名実52 {80単独}(185~187 週刊誌記事掲載から動き出す捜査)
8月23日金曜には、無事に新たな嫌疑での勾留が決まり、本格的な取り調べが再開していた。しかし、他の3名はともかく、中川は未だに頑なな態度を改めようとはしていなかった。憔悴してはいたが、一度死を覚悟した人間だけあって、むしろ手強さは増していたように西田は考えていた。
西田自らの捜査への執念より、中川の大島への忠誠心の方が、残念ながら勝っているとすれば、何とも歯痒い展開ではある。だが、それを覆そうと無茶な取り調べをすれば、本末転倒の事態になってしまう恐れもある。焦燥感に苛まれつつも、忍耐力の試される取り調べが続いてた。
言うまでもなく、部下達もストレスが溜まっていることだろう。しかし7年前を思えば、少なくとも自分や吉村にとっては、これに耐えられないということは決して無いはずだと、西田は自身に問い掛けてもいた。
そんな中、8月29日木曜日に、4名の勾留延長請求がされた後、高垣から西田の方へ直接連絡が入った。センスクが取材した結果「イケる」と判断し、9月の中旬に記事を掲載してくれる予定だという。
「今回は、本当に迷惑おかけしてスイマセン」
そう形式上詫びて見せた西田に、
「西田さん、本当に心の底から思ってる? こう見えてこっちも結構忙しいんだからさ!」
と、笑いながらだったが、誠心誠意高垣に悪いと思っていたら、あれほど急な思い付きからの行動を、竹下が主導したとは言え、簡単に賛同はしないと見透かされたようで、西田は内心冷や汗をかいていた。ただ、高垣の事情を思いやってはいられない状況なのも事実だった。
「それはともかく、どうなんですか? 京葉病院側に、院長人事を撤回させるだけのダメージを与えられそうですか?」
誤魔化すように、西田はすぐに本題に入った。
「否、俺が直接取材したわけじゃないからさ……。詳細についてはわからんが、取材した連中から又聞きした限りでは、佐久間院長体制の牙城を、もしかしたら崩せるかもしれんというレベルらしいぞ。強く期待はしない方がいいが、可能性のありなしなら、ありだと思ってもらって構わんと思う」
会話を始めた頃のトーンからして、高垣は言葉と裏腹にそれなりに期待しているように感じた。
「ところでどうなんだ? 捜査の方は。詳しいことはともかく、行けそうなのか、大島の逮捕? 竹下さんも詳しいことは教えてはくれんが、どうも色々聞いてるみたいで、何となく匂わせてくれてはいたが……。10日前の記者会見のこともあるし……。竹下さんと俺とじゃ、同じ外部の人間でも、あんたにとって立ち位置が違うから仕方ないが、雰囲気ぐらいは教えてもらってもいいんじゃないかな?」
高垣にしては珍しく、こちらの機嫌を窺うような、下手に出た言動ではあったが、色々協力してもらってる以上は、多少の状況説明ぐらいはしておくべきだと西田は考えた。
「もし大島の診断書が撤回される状況になれば、北見方面本部側の意識は、いつでも逮捕状を請求する覚悟は出来つつあると思います。但し、起訴から公判維持となると、色々まだ問題はあるかと。あ、この件はセンスク側には漏らさないでくださいよ。どうせ竹下から釘刺されてるとは思いますが……」
「ああ、そいつは当然わかってる。俺が忙しい中、わざわざ口利いたのは、大島を叩き潰して欲しいからだ。わざわざ、それを阻害しかねない馬鹿な真似はしないから、その点はあんたも心配しなくていいよ。とにかくそれだけ聞ければ十分だ。後はなるようにしかならんしな!」
そう言った後、高垣は相変わらず豪胆ぶりを発揮する笑い声を上げた。そして、
「ところで西田さんに、組事務所爆破の時に話した北朝鮮関係の話憶えてるか?」
と尋ねてきた。
「あ……、ええ」
「あれな、近日中に国交正常化交渉が、正式に行われると発表されるみたいだな」
「へえ、そうなんですか? あの後も色々やってたんですね」
「うん。どういうルートなのかはわからんが、正式決定したと、俺の耳に入ってきた。ま、捜査には関係ないが、ちょっとは絡んだわけで、念のため教えておくよ」
確かに、西田にとってはもはやどうでも良いことではあったが、フリージャーナリストとは言え、高垣の情報網のコネはかなり強いということなのだろう。
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8月30日金曜日。31日土曜を挟んで、9月1日日曜からの、各被疑者の勾留延長請求も無事認められた。西田は相変わらず嫌疑について黙秘したままの中川に対する取り調べを確認してから、夕方には捜査本部に戻った。すると先に戻っていた吉村が、テレビの前で「やってますよ」とだけ言って画面を指差した。そこには高松首相が映っており、何やら場立ちによる記者会見の模様だ。
「何かあったのか?」
よくわからないまま尋ねると、
「ほら、例の紫雲会事務所の爆破の時に出た、北朝鮮との国交がどうこうって話が、どうも具体化したらしいです」
と言う。そのままテレビに近くに行き、画像だけでなく音声にも注目していると、どうも高松が国交正常化交渉のために、9月17日火曜に、北朝鮮を訪問して北朝鮮・金主席と首脳会談をすることを発表しているようだ。拉致問題等の解決に向けた話し合いもするらしい
「高垣さんが昨日言ってた通りだな……」
西田のぽっと出た言葉に、
「へえ! 高垣さんはこの話も抑えてたんですか。さすがですね! しかし、どう考えてもあの事件の後は、江田組通した紫雲や駿府とのルートは、その前の時点で確保出来ていたとしても既に切れたでしょうし、確立する前にああなったとしたら、全くルートにすらならなかったはずで、外務省ルート1本で交渉してたんでしょうね、おそらく」
と、吉村は画面もまともに見ずに、やけにもっともらしく語り掛けてきた。
「どんなことがあったかは、部外者の俺らには、所詮知りようがないがな。高垣さんもそこら辺については、細かくは聞いてなかったようだぞ」
西田はそう前置いたが、
「爆破実行犯も、未だに指示系統をゲロってないようだし、真相解明は無理だろうな、爆破事件の方も……」
と、半ば投げやりな台詞を吐きながら席に着いた。
「世間じゃいきなりこんな話が出てきて、結構驚かれてるみたいですが、こっちは内幕知ってるから、ちょっと情報通みたいな気分になれますね」
西田の気持ちを知ってか知らずか、今度は浮かれたような吉村の発言だったが、
「まあな……。政治や外交は、俺らにとっては本来完全に畑違いだが、このヤマに関わってからは、色々あるわ」
と話を合わせておいた。
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9月1日、竹下から興味深いメールが入った。岩田警部の覚せい剤所持を告発した、平石という、既に覚せい剤使用で逮捕・起訴されていた飲食店経営者が、8月29日に、札幌拘置支所で自殺していたという。平石は岩田の手先として動く「S(警察隠語でスパイの頭文字)」と呼ばれる役割をそれ以前は演じていた。
しかも、平石の自殺の仕方がかなり不自然で、「消されたのではないか」と言う噂が、サツ回りの記者の間でまことしやかに囁かれていると結ばれていた。言うまでもなく、竹下は引用しつつも、おそらく自身も、その考えに同調しているのだろうと西田は考えていた。そして、もしそうだとすれば、思っているより事態は深刻なのではないかと危惧していた。ただ、その時の西田にとってみれば、道警内部とは言え、まだかなり「遠い」話で、部署からしても、自分ではどうしようもないという思いも強かったのは間違いない。
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9月4日水曜夜のニュースでは、国交正常化交渉を目前にして、再び富山県沖に北朝鮮の工作船と見られる不審船が公海上に現れ、海上保安庁と海上自衛隊が追跡したという。幸い警戒水域(正確には防空識別圏)の外に出たため、何事も起こらないまま追跡をやめたが、この期に及んでも工作活動を止めるつもりはないらしい。
9月8日の日曜日。相変わらず肝心なことは一切しゃべらない中川を、今度は病院銃撃事件の、銃刀法違反教唆として逮捕勾留する方針が決定した。このまま行けば、各建設会社銃撃事件ごとに教唆として逮捕していくこととなるだろうから、勾留延長も含めれば、数ヶ月に渡る相当日数の勾留になり得る。どこまで裁判所が認めるかは不明だが、かなり高い確率で認められることは間違いあるまい。正直、取り調べている側としても、正義の追及という意味では正しいかもしれないが、実効性や人道から見れば、この勾留延長のオンパレードは、疑問な点が全く無いとは到底言えなかった。
9月9日月曜日午後。中川を最初の建設会社銃撃事件である、九谷建設案件の銃刀法違反(拳銃等の使用)教唆で、坂本・板垣の両名を、村山組銃撃事件銃刀法違反で、更に伊坂政光を病院銃撃事件の殺人幇助で逮捕するため、釧路地裁北見支部に逮捕状を請求した。
明日の午前中には認められ、勾留期間内に無事そのまま収監出来る見通しだ。かなりの長期戦だが、大島を落とす為には、やれることは全てやるしか無い。勿論、これまでの勾留案件での起訴も確定しており、4名の罪状はドンドン積み重なっていくが、大島を殺人で起訴出来なければ、大きな意味はなくなってしまう。
そんな中、竹下から連絡が入った。捜査とは違うアプローチである「病院謀略」の先鋒、週刊センスクの告発記事のゲラ(校正前の試し刷り。ゲラ刷りとも言う。元々はgalley<ガレー>と呼ばれる活版印刷のために活字を組むための枠板のこと)データが出来て、高垣から竹下の元にもFAXで届いたので、更に西田や吉村の自宅に送りたいと言う。さすがに勤務先の北見方面本部に送り付けることは憚られたから、自宅送付にしたはずだ。
竹下の話では、時間がなかった割には、記事はなかなか出来が良いとされていた。ただ、圧力を掛けた政治家の疑惑については、かなり抑え目だと指摘していた。政治家相手の裏取りが甘くなった場合には、何らかの攻撃材料を与える可能性を考慮し、病院側への攻撃を中心に据えたらしい。それでも、竹下が記事に手応えがあるというのならそうなのだろうと、西田も自宅に戻ってそれを見ることを心待ちにしていた。
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深夜に帰宅してゲラを確認すると、元東日本新聞記者の光岡や、医師が語ったと思われる話がかなり具体的に記述されていた。本来なら、裏取りのために時間を掛ける必要があるものも、既に新聞記事として具体化する直前だったこともあって、これだけの時間で済んだのだろう。
言うまでも無く、高垣が急がせたこともあるだろうが、これで9月13日金曜日発売の最新号に間に合うはずだ。ここから、京葉病院側の人事へ何か波及してくれれば良いのだが、そこは希望的観測が入っていることは否めない。西田は祈るような思いも込め、小さく丁寧に折りたたむと、これまでの捜査状況を日記代わりにメモしてきた手帳に挟んだ。
9月10日火曜。4名の起訴並びに再逮捕が行われた。そして、坂本と板垣に射撃を教えていた、双龍会幹部・山里の銃刀法違反教唆の公判が、10月1日より開かれることが確定した。色々取り調べていたが、北見共立病院銃撃等について具体的に知っていたり、関わっていたことが無いとほぼ確定したので、取り敢えず早目に裁判に掛けようということになったわけだ。
東館は罪状が重いことや、中川等との絡みもあって、素直に自供しているとは言え、公判はもっと後のことになりそうだった。
9月11日水曜。この日政府は、前年の年末に自沈した北朝鮮の工作船と思しき船を、中国のEEZ(排他的経済水域)内から引き上げた。6月の段階で、既に中国政府と話がついていたとは言え、訪朝直前の引き上げは、4日の北朝鮮の工作船の出現と共に、日朝双方の駆け引きの一端とも言えた。そして午前中にした4名への勾留請求は、即日夕方には認められ、勾留が開始された
9月12日木曜。正式な発売日前だったが、既に週刊センスクの記事は首都圏で出回り、そこそこ話題になっていると高垣から連絡が入った。病院の人事にどういう影響が及ぶかはまだわからないが、外部の人間に力を持ってもらえるかどうか、10月までのこの2週間が、大きなカギとなることは間違いない。
9月13日、勾留中の自供している3名は、スッキリした様子でそれなりに元気だったものの、中川は相当やつれていて、西田は自殺がないとしても、その前に参ってしまうのではないかと心配していた。
江戸時代に、お家大事で主君の代わりに切腹した武士とは、おそらくこういう姿だったのだろうかと、無駄に想像力を働かせる程だった。そこまで忠義を尽くす義理がどこにあるのか、取り調べに当たる刑事達も全く理解出来ていなかった。しかし、そんなどうでも良いことに考えを巡らせている暇は、すぐに無くなってしまう。
9月15日は、日曜且つ敬老の日(日付が固定していた時代だったため)だったが、世間の一般的なサラリーマンと違い刑事、しかも重要事件を抱えている以上は何の関係もなく、朝から出勤していた西田であった。
前日は久しぶりに丸1日休みを満喫して、かなりリフレッシュ出来ていた。本人はこの忙しい時に休みを取るつもりもなかったが、三谷課長から、「さすがにそろそろ一度休みを入れろ」と指示され、ほぼ無理やり休暇を取らされる形になっていた。実際のところ3週間近く休んでおらず、よく考えれば三谷の命令は適切だったと言えた。
休みで昼過ぎまで良く寝られたせいもあり、久しぶりに良い寝起きの状態のまま、近くのコンビニに行き、北海道では1日遅れの発売となったセンスクを買い求めて、改めて中身を確認していた。やはり、ほぼゲラ通りの記事で、大きく変える所はなかったようだった。
時間は戻り、15日の昼前。安村から至急方面本部長室に来るように連絡が入った。急いで向かうと、既に小藪刑事部長、三谷捜査一課長、北見署の刑事課長である松浦も来ていた。
「遅れてスイマセン」
息を切らしながら謝罪したが、他の3名も呼び出された理由がわからないせいか、西田に、
「何か聞いてるか?」
と逆に聞いてくる始末だった。
「いやあ、さっぱりわからないです」
そう言うしかなかったが、その言葉を聞いた3名は、「何だお前もか」とでも言わんばかりに、ただただ残念そうな顔付きをした。
「呼びつけておきながら、遅れまして申し訳ないです」
突然そう言いながら、安村が焦ったように室内へと入ってきた。
「何かあったんですか?」
小藪が安村が着席する前に我慢出来ずに尋ねると、
「私自身も正直、びっくりしてます」
とだけ言って、安村は椅子を手荒に引くと腰を下ろした。




