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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
名実
172/223

名実95 {123単独}(295~296 桑野欣也と小野寺道利の生い立ち3・昭和恐慌)

「伊坂大吉は、免出の遺児というか息子には、遺産を渡せることはないだろうという諦めもそれなりにあったと息子の政光から聞いてますが、その点は桑野さんも同じだったんでしょうか?」

吉村が確認すると、

「可能性が低いということは思慮していただろうが、諦めたというならそれは違うと思うぞ。何とかしてやりたいという思いは強くあったのは間違いない。欣ちゃんは生前、証文の話題をする時は、それを必ず取り出して私に見せ、その度に、『何としても、免出あいつの為に、名は勿論、顔もまともに知らない息子に父親の分の砂金を渡してやりたい。それが俺があいつに出来る唯一の手向たむけだ』とも熱弁していた。そして欣ちゃんが語っていた生前の免出は常々、『息子とその母親には、今は到底合わせる顔がないが、出来るだけ近くに居たいという気持ちでここに居る』とも、仲間に言っていたらしい。免出はそれ以上は、はっきりとは語らなかったらしいが、生田原の砂金堀場からそう遠くない場所に2人は居たんじゃないかと、その発言から欣ちゃん達は考えてもいた様だな。とにかく、免出を弟分としてかなり可愛がっていたからこそ、その子供のことは何とかしてやりたいという思いは強かったはずだ」

と答えた。


 免出の遺児が、ひょっとすると生田原からそう遠くない場所に居た可能性があるというのは、大吉の息子である政光から聞いたものと、ほぼ一致した情報だった。更に、

「そして証文の話題になると、欣ちゃんにはもう1つお決まりの発言があった。それは、『いつかこの砂金で、2人で一旗上げよう。岩手で親の代わりに漁師をやるのも良しだ。ただ、正直もう一度高校からやり直したい思いはある。しかし年齢が年齢だけにそれは難しいかもしれない。一方でそれが叶うならば、政治家として日本を何とかしたいという気持ちもある。否、むしろ日々強くなっている。この国の労働者階級を何とか救いたい』と、相変わらずの強い岩手訛で将来の夢を語っていた。……ああ、これまで私は欣ちゃんの語っていたことを、標準語に直して再現していたが、実際には相当強い岩手訛りだったので、そのままだと君らにはわからないからな」

と付け加え、抑えつつも苦笑した。


「そうですか……。免出の砂金の件はわかりました。そして政治家になりたかったんですね、桑野さんは」

西田はそこにも着目したが、

「当時の底辺労働者の惨状を見て、以前から左翼運動に傾倒していたことに加え、自分で何とかしないとならんという使命感か義務感も、彼には芽生えていたんだろう……。しかし、当時はまだ左翼は非合法の時代だ。だから夢ではあると……。とは言え、そう遠くない将来、自由な政治の時代が来るとも予期していたよ、欣ちゃんは。日本のああいう体制は長くは続かないと見切っていた。ただ、その戦争での負けによって、日本国としての国家生命そのものが奪われてしまえば、にほん自体の将来だけでなく、その夢もついえると、その点だけはかなり心配していたがね」

と、桑野欣也の当時の思いを大島は切々と語ってみせた。


「桑野さんの人物像を聞く限り、政治家になったらなったで、立派な政治家になったかもしれませんね」

吉村が珍しくしおらしいことを言ったが、

「かもしれないではない! 確実になったはずだ! 残念だが、私とはあらゆる点で出来が違うんだ彼は! 桑野欣也の早世は、大袈裟ではなく、戦後日本政治にとっての喪失だと言っても過言ではないと、私は確信している!」

そう力強く、大島は溢れる熱い思いを桑野とは何の関係もない刑事相手にぶつけてきた。


 確かに桑野欣也は、大島の身びいきの類とは無関係に、相当出来た人物だったのは間違いなかったろう。ただ、今現在において、桑野の人物像を必要以上に膨らませたところで、興味本位はともかく捜査上はそれ程大きな意味はない。西田は話の展開を急ぐことにした。


「ところで、ちょっと話は戻りますが、鴻之舞で共に働くようになった経緯について、もうちょっと詳しく聞かせてください。桑野さんが生田原から去った後、鴻之舞で働き始め、そこで鉱夫からダイナマイト技師の見習いとして勤務し、勤務条件が良かったので、会社に話を付けて小野寺さんを呼び寄せたんですよね?」

「その通り。仙崎の下も働きやすい所ではあったが、何せ山の中にほとんど居るわけで、公衆衛生が良いという訳でもない。生田原を去った後は、以前のように飯場を渡り歩いていたらしいが、そろそろ冬になるということで、ある程度まともな所で働きたいと思ったそうだ。そこで、左翼側の人間としては余りいい気分ではなかったが、三友財閥系の鴻之舞金鉱山で鉱夫を募集していたということから、取り敢えず応募してみたらしい。本来なら親指の欠損者は採用しないということだったが、金の需要がピークに達していたことや、ツルハシ程度の使用は問題ないということで採用された。鴻之舞は、最新の金山ということもあり、当時の鉱山としては待遇もかなり良かった。そして欣ちゃんは、一介の鉱夫から、学歴を買われたことに加え障害のこともあって、ダイナマイト技師の見習いとして抜擢されたんだ。そこから落ち着いたことで、私を仙台から呼び寄せることにしたという訳だ。ただ、仙台から呼び寄せた直接の原因は、お世話になっていた乾物屋の経営が思わしくなくなって、これ以上迷惑を掛けられないという、私からの手紙を読んだことが、はっきり言えば一番大きな要因だったと思う。元々、仙台でもかなりの大店おおだなの部類ではあったらしいが、やはり世界恐慌から始まった昭和恐慌や、東北の飢饉、津波が影響した昭和10年前後の東北の大不況の余波で、屋台骨が傾きつつあったからな……。本当に当時は大変だった……」

そう言うと、大島は自分の言葉に自分で数回軽く頷いた。当時はそれ程深刻な状況だったのだろう。


※※※※※※※


 昭和恐慌とは、1929年のウォール街の株価暴落に端を発した世界恐慌の余波が日本経済を襲い、翌年の1930年から1931年にかけて発生した、日本経済における大不況のことである。


 特に第一次大戦によってバブル化した資産が、世界恐慌以前からの何度かの不況(後に別途触れる)で徐々に不良債権化しつつあり、世界恐慌で決定的に不良債権化した為に金融不安を招いた。更に、それを金融引き締め政策によって対処しようとした為、深刻なデフレを引き起こしたのである。


 また、日本の主力産業構造が、特に外需の影響を受けやすかったことで、世界恐慌による不況に拍車を掛けた点も特筆出来よう。


 生糸の欧米(特にアメリカ)への輸出と、それによって得た利益を元にし、屑鉄、綿花、原油などをアメリカから輸入。更に輸入した綿花から綿糸や綿織物を製造してアジアへ輸出し、更にその利益から重工業原料を輸入するという産業形態を取っていた為、世界恐慌で特に打撃を受けたアメリカとアジアの情勢が、ダイレクトに大きく日本経済に跳ね返ってきたという点だ。


 また生糸自体がアメリカにとって、化学繊維の登場で必要不可欠な輸入品ではなくなっていたことも、日本にとっては痛い点だった。


1930年の失業者は全国で250万人にも及び(この年の日本の総人口が、ほぼ6445万人ジャストであったことから見ても、相当の失業者数)、人口比で見てもかなり少なかった大卒者ですら就職出来ない時代であり、「大学は出たけれど」の有名フレーズ(このフレーズは、戦後の1950年代の不況時にも再びクローズアップされることになる)が生まれる切っ掛けとなった。


 また生糸の暴落は勿論、前年の豊作から豊作貧乏を招いたことや、台湾や朝鮮から安価な輸入米が入ってきたこともあり、農村は特に疲弊していた。


 1933年には、大蔵大臣・高橋是清の進めた量的緩和と積極財政による円安で輸出が盛り返し、一応は不況を脱することに成功したものの、これを不当な為替政策として良しとしない欧米列強がブロック経済を導入した為、意図せず後の世界大戦に繋がる布石となってしまった。また、国民の生活は失業などの困窮状態からは明確に改善したが、物価が再び上昇しても賃金が余り上がらなかった副作用として、多くの庶民にとって、生活自体は基本的に苦しい状況にあった。


 同時に、世界的な軍縮の流れに反し、積極財政の1つとして軍事力増強に国費が相当額投じられたことも、後の軍部の暴走に繋がるという、長期的視点で見れば悪手でもあった。


 更に間の悪いことに、東北地方では1930年から1934年まで、前述の東北大飢饉が発生していた。これに対処する目的で、積極財政の一環として時局匡救じきょくきょうきゅう事業という農村振興費が3年間(1932~1934年)一応計上されたものの、疲弊した東北の復興には程遠く(土木事業中心の政策により、セメントや鉄鋼などの業界は利益を上げた)、昭和三陸津波と併せ、日本全体での回復期においても、長い不況期が局地的に続いていたり、一般国民には恩恵が余り行き渡っていなかったりといった状況が混在していたのである。尚、これら当時の経済状況については、後に更に詳しく触れる。


※※※※※※※


「ということは、当時の小野寺さんとしても、従兄弟からの誘いは、渡りに船というか、ありがたい提案だったというわけなんですね?」

「大変世話になった安積商店の人達だから、私としてもこれ以上迷惑を掛けられないという思いも強くあった。当然あちら側としても、私の身の上を考えると、色々言い出しにくい訳だから、タイミング的にも非常に良かったのは間違いない。一も二もなく北海道へ渡ることを決めた」

吉村の問いに躊躇なく答えた大島だった。


「それが昭和17年の3月でしたか? あなたの鴻之舞金山における雇用契約書にはそうなっていましたね」

「ほう。そちらも入手済みとは恐れ入った。確かにそうだったはずだ。しかし3月とは言っても、北海道は雪深い上に、鴻之舞は更に山の中だからな……。東北出身とは言え、そう雪深いところの出ではないから、『とんでもないところに来た』と、当初は思ったもんだ……。おまけに朝晩の冷え具合も凄かった。今でこそ北海道の家の造りは、大層良くなっているが、昔は冬になると室内に置いてある醤油すら凍ることもよくあると、家庭持ちの同僚から聞いたもんだ」

西田に確認を求められた大島だったが、聞かれたこと以上の当時の記憶を生々しく語った。ただ醤油が凍る云々については、西田も父母辺りから聞いたことがあるレベルで、当時の道内の田舎の住宅事情では、さほど珍しいことでもなかったのだろう。


「鴻之舞での仕事の方はどうでしたか? ダイナマイト……、発破技師の見習いだったということですが」

「欣ちゃんは、既にある程度馴れていたので、見習いとは言ってもそれなりに技師の手伝いをしてたが、私の場合には、数ヶ月後の湧別の事故で逃げ出すまで、本当に見習いというか、下働きのような感じだった。しかしだからこそ、あの機雷の爆発事故で、機雷の近くに居ずに済んだとも言える……。それはそれとして、仕事自体はそれ程厳しいということでもなかったが、坑道の中は地下深いということもあって、かなり暑くてな……。外は未だ寒いのに、中はかなりの汗をかく環境だ。これが夏になったら、一体どうなるかという点は気掛かりではあった。欣ちゃんも夏はまだ体験していなかったので、同僚の先輩技師に聞くと、やはり厳しいと……。特に鉱夫の場合は、一度坑内に入ると数キロは痩せるという話だった。汗で塩分が外に排出されてしまうから、塩を舐めながらの作業をしないとならないらしい。当然、冬場でもかなりの汗をかくことに変わりはなかった。ただ、それでも当時の炭鉱なんかに比べれば、数段労働環境は良く、かなり恵まれていると欣ちゃんはよく語ってた。金鉱山は当時は特にドル箱だったからね。福利厚生面でも他の鉱山とは次元が違ったらしい。私としては、『当時』は比較対象がないから何とも言えなかったがね」

大島は、80歳を優に超えている老人ではあるが、さすがに現役議員だけあって、記憶もしっかりしており、吉村への返答もはっきりとしていた。


「先程も話してもらいましたが、鴻之舞で一緒に働き始めて、色々と具体的に証文絡みの件について、桑野さんから聞いていたという訳ですね」

「そのままさっき話した通りだ」

西田の問いに、力強く肯定した。


「では、いよいよですが、機雷爆発事故の話に移らせてもらいます。あの日一体何が起きたのか、教えてください」

「うむ……。あの日のことは、今でもよく憶えている。……というより、忘れられないという方が正しいだろう」

大島はそう前置くと、一度唸るように低い声を発した。そして、「よしっ」と静かに自分を鼓舞するようなことを口走ると、口を再び開いた。


「湧別の浜に打ち上がった2つの機雷の爆破を、急遽手伝ってくれという話が、事故の2日前だから……、おそらく5月24日だったかに、我々の元へ突然入ってきた。本来は生田原の北ノ王金山の方が請け負ったらしいが、所用で午後からしか行くことが出来ないので、その間の扱いは鴻之舞金山の連中に頼みたいと……。当然、技師長の竹富さんという人は、それを受けた会社の方にかなり抗議した様だった。『馴れていない作業を担うのは危険だ』とね……。しかし、警察からの要請となると、会社としても断り様がなかったし、発破自体は午後からの北ノ王の連中がやるということで渋々従ったそうだ。それで、竹富さん率いる私も入れた4名で、朝一で鴻之舞の集落を出た。爆破自体は北ノ王の技師に任せるので、ダイナマイトを持っていく必要もなく、その点は気楽だったのを憶えている。金八きんぱち峠(作者注・金八峠については、http://story.engaru.jp/story/%E9%87%91%E5%85%AB%E5%B3%A0/ 参照)を超えて、丸瀬布まるせっぷ駅まで出て国鉄で遠軽駅まで行き、乗り換えて湧別の……、確かポント浜とか言う名前の浜だったか?」

そこまで喋ると突如確認してきたので、西田は頷いてみせると、

「そこに着いた。当日は大変良い天気で、まさか、あの後ああいう惨劇が繰り広げられるとは、私は勿論一緒に来た欣ちゃん、竹富さん、相良さがらさんも思ってたはずもない……」

と続け、大島は肩を落とした。


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