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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
名実
198/223

名実121 {149単独}(353~354 佐田遺族への報告と確認の為、札幌へ)

 日付も変わろうかという10月19日の23時過ぎ。北見駅のホームに、西田と吉村の姿があった。土曜ということもあり、おそらくいつもの北見駅のこの時間帯よりは、ホームにオホーツク10号を待つ乗客は多いのではないかと、西田は漠然と考えていた。当然、2人はそのオホーツク10号に乗車して、これから札幌へと向かう為、当日の勤務を終えてこの場に居たのだった。


※※※※※※※


 前日の夕食時から、西田と吉村の捜査は一気に進展していた。武隈にあることを確認し、その後、念の為竹下に、竹下が西田の捜査メモに記述した、佐呂間漁協での取材内容についても確認していた。その結果としていよいよ、佐田実と大将の関係の謎についての推理が正しいか確認する為、札幌の佐田家を訪問するという話になっていたのだ。


 実際のところ、直接札幌に行かないまでも、未亡人の明子に電話で確認するだけで十分だった。ただ、やっと大島が逮捕されて、実が殺害された真相がほぼ解明された中、明子本人に会って、事情を出来る限り説明しておくのが、担当した刑事の責任の果たし方ではないかと考え、やはり直接札幌に行くという結論になったのだった。


 しかし、それはあくまで建前で、自分の目で「証拠」を直接確認したいという思いが、実際にはかなり強かったのも西田は自覚していた。吉村もおそらくそれを理解していたか、自身もそうしたいと思ったのか、「奥さんに確認してもらえばいいじゃないですか?」とは一言も言わなかった。そして、明子に電話を掛け、10月20日に、既に結婚して独立している息子と娘も交えて、佐田宅で面会する手はずを整えていた。


 これについて三谷課長に申し出た際、安村からの要請もあって、専従から一時離れることは渋々了承していた彼であったが、北見を月曜日まで完全に離れるという点については、かなり文句を言われた。


 方面本部や捜査本部は勿論、北見や北見周辺で捜査している分には、何かあればすぐ呼び出せるが、さすがに札幌となると、そう簡単に戻って来られる訳でもない。「重要案件」を抱えているのだから、幾ら専従から離れたとは言え、かなり捜査に責任のあるポジションの2人が、北見を離れる意味は、三谷ではなくても文句を言いたくなるのも当然だった。西田もそれはよくわかっていた。しかし、札幌には行かなくてはならないという決意もまた、揺るぎないものだった。何より大島自身は、北見ではなく札幌で勾留されたままであるという「言い訳」も存在していた。


 三谷は散々文句を言って、最後は愚痴気味になったが、「西田には借りがあるからな……」と、最後は渋々であったが了承してくれた。言うまでもなく、「借り」とは、西田が大島の事務所へのガサ入れを強硬に主張した時に、小籔などと共に反対側に回ったことであった。最終的に、安村が西田の側に付いて強行したものの、三谷としてもそれなりにずっと気にしていた部分があったのだろう。


※※※※※※※


「しかし、それにしても寒いな……」

西田は両手に白い息を吐き掛けながら、吉村に話し掛けた。既にこの時間、10月半ばとは言え、気温は3度前後となっており、ホームでオホーツクの入線を待つ他の乗客達も、寒さに耐える為か、足踏みしたり、身体を小刻みに揺らしたりしているのが目に付いていた。


「朝晩は、もうストーブ無いと耐えられないですよ」

吉村もそう言いながら、コートのポケットに突っ込んだ両手をモゾモゾとさせた。

「7年ぶりか……。電話口の声は元気そうだったけどな」

唐突に西田は、明日の午後に会う約束をしている明子について言及すると、

「まあ、奥さんが元気な内に、結果を出せて本当に良かったですよ」

と、明子にはかなり好意的だった吉村も応じた。


「元気な内も何も、今年中に何とかしなかったら、どうにもならなかったんだから、本当に良かった」

西田もまた、時効間際の解決を念頭に置いて喋ったが、

「佐田の事件は、本橋の一押しがなかったら、ここまで明らかになったかどうか……」

吉村は少し悔しそうに言った。確かに、本橋の復讐劇という貢献が決め手になったことは、残念ながら認めざるを得ない。


 それから大して時間も置かず、網走方面からディーゼルエンジンの轟音を轟かせてオホーツク10号はホームに入ってくると、自由席に2人を飲み込んで、漆黒の闇へと札幌へ向けて発車した。更に、次の停車駅である留辺蘂駅に20分程で到着し、そこから次の停車駅である生田原駅へと向かう。


 時間は日付が変わる、まさに直前だった。自由席には通常より客が多いとは言え、それなりに空きも多く、西田と吉村はシートを向かい合わせにする形で、4座席分を2人で占有し、それぞれ脚を伸ばして居た。ただ、西田も吉村もまんじりともせず、会話も交わすことなく車窓を見つめていた。


 オホーツク10号は、タコ部屋労働者の殉難追悼碑が近くにある金華駅を通り過ぎ、いよいよ、あえぐようなエンジン音を響かせて、サミットへ向けて、重苦しくも着実に走っていた。


 やがて走行音が微妙に変化し、夜の闇とは違う、仄暗ほのぐらい空間が車窓に広がり始めた。間違いなく常紋トンネルへと入り、壁に夜間で光量を落とした車内の照明が反射して見えているのだった。


 このたった数百メートルの間を貫く為、どれだけの犠牲を払ったのか、今となっては30秒ぐらいの間に通り過ぎてしまうのだから、到底容易たやすくは想像出来ない。一方、歴史という重い真実を知る2人にとっては、他の乗客とはおそらく違い、……ひょっとしたら認識している人間も、地元住民ならそれなりに居るのかもしれないが、別の意味で通過を長く感じていた。


 事件発生からこれまでJRに乗っていた際、常紋トンネルを通過した時に覚えたのと、更にまた違う感覚だったのは、捜査の進展と共に、図らずもより歴史の重みを痛感する立場に置かれたからだったかもしれない。それとも、事件の真相に近付いたことが、むしろ気を重くする要素になっていたことが、そういう感覚を覚えさせていたのかもしれない。ただ、その区別は2人にははっきりとは付いていなかった。


 そして、再び「通常」の闇へと踊り出たオホーツク10号の車窓の進行方向右には、2人の刑事人生を大きく変えることとなった、あの辺境の墓標が、見えずとも確かに存在しているはずだった。西田も吉村も、それについては一言も触れず、車窓の外へと目を凝らしていたが、生田原駅のホームに滑り込む頃には、二人共目を閉じ、明日へと備えていた。


 だが、札幌へ着くまで、疲労感のある2人でもまともに眠りに就けることはなかった。それはエンジン音がうるさい夜行ディーゼル特急の、しかも寝台車でもない座席車だったからではなく、まして事件が最終的な解決へと向かっているという高揚感でもなく、単に知人を検挙しなくてはならないという、真逆の絶望感の為せる技だったのだろう。


※※※※※※※


 翌10月20日の日曜日。札幌駅に早朝午前6時半頃着いた2人は、一度それぞれの実家で休むことにしていた。約束の時間は午後3時なので、まだ十分に時間はある。よく眠れなかったこともあり、ある程度仮眠は取れる点は助かる。


 西田も吉村も、睡眠不足以上の疲労感があったので、地下鉄などの公共交通機関利用ではなく、札幌駅から直接タクシーで帰ることにした。吉村の場合、実家は八軒だから、札幌駅からはかなり距離があるので、地下鉄の二十四軒駅からタクシーの方が安く済むだろうが、その気力もない様だった。


 家に戻った西田だったが、妻の由香も娘の美香も睡眠中で、用意されていた服に静かに着替え、居間で新聞を見始めた。久し振りの帰還の割に、かなり素っ気ない対応ではあったかもしれない。だが、西田本人が由香に「気にせず寝ていて構わない」と言った手前、実行に移された程度で腹を立てていては、この女性上位の時代に、責められるのは旦那の方と残念ながら道理が決まっている。


 さて、道報の新聞紙面の方はと言えば、相変わらず北朝鮮の拉致被害者問題と大島・瀧川の事件関係の記事が賑わっていた。直接の捜査関係者としてモロに当事者である西田は、記事の内容を確認しながら、「これは間違っているな……」などとブツブツ呟きながらも、他のページをめくって、全体を読むことで時間を潰していた。


 そうこうしている内に1時間程経つと、ようやく「山の神」のお目覚めのお時間となり、「あらお帰りなさい」と、これまた何とも言えない冷めた対応をされた。しかしながら、さすがにすぐに朝食を用意してもらい、今となっては数少ない女房の有難味を、単身赴任ならでは再確認させられたと言えた。


 娘の美香に至っては、「あ、帰ってたの? 珍しいね」と、起きて早々に、ぶっきらぼうに挨拶された程度だが、まあどこの家庭もこんなものだろう。平和だからこそのこういう対応だと思えば、一見味気ない朝も、また味わい深く感じられるものだ。


 何だかんだ言いつつも、久しぶりの我が家だけに、大いにリラックスは出来、更に数時間昼寝した後、西田は自分の車で吉村の実家へと向かった。今までは警察車両で活動していたが、今回は一々道警本部まで出掛けて借りるのが面倒なので、西田の自家用車で、直接佐田宅を訪問することにしていたのだ。


 八軒はっけんの吉村の自宅前で、わざわざ吉村の実母が出迎えてくれ、挨拶してもらった。実父は3年前に亡くなっており、実母1人ということで、吉村なりにそこそこ心配していることは知っていたが、かなり元気そうで、その点は西田も良かったと思っていた。


「お母さん、元気そうで何よりだな」

取り敢えずそう話し掛けると、

「それはそれで有り難いんですけど、何だかんだ言って70近いですからね。親父だって、元気だったのに突然だったし……。ところで、課長補佐の方は? 二人共お元気ですよね?」

と、逆に聞かれた。

「ああ、幸いな。健康でもあるし、カミさんの方も2人共元気だ。お前の方の嫁さんの方は?」

「そっちは両方とも健在です」


 7年前であれば、おそらく交わさなかったような会話だが、95年当時は39歳(作者注・ひょっとすると、これまで36歳設定にしていた箇所がある可能性があり、その場合申し訳ありません)だった西田と、30歳(こっちも32にしてたかもしれません。スイマセン)だった吉村の会話も、7年経てば変化するのも仕方ない。そしていずれ、と言うよりはあっという間に、自分達もそれぞれの娘に心配される年齢になるのだろう。否、それどころか心配されるだけマシで、邪魔者扱いされて、姥捨て山ルートになっている可能性も、少なからずあるかもしれない。


 そんな会話をしながら、車は新川通しんかわどおりから北大通ほくだいどおりへと入り、そこから札幌新道さっぽろしんどうへ右折して、伏古の佐田宅へと滑り込んだ。


※※※※※※※


「吉村も、7年前のあれ以来だろ?」

西田は車のドアを締めると確認した。

「違いますよ。……確か4年前ぐらいだったと思うんですが、たまたま近くに捜査の関係でやってきて、玄関前だけでしたが、奥さんの明子さんの顔だけ見て帰ったはずです。突然の訪問だったんで、迷惑掛けちゃいけないってのもありましたが」

意外な吉村の返答に、

「そうだったのか! 俺は完全にご無沙汰してたわ」

と返した。

「まあ、『結果』が出てないんじゃ仕方ないですよ。俺も迷いましたから、あの時は……。でも、今回は良い報告が出来ますから、その点は気が楽です。ただ、違う重荷を背負っての訪問ですけどねえ……」

吉村はそう言ったが、正確に言えば7年前も、大阪から本橋の聴取の後に帰札して訪問した時には、不完全ながら本橋の自供という成果は出ていたと言えた。


 しかし、西田が大阪から、偽証文作りの本の所有について明子に聞くついでに、電話報告で済ませていたのと、新たに明子に確認すべき、実による偽証文作りの件の聴取などが重なって、まともな報告はしていなかった。そもそも、西田達自身がそれで全て解決していたとは思っていなかったことも、面と向かってまともな報告をしていなかった理由だった。




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