名実46 {74単独}(168~169 安村の思惑)
そこに、遅れて安村北見方面本部長が駆け付けて来た。
「とにかく詳しく事情を説明してください」
安村らしく冷静に指示すると、竹田署長がこれまで同様の説明をした。話をじっと聞いていた安村は、
「そうですか……。現場の対応がしっかりしていたからこそ、何とか未遂で済みましたね。ただ、札幌の本部の方には、キチッと連絡はさせていただきます」
と言ったが、これは当然の内規通りの行動なので仕方ない。しかし、安村は直後、思わぬことを言い出した。
「明日にも、この件について記者会見したいと思うので、その件も札幌の本部に許可を求めたいと思います」
この想定外の発言に、署長がまず反応した。
「安村方面本部長! 記者会見の必要が全く無いとまでは言いませんが、この件については、未遂で且つ後遺症の発生もないと思われますから、こちらから開く必要は無いと考えますが?」
実際、対応も結果も問題無かったと、安村自身が認めているだけに、西田は勿論三谷も、記者会見の必要性は無いと考えていた。そして、竹田の発言の裏には、「この程度で済んだ以上は、マスコミ発表については、道警本部はする必要がないと回答するだろう」という読みもあったと確信していた。
「ええ、確かに、署長の仰ることはもっともでしょう。ただ、かなり重要な事件の被疑者の自殺未遂ですから、この件については、こちらから記者会見してもおかしくないと考えます」
それに対して安村は、このように回答した。
「いやちょっと! ちょっと待って下さいよ! 自殺未遂で、しかも問題がない状態で済んだ話なんですから、この件については、道警本部はむしろ記者会見する必要がないと言うレベルの案件だと思いますが!」
ここに来て、署長の竹田には、やはり西田が推測した通りの思惑があったと、彼は「自白」してしまった。しかし必死だったせいか、そのことについて、はっきりと口にしたという失敗の表情は窺えなかった。同時に竹田の口調は、あからさまにヒートアップしていた。警察側の落ち度はほぼ無いと言えるレベルの事案だけに、記者会見という一種の「公開処刑」的な扱いを受ける謂れはないと言いたいのだろう。
「いえ! これだけの事件の被疑者ですから、キチッとしておく必要があります!」
安村も、ここに来てまた頑なになっていた。
「その点については、ここで争っても仕方ないですから、不本意ながら良しとしましょうか……。しかし、もし本部が記者会見を開く必要がないとした場合には、言うまでもなく指示には従うわけですね?」
年齢では先輩でありながら、如何にもノンキャリアで叩き上げと言った感じの竹田も、一見譲歩したと見せかけつつも負けじと反論した。だが、それに対する安村の答えは、西田にとっても到底理解出来ないものだった。
「いいえ、やります!」
「はあ?」
竹田が、思わず信じられないと言った風に、露骨な表現のまま間髪入れずに聞き返した。
「だからやると言っているんです! それだけのことですので」
再び強調して言い返した安村に、
「いや、方面本部長! さすがに、上層部からの指示系統を無視するのは、私としても理解しかねますが」
と、さすがの三谷も直属の上司に苦言を呈した。しかしながら、安村はどこ吹く風と言わんばかりに、
「いや、やりますんで」
と同じことを短く返すだけだった。これを聞いて竹田は、
「なんだこれは! どうなってんだ今の方面本部長は!」
と、多くの関係者の前で、感情をそのまま吠える始末だった。
西田もまた、これは大変なことになったと思いながらも、安村を止めることはまず出来ないとも考えていた。ここまで主張する以上は、情報公開目的以上に、何らかの捜査上の効果を狙っているように思えたのだ。だとすれば、彼の背負っているモノが、他の役職の者とは明らかに違う以上、上層部と刺し違えても、今の安村ならやり遂げかねないと考えていた。
無論、その安村の狙っている記者会見の効果とは、世論を喚起して、入院している大島と民友党或いは政権側にプレッシャーを与えたいということではないか? 同時にその推測が確かだとすれば、これから先、北見方面本部、北見署は言うまでもなく、道警本部ひいては察庁まで、かなり混乱しかねないと、西田は少々気が重くなっていた。
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北見署に駆け込んでから、結局西田はずっと北見方面本部に残り、騒動の渦中に居続けた。さすがに、小藪刑事部長もその後からやって来て、安村本部長と直談判していたが、取り敢えず、道警本部との折衝後に結論を出すという折衷案で、なんとか夜明け前に妥結がなされた。
とは言っても、安村は道警本部に反対されようが、基本的に「やる」方針であることを明言していた。あくまで本部の話も聞くというだけのことの様だった。
そして、夜中の騒ぎとそれにまつわる一悶着を知らない捜査員達が、午前7時半過ぎには続々と捜査本部に集まって来ていたが、中川の自殺騒ぎについて聞くと、一様に驚きを隠さなかったと共に、無事であったことに安堵していたようだった。ただ、彼らは北見の警察首脳同士で揉めているということまでは、まだ理解していないわけだった。
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この日の8月19日は、夏が短い北海道の小学校の多くで、2学期の始業日であり、庁舎の窓からも、8時前には学校へと向かう元気の良い生徒達の姿が目に付いた。決して晴天ではなかったものの、彼らの賑やかな声がそこら中に朝から響き、捜査本部と違い、何となく街中が華やいだ感じを西田は受けていた。そしていよいよ、道東の夏も終わりを告げようとしていることを目で肌で感じ、大島検挙に向けてのラストスパートを強く意識していた。
自殺を図った中川は、念の為、今日1日は病院で過ごすことになっており、取り調べは行われないことになっていたが、記者会見がどうなるかの方が、西田にとっての最大の関心事になっていた。
午前10時には、道警本部長である木田と、監察官室長である蓬莱と安村の電話会談が行われた。すると、木田や蓬莱からは、むしろ積極的に記者会見を開くことを要望されるという結果になり、会見の基本方針も安村に任せるという指示が下った。
これには、竹田北見署長や小藪刑事部長も相当驚いたようで、特に所轄として責任を問われかねない署長が道警本部に改めて噛み付いた。しかし「業務は適切に行っており、所轄の責任は一切問われない」という言質を得たので、しぶしぶ引き下がるという始末だった。そして、記者会見は当日夕方に行うことになり、昼前には記者クラブに通知された。
西田としても、この結果はあり得ないとまでは思っていなかったものの、積極的に情報開示を行うことまで、「向こう」から求められたのには、かなりの違和感を感じていた。そのため、伊坂や坂本、板垣らの取り調べ管理の合間を縫って、安村の元へと向かい、直接この件について話してみることにした。
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「方面本部長はどう思われますか? やけにあっさりと記者会見が認められたように、小籔部長からは聞いてますが?」
「かなり注目度の高い被疑者の自殺未遂である以上は、それなりに情報開示が求められる昨今、やるべきだと判断しましたが、不祥事を嫌がる『上』にしては、すんなり認めてくれて、かなり妙な感じはありますね、正直な所」
西田に尋ねられた安村は、最後は率直な思いを吐露したが、記者会見を開こうと主張した、安村自身の目論見については、まだ西田にも伏せたままだった。そして、
「下衆の勘ぐりは、余りよろしくないとは思いますが、やはり何か裏が有るような気がしないでもないんですが……。おそらく、ここまで歓迎されたのには、明らかな意図があるとは思います。それこそ政治との絡みかもしれません」
と続けた。
「政治との絡み?」
安村の口をついて出た言葉に、西田はすぐさま飛び付いた。
「ええ。パワーバランスというか、政治の力学のなせる技ですよ。今の高松首相は、元々が主流派とは言えない『志徹会』の中で、更にアウトサイダー側だった政治家ですから、嫌疑が掛かっている大島海路の旧箱崎派……、今の梅田派は、さっさと潰しておきたいという欲求があるはずです。ここに来て、大島周辺が一気にきな臭くなってきた展開は、ある意味、彼としては望むところでしょう。一方で、大島の疑惑が長引けば長引く程、民友党全体へのマイナスイメージが付いてしまう。既に永田町では、中川秘書が逮捕されて以降、大島逮捕のXデーがまことしやかに噂されていると、私の東京に居る同期から情報が入って来ています。勿論、我々から見れば、噂ではなく、事件の本筋として見てますから、当たり前の話なんですが……。そして、中川秘書の自殺未遂が報じられれば、その流れは更に加速するのは間違いないですね。こうなってくると、高松首相にしてみれば、事件の収束は早い方が良いはずなんです。だからこそ何となく、(自分の立場を)上手く利用されている節を感じますね……。政府として、表向きは自由に警察にやらせていると言う、一種の免罪符ですか……」
そこまで言うと、安村はゆっくりと席から立ち上がり、窓辺に佇んだ。深く思索しているように見え、西田はそれ以上質問するのをやめようかと思った。
だが、それでも聞いておかねばなるまいと思い、敢えて質問をぶつけた。
「しかし、失礼かもしれませんが、方面本部長自身も、この件をわざわざ記者会見してまで表沙汰にしようとした時点で、プレッシャーを相手側に与えようという意図があったのではないですか?」
それに対し安村は、西田を一瞥しただけで、視線を再び窓の外に戻しながら、
「全くその通りです。そう考えていました。……しかし、こうなってみると、自分の考えは浅ましかったのかなとも思えてきますよ、不思議な事にね。これが上層部の許可が下りなかったら、そこまで思わなかったのかもしれませんが。自分の『工作』は許せるが、他人の『工作』に巻き込まれると不満に思う……。人間ってのは身勝手なもんです」
と語った。この時西田は、その発言の意図がはっきりとわからず、返す言葉を失っていた。
「あ、人間って言い方は不遜かもしれません。あくまで自分が身勝手なだけですか」
改めて西田に向き合った安村は、少し怒りを含んだ表情だった。いや、そう見えただけかもしれない。
「ただ、これだけは言えます。やはり、思ったより大島逮捕のハードルは低くなってるようです、確実に……。佐田実殺害については、立証の部分でまだ相当問題がありますが、共立病院銃撃事件での逮捕は、中川の証言を抜きにしても、現状の証拠だけでも行けるかもしれない、そんな気がして来ました。後は、大島と中川の明白な主従関係を使って、入院している大島をどう引っ張り出すか、ここでしょう!」
「なるほど。そういう流れになりつつあると見ることは十分可能ですね……」
西田もここに来て、その解説により意図が理解出来ていた。。
「伊坂と坂本、板垣の証言だけでは、大島の関与とするには、これまでであれば弱いと感じていましたが、今は状況が違って来ているんでしょう。一般の庶民相手なら、良くも悪くもこの程度の証言でも、逮捕出来ておかしくなかった状況に、大島も今陥りつつある、そんなところでしょうか。西田課長補佐も、そのぐらいの腹積もりで居てください。想定しているより早く動けるかもしれない」
そう言うと、今度はまじまじと西田を見据えた。
「わかりました。方面本部長の考えも理解出来ましたので、取り敢えず捜査本部に戻ります」
西田はその視線をしっかり受け止め、そう返すと、部屋を退出した。




