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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
名実
141/223

名実64 {92単独}(218~220 竹下暗号を読み解く3)

「へえ! それが本当なら、本橋としては、自棄からはっきりとそこまで、竹下なら読み取ってくれると考えていたってわけか? 竹下の頭脳を前提として、この文章や短歌を作っていたなら……。しかし、さすがに短歌の『の』については、ちょっと考え過ぎじゃないの? たまたまって奴よ!」

「相手が死んでる以上は確認しようがないですよ、そりゃ。でもここまで来たら、十分狙ったとしても不思議じゃないように思うんですよねえ。『自棄』で起点を意識させようと狙ったなら……」


 竹下としては、西田に言われても尚、偶然の産物として扱うことは憚られたようだ。そしてそこを、自分が最初から読み切れなかったことに、納得が行っていない節が見られた。だが、実は西田もまた、竹下の説明を聞いた限り、内心としては、本橋はそこまで狙っていたのではないかと思うようになっていた。それでも尚否定する発言をしたのは、難敵の才能を素直に褒めたくないという、子供染みた心理故だったかもしれない。しかし、西田は2人の知恵比べからは完全に疎外されてはいたが、ここまで来てしまえば、ある意味スポーツの好試合を観戦したかの如く、面白いとすら感じていたこともまた事実だった。ただここで、95年の遠軽署において、本橋を西田と竹下が取り調べた2日目の朝のことを西田は突然思い出していた。


「そういえば、本橋を遠軽で取り調べた最終日の朝、あいつがお前に『どうして刑事になったんだ?』と聞いたことがあったろ?」

「……言われてみればそんなこともありましたね……」

脈絡のない西田の言葉に戸惑った様子が窺えた。

「あの時、俺の記憶が確かなら、本橋は竹下が新聞記者志望だったと聞いて、国語が得意か聞いたはずだ。そして古文や漢文が得意かどうかも」

西田がここまで言った時、竹下は短く、

「そうか……」

と口走った。


 あの時本橋は、竹下が古文や漢文に対してそれなりに造詣がありそうだと確認していたのだ。無論、竹下が相当の切れ者であることを前提にしていたことは言うまでもないだろう。その意味で、やはりこの暗号文は、明確に竹下に読み解かせることを前提に作ったことは間違いないだろうと西田は確信した。当然竹下もそれを認識していただろうが、西田に気を使ったか、それ以上この件について話を深めることもなく、

「どこまで(本橋が)こっちの読解に期待してくれたかは知らないですが、少なくとも、こっちの完全な負けではないとしても、どう考えても勝ちではないです。逆に言えば、本橋としては、『棄』の字に注目させて、何とか読み取らせた上で、『自』という字の本当の意味に気付かせずに済んだとなれば、完勝だったのかもしれません。『の』については、言わずもがなって奴ですが」

と相手を褒めた。但し、発言内容はともかく、さっきまでの様子とは違い、竹下の声は再び多少は明るくなっていた。さすがに何時までも悔しがっているより、次にどうしていくかに繋がったことを喜びたいのだろう。


「しかし、あいつも、本文と真逆のことを手の込んだ手法で打ち明けるとは、全く面倒くさいことをするよな……」

西田は、半ば本橋の遊びに付き合わされた感じがして、ここに至ってまた呆れの要素が強くなってきたが、

「拘置所で暇だったから、……否、死への恐怖を紛らわそうとしたから、そういうことをやりたかったのかもしれませんけど、わざわざ本文で最初から時効について間違った言及したのを見ても、やっぱり、自分が何か意図的に捜査を動かしたということを、佐田殺害に絡んだ奴らに知られたくないという思いが強かったのかもしれません。それがこの面倒な暗号文を作らせたんじゃないですか? 我々をおちょくる意図も、ひょっとすると多少はあったのかもしれないですけどね」

と、竹下は擁護するような発言をした。


「でもこの手紙の存在は、俺達と教誨師、そして、おそらく軽くはチェックしただろう刑務官、更に久保山? とか言う未知の人間しか知らないわけだからな」

「まあそうなりますね。あくまで念の為でしょう、仮に自分の読みが当たっているとしても」

竹下は、そこまで言うと少しトーンダウンした形になっていた。


「そういや、遠軽で俺達が(本橋を)取り調べた際、お前が椎野からの暗号を解読して本橋に突き付けた時に、本橋が一瞬ニヤリとした記憶があるんだが、あれはお前が読み取ったことを、あの瞬間逆に利用出来ると喜んでいたのかな、今になって考えてみると」

西田は当時のことを改めて思い出した。

「何かそんな話を、本橋が札幌に戻された後、西田さんが俺に確認してた記憶はあります。ただ、あの時も言ったと思いますけど、それについては、こっちは全く気付いてなかったんですよね……」

「そうだったな。しかし今回も、基本的にあの解読方法を踏襲してきたのだから、あの一瞬の笑みは、7年前のあの時既に、この方法を利用してやろうと思ってたんじゃないか? その後の古文やら漢文で更に細かい方法を思い付いたと……」

そう西田は言ってみたが、さすがにそれは考え過ぎだろうと、

「さすがに突き付けられた瞬時にはあり得ないか……」

と前言撤回してみせた。しかし竹下は、

「あの時、既に本橋は、『余計な自白を俺にさせやがって、むしろ、警察に色々と怪しまれることにつながった』という苛立ちを抱いていたことは、我々に伝えたい真相が何かはまだわかりませんが十分考えられます。そうなると、今回の件から見ても、何とかしてやろうと色々考えていて、すぐに考え付いたとしてもそう不思議ではないかもしれませんよ、案外」

と返してきた。


「どうだろうなあ。しかしそうだとすれば、あの時から既にこの手紙を書いて俺達に届けることまで計画していたんだろうか? そうならちょっと怖いな……」

西田は呟くように畏怖を口にした。

「でも、本橋が死んで5年も経ってから、こんな手の込んだ手紙が送られてきたんですから、色々と先を読んでることは間違いないでしょうね。大阪での取り調べの時にも、依頼者と指示者を妙に区別したり、ギリギリのラインで真実を明かして警察に挑戦しつつ、秘密は絶対に漏らさないというような素振りをして、我々を翻弄して楽しみながら、ヤクザ社会の掟も、ヤクザのメンツにかけて守っていたと思っていました。しかし、実はそれ以上に、こちらがその微妙な違いに、何か気付けるような人間かチェックしていたのかもしれません。そして、利用出来る相手だと当時踏んだのかな……」

竹下も手探りで言葉を発しているようで、いつものような歯切れの良さはなかった。


「うーん、その時点からか……。ただ、手の込んだってのは、熟知した人間以外には読み取れないようにする意味があったとして、問題は何故今かってことだ。死んでから、しかも5年後ってのが……」

西田は、全く見当すらつかなかったが、

「そうですねえ……。2つ程理由は考えられるかもしれません。確信はないんですけど」

と、竹下は喋り始めた。


「ちょっと言ってみろよ」

西田に促されると、

「じゃあ……。まず、死んでしばらく経ってから、手紙が出された理由ですが、バレないように細工していたのと同じで、自分が暴露に何か関わっているようなことを、出来るだけ隠そうとしたってことがあり得ると思います。言わば完璧なアリバイ工作です。事件についてバラすということは、ヤクザとしては口が軽い人物として、死んでからとは言え、名誉が汚される部分はあるでしょう。結果的に、死亡後かなり経ってから、警察側が偶然、しかも勝手に何か掴んだみたいな感じにしたかったのかもしれない。これについては、結構正しいような気がします。勿論、本橋が明かしたい真相がはっきりと何かはわからない段階で、確信までは持てませんが」

渋々言い出した割に、相変わらずとうとうと自説を並べ立てた。

「確かに、死人に口なしってのは、それこそ本橋が死刑が確定した時点で、それを理由に佐田の殺害まで、本橋達の責任に留めた上でバラすように、おそらく大島や瀧川側から指示された要因でもあるからな。まさか死んでからそんなことをバラすとは思われないだろうし」

西田もこの点について深く同意した。


「問題は、5年後のこの時期に、わざわざ送付おくるように指示していたってことですが……」

竹下はそこまで言うと、今度は言い淀んだ。

「いいから続けろよ」

再び促され、

「最も効果的だからじゃないですか?」

と語った。


「効果的?」

この発言だけでは、西田には意味が通じていなかった。

「ええ。いわゆる不意打ちです」

「簡単に不意打ちって言われてもなあ」

困惑する西田を置いてけぼりにしたまま、竹下は説明を始めた。


「何度も言うように、現時点で、一体何を本橋が明そうとしているのか、はっきりしないんでアレなんですけど、同時に、事件捜査にかなり『重要な何か』である可能性は、そう低くないように思えます。そうだとすれば、本橋が死んでこれだけ経って、もう時効という間際に、何か、事件解決が何とかなりそうな重要な手がかりを警察が掴めば、事件関係者はかなりショックを受けるんじゃないですか? そこを狙ったとすれば……。」

「そうなると、本橋は言わば、『やり返そう』としているってことになるが?」

「そういう可能性も考慮出来るんじゃないですかね?」


 ここまで聞いて、遠軽での取り調べで、本橋がシャーロック・ホームズの話を利用して、真相の一部を遠回しに西田達に伝えたという推測をやっと思い出し、

「本橋に『誰か』が余計なこと(つまり、明確になっていなかった佐田実殺害について、わざわざ自白させたこと)をさせたことへの代償なのか?」

と問い質した。

「そんなこともあり得るかな……と。勿論、それ以前に何か思う所があった可能性もありますが」

既に先程それについて言及していた竹下は、おそらく敢えてその件に触れないままで答えた。


 とにかく、西田と竹下の推理が当たっているならば、話に筋が通らないわけではない。本橋としては、自分がバラしたことにはしたくないが、同時にやり返す意志もあったとすれば、自分の死後に他の人間を介在させて、最大の効果を生み出す時点でそれを「果たす」やり口は、ある意味理想的だと言える。

「ますます怖い奴だな、それがホントなら……」

西田はまるで身震いするかのような思いを抱いたが、

「同時に最大のプレゼントにもなりますよ、我々への」

と付け加えられ、

「まるで焦らし効果か……。自分の思い通りに動いてくれることへのご褒美でもあるな」

と自嘲した。その上で

「問題は、竹下の言う通りだとして、今からでも(捜査が)間に合うのかってことだが、そこもアイツなら考えてるってのはあり得るのか?」

と問うと、

「これまでの勝手な思い込みが正しいとすれば、今言われたように、残された時間的に、かなり具体的なモノに踏み込んでくる期待は、ちょっと持ってます」

と、「ちょっと」と言う割には、かなり力強い口調で喋った。


「そうか……。一体何が出てくるんだろうな。期待通りなら良いが、そうじゃない時のショックは、こっちにとっては、それこそ不意打ちとは逆に辛いもんだ」

竹下とは逆のネガティブな発想をしながら、急に気を取り直したように、

「それについては、今からどうこう言っても仕方ないか……。まだ何が出てくるかもわからんのだから。ただ、問題は他にもあるだろ。まずタダノというのが何者? か調べないとならん。そして六高とヒナコ? これは女の名前なのかな……。六高もどっかの高校か?」

と、竹下に尋ねた。


「そこは何とも言えません。六高については、ちょっと検索して見ましたが、六高というと、岡山にあった旧制六高が取り敢えず出て来て、ちょっと気にはなりました。特に桑野の件で、旧制高校が絡んでいたこともあって。ただ、本橋はあくまでただ殺人を依頼されただけでしょうから、そういうことの絡みはちょっと考えづらいですし、場所が岡山では、桑野はまず無関係でしょう。それに年齢的にも、旧制高校と本橋は絡まないように思いました。すると、この文でも該当する言葉は、ただ読みが同じだけのケースも十分あり得ますから、それを前提とすれば、六高でイメージするのは六甲山かなと」

「阪神の六甲颪ろっこうおろしの六甲か……。神戸だな」

「ええ。そうなりますね。関西人である本橋からすると、まだそっちの方が地理的にもイメージしやすい。勿論、断定は出来ませんが」

「読み取った文から見ても、その2つがキーワードになってるのは、おそらく間違いないんだろうが、今そこから、俺達がすぐに何かわかることもないわけだ」

「そうです! それこそタダノという人物……、まあ、それが人物かどうか、予め断定するのは危険かもしれませんが、『聞け』と言っている以上おそらく人間でしょうから、そいつに会うしかないんじゃないでしょうか?」

竹下はいよいよ、西田に本丸を突き付けてきた。勿論西田もそれはわかっていた。


「よし! 明日朝一で、また府警に確認してみるしかないなこれは! それはともかく、ホント、半日もしないで読み解いてくれて助かったよ。そっちは一銭にもならんのに」

西田は改めて謝意を伝えたが、

「むしろ警察辞めて部外者になった自分に、こんな重要なことを任せてもらって、反って申し訳ないぐらいで……。今日はそんなに忙しくもなく、本橋同様、『良い暇つぶし』と言えば語弊がありますが、そんな感じで楽しめましたから」

と、むしろ感謝された。ここら辺はさすがに、堅苦しいぐらいに出来た人間の台詞だった。


 それにしても、西田もここまで完全に部外者となった竹下に頼ることになるとは、捜査再開当初は思ってもみなかった。しかし、竹下のこの事件に対する秘めた思いと、95年当時掛けた労力を考えれば、ある種の宿命だったのかもしれないと考え始めてもいた。


「はっきりしたことは言えないが、ひとまず教誨師と久保山、そしてタダノという連中について、府警に色々聞かにゃあ始まらん」

「ええ。それしかないでしょう! 何かそこから大きな進展があるような気がします。本橋も死んでからここまでさせるのに、何も成果を与えないほど意地悪じゃないんじゃないですか? どこまで事件に関係あるかは予断を許しませんが」

そう言いながら、奴との当時の対戦ぶりを振り返ったか、やや頭に来たのを一瞬我慢していたかのように、携帯電話の向こうから、西田は非科学的ながら感じ取っていた。実際、本橋は、2人からしても、いけ好かない野郎だったのは間違いない。ただ、そうでありながら、何処か憎み切れないところもあったのが不思議だった。


「うん、わかった。とにかく今日はここまでとしよう。何かわかったら、教えられる範囲で教えさせてもらうから」

西田は竹下に通り一辺倒の言葉を掛けたが、実はこの時点で既に、竹下にもう一肌脱いでもらおうという考えが芽生えていたことは黙っていた。確実に頼めるような確証を得るまで、元部下を煩わせたくなかったからだ。


※※※※※※※


 翌10月3日。西田は早朝から出勤し、大阪府警に、「タダノ」なる暴力団関連の本橋周辺の人物が居なかったか、捜査共助課に追加発注で確認を依頼した。その後すぐに拘置支所へと向かい、大島の取り調べをチェックしたが、相も変わらずの調子だった。とは言え、共立病院での起訴は何が何でもやるのだから、そこでのらりくらりとかわされたところで、それ自体は大して痛くもないわけだ。


 問題は時効が迫っている佐田実の件であり、表向きはそんなことは微塵も見せないものの、西田の心中は、むしろそちらに全力投球する方向へと変化していた。


 道警側の指紋の簡易鑑定の結果、中の封筒には、久保山と本橋の指紋が検出され、筆跡の簡易鑑定では本橋のモノだと確認された。外側の封筒にあった住所や宛名についての久保山の筆跡鑑定は、資料を取り寄せるのに時間が掛かるだけではなく、現時点では必要ないので、今は放置することにしていた。


 そして午後になって、府警から一気に教誨師、久保山、タダノについての情報がファックスされてきた。


 教誨師の名前は「水野 早雲(本名 ひとし」。1940年生まれで、大阪北区にある深水ふかみず寺(作者注・深水寺は熊本に実在するようですが、全くの無関係の架空の設定です)の住職だった。1970年から大阪拘置所や大阪刑務所で教誨師を務め、死刑囚本橋もその相手だったという。


 言うまでもなく前(歴)はないが、刑事収容施設(刑務所や拘置所などのこと)に出入りする関係上、大阪拘置所で指紋が採取されたことがあったらしく、その指紋データも道警側に送られてきた。その結果、本橋直筆の封筒の方に、水野の指紋が検出された(作者注・教誨師が指紋を取られるということは、施設に出入りするとしても常識的に考えてないとは思いますが、小説上の設定ということでご理解ください)。法務省管轄の拘置所だった為、警察と情報が共有されていなかったことで、事前に警察側にはデータが無く、判別できなかったわけだ。


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