名実81 {109単独}(258~259 竹下による本橋の心理推測1)
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「……もよろしく頼むわ。今度は神戸の行橋っちゅう爺さんや」
「神戸の爺さんですか……。神戸は案外不案内なところもありますよって、正直安請け合いは、今回親父の頼みでも厳しいもんがありますわ……」
「そないなこと言われても、こっちも困るわ!今度の話は、ウチの郷田商会のシマ争いも絡んどるさかい、絶対、始末しておく必要があるんや。お前に頼むしかない!」
「便りにしてもらうんは、大変名誉な話ですが、失敗したら、葵の方にも迷惑掛けかねませんわ」
「せやかて、お前は破門ということになっとるさかい、その点は安心やろ? それにな、田畑の方も、そろそろお前の働き次第で、戻ってもらうことも考えないとアカンと、ワシに意見しとるんや」
「田畑の叔父貴がですか!? ……それは、こっちとしても正直ありがたい話です。ただ、だからこそ、いい加減な気持ちで引き受けるんは、ためらわれるんですわ」
「とにかく、こっちとしてはお前以上の人選はあらへんのや!」
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会話は、おそらく瀧川から掛かってきたため、途中から録音されていたが、ここに至って、しばらく2人の会話は途切れた。無音声だが、妙な緊張感が、10年以上前というタイムラグがあるとは言え、聞いている方にも伝わって来るかの様に、竹下は錯覚していた。そして、本橋から話は再開された。
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「……まあ、親父がそこまで言わはるなら、今回は引き受けさせて貰います。ただ、銃が同じやと、線状痕で、既に察の方には、確実にバレとります。重ねれば重ねるほど、パクられる危険性も高まりますよって、その点は頼んますわ」
「銃は変えてないんか?」
「基本的に至近距離でやっとるにせよ、扱い慣れたもんやないと、危なくて仕方ありませんわ! 失敗が許されんのは勿論、暴発したりするのが一番危険なのは、親父もわかっとるはず」
「まあな……」
「とにかく、その点はよろしく頼んます」
「ようわかった。あと、手付と報酬の方は今まで通り。無理を聞いてもらったさかい、金額は手付で200、成功報酬で600にさせてもらう。明後日までには用意しとくわ」
「ありがとうございます」
「ほな、しっかり頼むで! 期待しとる」
「わかりました。期待に沿えるように精一杯やらせてもらいますわ」
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「……になっても何も動かんとは、一体どうなっとんのや! 何時になったら決行するんや!」
「親父! 相手の行橋の爺が、隠居してるっちゅう割に、エライ活動的で外出が多く、しかも行動のパターンが読めんことが多いんですわ! もうちょっと様子見させてもらわんと」
「何時になったらわかるんや?」
「こればっかりは、こっちの都合で決まるもんやないですから」
「幸夫、お前の将来の為にも、出来るだけ早う始末しとった方がエエんやぞ?」
「わかっとります。後、最大で1ヶ月ぐらいは見といてもらわんと」
「1月もか!? ちょっと様子見し過ぎやろ?」
「確実に仕留めるには、是非とも必要な期間ですわ。家政婦とかも居りますから、そういうのも巻き込まないようにせんと」
「お手伝いなんて、一緒に始末してしまえ!」
「……いやいや、余計な人間を巻き込めば、それだけパクられる要素を増やすだけですわ……。仕留め損なう可能性だけやのうて、相手が増える分、こっちが逃げるまでの時間を取られる可能性が増えますさかい」
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本橋はそのような理由付けをしていたが、おそらくは、本心から無関係の人間を巻き込みたくはなかったのだろうと竹下は推測した。
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「お前がそこまで言うなら、任せるより他ないのは確かやけどなあ……。出来るだけ早くしてもらわんと」
「そこは重々承知しとりますよって」
「うむ、時間取らせて悪かったな」
「いえいえ……。それじゃ、また何かあれば連絡させてもらいます」
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「……状況はどうなっとるんや?」
「決行日が決められるという程までは行っとらんもんの、おそらく金曜のどれかには」
「金曜か? 今月中にやれるか? さすがにお前が前、ワシに言っとったタイムリミットには何とかせんとな」
「……、19か26のどっちかの金曜を考えとります」
「19日か26日やな? 約束やぞ!」
「何とかします」
「吉報を待っとるぞ! ほな切るで」
「失礼します」
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そして、録音された会話はそこまでだった。この後、本橋は元会社役員の老人を殺害し、その上で、事実上の自首に近い形で逮捕されることとなる。会話があっさりと終わっただけに、その後の「激動」とは、にわかに結びつき難いところがあった。
「それにしても、瀧川ってのは、言葉遣いの粗さは大したこともあらへんが、さすがデカイ暴力団のトップだけあって、言外に高圧的な雰囲気を感じさせる喋りやな……。有無を言わせないような雰囲気が、電話の会話ですらにじみ出とる。幸夫は、人殺しを最終的には後悔しとる様やったが、その後悔をさせるような強要が、幸夫にこういう形でバラされることにつながったんやろか?」
黒田が開口一番そう喋ると、
「ワシも直接言葉を交わしたことはないんやけど、そりゃ、あんだけの規模のヤクザ動かす男やから、そこら辺の迫力は桁違いやと思いますわ」
久保山も頷きながら続いた。
しかし、竹下としては、その理由はおそらく事実と違う訳で、訂正せざるを得なかった。
「本橋さんが、今こうやって、瀧川の罪を表沙汰にしてるのは、それは、ほぼ理由ではないと思いますよ。確かに、心ならずも人殺しを指示されたという点は、遠因にはなっているかもしれません。でも、本橋さん自体、殺人そのものに対しては、良心の呵責を感じたとしても、瀧川に対する忠誠心は、別のモノとして持っていたと言うのが正しい認識でしょう」
不意に竹下にこう反論され、
「そないなこと言うても、ワシには、他に何か原因が思い浮かばんわ」
と、久保山は困惑した顔で言った。
「カギになるのは、順番で言うと、一連の事件の中で、1987年の2番目の事件だと、我々は考えています。さっきも言いましたが、この事件は、私が西田に指示されて、こちらへ捜査の為にやって来た、本当の目的でもありました。そして、今回発見された証拠によって、大きな成果にもなってくれると確信しています」
そう言うと、竹下は、ノートの佐田実殺害についての経緯が書かれた部分を、再び開いた。
「例の大島が絡んどったって奴か?」
その様子を見ながら、黒田が確認してきたので
「ええ、仰る通りです。多分、御二人ともはっきりと区別が付いていないのではと思いますが、実はこの事件、本橋さんに裁判で死刑が宣告された、他の4つの事件の方とは、全く別の性格を持った事件なんです」
と伝えた。
「あ? 確か兄貴の死刑が決まった後、自分が関わった件を洗いざらい自供した時に、新しく自供した殺人ってのがこれか? 何かそんなのが記憶にあったわ!」
「言われてみれば、ちょっと複雑な展開があったな、幸夫が自白した時に……」
久保山が気付いたことで、黒田も当時の記憶が甦った様だ。
「そうです! おわかりでしたか。それなら詳しく説明する手間が省けます! 本橋さんの上告が棄却されて、最初に死刑が確定したのは、この2番目の、大島が関わった事件を除いた、残りの4件についてでした。ここに書かれている様に、この2番目の殺人については、瀧川や大島の要請で、殺人自体が発覚しないように山中に埋めたので、本橋さんの死刑が確定する直前まで、警察は遺体を発見出来ていなかったんです。それで、殺人と断定することが出来ず、それまで、ただの行方不明事件として扱われていました」
こう言うと、相手の理解度を測るため、2人の表情を窺い、問題無しと認識したので、話を再開する。
「ところが、本橋さんが、95年の9月に死刑判決が確定してから、その判決対象となった殺人事件について自供する過程で、更に、この発覚していなかった2番目の殺人事件まで自供しました。もっと正確に言えば、むしろこの自供が、一連の自供の真の目的でしたが……。それで、大阪府警やら警察庁やら道警やらまで巻き込んで、大変な騒ぎになった訳です。因みにこの件では、別途裁判が開かれて、本橋さんには、改めて無期懲役が言い渡されました。と言っても、既に死刑が決まってる訳ですから、実質的には何の意味もないものでしたが……」
竹下のこの様な説明に対し、
「ほんで、そのことが、この幸夫の復讐劇とどう絡んでくるんや?」
と、黒田がもっともな質問をした。
「それについては、ちょっと面倒なんで、よく聞いていてください」
竹下はそう前置くと、解説を始めた。
「まず、この件について説明する前に、前提となる話があるので、それから説明します。当時、本橋さんが自供をすることになった95年の初夏辺りで、私が当時居た所轄において、倉敷出身で、関西の大学に通っていた青年の殺人事件が発覚したんです。それを捜査する内に、佐田実が、87年の秋から95年の夏まで行方不明だったことが、どうもその青年が92年に殺害された原因になっているという推測を、8月の上旬には、我々はしていたんです。具体的に言いますと、95年当時の3年前、つまり92年の夏に、ある男が、本橋さんが1987年に起こした、2番目の殺人である佐田実の遺体を掘り起こしていたのを、その青年がたまたま目撃してしまい、口封じの意味で、その青年がその男に殺害されたという推測でした。で、その殺人を犯した『ある男』というのが、87年当時、本橋さんが佐田を殺害するのに加担した、伊坂という男の更に手下である、日記で言う所の、このシノ田という男だったと見ていた訳です。正確には、こういう字の男です」
そこまで言うと、竹下は本橋の日記の該当部分を指すとともに、自分のメモ帳を破って、そこに「篠田」と書き込んだ。ここまでは、2人も理解出来ているようで軽く頷いていた。
「しかし、渦中の篠田は、残念ながら95年の捜査時点で、既に死亡していました。そこで、同じく手下だった喜多川……、おっと、字は、正確にはこっちの喜多川です。本橋さんは字までは正しく認識していなかったようですが、まあそれは仕方ないことでしょう」
そう言うと、本橋が「北川」とノートに書いていたので、先程のメモ帳の切れ端に「喜多川」と改めて書き込んで訂正して見せ、話を続ける。
「それで、その喜多川を別の事件で取り調べて、その青年が殺害されるに至った真相や、佐田実の行方不明事件の真相を探ろうとしていました。ところが、取り調べの最中に、脳内出血を起こして、そのまま意識不明になって……。更に秋には、これ以上の回復の見込みも無いとされ、生命維持装置を外して死亡しました。ここで事件は、完全に暗礁に乗り上げたんです。……ここまで大丈夫ですか?」
「ああ、何とか付いていけるわ、今んとこはな。久保山はどや?」
黒田はそう言いながら久保山に確認すると、
「ワシも今んとこはOKですわ。あくまで何となくやけど……」
と、最後は少々自信なさそうに言った。
「じゃあ、続きを。本橋さんに殺害の具体的な指示を与えた伊坂自身も、この時点で既に数年前に死亡しており、この殺人に直接関与した連中は、本橋さん以外は、全員死亡か、回復見込みのほぼ無い意識不明という状態も、この95年の8月上旬には出来上がっていたんです。因みに、大島は、その佐田が行方不明になった87年秋の時点で、警察が動いた時に、『余計なことをするな』と政治的圧力を掛けていたことは、我々もとっくに把握していました。ただ、まさか事件に『依頼』という形で関わっているとは、当時はほとんど考えていませんでしたが……」
そう言いながらも、当時の竹下自身は、大島が直接絡んでいるのではないかという推測を、何となくではあるが、本橋と初めて大阪拘置所において絡んだ段階でしてはいた。
「更に、本橋さんと北見駅で落ち合った、中川という秘書は、直接殺害に関与してはおらず、また生存してはいますが、当時は捜査線上にすら浮上していませんでした。ただ、今になって、さっきの大島が逮捕された別の殺人事件で、北見の方で逮捕されています。加えて、本橋さんを喫茶店に連れて行った男については、既にこれまた死亡してはいますが、おそらく事件について詳細に把握してはいなかっただろうということで、ほぼ無関係と睨んでいます。繰り返しますが、つまり、結論としては、あくまで佐田の殺害実行に直接関わった連中は、95年の9月下旬当時、本橋さん以外は全員死亡していた為、既に取り調べ様も無い状態だった、そういうことですね。勿論、喜多川が意識不明だったので、8月の時点でほぼそれに近い状態だったことは、さっき言った通りですが……。そして、捜査としても、本橋さんが真相を告白でもしない限り、事実に辿り着くのは厳しい状態となっていたんです」
竹下はそこまで言うと、2人の様子を窺い、特に疑問が無いようなので、再び口を開いた。
「話を少し戻しますが、さっきも言った様に、我々は、青年が殺害されたことと、佐田実の行方不明が、どこか繋がっていると睨んでいました。そして捜査が少しずつ進む内に、どうも大島が、その青年殺害の捜査にすら横槍を入れ始めたのが、捜査に当たっている我々にも感じられる様になって来たのも、その95年の8月でした。ますます捜査陣は、大島が何か事件と、深く関係していると疑う様になったんです。それが直接的とまでは思っていなかったにせよですが……。それから、それと同時期に、どうも大島側も、親しい関係である東西新聞の記者を通じて、拘置所の本橋さんに接触し始めたらしいんです。我々の手が……、あくまで徐々にですが、迫っていることを感じ、おそらく9月には、死刑判決が確定しそうな本橋さんに、ある準備や工作を勧めることで、危険な芽を摘むという形を想定していたんでしょう」
「危険な芽を摘む?」
当然の黒田の疑問に、
「後で詳しく説明しますが、まさに本橋さんが、自身が絡んだ殺人を洗いざらい自供する、否、させるということです。その自供には、佐田の殺害も含まれているというより、むしろそっちが本当の狙いだった……。今はよくわからなくて構いません。後から、詳しくやりますから」
最後にそう念押しすると、黒田も久保山も不満はありそうだったが、その場は取り敢えず引き下がった。




