名実77 {105単独}(250~251 本橋の犯行ノート3)
S62.9.24
ある意味、今回の一連の観光で、もっとも楽しみにしとったのが網走刑務所。高倉の健さんの代表作、網走番外地シリーズの舞台でありロケ地や。網走刑務所は、網走湖の近くにある。とは言え、網走刑務所自体は、ちゃんとした住所があって、番外地やないらしい。正門までは部外者も自由に入れるらしいが、俺自身も豚箱経験者ということもあり、やや複雑な心境。運ちゃんは知る由もない。
そのまま、天都山中腹の博物館・網走監獄へと向かう。旧刑務所のレンガ造りの門と木造の建物を移築して利用した博物館らしい。歴史的な資料が色々と展示されていて、興味深い。開拓時代の道路作りで大量の死者が出たとか。その点戦後生まれで助かったわ……。その後は、天都山の山頂から、網走市内や網走湖、オホーツク海を望む。大した標高でもないが、眺望は抜群やった。
軽めの昼飯を済ませた後は、能取湖に行く。丁度、サンゴ草(作者注・正式名称はアッケシソウ)が赤くなる頃で、湖畔が真っ赤になっとって壮観やった。海とつながっとるらしく、海産物も取れる湖で、ホタテなどの海産物を湖畔の食堂で堪能した。
運ちゃんのアドバイスで、昼食を軽めにしておいて良かった。ついでに、サロマ湖の端の方にもちょっと寄ってみる。こちらも能取湖同様に海とつながってるらしいが、時間もなく、ちょっと見ただけで北見へと戻ることにした。夜になって、伊坂や中川に連絡すると、明日は、一日中旅館に居ろと指示された。観光地は軒並み見て回ったこともあり、取り敢えず、その通り待機する予定。
S62.9.25
夕食を済ませ、風呂に入ってテレビを見ていると、例の使いのオッサンがやって来た。前回と同じ喫茶店に入ると、伊坂の他に俺と同じ世代ぐらいの男が2名。名前をそれぞれ北川とシノ田と名乗る。こいつらが、現場まで俺と佐田とか言う相手を連れて行って、殺った後、埋めるのに協力してくれるらしい。ついでに、相手は何も言わなかったが、実際に殺ったかどうかの見届人でもあるはず。
何やら、借金返済のために協力させられるらしい。多少、悲壮感のようなものは感じた。まあ、殺しに加担するとなれば、まともな神経してたら、そりゃ気が重いのは当然。
色々打ち合わせして、明日の朝、連れ出す手はずを整えるので、後は予定の場所まで連れて行くから、勝手に殺ってくれという話やった。前回と違い、お膳立ては協力者に任せるので、その点は気楽なもんや。取り敢えず部屋に戻って、英気を養うため寝ることにする。
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ここまで読んで、竹下は、7年前の大阪拘置所での取り調べと違い、本橋は使いとして寄越された、当時の伊坂組秘書・重野以外は、関与する側の人間の名前をしっかりと把握していたことを確認していた。あの時は一切ボロを出さずに、「知らなかった」体で乗り切ったが、その点はさすがと言えたかもしれない。
そして、久米旅館については、95年には本橋の宿泊についての証言を取ることが出来なかったが、この本橋の日記の内容が事実であれば、当時より8年程度前なら十分憶えていておかしくない。ひょっとすると、やっかいごとに巻き込まれることを気にして、誤魔化したかもしれないと考えても居た。ただ、本橋については既に裁かれており、今更それを追及したところで、全くの無意味であることも間違いなかった。
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S62.9.26
いよいよ決行日。早朝に宿を発つ。この時点で荷物まとめて精算しておくことも考えていたが、朝から忙しないと下手打つ可能性も出てくるので、敢えて事後に戻ってきてからにする。その点については、主人に伝えておいた。
北見駅前でワゴンに乗ってきた2人と合流。そのままホテルの前で、昨日写真で見せられた、佐田とか言う爺さんが乗り込んで来た。そのまま車でしばらく走り、人っ子1人居ない山の中へと入り、途中で車を駐めて、更に歩く。そこで、2人からゴーサインが出たので、先に歩いていた佐田の爺さんを呼び止めて、2発心臓目掛けてぶち込んだ。あっさりとした最期やったが、苦しませずに済んだのは幸いやったか……。後は2人に埋めさせてたが、何やら2人は爺さんの持っていた紙を見て騒いどった。
無事埋めて車に戻った後も、2人は爺さんの持ち物を調べて、更に何やら喜んどった。まあ、こっちには関係ないことで、さっさと戻るぞと言って、北見へ帰る。旅館で荷物をまとめて、宿代を精算。しばらく世話になったので、仲居と主人にチップ渡してそのまま北見駅へ。
北見駅の公衆電話から、中川に電話して、結果報告と残りの成功報酬を受け取る算段。本来なら、人目に付かない場所か旅館の方が良いかとも思ったが、帰りに乗る列車の時間を考えたのと、こっちが消されるという最悪の事態を考えて、敢えて人目のある所で会うことにした。
中川はそれを受け入れたもんの、どうせなら、駅のホームに入ってからそこで落ち合おうと言う話になった。北海道の電車は、電気やのうてディーゼルエンジンで走っとるらしく、エンジン音がやかましいから、ホームで何か話しとっても、周りには聞こえんやろうということも考えにあったようや。確かに言われてみれば、こっちに来る時に乗った特急もやかましかった。まあ、つまり電車という表現自体も間違っとるってことやな。
俺が特急を待つことも兼ねて、先にホームに居ると、電話で伝えられていた容姿の男が、同様にこちらの容姿を伝えていたので、怪しみながらも手を挙げて近付いて来た。やはり中川やった。
そこで、「結果は無事成功。協力してくれた奴が最初から最後まで見てた」と伝えると、相手は一緒に行った連中から、既に情報を聞いたのか、すぐに紙袋に入った800万を渡してきた。
しかし、突然、思いもしなかった中川の知り合いが急に現れて、2人とも一瞬焦った上に、中川が相手に、持っていた缶コーヒーを掛ける失態をやらかしてもうた。
こっちは手っ取り早く、クリーニング代として、報酬から諭吉を1枚渡して何とかやり過ごす。人目に付く所で会ったのが失敗と言えば失敗やったが、これだけで殺人までバレることは、さすがにないやろと、ここまで来たら案外腹をくくれたわ。
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この北見駅でのやり取りが、中川秘書の逮捕報道を契機にして、古い記憶が蘇った、五十嵐の同僚である鳴尾記者の証言と、それを証明する切符や1万円札が今に残っているということで裏付けられたのは幸運だった。今回の、本橋の事件関与に関する日記からも、裁判上も完全に事実として受け入れられるはずだと、竹下は満足していた。
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そのまま、直後に来た特急で札幌まで戻る。夜はススキノで大枚はたいて遊び呆けた。嫌なことを、はよ忘れたいという意識もあった。翌朝、親父に電話すると、「大島から感謝の連絡があった。ホンマに助かった」と労いの言葉と共に、「本来なら飯でも共にしたいが、表向き破門したこともあって、無理なのが悲しいわ」と言われたが、どこまで本気かはわからん。
S.62.9.27
この日は、札幌から青森まで行って、浅虫温泉で宿泊予定。多少飲みすぎて頭が痛いわ。帰りの連絡船は、さすがに乗るのはもう最後やということもあって、やはり行きより多少感慨が湧いた。
明日はまた雨模様らしいわ。仕方がないので、明日は旅館にとどまり、明後日に八甲田や恐山を観光をすることにした。帰りのスケジュールはスッカスカやから、それでも問題ない。
S.62.9.28
前日ゆっくりと体と精神の疲れを癒やしたので、気力も戻り、八甲田と恐山を訪れる。八甲田は既に紅葉が始まっていて、なかなかの景色やった。
恐山は、着いた頃には、既に午後3時を回ったところやった。挙句、肝心のイタコも居らんかった。聞くと、イタコが居るのは、7月の恐山大祭と10月の秋詣りのみで、その時にのみ例の「口寄せ」があるらしい。
どうせ、相手に色々探りを入れながら、死者の言葉を代弁している振りをしているだけやから、イタコの目の前で、嘘を暴いて、やり込めてやりたかったもんの、拍子抜けしてもうたわ。だが、居ないもんはしゃあない……。化けの皮を剥がす機会を逃し、非常に残念やね。本日は、そのまま八戸まで戻って宿泊とする。明日は仙台へと向かうつもり。
※※※※※※※(イタコそのものについては知っている方も多いかと思いますが、念のためイタコについての詳細を)
イタコとは、東北地方などに見られる、土着習俗的な宗教上の巫女。イタコ自身に亡くなった人の霊を降霊させ、生きている人と霊界との交信を行うことが可能であるとされ、その交信を「口寄せ」と言う。
イタコの名称は、過去東北地方にも居住していたアイヌによる、アイヌ語の影響を指摘する説(民俗学者・柳田國男など)もあるが、事実関係ははっきりとはしない(作者注・現在でも東北地方の言葉に、アイヌ語の影響が見られるものがあるのは間違いなく、一例として、ビッキはアイヌ語でカエルですが、東北地方でもカエルのことをビッキと呼ぶ地域は未だ多いようです)。
尚、正確に言えば、口寄せそのものは、死者との交信に限らず、神霊(心霊ではない)との交信(神口)や生きている人間との交信(生口)も可能であるので、イタコが行っていることで有名な、一般的な意味での口寄せとは、死者(死んだばかりの人ではなく、ある程度時間が経っている死者)との交信である、仏口のことである。
イタコで有名な恐山は、イタコが常駐しているわけではなく、基本的には、恐山大祭と恐山秋詣りの夏と秋の一時期しか居ない。他の時期は、イタコはそれぞれの居住地で、基本的に古くからの地元の住民を相手に、お祓いや祈祷、相談などを行っている。
イタコは、元来視力に問題がある女性などの職業とされ、一人前になるのに、5年弱程修行が必要とされている。現代では、霊力的なモノにだけ注目があつまり、「非科学的」や「詐欺的」という批判の対象にもなるが、本来は、どちらかといえば地域住民のカウンセラー的な要素が大きく、心理分析を、口寄せという名の元に行っているだけとする考えもある。
イタコは、青森や秋田に多い(絶対数という意味では、決して多くはない)とされるが、その特殊性からか、現在は後継者がほぼ居らず、現存しているのは、ほぼ高齢のイタコのみであり、伝統の継承はまず難しいとされている。
イタコ同様、沖縄や奄美地方には、ユタと呼ばれる女性霊能者(但し、こちらは男性も稀ではあるが存在する)が居り、琉球人とアイヌ人の文化的、容姿的共通性と共に、何らかの関係性があるという説もある。
ただ、アイヌ人にとって、沖縄(琉球)人の方が、本土の日本人よりも遺伝的には近いが、沖縄人にとっては、アイヌ人より本土・日本人の方が遺伝的に近いという科学的な遺伝子分析結果もあり、文化面や容姿だけで、単純に同一性や近似性を論じることは難しい。
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S.62.9.29
仙台は、大河ドラマの舞台(作者注・この年、大河ドラマ史上最高視聴率を出した、「独眼竜政宗」が丁度放映されていたため、舞台となった仙台は、大河バブルの真っ只中)になっとるせいか、青葉城はエライ人が居った。俺でも見とるぐらいやから、この喧騒も致し方なしと言ったところか。この日は、結局仙台で一泊したわけやが、宿を取るのにも一苦労どころか二苦労と言ったところ。
S.62.9.30
(東北)新幹線で宇都宮まで行き、そこから日光まで電車で行く。東照宮は前から是非とも来たいと思っとったので、念願が叶った形。半日程観光したが、全く飽きることもなかった。東京へは、久しぶりに浅草観光もしたいと考え、JRやのうて、浅草に駅がある東武(鉄道)で行く。
S.62.10.1
久しぶりに浅草を堪能した。ついでに初見参の柴又にも寄って、寅さんのロケ地めぐりと洒落込んだ。細川たかしの「矢切の渡し」も、ここが舞台の歌やと初めて知った。東京では会いたい奴も居ったが、殺めたついでに会うというのも気が引けて、今回は諦めることする。
S.62.10.1
そのまま横浜に出て、そこで宿を取る。夕飯は中華街に繰り出したが、相変わらず化学調味料の塊やな。自分のお土産として、崎陽軒のシュウマイ真空パックを買い込む。
S.62.10.2
朝から鎌倉観光。鎌倉は3度目やということもあって、少々物足りないところもあった。そのまま新幹線で名古屋まで行き、伊勢に入って宿泊。明日はお伊勢参りとする。
S.62.10.3
伊勢神宮は、小学校の修学旅行以来やった。あの頃は、皆とワイワイ騒ぐことの方が楽しみで、お伊勢さんの有難味は、ようわからんかったが、さすがにこの年になったら、今は多少違って見えたか? ただ、こっちの精神状態も通常とは違うこともあって、年食った故の見方の違いかは、ようわからんままやった。帰りは近鉄で直接大阪難波まで戻る。
家に着くと、親父からの留守電がなんぼか入っとった。観光しながら帰ることを伝えとらんかったせいか、最後の方は、「いつ戻るんかい!」と半ギレ状態。仕方ないので、すぐに電話を入れ、詫びを入れる。
とは言え、ボーナスの件で、早く連絡したかっただけらしく、特に返事が遅れたことへの小言は言われず。明日中に受け取ると伝えたが、政治と葵のコネもより強くなったようで、機嫌自体はかなり良かった。
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95年の大阪拘置所での取り調べの際、帰りは太平洋側を回って、観光しながらゆっくりと戻ったという話は、本橋本人の口から聞いてはいたが、実際に、表向きは、かなり悠長な旅行をしていたようだ。
とは言え、殺人後ということもあり、ふてぶてしい所がある本橋とは言え、やはり精神的には、参っていた部分が垣間見えていた様な気も竹下はしていた。否、と言うよりはむしろ、北見で佐田を殺害する前から、既に実は弱音が出ていたと竹下は推測していた。
他の2人にもノートを見せると、大島が逮捕されたことは知っていたせいか、竹下に「これ絡みか?」と尋ねてきたが、現時点で、逮捕されたのは、これが原因ではないと伝えると、微妙な表情を浮かべていた。
この本橋の犯行が大島の指示だったことは、まだ大手マスコミですら、噂程度はともかく、正確には把握しておらず、報道もされていないのだから当然と言えば当然だろう。そしていよいよ、竹下や西田にとって最も重要な、佐田実殺害に関してであろう会話の音声を再生することにした。




