名実38 {66単独}(152~153 伊坂政光の独白3)
「つまり、あんたはそれまでの人生において、良心と現実のせめぎ合いの狭間で、内心苦しみ続けていたが、最終的にどんなに否定しようと、自分自身とは切り離せない、虚飾まみれの伊坂組を継ぐという、悪しき現実を敢えて取った……。そういうことか?」
西田は話の結論が出る前に、政光の内心を推察した上で尋ねた。
「刑事ってのは、相手の心理を探ることも仕事だとは聞いていたが、あんたはその点はなかなか優れてるようだな……。大体合ってる。俺は、最終的に自分の人生の背景にあった……、どんなに否定しようが切っても切れない、親父の悪を引き受けることに決めた。これは自分の宿命だと、逃げられないと、ある意味思い知らされたと言っても良い。そしてそれは……それまでも知ってはいた、単なる談合や贈賄という社会的な悪だけでなく、人殺しという絶対的な悪も込みでだ。結局、その結論に至ったのは、翌年(96年)の正月だった。家族は、いつか北見へ戻ること自体は、ある程度わかっていたようだから、特に反対もしなかったが、俺の内心の葛藤と覚悟までは、さすがにわかっていなかっただろうな……」
その回答を得た後で、
「あんたがどういう思いで、北見に戻ってきたかまでは……」
そう西田は言って、更に「良くわかった」と続けようとして、その前に言葉を飲み込んだ。別に政光に同情するつもりもなかったし、ある種の正当化に迎合するつもりもなかったが、安易に相手の心情をよく理解したと口にすることが、これまでの話を聞いた限り何となく憚られたのだ。
そして、この政光の発言で、父親に対する複雑な感情を抱きながらも、父の会社を継ぎ、その上父の悪行も踏襲し、挙句、父の遺志をも継いで砂金も管理していた政光の、ある意味『諦観』に近い覚悟を垣間見た気がしていた。
しかし、この聴取の最終目標は、砂金の保管の理由や政光が会社を継いだ理由を聞くことではない。西田は流れの修正を図った。
「それはともかくだ。佐田実に何故脅迫されていたか、『過去』とは何か聞いたと思うが。それは具体的にどういうことだったか教えてくれ」
勿論、西田はその話はある程度推測していたつもりだったし、吉村もそうだったろうが、政光の口から、しっかり言わせる必要があったので、敢えて聞いたのだった。
「親父が電話でその時に自分に話したことは、佐田を殺したことと、脅されていたことだけだった。取り敢えずは、脅迫相手の言うように金を払うように伝えたが、東京に居ても埒が開かない上に、脅迫者への対応なんかについても、ちゃんと話し合いたいと思い、一度10月末だったか……、俺が北見に戻った。改まったように、証文と砂金と4つの帯封の札束を俺の前に置いて、戦前からその当時に至るまでの、親父の人生の全てを、息子である私に明かしたんだ……。実は俺はその時まで、親父がどういう人生を送ってきたか、特に俺が物心付くまでのことは、ほとんど知らないままだった……。親父も話さないし、お袋も親父が聞かれると嫌がるのを知っていたから、よく知らない部分があったようで、そっちからも聞くことはなかった。だから俺は、その時に至っては、もう親父がしでかしたことを責めるよりも、ちゃんと話を聞きたいという気持ちが強かったと記憶してる」
ここまで語った政光だったが、疲れた様子が見受けられたので、取り調べ室から、
「おい! 誰かお茶持ってきてくれ」
と、外に向かって西田は声を掛けた。そして若手刑事が持って来たお茶を政光に飲ませ一服させた。
数分が過ぎ、一息入れ終わると、
「じゃあ続けてくれ」
と促し、それに頷いた政光は、
「気遣いスマンな」
とだけ言って静かに語り始めた。
「親父が生まれたのは、大正9(1920)年で、道南の松前の方だということだけは知っていた。ただ、実家に行ったこともないので、何か関係が悪かったということは、子供ながらに理解はしていたが……。親父の話では、小学校を出たが、貧しい家だったので、函館の造船、まあ造船と言っても、船大工の大きな奴みたいな程度のモンだったようだが、そこの作業所に奉公に出されたそうだ。だが、船大工の棟梁と折り合いが悪く、数年で追い出されるような形で、道内各地の飯場(作者注・飯場とは、日本において、鉱夫や土木工事や建築現場に従事する作業員用の宿泊施設のこと。ほぼ現場と隣接している場所に立地。タコ部屋労働のタコ部屋も、一種の飯場である)などを渡り歩いて、人夫として働くようになった。そんなことをしている内に流れ流れて、生田原で、山師というか砂金掘りである、仙崎という爺さんの元で働くようになったそうだ。昭和も10年を過ぎた頃からだったかな……。その爺さんは、それまでの飯場やら現場やらを仕切ってる連中と違い、大変情に厚く、使用人にも優しい人物だったので、珍しく仕事が長続きして、数年間も一緒に仕事をしていたらしい。仲間も、あの証文に書かれている、桑野、北条、免出という、割と気さくな連中に囲まれて、生まれて初めて、穏やかな日々を送っていたらしい。親父ははっきりとは言わなかったが、どうも人夫時代は、かなりの辛苦を味わってきたようだった。それがその時まで、親父の半生が語られず、謎だった理由にもなっていると思う」
ここまで聞いて、西田はタコ部屋労働などの、戦前の劣悪な労働環境を思い起こしていた。
「特に年長の桑野という奴が大変頭が良く、人柄も素晴らしいので、後から加わった立場でありながら、言わばリーダーとして皆を率いるような立場にあったらしい。未だに、あれを超える人物に出会ったことがないと、その時言っていた。親父は、普段余り人を褒めないようなタイプだったから、その時はちょっと驚いたもんだ。実際、当時の旧制中学を卒業して、退学したものの、更に旧制高校まで行っていたと話していたようだから、戦前にしては、相当の学歴もあったのは確かだろうな……。唯一の欠点というか問題は、出身の岩手の訛がキツイところだったが、到底馬鹿に出来るような空気じゃなかったって話だ。……あ、そうそう、もう1つあったな……。両手の親指だったかが欠損してたとか。まあ細かいことは言いたくない感じだったから、余り詮索することもなく、指を失くした理由については聞かなかったそうだが。そして、北条の方は、親父より1つ下で、同じ道内出身で、こっちは馬鹿なところもあったが、面白い人間だったそうだ。そして免出は、広島から出てきた開拓農家の息子で、一番年下だったのだが、みんなに可愛がられてたとか。なかなかの男前で、以前は女にモテたのが自慢だったらしいが、それで身を持ち崩した挙句勘当されて、こちらも道内を放浪していたらしい。その時は、割と真面目に働いていたようだが、性格も良い意味での『人たらし』しみたいなところがあって、生意気だが憎めない、可愛い弟分と言った感じだったんだと。いずれにせよ、桑野という人間以外は、皆、流れ者的な気質を持った青年だったようだな」
西田は、大吉が仙波の下で共に働いていた仲間について、細かく息子の政光に説明していたことに驚いたが、跡を継がせる息子にあらゆることを正直に喋っておくことが、弱った自分の最後の義務とでも考えたのかと推測していた。それまでの悪事の数々が、精神的、肉体的に弱った後に一気に襲いかかり、強がっていることも出来なくなったのかと、その時点では解釈していた。ただ、自分が殺めた高村については、ここまで話題になっていなかった。さすがに言いづらかったのだろう。
「ところが、突然雇い主の仙崎が病死した。そしてそこから、親父の人生が再び急に動き始めることになった。以前からたまに遊びに来ていた、仙崎の知り合いの佐田徹が、後処理をどうするか考えるため、桑野によって呼び出されて、この後どうするかという話になった。ただ、砂金はまだ採れていたから、遺体を埋葬した上で、そのまま山の中でしばらく砂金を掘って、後のことはそれから考えようという話になった。佐田徹も、病死ということで、仙崎をそのまま埋葬することを認めてくれた。しかし、問題はここからだ。それから取り敢えず、桑野と親父と北条で、町中に買い出しに出た際、もう1人、高村という仕事仲間が居たんだが、皆が住んでいた小屋から逃げ出す前に、盗みを働こうとして、おそらくそれを止めようとした免出を殺して逃げ出したそうだ。親父や北条は、可愛がっていた免出を殺されたので、相当怒り狂って、桑野と共に3人で高村を山中追いかけた。そして、とうとう捕まえて小屋に戻り、殺害を自白させた挙句、逆上した親父と北条で、護身用に持参していた木刀で殴り殺したそうだ」
ここで、初めて高村の名前が出て来た。大吉は、このまま最後まで高村について言及しなかったのかと思っていたが、少なくとも殺害については政光に語っていたようだ。さすがにこれについても触れないと、後の佐田実からの脅迫について、説明がしづらいということがあったのだろうか。
「当然、桑野は止めようとしたんだが、さすがに男二人が木刀で暴れたもんだから、止めるに止められなかったらしい。その後3人は、仕出かしたことに、かなり長時間呆然としていたが、佐田が再び小屋にやって来た。事情を説明すると、渋々ではあるが、警察に連絡しないことを受け入れてくれたらしい。その上佐田の口から、実は仙崎が隠し砂金を、皆の遺産として遺していたと告げられた。さて、この後どうするかという話になったが、1人は病死とは言え、さすがに3名も行方不明になっていると、そのうち場所を借りている地主に気付かれて、色々とマズイことになるのは必然で、免出と高村も仙崎同様に埋めて、ばれる前に、この場から離れた方が良いという話になったらしい。砂金を掘り出すのに、どれくらい時間が掛かるかはっきりしていないこともあったようだな。加えて、実際に掘り出すのは、砂金掘りの全員が消えてしまったということで、ちょっとした騒ぎになるのは必然だから、それが落ち着いて、しばらく経ってからの方が良いということで後回しになったようだ。ただ、分配の証明は事前にしておこうということで、あの証文が作られたということだ。俺もその時それを初めて見たが、血判が押してあるのもわかったし、親父の真剣な様子からも、この話はそのまますぐ信用した」
「親父さんが、戦中から殺人してたのについては、何か思うことはなかったのか?」
吉村が尋ねると、
「もうそれ以前に聞いたことと比較すれば……。この時にはそれなりの理由があったから、余りショックは受けなかったな……。麻痺していたと言えば、事実その通りだったかもしれないが、俺もまた、覚悟を決めていた後だったということもあったんじゃないか?」
と語った。
確かに、あらゆる悪も飲み込んで、伊坂組を率いる覚悟を決めた後としては、「私刑」ではあったが、それなりの「正当性」もあった高村への報復は、政光からしてもまだマシだったのかもしれないし、その殺人の理由について、今更大吉が嘘を言うこともなかっただろう。ただ、佐田徹の手紙には、「大吉が主導して」殺害したという記述があり、その点についてまでは、さすがに大吉は政光に告げなかったのかもしれない。そして話は続く。
「高村には遺す必要がないとしても、問題は免出だった。確かに死んではいたが、本来もらうべき立場だ。そして何より、免出の分を何とかしたという思いが皆の中にあったらしい」
「それは免出の子供の件か?」
西田は思わず答えを先に口走っていた。
「その通りだ。証文にも残っていたが、免出には結婚はしていなかったが、どうも息子が居たらしい。居たらしいというのは、実際には、免出はその子を抱いたこともなかったと話していたからだそうだ。免出からの口伝えだが、母親はアイヌの美しい娘だったと言っていたようだったが、どうもその娘の父親が、2人の仲に反対していて、免出も当時は遊び人だったので、それに真正面から向かい合うこともなく、お腹に子供が宿っているのを知りながら、その娘を捨てて、道内を流れていたそうだ。しかし、気になって、1年後、1度隠れたまま様子を探りに戻ると、その娘が赤ん坊を抱いていたって話だ。着物から男児と判断したが、さすがに合わせる顔もなく、その場を離れた。しかし、自分の子供であることは間違いないのだから、免出はそこから考えを改め、ちゃんと働くようになって、いつかその子に会えるようになりたいと言っていたそうだ。それに、そもそもその娘を嫌いになって逃げ出したわけでもなく、まだ相手への気持ちも、十分に残っていたんじゃないかと親父達は思っていたらしい。実際、その生田原からそう遠くない場所に、その母子は居るような感じのことを匂わせていたらしく、免出は、出来るだけ傍に居たかったんじゃないかと、親父や桑野、北条は推察していたようだ。それで、生前の免出の気持ちも汲んだ上で、砂金を桑野、親父、北条、そして、どこに居るかもはっきりと聞いていなかった免出の息子? の4名で分けることを、佐田に了承してもらい、血判を押した証文を作成した上で、生田原から逃げるように離れたそうだ。ただ、居場所もはっきりわからず、名前も聞いていなかった免出の息子に、実際に砂金が渡せるかかどうかについては、実際のところ、半信半疑かそれ以下だったと、その当時親父自身思っていたようだな」
政光はここまで一気に喋ると、2人の刑事の反応を確認した。
西田と吉村は、ここまでの話が、ほぼ佐田徹が遺した手紙の内容と一致していることから見ても、政光の言う通り、大吉は息子にほとんど真実を話したのだと確信していた。しかし、集中して話を聞いているのも疲れたので、数分間、皆でタバコを吸って休憩することにした。その間しばらく、3人の間には会話は一切無かった。しかし、その理由としては、重い空気に支配されていたからというよりは、これから先長い話になると、政光は勿論、西田と吉村もそう考えて、それに向けて英気を養っていたからだろう。
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そして政光が頃合いを見計らったか、2人の刑事に逆に質問してきた。
「ところで、2人とも随分昔のことについても信じられないぐらいに詳しいな。どこまで調べてるんだ?」
与えられた、おそらく久しぶりの一服を大事そうに吸いながらだった。
「あんた方と大島を挙げるために、95年から、俺達がどんだけ苦労してきたことか……。あんたの所の喜多川専務の逮捕から始まって、岩手、東京、大阪まで捜査しに行って、その上一生懸命考えて、やっと今があるんだ。やっとな……」
吉村が力を込めながらしみじみと語ると、
「大した執念だな……」
と大きく煙を吐き出した。
「さすがに一度は諦めかけたけどな……」
西田はそう言うと、視線を一度下げた。




