいビールを流し込んだ。
「くはぁぁぁっ! 辛い! 美味い! ビール! 最高じゃ太!」
「ああ! これが地獄なら、一生落ちたままでいいぜ!」
俺たちは最強の異世界チート能力など微塵も使わず、ただひたすらに地球のカプサイシンとアルコールの暴力に身を委ね、大満足で夜を更かしたのだった。
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――そして、翌朝。
「うぅぅ……」
爽やかな朝の陽光が差し込む旅館の部屋で、俺は腹の底から湧き上がる強烈な『鈍痛』で目を覚ました。
ギュルルルルッ!!
「いっ、たたた……! や、やばい、腹が……!」
俺は弾かれたように布団から跳ね起き、部屋のトイレへと駆け込んだ。
昨晩、調子に乗って摂取しすぎた大量の唐辛子とアルコール。それらが容赦なく俺の胃腸を破壊し、カプサイシンの復讐をもたらしていたのだ。
「くそっ、地球のB級グルメ舐めてた……っ!」
トイレの中で脂汗を流しながら、己の愚かさを呪うこと数十分。
ようやく嵐が去り、ふらふらになりながらトイレのドアを開けると――そこには、顔面を蒼白にさせたガーベラが、お腹を押さえてうずくまっていた。
「ふ、太……代われ……! わしの腹の中で、魔竜が暴れ回っておる……っ!」
「お、お前もか……! 早く入れ!」
入れ替わりでトイレに飛び込むガーベラ。
直後、中から悲痛な呻き声が響き渡った。
「うぐぅぅぅ……! わしの……わしの全属性魔法耐性を貫通して、直接臓腑にダメージを与えてくるとは……っ!」
異世界で数多の魔物を屠り、強力な呪いさえも弾き返してきた最強の賢者。
そんな彼女の鉄壁の防御すらも、地球の香辛料の物理的刺激の前には無力だった。
……まあ魔法じゃねえしな
やがて、トイレのドア越しに、力のないかすれた声が聞こえてきた。
「流石は……『えんま』に『地獄』じゃの……。地球の毒、恐るべし……」
名前に偽りなしの物理ダメージに完全敗北し、トイレの便座で項垂れる最強の賢者。
俺はまだチクチクと痛む自分のお腹を押さえながら、そのあまりにも間抜けな響きに、腹を抱えて笑うしかなかったのだった。




