名実76 {104単独}(248~249 本橋の犯行ノート2)
竹下は、取り敢えず最初の事件についての箇所を読み終わると、テープ・ケースのインデックス(作者注・カセットテープ文化に疎い世代で、意味がよくわからない方は、「カセットテープ インデックス」で画像検索ください)に、ノートに記載されていたのと同様のS……、つまり昭和のイニシャルだろうが、S62年の2月から3月と書かれた分のテープをラジカセにセットして、ノートを久保山に渡した。久保山がざっと読み、続いて黒田が読み終えたのを確認すると、テープを再生し始めた。するとすぐに本橋と思われる声が、スピーカーから聞こえて来た
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「もしもし、康の親父ですか? 幸夫ですが」
「ああ、ワシや」
「例の件、引受させていただきます」
「さよか! まあ、お前なら、必ずやってくれるとは思っとったわ!」
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ここまで聞いていると、久保山が、
「この相手は間違いなく、瀧川の声やね」
と口走った。声紋分析の必要はあるが、直に聴いたことのある人間の判定なら、ほぼ間違いないだろう。
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「それで具体的には、どないな感じでやればエエんですか?」
「相手は、寝屋川の◯◯◯△△△に住んどる、平田敏子っちゅう主婦や。神田の兄貴が、若い頃世話になった会社の社長が、その女が若い頃、ホステスやっとった時に貢ぎまくった挙句裏切られて、今破産して恨みを抱いているそうや。そんで、神田の兄貴のツテで、こっちまで話が来たってわけや。神田の兄貴には、若い頃から色々世話になっとるから、頼みは聞いてやりたい。相手は、一戸建て住みやそうやから、相手の様子や状況は、よう掴めると思うで。決行は3月中なら何時でも構わんわ。殺り方は、前回言ったように、お前の得意なチャカで頼むわ」
「ええ。そのつもりです」
「わかった。条件は、この前も言うたが、手付に100万、成功報酬で残りの400万の合計500万や。金の受け渡しやけど、難波の寺崎堂って質屋で、武井と名乗り、『手頃な掛け軸をくれ』と店主に声を掛けてくれ。そしたら、10万で掛け軸を売ってくれる手はずや。その掛け軸を堂島(作者注・難波同様、大阪市内の地名)の武井骨董で寺崎と名乗って、手に入れた掛け軸を売れ。それを110万で買い取ってくれる。差額がそのまま手付の分や。それで色々用意してくれ。そして、決行の前日、ワシにその旨を電話してきてくれや。無事成功したら、今度は武井骨董で、同様に寺崎と名乗って、今度は掛け軸を50万で買って、寺崎堂で武井と名乗って450万で売れ。いいな? 殺った後すぐ逃げれば、おそらくすぐ発覚して、それが成功の証になるわけやから、その点は問題ないはずや。それがニュースになって確認出来たら、こっちから電話させてもらうわ」
「わかりました。じゃあ殺る前には、また電話させてもらいますよって」
「ああ、それまでは一切連絡はいらんからな。確実に頼むぞ」
「しかと承りました。取り敢えず、失礼します」
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「トゥルトゥルトゥル トゥルトゥ……ガチャ ……はい」
「もしもし、親父ですか? 本橋ですが」
「おう。ワシや。……電話が来たっちゅうことは、いよいよか」
「明日にしようかと思っとります」
「わかった。しっかり頼むで。それ以外に言うことはないわ」
「わかりました。それじゃあ、取り急ぎ失礼します」
「おう。期待しとるで」
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「……神田の兄貴も喜んどったわ。ようやってくれた!」
「まあ、それは良いんですが、相手はガキも居ましたからねえ……。正直言って、気分はすぐれませんわ」
「ほうか……。幸夫は、今まで殺したことは無かったんやったな……。でも、じきに馴れる」
「まあ、そう簡単に馴れるかどうかはわかりませんが……」
「とにかく、報酬の方は1週間以内に用意するわ。準備が整ったら、こっちから電話するわ」
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本橋の声を聞く分には、暗くはなかったが、内心不満があるような言い方だったように、聴いていた3人は感じていた。
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「……今日、成功報酬分の準備が出来たわ。約束通り、武井骨董に言って、掛け軸買って、寺崎で売ってくれ」
「ありがたく受け取らせていただきます」
「で、今回の件はこれで連絡も終わりや。わかっとると思うが、一切口外なしでな。まあ、お前の口の堅さはこっちも信頼しとるから」
「勿論わかっとります」
「じゃあ、また」
「失礼します」
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一連の会話の録音は、ここであっけなく終了した。瀧川から来たと思われる電話の出だしが、きちんと録音されていなかったのは、当時はナンバーディスプレイもなく、誰からの電話かわからない以上、頭からの録音が間に合わなかったからだろうと竹下は推測した。
この会話内容から、報酬のやり取りは、骨董店での掛け軸の売り買いを装ったロンダリングで行われていたらしいことが判明した。現時点で、その寺崎堂と武井骨董が実在している(いた)か定かではないし、何かの隠語かもしれないが、掛け軸でのやり取り含め、そこは、ただの事実ではないかと竹下は思っていた。
「間違いなく、相手は瀧川の声と見てええわ」
久保山は、テープを聴き終わってからもしばらく黙っていたが、再びそう言及した。
「問題ないですね?」
「ああ。ワシも直接喋ったわけやないが、目の前で話し声は何度か聞いとる。特徴的な声で間違いないはずや」
久保山は、やはり確信を持っているようだった。
「しかし、命のやり取りを、さも簡単に喋り合うな、ヤクザっちゅうもんは……」
ノートを見ながら、黒田は強く嘆いた。
「兄貴の名誉のためにも言っときますが、こういう話を事前にさも重々しく喋ると、やる気が削がれますさかい、淡々と喋ってるっちゅうところもあるんですわ」
さすがに、「経験者」の発言は説得力がある。
「ちょっとノート見せてください」
竹下は、最後に見たまま、ノートを持っていた黒田から借りると、次のカセット……、インデックスの日付を見る限り、おそらくは、佐田実の殺害に関してのやり取りが録音されているのだろうが、それを聞く前に、該当部分が書かれた箇所を見てみることにした。
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S62.9.14
親父から緊急の連絡が来た。再びバラす必要があるらしい。しかも、今回の依頼者は、あの国会議員の大島海路で、葵と政界のパイプを強く出来るかどうかという、責任もかなりデカイ案件。親父も相当俺を頼ってるようで、本来隠しておくべき依頼人の名前まで、具体的に出してきたわけやから、これはやるしかないわな。こっちに覚悟決めさせるために、わざわざ出したんやろう。詳細は、明日知らされるそうやけど、引き受けると本日中に即答した。
S62.9.15
親父から昼過ぎに電話。バラす相手やら手はずを伝えられる。何と、こっちが出向いて北海道で殺る必要があるとのこと。更に、9月の25日前後の決行となると、準備期間もほとんど取れん。
ただ、現地で協力してくれる連中が居るということで、そいつらに頼る他なさそうや。今回は、殺人自体がバレないようにするため、事件として表沙汰にならんこともあり、上手く行ったかは、一応は俺の話を信用するらしい。ただ、協力してくれる奴もいるので、そいつらの存在もある種の担保となっているんやろと思う。
9月の22日までには、指定された北見駅近くの旅館に入ってくれと言われ、久米という旅館の名前、電話番号と住所を教えられる。ただ、住所を教えられたところで、不案内だから余り意味はなさそう。明日の昼前には、手付金の準備が出来ると言われたので、そのまま換金して、旅行も兼ねて現地へゆっくりと向かわせてもらうと伝えた。
S62.9.16
前回同様、例の骨董店で換金して、手付の200万を入手した。計画通り、途中気晴らしも兼ねて、観光しながら、明日北見に向かうことにした。
S62.9.17
朝、大阪を発って金沢と富山で観光して、富山で宿泊。あいにくの雨模様やったが、俺の気持ちを代弁したような天気やった。まあ雨模様の金沢も悪くはなかった。
S62.9.18
特急に(上越)新幹線、再び特急に乗り継いで、秋田に降りる。きりたんぽ鍋を食ったが、名物とは言え、大して美味いモンじゃないわ。夕方には弘前に到着。弘前城を相変わらずの雨の中観光して、夜に青森に入る。翌日は、八甲田やら恐山に回ろうか思とったが、小雨とは言え、まだ雨模様らしい。
仕方がないので、五所川原の斜陽館(作者注・太宰治記念館)に寄って、その後は直接函館に行くことにした。こんなことなら、近い弘前で泊まった方が良かった。恐山は帰路に寄れば良いやろ。
S62.9.19
斜陽館は、土曜ということもあり混んどったが、一度は訪れたいと思っとった以上、来て良かった。太宰の作品が生まれた雰囲気を、何となくだが理解出来たような気もするが、単なる気のせいかも知れん。
そこから、来年に青函トンネルが開通するもんで、廃止される憂き目の連絡船に乗る。昔、北海道に旅行した時以来の乗船や。雨ということもあって、如何にも北に行く物悲しい雰囲気がある。土曜日のせいか、名残を惜しむような、普段は乗っていないだろう、観光客風情の連中もちらほら目に付いた。こっちは帰りも乗るわけやから、本格的に名残を惜しむのは帰りでエエやろ。
夜は、函館山にロープウェーで登り、夜景を見た。六甲山や摩耶山から見る神戸の夜景も良いが、函館の夜景は、雨模様でもかなりのモンやった。市街地の両脇を海に囲まれとるから、漆黒の海と街の灯りが際立つわ。日本三大夜景は、長崎、神戸、函館と言われとるらしい。関西人としては、地元の神戸を推したいところやけど、悔しいが、函館が一番上やないかな。
そして、明日北見に夜着く予定と、伊坂という北見で世話になる相手と、中川という大島の秘書に、親父から伝えられていた番号に掛けて連絡した。それから、旅館にも明日からよろしくと電話しておく。旅館の主人らしき男から、「北見駅に着いたら電話をくれ」と要求された。迎えに来てくれるようや。不案内な場所やから助かるわ。親父にも旅行中に電話しろと言われとったから、電話しておく。「しっかりやれ」とだけ言われただけやったから、無駄な電話やった。
S62.9.20
朝、北見へ向かって、昼前に函館駅から特急に乗る。9時間近くも乗るらしく、腰をイワセ(痛め)そうで心配やったが、なんとか無事北見へ。さすが北海道や。道中の景色は日本離れしとった。とは言え、旭川の手前辺りからは、真っ暗で何にも見えなくなったので、仕方なく寝とった。
北見駅に午後8時過ぎに着いて、泊まることになっていた久米旅館に電話すると、約束通り、近場ながら駅まで車で迎えに来てくれた。それにしても寒い。念のため防寒着も持って来てはいたが、助かったわ。
部屋にもユニットタイプの風呂が付いとる、旅館としては珍しいタイプの部屋やったが、それ以外は大したこともなかった。夕食は、列車の中の弁当で済ませていたので、風呂に入る。大きな浴場もあるというので、敢えてそちらへ。
その後、横になっていると、知り合いが訪ねて来たと、主人が部屋へ来た。何事かと下に会いに行くと、はっきりとは口に出さないが、どうも、事前に聞いていた、伊坂のところの使いのオッサンらしい。「付いて来てくれ」というので、仕方なく付いていくと、喫茶店へと入った。
ガラガラの店内には、爺さんが待っていて、そいつが案の定、伊坂だと名乗った。今回色々と協力してくれる奴や。親父からもある程度聞いとったが、バラす相手は、これから北見へやってくる爺さんで、予定では25日に来るらしい。相手の詳細は、直前に知らせると言われた。そして、決行するなら、その到着日の翌日以降になるという。その際には、山の中に誘い出して、暗に、殺ってくれということを言われた。
予定の現場までと現場では、伊坂の手下が協力してくれるようで、この点も事前に聞いていた通り。事を済ませたら、俺から、秘書の中川に連絡して、残りの報酬を貰い、そのまま帰路に着くという算段らしい。
決行日までは、日帰りなら観光していて構わないというので、北見周辺を観光してみることにする。ただ、毎日必ず午後8時に、中川と伊坂それぞれに、公衆電話から電話するように指示される。
そして、犯行の前に、もう一度直接会って打ち合わせをすることとし、本日は解散。宿に戻る。主人の話やと、朝は5度まで冷えるので、暖房を入れるという。9月に暖房とは、大阪じゃ到底考えられん。北海道は寒さもスケールが違うわ。
S62.9.21
朝目覚めて、外を散歩しようとしたが、息も白く、余りの寒さに部屋に舞い戻る羽目に。外は相当寒いもんの、室内はかなり温かい。北海道の建物の造りは、さすがに寒さには強いわ。大阪もこんぐらいの造りやと、冬でもかなり暖かいはずやが……。
朝食を取り、主人に観光情報をもらう。北見周辺は、屈斜路湖やら摩周湖やら知床やら、大阪でもよく聞く観光スポットが多いので、しばらく暇は潰せそうや。
取り敢えず、今日は、霧で有名な摩周湖や屈斜路湖に行ってみることに。旅館の親父の知り合いだという、個人タクシーを1日借り切って回ったが、摩周湖は晴れていて、むしろ拍子抜けしたぐらいやった。
美幌峠といい、幸い絶景は堪能出来た。屈斜路湖では、湖岸の砂を掘ると温泉が湧き出した。タクシーの運ちゃんと共に、和琴温泉にも浸かり、長旅の疲れを癒やす。話を聞く分には、運ちゃんの先祖は、徳島からの北海道への入植者やと言う。昼間はまあまあ気温が高くなったので助かった。
S62.9.22
本日は知床に行く予定やったが、小雨もたまに降り、天気が良くないので延期。旅館で朝からごろ寝して、バレないようにチャカの手入れ。布団をたたみに来た、パートらしき仲居のオバハンに、「何処から何しに来た」と聞かれたので、大阪から、親から遺産を受け継いで会社も辞め、暇つぶしに来た」とだけ答えておく。
S62.9.23
21日と同じ運ちゃんを貸し切りにして、いよいよ知床観光。秋分の日ということもあり、かなり混んどった。それにしても、北海道自体が日本離れしとるが、知床は更に日本離れしとった。知床峠からは国後島を見る。あの近さに他の国、……もっとも本来は日本のモンやけど、それが見えるというのは、何とも言えない体験やった。翌日は、網走周辺を観光すると、事前に運ちゃんに予約。これが単なる観光で来たなら、気分も良いが……。
夜、中川や伊坂に電話連絡すると、明日から明後日に掛けては、午後6時までには宿に居るように指示される。直接使いが行っても会えるようにして欲しいとのこと。




