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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
名実
108/223

名実31 {56・57合併}(131~132・133~134 安村方面本部長の意外な告白)

 小藪、三谷、手越の3人は、安村をしばらく睨んだまま無言だった。これまでの、中央のキャリアとは言え、常に腰の低い、安村の部下達への応対からは、到底考えられない強い主張に、唖然としたのかもしれない。


 ようやく小藪が、

「まあ、方面本部長がそこまで仰るなら、我々も従うしかないわけですが……。札幌(道警本部)や東京(警察庁)の方へは、本部長の方からお願いしますよ」

と口を開いたものの、言外に不満を隠さない露骨な言い方だった。

「それは勿論です。じゃあ、そういうことで結構ですね? それで西田課長補佐、ガサ入れはすぐにでも?」

安村はそれを意に介さず、西田にどう考えているか意見を求めた。


「すぐにでも! 東館の勾留延長期限である8月3日を考慮すれば、出来るだけ早い内にしたいのが本音です。既に3名のマル被(被疑者)については、本件或いは別件容疑を固めていますから、逮捕も同時にしてしまいたいところです。最悪でも8月2日にはしないと……。3日が土曜で、2日金曜が事実上の東館の起訴可能最終日ですから……」


「なるほど、よくわかりました。ではすぐに対応をお願いします! 小藪刑事部長も、三谷捜査一課長も、手越管理官も、しっかりサポートしてください。お願いしますよ! 特に三谷課長は、逮捕状の請求含めよろしくお願いします」

安村に念を押された3名は、渋々という感じで「わかりました」と言った。


「じゃあ、これで散会ということで。必要があればまた!」

安村はそう言い終えた後で、

「あ、そうそう! 西田課長補佐はこのまま残ってください。ちょっとお話がありますので」

と付け加えた。


 上司3名が、明らかに言いたいことを我慢しているかのような背中を見せつつ、部屋を出て行った後で、西田はかしこまったままソファに座ったままだった。すると安村は直属の部下も人払いすると、やっと笑顔になり、

「他に人も居ませんから、どうかリラックスしてください」

と、穏やかに伝えてきた。


「先程は、援護射撃していただきまして、大変助かりました」

西田が機を見てそう感謝すると、

「いやいや、こちらとしては、むしろ、ああしなければならない、ある意味義務的な対応だったんですよ……」

と言いながら、戸棚をガラっと開け、

「日本茶と紅茶とコーヒーありますが、どれが良いですか?」

と尋ねてきた。


「えーっと、じゃあ日本茶でお願いします」

「わかりました。まあ、どれも大したもんじゃないですけど」

と言いつつ、パックタイプの茶を急須に入れ、更にポットからお湯を入れると、湯呑みを2つ持って席に戻った。そして座りながら西田と自分の湯呑みに茶を注いだ。そしてゆっくりと、

「ところで、西田課長補佐は、以前北見方面本部ここに居て一緒に仕事をしたことがある、大友刑事部長を憶えてますか?」

と言い始めた。


「あぁ……えっと……はい。7年前の捜査やまでは、大友さんが捜査本部長で、自分もその下に付いていたことがありますから、当然憶えてますが……?」

想定外のことを聞かれたので、西田は一瞬訳が解らず戸惑ったが、何とか答えた。

「そうですか……。ところで、大友さんのことどう思ってました? やっぱり思うところがありましたか?」

再び唐突に、大友への感情を聞いてきただけに、西田はその意図を図りかねて答えを一瞬躊躇した。しかも「思うところ」という言い方は、明らかにマイナスの意味だろう。


 事実、捜査からの事実上撤退を、大友から直接言い渡された経緯があっただけに、西田としては全く「思うところ」が無かったとは言えまい。しかし、大友個人だけの判断とは言えないだけに……、と言うよりは、大友以上に、それより上の指示があったのだろうから、それ程強いマイナスイメージは持ってはいないのも確かだった。西田は率直に自分の気持ちを伝えることにした。


「正直、当時私が居た遠軽署が、丁度今追っている銃撃事件の捜査応援をしていたのを、最終的に外した決定をされた責任者でもありますから、悔しい気持ちがないとは言えません。それでも、それまでの一連の捜査では、割とこちらの希望を通してくれたこともありましたから、全体を通せば、むしろ感謝の気持ちの方が大きいような気もします」

「そうですか……」

西田の回答に対してそう言うと、安村は湯呑みを口に当てて、静かに茶を口に含んだ。しかし、その様子を見ながら、この期に及んで西田は、何故安村が7年前の刑事部長だった大友の名を出したか、強く疑問に感じ始めた。捜査資料でも読んで、そこにあった大友の名前でも見たのだろうか。しかし、そうだとしても、西田に対する質問とは直接結びつくようには思えない。西田が、思い切ってその理由を安村に聞こうとしたまさにその時、湯呑みを置いた安村が先に喋り始めた。


「実はですね……。私と大友さんは、3年前に一緒に働いていたことがありまして……。正確に言えば、私が大友さんの部下として働いていたことがあったんです」

突然の告白だったが、驚くというよりは、納得がいったという要素の方が強かったので、

「それでさっきのような質問を」

と、全体像こそはっきりとは見えなかったが、西田は大きく頷いた。

「そうなんです。大友さんが福井県警の本部長として。私は刑事部長として仕えていました。大友さんが先に赴任されてまして、1年程しか一緒に仕事はしなかったものの、ウマが合ったというか、仕事終わりに、よくご一緒させていただいて、ご馳走にもなりました。当然の成り行きですが、お互いを良く知るようになり、親交が深まって、酒でも入れば互いに愚痴なんかも言うようなこともあったわけです。それで、今回の事件についてもね……」

そこまで言うと、安村は西田の方を一瞥した。


「私の場合、残念ながら、遥かにポジションの差があって、大友さんとはそこまでの親しい関係ではなかったですから、大友さんの人となりについて、そこまで知る機会もなかったんで」

西田は軽く自嘲しながら返すと、

「それは違いますよ! 西田課長補佐! 確かに大友さんはしっかりあなたのことを憶えていて、何度か話に出てきたことがあるぐらいでしたから」

という、思わぬ言葉に、西田は飲みかけたお茶を吹き出しかけた。


「本当ですか? いやあ……。大友さんに噛み付いたか何かで印象に残ってたのかなあ」

西田は首を捻ったが、

「そんなことじゃなくて、単純に、働きに対して応えてやれず申し訳なかったと……」

そのように、安村自身が、本人でもないにもかかわらず、済まなそうな言い方をした。

「申し訳ない?」

その大友の感情の理由は、大雑把ではあったが、既に安村が口にしていたものの、そこの部分が、西田からすっぽりと抜けて落ちていたため、もう一度確認する羽目になっていた。


「そうです。大友さんの愚痴っていう類の大半は、この北見での捜査が、上からの圧力で中途半端になったことでした。やっぱり、西田課長補佐達が追ってた事件ヤマが、あの人の警察人生においても、相当悔いの残るヤマだったのは間違いなかったんじゃないですかねえ……。そして、事件の核心へと一生懸命迫ろうとしてた所轄の刑事達に、大変迷惑を掛けたと……。守ってやれなかったと。その中で、遠軽署の方々、その中でも西田、竹下という名前は、よく耳にしてました」


 当時、西田以上に上層部に噛み付いていた竹下はともかく、西田の名前も記憶してくれていたことは、西田にとっても光栄であった。そして今更ながら、僅かであっても、大友に対して恨み節を心中に秘めたことがあった自分を恥じた。捜査責任者ではあっても、大局的に見れば、所詮は中間管理職としての板挟みに苦しんでいたのは、安村の言葉からも明らかだったからだ。


「そうでしたか……。大友さんも、忸怩じくじたる思いはあったんですね……。否、あった可能性については、自分も薄々はわかってはいましたが、それ以上に自分の都合や感情ばかり優先して……」

そのまま、情けなくて言葉に詰まったが、

「それは仕方ないことですよ。現場でやってる一線の刑事が、上に対して一々お伺い立てて捜査してたら、事件は解決しない! 自分達の捜査のことだけ考えていればいいんですよ」

と、安村はにこやかに慰めた。そして、

「その後、私の任期中に、大友さんは、福井県警本部長任期を以って退官しました。定年前でしたが、『県警本部長までやれたら十分』ということでした。そのまま再就職の口も断って、今は子供も自立しているので、奥さんと悠々自適だと、今年の年賀状に書かれてましたよ」

と伝えた。


「再就職しなかったんですか?」

常識的に考えれば、キャリアとしては異例の進退に西田は驚いた。

「自分で言うのも何ですが、特に問題無く退官したキャリアで、再就職しないなんてのは珍しいですからね。天下りと批判されますが、実際そんなに大した仕事でもないのに、それなりに報酬も貰えるわけですから、現金とは言え仕方ない。でも大友さんはそれを断った。腰が悪いのなんのと……。私には直接言ってないですが、腰が悪いのは本当だとしても、仕事出来ないようなレベルじゃなかったはずですし、明らかに口実でしょう。ある意味、あの人なりの、北見での警察官人生の責任を最終的に取った、そんな気がします」


 両膝に置いた両手で、ぎゅっと膝をつかむような仕草をした安村は、そう言うと立ち上がって、

「何か食べますか? 煎餅ぐらいしかないですが」

と、会話の間の悪さを取り繕うように西田に尋ねた。

「お心遣いは、大変ありがたいんですが、方面本部長、これよりももっと、何か自分に話しておきたいことがあるんじゃないですか?」

西田としては、これまでの話も、十分に聞く甲斐のある話ではあったが、わざわざ自分をこの部屋にとどまらせたこととは、何故か別の話のように思え、敢えて相手に本題を切り出すように仕向けてみた。


「へえ、バレちゃいましたか。さすが一線で動いている刑事は、なかなか鋭いですね! まあ、これまでのことと、全く関係ない話ではないんですがね」

そう照れ隠しに頭を掻いた若い上司は、煎餅の小分けされたビニール袋を西田に手渡すと、再び席に座った。


「大友さんの話を聞いていた頃ですが、道警本部に、丁度その時、刑事部長をやってた2つ上のよく知る先輩が居たもんですから、その人に、その大友さんが嘆いたヤマの捜査資料を密かにコピーしてもらって、事件の内容について詳しく調べてみたんです。勿論、事件については、ニュースである程度知っていましたが、どういう理由で圧力が掛かったかまでは、大友さんは具体的には言わなかったもんですから……。そうしたら、捜査資料にも、具体的なことは記録されていなかった。仕方ないので、その先輩に頼み込んで、更に色々調べてもらったら、どうも銃撃事件だけでなく、本橋の新たに発覚した殺人含め、ある政治家が絡んでる噂があるらしいと……。そしてその黒幕が、大島海路だと知ったわけです。政治家に捜査に圧力掛けられて、事件が未解決になるなんてことはあっちゃいけないんですよ! 当たり前の話です」


 安村が、事件についてある程度知識があることは、西田にも前から伝わってはいたが、北見方面本部に着任する以前から、この件を把握していたとは、考えたことすらなかった。そして、ここであることが頭に浮かんだ。


「元々、北見方面本部は、中央のキャリアのポジションではなく、道警プロパーのポジションですが、色々あって、安村方面本部長が派遣されてきたという話を、私の着任当初聞いてました。ひょっとして、方面本部長が事件について調べていたことと、急遽派遣されたことに、何か因果関係があるんでしょうか?」

「あちゃー、それもバレましたか。まいったな! ……実は道警の方で、赴任予定者が問題起こして亡くなったので、暫定的に、察庁にキャリア派遣を要請してきましてね。私がその際に、この事態を打開しようと、自分で手を挙げたんです。プロパーの西田さんの前でこう言っちゃなんですが、道警の方面本部長というポジションは、キャリア組から見るとかなり微妙みたいで、私が手を挙げたら即決まっちゃって」

安村は苦笑した。


「正義の実現ということも、そりゃ念頭にあったでしょうが、やはり、大友さんの敵討ちじゃないが、そういう思いもあったんでしょうか?」

西田の問いに、

「うーん、それも無い訳じゃないが、他にも幾つか理由があったんですよ。実は私の母方の祖父母が、北海道の出でしてね。網走にも住んでたことがあったようで……。叔母が2人いるんですが、うち1人はこちらで生まれ、二人共こちらで育ったんです。私の母は一番下で、既に祖父母が東京に行ってから生まれたので、こちらとはほとんど縁はなかったんですが、戦中は、子どもだった私の母と祖母が東京から疎開してたんです。話には聞いていたものの、私も東京育ちで、実際には旅行で1度ちょっと寄った程度で、そういう縁もあって、こっちにしばらく住んでみようかという興味本位なところもありました」

と、まず答えた。


「そうだったんですか……。でも東京辺りと比較したら、都会人のエリートからすればかなり田舎で退屈でしょう? 最初は目新しいからいいかもしれませんが」

「エリートってのはともかく……」

そう前置きすると一度茶を飲み、

「確かに、北海道は東京と比較して、『襟裳岬』って歌の『何もない春です』って歌詞じゃないですが、誤解を恐れずに言えば、『何もない』感が凄いですね。ちょっと北見や網走の外に出れば、人もほとんどおらず、畑と大自然しかない。冬は一面雪に覆われる。それは大都会の札幌辺りでも、南区の方とか郊外に出たら変わらんでしょう」

そう続けた後、煎餅をバリっと一噛みしてから、更に砕いて飲み込んだ。


「……でも、おそらくあの(歌)詞を書いた人も感じていたんでしょうが、『何もない』ってのは、空虚とイコールではないんですよね……。東京は大都会で何でもあるが、そこには避けられない空虚感もありありと満ちてる。北海道の『何もない』は、無であるはずの空気から、何かわからないが強く感じ取れるものがある。僕の表現力が足りなくて、上手く言い表せないのが残念ですが……。そこが僕は気に入ってますよ。住んでいる人からすれば、むしろ馬鹿にされているような気がするのかもしれないが、断じてそんな意味じゃないですから!」

「断じて」に力を込めた言動が、この人物の誠実な人柄が出ているように、西田には思えていた。


「また話が脱線しちゃって申し訳ない」

そこまで話すと、そう笑った安村だったが、

「私が変な話を振ったせいです」

と西田が謝り、再び安村が話を開始した。


「回りくどい言い方してても仕方ないので、そろそろ本題に行きますか! 西田課長補佐! いや面倒だ、西田さん! あなたは、7年前のここの捜査一課長だった、そして、今年の春に退官された、倉野警務部長からの要請で、北見方面本部に来たと思ってるでしょ? ただ、実は北見ここに呼んだのは私の一存なんです! 当然、話した限りでは、倉野さんもまた、あの事件に対する思いはあったわけですが、無理を言ってお願いしたのは私なんです! 資料や大友さんの話から、捜査にはあなたの協力が必須だと考えた末でした。竹下という方は、残念ながら既に警察を辞めていたということで、どうしようもありませんでしたが……。まあ、私からあなたに直接頼むということもあり得ましたが、どうせ倉野さんの裁量なくしては、こっちに赴任出来ないわけですから、倉野さんからの提案ということにしてもらったんです。西田さんにとっても、全く面識のない私からお願いするより、ずっとわかりやすいと考えて」


 再び、西田は思いもしなかった事実を伝えられ困惑した。自身の赴任を希望しただけでなく、そこまで安村がこの捜査に懸けていたと知ったからだ。しかし、安村の赴任が1年前で、それ自体が意図したものであったことを思えば、西田を引っ張ってきたのも当然の符合とも言えた。


「さっき、私の主張を受け入れてくださったのも、そういう背景があったからなんですか?」

「そりゃそうです。今更日和っても仕方ないでしょう。北見に来た理由、そしてあなたを呼んだ理由は、まさにこの捜査のためなんですから!」

恐縮する西田と対照的に、安村はいつもとは違う豪胆な笑い声を上げた。そして、

「あなたは、私の期待にこれまでも十分に応えてくれました。大島が関わっているだろう病院銃撃事件について、実行犯を既に逮捕しましたし、これから更に捜査は進むわけです。そして、佐田実の事件においても、特に95年時点の捜査では、色々問題点はありながらも、桑野欣也だという可能性が高いと思われていた大島海路の正体が、戦前に死亡していたはずの、従兄弟の小野寺道利だということまで割り出した話は、私も小籔部長から聞いています。いよいよ、あとちょっとで大島という所まで来ているわけですから」

と言って頭を下げてきた。西田としても恐縮して、

「方面本部長、止めてください、そんなことは! ……それにしても、方面本部長が、ご自分のキャリア人生を懸けてまで、一連の事件を挙げようとするなんて、自分のような凡人には到底理解できないですよ」

と返した。


「さっきも言いましたが、ちゃんとした捜査をしたいということ、大友さんの意志を継ぐということ、北見に住んでみたいということの他にもね……。実は理由はあるんです。ともすれば、私怨と取られかねないんですけどね」

「私怨?」

思いもしない言葉に、無意識に尋ねていた。

「ええ。そう取られかねないということで、絶対に単なる私怨ではないですけど」

そう強調して前置いた後、

「西田さんは、大島海路が、海東匠という、この地域の選挙区選出の議員の後を継いだことをご存知ですか?」

と質問してきた。


「ええ。私もそっち方面は詳しくはないですが、捜査でも色々と人柄について聞く機会があって、知っている方からも、かなり立派な政治家だったと聞いています。そもそも、大島海路の海路とは、『海』東匠の『路』線を引き継ぐという意味での、選挙上の通名だそうで……。大島も、海東議員が所属していた派閥の長である、大島憲一元首相から取ったとか何とか」

西田は自分の既存の知識からそう答えた。それを聞いていた安村は、少し表情を緩めていたが、

「立派な政治家かどうかはともかく、よくご存知で。そうです。大島は海東の地盤を継いだんです。その挙句にこの体たらくで……」

と、さっきまでにこやかだった安村の表情が、そう言うと曇った。そして、

「実はですね……。私の母方の祖父が、その海東匠なんですよ。私は海東の外孫なんです。海東の実の娘である母が、安村家に嫁いで生まれたのが自分ということですよ」

と、にわかには信じられないことを口にし始めた。


 西田は頭が混乱していた。何しろ、完全な他人事として接してきた「海東匠」という政治家の名前が、これほど身近な形で目の前に存在していたからだ。

「え? ちょ、ちょっと待って下さいよ!? それホントの話ですか? こんなことを言うとアレですが、悪い冗談じゃないでしょうね?」

西田は思わず、年下とは言え、上司相手に失礼なことを口走っていた。


「勿論本当ですよ! 今そんなくだらない嘘を付く理由がありますか? 私の母が理子みちこ(作者注・「修正・明暗43」で、海東の家族構成について小柴老人が回顧した際に記載済みの伏線)と言う海東の三女で、安村光宏という男と結婚し、私は、その2人の間に出来た海東の外孫なんです。紛れも無い事実です! 私の名前は『卓見』と書いて『たくみ』と読む(作者注・「修正・名実2」で記載済み)んですが、これは、私の父が、祖父である『匠』のような人間になれと命名したからです」


 言われてみれば、確かに安村の名前は「卓見」と書いて「たくみ」と読むモノだったのは確かだ。西田は改まった気持ちで、安村の話の続きに集中した。


「私の父は貧乏な家庭の出で、戦後、中卒で印刷工をしていたんですが、短大を出て出版社に勤務し始めた母と、仕事の関係で出会って、恋愛関係になった。当然相手が国会議員の娘だから、『出自が違いすぎる』と反対されるかと思ったら、『娘が選んだ人間なら、自分にとやかく言う資格はないし、間違いないだろう』と、快く受け入れてくれたそうで……。それに感銘を受け、祖父のような『卓見を持った人間になって欲しい』ということと、祖父の名前の『匠』を掛けて、まあ、こんな偉そうな名前になったって話なんですよ」

そう言うと屈託なく笑った。そして、

「残念ながら、私が幼稚園に入る前後に亡くなっているので、祖父との記憶はほとんどないんです。まあ、正直学歴コンプレックスもあっただろう父は、私に祖父のようになってもらいたいという一心で、いわゆる教育パパになってしまいまして……。若い頃は、勉強勉強とうるさい父に色々反発したりもしたもんです。あ、いつの間にか、長々と自分語りや内輪の話ばかりで申し訳ない」

と喋り、長く語っているうちに、素に戻ったか気恥ずかしそうに頭を軽く垂れた。

「そうでしたか……」

自身のルーツを語る安村に対し、そう言ったきり、ちょっとした感慨もあって、続く言葉が出ない西田だった。


「幾ら立派だと言われようが何だろうが、ああいう人間を後継者として指名したということは、祖父の明らかな失態ですから……。日本の政治を歪めた大物政治家の1人として、それなりの地位を占めるレベルの人物を生み出したことについては、私も血縁者としての責任を感じています。海東の娘達の誰か、もしくはその婿の誰かが地盤を引き継ぐというのも、祖父から見れば、政治の私物化として愚の骨頂だったかもしれませんが、結局はああいうのが後継者となってしまったら、その意味も失われてしまった……。大変残念なことです。ですから、私はその祖父の責任を、自分の職務を遂行するということで、今果たすという目的もあるんです。世間的に見れば、違う見方かもしれないが、そうじゃない」


 さっきまでの様子と違う、力強い視線で西田を真っ直ぐに見据える安村に、強い決意を感じ取った。確かに、私怨というレベルではなく、社会的責任の一環として捉えているようだ。

「色々複雑な思いや信念が絡み合って、今、自分が安村方面本部長とこうして会話しているというのは、何か不思議な縁を感じますよ」

という西田の言葉に、

「縁ですか……。いやそんな適当な言葉じゃダメです。必然ですよ。縁じゃ偶然みたいな感じになってしまう。私も西田さんも、この捜査に対する気持ちがある。それがこういう出会いにつながってる。私は運命論者ではありませんが、ある意味そう信じています。勿論、私が意図的にあなたを巻き込んでる部分もあるから、迷惑と感じているかもしれませんが」

と返した。


「こんな迷惑なら、ある意味、何時でも掛けてもらって構いませんよ」

西田はそう言うと一気にお茶をあおった。

「それは心強い。じゃあ遠慮無く頼らせてもらいます! そして、西田さんも私に遠慮無く頼ってください」

そう言いながら胸をトンと叩き、右手を西田に差し出した。西田もそれに応じ、2人は固い握手を交わした。


「しかし、大島の秘書や伊坂組の若手2人、伊坂を挙げたところで、本丸にたどり着けるかどうか。まだ確信は到底持てません。正直頭が痛いところです……」

西田は安村の熱い思いを受け取ったが故、そう心情を吐露してみせたが、

「いいじゃないですか。登山道の途中で、頂きがガスで見えなくても、目の前の崖を一歩一歩登っていくしかない。それしかないんです!」

安村は、その現実に対し、決して怯まない姿勢を明確にした。

「そうですね……」

西田は、左手を添えて、更に安村の手を固く握り締めると、それに深く同意した。むしろ、同意する以外のことを思い浮かばなかったと言えた。


「今回の件での安村本部長の、この捜査やまに懸ける思いは、私にもよく伝わりました。こちらも、より身が引き締まる思いです! しかし、こうしている時間ももったいないですから、そろそろ捜査本部に戻ります」

西田はゆっくりと手をほどき、そう告げた。

「ええ、是非そうしてください! 長い間引き止めて申し訳なかった。ただ、私の気持ちを、一度明確に伝えておくべきと思ったものですから」

そう言いながら、先に立ち上がった西田に合わせて立ち上がり、部下より先にドアを開けて、退出する西田を見送ろうとした。その時、

「あ、そうだ。1つ聞いてもいいですかね?」

西田は思い出したように質問した。


「何か?」

「大友さんにこの件については?」

「伝えてません。もう警察の人間じゃないですし、今更言われても反って迷惑でしょう。ただ、言おうが言わまいが、間違いなく、私と同じ考えだと思います」

安村はそう断言した。


※※※※※※※※※※※※※※


 西田は部屋を出て、ドアが閉まるのを背中越しに確認すると、無人の廊下に一瞬佇み、ドアからそれほど距離のない、傍の廊下の壁に背を付けて、もたれ掛かって大きく深呼吸した。


 やけにコンクリの壁はひんやりとしていた。そういう行動を取った心境には、直接的なコンタクトを、これまでほとんど取ってこなかった安村が、実は西田に大きな期待を掛けていたことを知って、急に背負うモノが大きくなったことがあったろう。


 しかしそれ以上に、安村がその出自からして、この事件と実は密かに、そして深く絡んでいたことを知ったことによる、1つの歴史の重みを感じ取ったような気がしたせいも確実にあった。


 海東匠については、7年前に、桑野欣也を追う捜査過程で、東京に派遣された竹下と黒須の2人が、元東京都議会副議長の小柴老人からさまざまな情報を得ていた。一般的に知られていた情報以上に、知られざる実態も立派な政治家だったと知り、「海東イズム」なる言葉(作者注・「修正・明暗43」記載済み)も、竹下から又聞きしていた。


 しかし、その海東イズムは、「名目上」の後継者である大島海路こと田所靖、いや小野寺道利には、残念ながら引き継がれなかった。むしろ皮肉なことに、おそらく海東が避けたのであろう血縁者への、「地盤の譲渡」を介さずに、時を経て血で繋がった孫の安村卓見へと、思想的「実体」が受け継がれていたことになる。


 そして今、その安村が、彼はそんな言葉は知る由もなかろうが、「海東イズム」の復権を賭けて、祖父の「負の遺産」に挑もうとしている。自分もまたそれに巻き込まれ、いや、自ら進んで関わろうとしている。


 その流れを考えると、何とも不思議な気がしてきていた。自分もまた時代を超えて、知られざる大きな時間の潮流に密かに絡んでいる。西田はそんな気がしていた。


「海東イズム、未だここに在り。か……」

そう低く呟いた西田は、スッと壁から離れると、捜査本部ちょうばに向けて、物音一つしない廊下を早足で歩み始めた。


 これから先の道程みちのり、特に佐田実殺害における、大島の罪を問えるかどうかを考えれば、捜査が再び大きく動き出したとは言え、なかなか立件への端緒を掴める算段が付かない状況だ。やはり、先々を思えば、未だ相当気が重いのも確かだった。しかし今、不思議とその足取りは軽かった。勿論、西田にはその理由が、本当はわかりすぎる程よくわかっていたのは言うまでもない。


※※※※※※※


 8月1日午前6時。中川秘書、伊坂、伊坂組社員の坂本、板垣の自宅にそれぞれ、捜査本部の刑事と応援の刑事が分担して、深夜に取った逮捕状を持って訪れた。

 中川については、犯人蔵匿が時効に掛かっていた(坂本、板垣についても)ので、殺人実行への関与がかなり強いこともあり、ダイレクトに殺人の共同正犯としての逮捕容疑とした。


 伊坂政光は、相手企業の領収書金額不正記入ということを以って、有印私文書偽造で、北見方面本部の捜査二課が中心となって動いてもらった。


 残る2人については、建設会社への銃撃事件での「拳銃等の発射罪」による逮捕も考えたが、現時点でははっきりしないことがあり、同時に共立病院銃撃事件への関与も薄いため、殺人の共同正犯として立件するのも無理として、共立病院銃撃事件での、殺人幇助容疑での逮捕とした。


 そして、寝ていた4人を連行、同時に自宅をガサ入れ(作者注・逮捕時に自宅などで逮捕した場合には、一般的に捜索令状抜きに捜索出来るため)を実行した。


 坂本と板垣はまだ独身だったが、中川と伊坂は妻子も家に居るため、早朝ということもあり、ガサ入れ時はかなり混乱したようだったが、特に4名とも抵抗することもなく北見署に連行された。


 そして、大島の事務所には、朝から西田と吉村、真田、先に偵察済みの黛、北見署から西田の指名で宮部というラインナップの刑事達と、ベテランの河北を筆頭に合計4名の鑑識員が張っていた。一方で伊坂組のガサ入れでは、三谷課長が指揮を執っていた。


 予想はしていたが、大島の事務所には、まだ誰も来ていなかったので、職員が来るまで待っていた。言うまでもなく、誰かが裏から侵入しておかしなことをしないように、周囲はしっかり固めていた。


 黛が事務所に潜入した後から今日まで、動きがないかどうか配下の捜査員に張らせていたが、一応何かはっきりした動きは、これまでなかったはずだった。


 西田は、他の3名の確保を携帯電話で確認していたので、大島事務所のガサ入れに気持ちを集中させていた。ここで、あの痕が銃痕かどうかで、捜査に与える影響は大きい。


 もし、壁材の穴が空いた部分から、事件に使用された銃弾と同じ成分が検出されれば、間違いなく、事件を起こす目的を持って、鏡、東館、大原の3名が潜伏していたことを立証することは容易になる。少なくとも、面倒を見ていた中川秘書の「知らなかった」は、より通用し辛くなる。


 逆に、それが証明出来なければ、少なくとも、最上階で射撃練習していたというのは、東館の証言のみで立証していく必要があり、それを中川が知っていたというのも、東館の証言頼みになる。


 通常の相手なら、それでも問題ないのかもしれないが、相手が大島の懐刀となると、裁判上おかしな「判断」がされることも、多少は考慮しておかなくてはならない。だからこそ、何とかあの痕跡が、銃痕であって欲しいと願っていた。


※※※※※※※


 午前7時30分過ぎ。ようやくベテランの女性事務所職員と見られる人物が、表玄関に現れ、事務所の鍵を開けようとしていた。中川逮捕の情報は、警察側で遮断しているはずなので、まだ大島海路も事務所関係者も誰も知らないはずだ。


「よし行くぞ!」

西田の掛け声と共に、路上に待機していたワンボックスカーから、ドドッと降りた捜査員が、一気に女性職員を取り囲んだ。恐怖心に満ちた強張った表情で、西田達を見つめ動きを止めた相手に、

「警察です。朝から申し訳ないが、お宅の中川秘書の殺人容疑で、事務所内をくまなく捜索させていただきますよ」

と、西田は捜索令状と手帳を見せながら、歩道に面していることもあり、周囲には聞こえないように小さく、しかしはっきりと告げた。


 通勤時間帯に掛かり始めたこともあり、歩道を行き交うサラリーマンらしき人達が、ものものしく女性を取り囲む西田達を訝しげに見ている。女性職員は、西田から礼状を近くで見せてもらい確認すると、納得出来無さそうな顔はしていたが、渋々と中へ案内した。


※※※※※※※※※※※※※※

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