名実32 {58・59合併}(135~136・137~138 4名の取り調べが徐々に進む)
黛に4階まで鑑識職員を案内させ、西田達は、まず女性職員に名前を聞くと、菊田と名乗った。15年以上勤続しているということなので、事務所の改装歴などについて聞くと、はっきりした記憶はないが、勤務し始めるようになってから1度あったのではないかという。
ただ、それが7年より前なのか後なのかは、よくわからないということだった。「おそらく、勤務し始めてから、そんなに年数は経っていない時期だったはず」だそうだが、それだけでは、到底安心は出来ない。
他にも、東館達が潜伏していた間、どういう形で他の事務所職員を部屋に近づけさせなかったかについて、後で中川にしっかり取り調べすることにはなるだろうが、一応、2週間近く潜伏していた以上、この女性職員にも当時の記憶があるかもしれないので、中川の逮捕を告げて安心させた上で、確認してみることにした。
すると、いつだったかははっきりしないが、普段事務所に居着かない中川が、かなり長期間、事務所に張り付いたまま、3階以上に近付けさせなかったことがあった記憶があるとのことだった。
また、その時の理由付けは、「大島議員から重要なモノを大量に預かっているので近付くな」という、なんともよく理解し難いものだったが、地元の「大番頭」の指示のため従っていたらしい。
但し、元々3階以上、特に4階の集会室は、そう頻繁に使用することもないため、長期使用しない場合には、4日に1回程度、風通しのために開ける程度のこともあり、違和感はそれほどなかったようだ。
いずれにせよ、事務所の人間に対しては、過去、上の階に近付かせなかったことがあったことは間違いないようだった。菊田に「後から正式に参考人聴取することになるのでよろしく」と告げると、なんとも言えない表情を浮かべたまま頷いた。
そして、浅田と宮部を下で監視させたまま、西田と吉村はすぐに4階へと足を運んだ。既に鑑識が銃痕と見られる部分を、周囲からまるごと壁から切り離す作業をしていた。署に戻ってから、念入りに分析するためだ。
鑑識の河北は、その銃痕の周辺を中心にして、壁やテレビから指紋を採取していた。さすがに、7年前の室内の壁やドアノブ全体から指紋を採取するとなると、時間が掛かると同時に、そもそも拭き取られている可能性や、事件とは無関係の他者の指紋と相当数バッティングする可能性が非常に高く、どこの部分であっても、経年数も考えれば、検出は相当厳しいということは否定出来ない。
よって東館の証言から、明確に触っただろう場所をピックアップして、あくまで「念のため」程度に作業することにしていたわけだ。勿論、場合によっては、最終的に室内全体の指紋を採取する必要が生じる可能性もあったが、現時点では、壁の痕が銃痕と確定することが、もっとも重要な証拠であることは間違いなかった。
「どう? いけそう?」
吉村が若手の鑑識職員に聞くが、
「現時点では何とも言えませんよ……。特に目に見えて、金属成分が付着しているようには見えませんねえ……。こっちが聞いてる話では、壁から銃弾を引き抜いた? そうですけど、そうなると、周辺の壁材ごと、一緒に剥がしてしまっている可能性もありますから」
と、何とも煮え切らない回答を得るだけだった。
そのまま見ているだけなら、鑑識職員の邪魔になるということもあり、西田と吉村は、下の2人と合流して、事務所全体のガサ入れを始めた。西田と吉村は、外の駐車場の車をチェックすることにしたが、後から来た男性事務所職員に聞いた限り、既に事務所にある車は、5年前には全部新車に置き換わっていたと証言され、古い車両は既にスクラップ済みのようだった。相手側は既にやるべきことはやっていたらしい。
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警察が、有力議員である大島海路の事務所に秘書の殺人容疑でガサ入れし、地域有力ゼネコンの社員も同時に逮捕されたという情報は、警察からも「自然」にリークされ、午前10時前には、マスコミ関係者にも瞬く間に知れ渡ることになっていた。
北海道で最も力のあるメディアである道報も、当然、すぐにその情報が関係のない支局にまで行き渡っていた。紋別支局の竹下も、当然その報に接していた。言うまでもなく、伊坂組社長である伊坂政光も逮捕されたのでは? という噂も込みで……。
「西田さんと吉村がいよいよ動き出したか……」
竹下は感慨深そうに呟いた。しかし、そう時間も置かずにデスクから、
「竹下! これから先、大掛かりな話に発展した場合、『北見に応援に行ってもらうことがある』と本社の社会部から達しが来てるから、正式に要請来たらすぐ向かってもらうぞ! おまえの警察時代の経験が買われたみたいだな。残念ながら、まだその段階じゃないようだが、心の準備だけはしといてくれ」
と、思ってもみなかった好機が伝えられた。勿論、二つ返事で
「わかりました。準備万端にしときます!」
と返してみせた。
それにしても、まさか新聞記者になった後も、あの事件に関わる可能性があるとは、さすがの竹下も、警察を辞めてからは、一度も思ってもみなかったことだった。
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一方、取り敢えず押収すべきものの目処が立った西田と吉村は、昼過ぎに先に捜査本部に戻ったが、既に連行された4名は、ガッチリ取り調べを受けていた。
三谷課長が担当指揮し、二課も伊坂政光の逮捕と共に協力してくれた伊坂組のガサ入れでは、逮捕した坂本と板垣の2人が、東館達をサポートするため事件後に何度か、当時伊坂組が保有していた、留辺蘂の温根湯温泉にある研修施設に、長時間に渡り滞在したという事実を裏付ける目的がまずあった。
そして、伊坂政光の私文書偽造(領収書金額改ざん)の不正関連の裏付けや、他の不正がないかチェックする目的もあった。そのために、出面帳などの法定出勤簿関連の書類や、経理の帳簿などを押収する行動に出ていたわけだ。
しかし、出面帳は法定保管期限が3年で、95年時の佐田実殺害事件捜査において、喜多川と篠田の両専務が、作業員だった時代のアリバイチェックの際にも出てこなかったように、今回も出ることはなかった。
あの時は、網走フィッシャーマンズスクエアでの労働災害が同時期に発生していたので、労基署から当時の出面帳を入手するという奇手が成功したが、今回はさすがにそのようなことも、今のところ思い浮かばず、おそらく勤務関連の帳簿から裏付けることは出来ないと目された。
ただ、94年から97年まで、研修施設を管理していた当時総務部、現営業部の、杉村という当時の担当者が見つかり、その場で聴取したところ、何時だかはっきりはしないが、会社からの指示で、「1週間程他人に貸し出しているので、何か近隣住民から連絡があったら、その旨告げるように」と、上から言われていたという証言が出て来た。すぐにそのまま任意で引っ張って、既に簡単な参考人聴取が行われていた。
とにかく、伊坂の領収書偽造を裏付けるだけでなく、更なる経済犯の別件の案件がないか精査する必要もあるため、ここは経済犯を専門とする、北見方面本部の捜査二課にも、特に頑張ってもらう必要があった。
しかし、西田としては、伊坂組のガサ入れのことなどは余り眼中になく、やはり、大島事務所の壁に空いた穴が、銃痕かどうかが最も気がかりだった。その結果は早ければ明日中には出るということもあり、落ち着かない心境のままで、その後の捜査に臨んでいたのだ。この日は、最高気温が30度を突破したこともあったが、西田が普段より汗を多くかいていたのは、こういう心理的影響もあったに違いない
取り調べの方では、事前に予想してはいたが、中川秘書は完黙(完全黙秘)に徹した。一方、伊坂、坂本と板垣は、まさか逮捕されるとは思っていなかったか、事件への関与は否定してはいたものの、相当動揺が見られ、坂本の取り調べを担当した日下も、板垣を担当した三谷も「若い2人はいずれ落ちる」と自信を見せていた。ただ、例の伊坂組顧問弁護士の松田弁護士が中川秘書にもついたので、夕方には4名それぞれに接見すると、残念ながら皆かなり落ち着いたようだった。
一方の捜査側は捜査側で、実はかなり混乱状態にあった。特に最近は、極限られた捜査員のみの秘密主義で捜査していたこともあったが、応援の一般捜査員にしてみれば、準備・周知段階もほとんどなく、一気にガサ入れや逮捕まで行ったため、情報を共有出来ず、あたふたしていたのだ。
否、それだけではなく、捜査本部組であっても、当日直前までほとんど予定を知らされていなかったのだから、応援組なら尚更の結果と言えただろう。
また、札幌の道警本部、旭川方面本部からも、応援の捜査員が合計12名派遣されて来ていた。事件の内容から見て、本来ならば、他本部応援組の数はこの数倍でも良いぐらいだったが、急な逮捕だったこともあり、状況をほとんど把握していない捜査員が大量に来ても、この捜査段階ではほとんど意味が無いのは確かだ。
事前に、応援人数が多ければむしろ混乱を招くと、西田が安村方面本部長に進言していたこともあり、現時点では必要最小限の応援に留まっていたわけだ。
とにかく、所轄・周辺所轄・他(方面)本部から急遽集められた応援組は、事件の概要そのものをほぼ把握出来ないままで参加させられたこともあって、戦力になる取り調べ担当は、事実上かなり足りない状態にあった。成り行き上、本来ならばあり得ない、三谷や北見署の松浦のような課長クラスまで、急遽取り調べ担当として取り調べに臨んでいたわけだ。
西田も、現時点では、捜査の全体把握の元締めとしての役割を担ってはいたが、聴取する参考人が増えれば、そのうち取り調べに直接参加せざるを得なくなるだろう。吉村も西田とは別に、既に坂本の取り調べに直接関わっていた。
刑事部長の小藪はと言えば、広報官と共にマスコミ対応に追われていた。さすがに有力国会議員の秘書が、殺人容疑で逮捕されたとなると、騒ぎが大きくなっていた。既に昼には、全国ニュースで流れる状態であり、北見署の会見場は、新聞やテレビの記者が集まり騒然としていた。3日には東館の起訴も予定されており、マスコミ対応でも更に忙しくなるのも明白だった。
証拠隠滅阻止を図るためとは言え、病院銃撃実行犯の東館の逮捕・勾留はこれまで表沙汰にして来なかったのに対し、実行に協力した(と言っても中川は実行犯に等しい故の殺人容疑だったが)3名の逮捕は、そのまますぐに報道されるというのは、なんとも言えない皮肉な出来事だったと言えるが、捜査のためであり仕方ない。
会見では、既に東館が、共立病院銃撃殺人事件で逮捕されていたこともようやく発表された。これについては、報道機関に全く連絡がないことを責める記者も出たが、小藪は、「捜査に支障が出るため黙っていた」で突っぱねた。
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東京の永田町でも、有力者・大島の秘書が逮捕されたことは、議員関係に衝撃が走ったようで、大島の関与を噂する政治記者も居たと、西田は後から聞かされることになるが、この時点で、東京のことまで気が回る程の余裕はなかった。
尚、この前日の7月末日に、大島も籍を置いていた衆議院の通常国会は、会期末を迎えていた。しかしながらこの会期中、与野党から複数の議員に疑惑が持ち上がり、逮捕や辞職などの混乱を招いていた。
会期末には、高松内閣への不信任案決議が採決され、否決されるなど、かなり混乱した国会を象徴する日だったが、その会期末翌日に、与党重鎮議員の地元・大番頭格の秘書が逮捕されるという事態は、この波乱の国会を象徴していたと言えるかもしれない。当然マスコミも、大島の家や東京の事務所に取材攻勢を掛けたが、大島は雲隠れしていた。
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8月2日木曜、前日とは一転して、最高気温が20度を切るという肌寒い中、西田が最も気になっていた鑑識結果が出た。
期待通り、あの3つの穴は確かに銃痕だった。穴の縁の部分から、銃撃事件で使用されたのと同一の銃弾の外装成分がきっちり検出されたのだ。
その報を聞き、思わず勝利の雄叫びを上げた西田同様、捜査本部全体も歓喜に湧いた。さすがにこの段階では、これがどういう意味を持つかは、全員が情報を共有していたこともあった。
後は、中川が銃撃事件の事前練習に関与したことと、事件後の逃走に関わったことを立証することだ。しかし、大島の事務所での事前の銃撃練習を立証出来たことで、東館のその他の証言についても、相当の信憑性を付与することになり、様々な証言と他の秘密の暴露だけでも、それらを立証出来そうな手応えは出てきた。残された課題は、大島海路本人や葵一家と事件の関与をどう結びつけていくかだ。
逮捕された4名は、検察官による勾留請求の判断のため、昼には釧路地検北見支部へ送致されていた。言うまでもなく、勾留請求される前提での送致だ。今日中に勾留請求され、上手く行けば当日中、最悪でも明日には請求が認められ、勾留が開始されるはずだ。
中川には、取り調べで銃痕の証明が出来たことを既に伝えたが、さすが大島の信用している人物だけあって動じることもなく、相変わらず「黙秘します」とだけ言った。中川の口から、これからも直接何か引き出せる可能性はかなり低いだろうと西田は覚悟した。
そんな状況もあり、捜査本部全体としては、大島への忠誠が強いであろう中川秘書より、むしろ坂本と板垣から伊坂のルートを切り崩すことで、大島の犯行立証へと繋げる方が、近道ではないかという考えが主流になりつつあった。急がば回れという論理だが、日下の手応えからしても、その方が結果的に近道になると西田も考えていた。
問題はどの程度、3人が事件の核心についての知識があったか、或いは関わったかだが、それはやってみないとわからないというのが本音でもあった。
本来であれば、軽い犯罪(基本的に別件)から重い犯罪(本件)というのが再逮捕(作者注・逮捕・勾留後、別の容疑で逮捕されることを「再逮捕」というのが、推理小説や刑事ドラマなどで一般的な用法ですが、法律上、本来の再逮捕というのは、同一被疑事実についての逮捕のことを主に言い、言うまでもなく違法逮捕です。ただ、実質的によく使用されているので、この小説上でも普通に使っています)の流れだが、建設会社での拳銃の発射など、殺人幇助以外の余罪もありそうな2人の場合、別件での長期勾留も可能だという考えもそれを補強していた。勿論、病院から逃亡用の自動車窃盗を別件として扱うことも、既に捜査陣が考慮はしていたことは言うまでもない。
ただ、中川以外の捜査ルートを重視する場合の問題としては、大島と中川との関係程、大島と伊坂政光の関係が強くないことが想定されており、大島の犯行関与を立証するのは、思ったより厳しくなるかもしれないという恐れがあることだった。だが、それでも尚、中川が口を開かないことには、どうしようもないのだから、やはり、そのルートからの捜査も考えておく必要はあったのだ。
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8月3日土曜、西田は坂本と板垣の取り調べをそれぞれ裏から観察していた。松田弁護士の入れ知恵で、中川同様、2人は黙秘を貫こうとしているようだが、東館の重要な証言が裏付けられた以上は、そのまま逃げ切られることはないと西田は自信を持っていた。そして、大島海路まで、最悪でもこちらのルートからたどり着きたいと願っていた。
一方伊坂については、白紙の領収書に勝手に数字を書き込んだ偽造について、事実上あっさりと認めていた。しかし、肝心の両銃撃事件(複数の建設会社・北見共立病院)絡みでの坂本、板垣の社員2名への指示などについては、否定もしくは黙秘した。松田弁護士は、別件逮捕であることを十分念頭に置いたアドバイスをしたようだ。
こうなってくると、白紙領収書を渡した側の参考人聴取などの時間を含めても、私文書偽造関連では、勾留延長が認められない可能性もある。勾留状態を長く続ける理由がなくなるからだ。出来るだけ早い段階で、他の容疑を掴んでおくことが肝要だと考え、捜査本部は二課に再度、押収した資料などから何か掴めないかしつこく要求していた。
また、研修施設の施設担当だった杉村からの参考人聴取は、当初の見込みから一転、かなり難航していた。やはり、自分の会社のボスを売るようなことは出来ないようで、「記憶が曖昧だった」と証言を翻したのだ。
まだ逆転の余地はあるが、順調な流れからは外れたことは間違いない。ただ、夜には、身体検査令状の発行が認められ、坂本と板垣から毛髪を採取し、盗難車両に両名の毛髪(正確には毛髪の毛根が、DNA検査のために必要)が残っていなかったかの分析が開始された。
そして東館も、北見共立病院での銃撃事件による殺人罪で、起訴が昼には最終決定され、大原文夫についても被疑者死亡を前提とした、共同正犯として殺人罪による書類送検がなされた。
大原は既に「仏さん」なのだから、最終的に起訴されることはないが、東館が敢えて大原の代わりに殺人をしたにもかかわらず、少なくともその関与度合いから、実行犯と同じ罪状で書類送検されたのは、東館からすれば、少々理不尽だったかもしれない。
西田は、この事実は東館には伏せるように指示した。いずれ公判中にバレるだろうが、現状において東館の心境を考えると、北村の敵とは言え、余りに可哀想に思えたからだ。
また、留辺蘂の温根湯温泉にある、元伊坂組研修施設にもガサ入れをしたが、譲り受けた会社によるリフォームがなされ、当時と全く違っていたこともあり、遺留物などを採取出来る見込みは全く無かった。
マスコミも当然のことながら、先日の中川の逮捕以上に、東館の起訴を騒ぎ立てた。全国紙の毎朝新聞夕刊、東日本新聞夕刊では共に3面で、中川等と同じ容疑での東館の逮捕を受けて、中川のボスである大島の責任もしくは関与疑惑についてボカしながらも触れていた。
大島は、既に東京の豪勢な自宅で籠城状態らしい。国会は7月末を以て会期末で、今は閉会中であり、体調を理由に一切の取材を受け付けていないということだった。
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その日の夕方、毛髪の分析結果が出た。盗難車に残されていた幾つかの身元不明の毛髪の中に、板垣の毛髪が間違いなくあったという結果だった。窃盗時に乗っただけと見られたことで、毛髪が検出される確率はそう高くはないと思われていたが、捜査側としては、結果的に幸運に恵まれた。これで少なくとも、板垣の、事件に使用された自動車窃盗への関与は、ほぼ立証出来たと言って良い。最終的に、起訴の罪状が車両窃盗を殺人幇助に包括(同一の行為が複数の犯罪形態に該当する場合、罪状は重い刑罰の方を選択するという、いわゆる観念的競合)するかどうかはともかく、現時点では窃盗罪による、今回逮捕後の再逮捕が可能になったと言えた。勿論、それ以外での殺人幇助の取り調べでも、自動車盗についての取り調べは行われることは言うまでもない。厳密にはグレーな取り調べではあるが当然の措置だ。
早速、板垣にこれを問い質すと、一時期は持ち直した動揺を再び見せ始めた。さすがに科学的な証拠が出れば、どんなに否定しようが裁判上勝ち目はない。言うまでもなく、相方の坂本にもこの事実を突き付けた。自分の証拠が出ていない分、表情では、それほど弱気は見せていなかったものの、日下はこれをテコに、何とか自白を引き出したいと必死だった。
一方の伊坂は、相変わらず銃撃事件本件への関与については一切黙秘を続けていた。ただ、伊坂組の社員だけでなく、トップが私文書偽造で逮捕され、どうやら病院銃撃事件の絡みが、逮捕の本当の理由らしいという噂は、既にマスコミから建設業界内や北見地方の経済界に広まっており、それを松田弁護士を通じて既に本人も知っていたようだった。これは警察からの意図的なリークというより、伊坂組の内部から自然と漏れたようだった。
伊坂組の経営状態は決して芳しくないので、公共事業から閉め出され、民間からも仕事が回ってこなければ、どんなに地域で有力なゼネコンと言えども、経営は早晩行き詰まっておかしくない。伊坂もそれらことがかなり気になっているはずで、そういう焦りは感じているはずだ。
95年に、本橋と喜多川、篠田による佐田殺害が発覚し、故・伊坂大吉が殺人(教唆)で書類送検された際にも、それなりのスキャンダルにはなったが、既に大吉本人が死亡しており、代も政光に替わっていたこともあって、それほど伊坂組の経営に影は落とさなかった。
しかしながら、今回は現役の社長と社員の逮捕であり、坂本・板垣は言うまでもなく、政光の逮捕も、本当の狙いは、地域に衝撃を与えた、北見協立病院銃撃殺人事件に絡んだ逮捕と既に「何となく」は見られている以上、7年前の事件も再び想起されるはずだ。まして建設不況も更に進んでいるとなると、深刻な経営問題になることは、部外者で門外漢の西田から見ても自明と言えた。
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8月4日日曜。最高気温が24度と、この時期にしては丁度過ごしやすかった。そんな休日中でも、当然逮捕した4名は勿論、周辺関係者への参考人聴取は続いていた。さすがに逮捕された4名に比較すれば、巻き込まれたくないという思いの人間は多いわけで、4名に近い人間の中にも、徐々に協力的な態度を見せ始めるものも出てきていた。
大島海路の事務所で、銃撃事件当時パートとして事務員をしていた、原島という中年女性が、見慣れない車が事務所の駐車場にシートを掛けて駐められていたので、近くの交番に連絡し、警官が来たところで、中川秘書にこっぴどく怒られたという証言をした。その車は、当然、犯行に使用された盗難車だったはずだ。
これについては、当時の交番勤務の警官2人が、今現在、それぞれ岩見沢署と小樽署に勤務していたことがわかり、当時の状況について証言を翌日に求めた。
その結果として8月5日、確かに連絡を受けて事務所に駆けつけた記憶があると、岩見沢署に勤務していた巡査部長の大宮が証言し、当時の勤務日誌でもそれが裏付けられた。中川が出てきて、犯罪とは無関係と強弁したので、議員の秘書の証言ということもあり、引き下がったということだった。その日付は、95年の11月9日だった。
この点についても、取り調べで問われた中川は黙秘を貫いたが、中川の事件関与を裏付ける重要な証言であることは言うまでもなかった。
また同日に、伊坂組の7年前の施設管理担当者であった、現営業部の杉村課長がついに、「社長から、『使用してない研修施設を知人に使わせたい』という申し出があり、ついでに『周辺の人間から問い合わせがあった場合には、しっかりと対処するよう』に指示されていた記憶がある」と、再度証言を翻していた。
日下が「捜査妨害するつもりなら考えがある」と、明らかに「穏やかではない」参考人聴取をしていた模様であったが、西田としても半ば黙認していた。この証言は、核心を突く程ではないが、病院銃撃事件に伊坂が関与していることを示唆するものとして重要だったからだ。逮捕要件が増えることは、伊坂からさまざまな供述を得るための時間を確保することにつながる。
病院銃撃事件はともかく、佐田実殺害は、既に15年前の事件であり、大島の関与を示す物証も無く、当事者も、本橋、伊坂大吉、喜多川と篠田の両専務が死亡しているとなれば、大島海路自身の自供でもない限りは、大島を起訴したとしても、その後の公判維持には厳しい場面も出てくることが想定される。
加えて、今年中の時効期間内に、難しいだろうが、葵一家の関与なども立証するには、大島の佐田実殺害容疑での勾留は、延長含め20日間フルに使用しても足りないぐらいだ。
87年当時の段階で既に有力秘書だった中川も、佐田殺害事件に何らかの形で関わっていた可能性もあるが、現時点では相当不確かな上、自供も期待できないだろう。
しかし、大島以外で唯一、佐田の事件をそれなりの確率で証言出来そうな人物が居た。その人物こそが伊坂大吉の息子である政光だった。
伊坂政光は1987年当時、東京の大黒建設のサラリーマンであったため、佐田実殺害事件には、直接関与していないと、95年の捜査で考えられていたし、今もそれは変わっていない。だが、伊坂政光が父親の伊坂大吉から、事件の真相について何か聞いているとは目されていた。
95年の捜査では、伊坂大吉が87年の佐田実殺害について知っていた何者かに、92年の8月に、その殺害事件を理由に脅迫された可能性が高いと西田達に判断されていた。
その結果として、偶然、生田原の現場を訪れていた米田青年が、佐田殺害に実際に加わっていて、伊坂から佐田の遺体を確認するように指示されて、現場にやって来たと見られる篠田に、口封じで殺害されたと考えられていた。そして、それから少し経った頃、息子の伊坂政光は東京で荒れていて、その翌年に伊坂組を、急激に弱った大吉から引き継いでいた。
この流れから、おそらく政光は、脅迫されて、この先経営に何時まで関われるか、体調的にも自信が無くなった大吉から、自分の後を継がせることを納得させるため、それまでの事件の真相を聞かされたのではないかと西田達は推測していたわけだ。
そうなると、政光は関わっていない87年の佐田の事件から、関わったと見られる病院銃撃事件まで、かなり真相を知っているという結論にならざるを得ない。
だからこそ、政光を拘束する時間を確保すればする程、供述を引き出せる可能性が高まる。つまり、杉村課長の証言は、現状は有印私文書偽造で別件逮捕中ではあるが、病院銃撃事件での伊坂の再逮捕に向けた、決定打までは行かないものの有益な情報と言えた。
問題は、実際に政光から、特に佐田実殺害において、大島が関与したという証言を引き出せるかだった。しかも出来るだけ早くに。
伊坂も会社存続のことを考えれば、そう簡単に口を割ることはないかもしれないが、もし伊坂組の経営に大きな問題が生じれば、7年前の松島孝太郎のように、やけになった伊坂が、大島を裏切ることも十分あり得る。ただ、佐田実殺人事件の時効をクリアー出来る時期までに、その心境になってくれるかどうかは、かなり微妙な状況であることもまた事実だった。




