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修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
名実
107/223

名実30 {54・55合併}(127~128・129~130 大島事務所内偵の結果に疑義が生じる。揉める上層部)

 結局、ギリギリまで内偵の可能性を探ることにした捜査陣は、とにかく大島事務所の周辺地域で、警察とは無関係な人間を装い情報収集を始めた。昔から事務所の人間が出入りしているような、馴染みの店などをピックアップし、それとなく事務所内部の様子を探るやり方だ。


 その過程で、中川秘書や事務所4階の情報が、何か手に入るかもしれないという、願望に近い捜査だった。しかし、当然近付けば近付く程、怪しげな動きとして警戒される恐れも出て来る。最近付近に越してきた人物や、出張に来た営業マンを装い、喫茶店や商店などを、1人ずつバラバラに、しかも1人が1箇所のみの聞き込みという前提での捜査だった。


 更に、1日に何人もが似たような話を聞けば、周辺で噂になりかねないので、1日あたり2から3店舗が限度という厳しい聞き込みだった。当たり前だが、効率は非常に悪いので、残された日数を考えるとかなり無理がある手法ではあったが、確実な情報がないとガサ入れしないと、上司の小藪部長が言っている以上は仕方ない。


 一方、東館は、その後も細かい当時の状況について思い出せる範囲で供述していた。東館の犯行を裏付けることには、全く問題ないレベルで、西田としても、それよりもどうやって大島の事務所の中を探るかに集中していた。


※※※※※※※


 7月26日、部下の黛が、大島の事務所から道路を挟んで斜め向かいの喫茶店で面白い情報を仕入れてきた。決して大島の事務所そのものの情報ではなかったが、7月中旬から8月末に、事務所の周辺地域でガスの点検が実施・予定されているというのだ。そのせいで、喫茶店は、8月頭にランチの時間、臨時休業するという張り紙が貼ってあったらしい。


 そして、捜査本部ちょうばに戻って来てから、業者である北見ガスに確認すると、「前年(2001年)からガス種の転換のため、地域を区切って設備点検を行っている」との情報が確認出来た(作者注・これについては、着想のヒントになった「北見市都市ガス漏れ事故」がありますので、ウィキペディアご参照ください。全国ニュースにもなりましたので、記憶にある方もいるかもしれません。2001年からガスの無毒化転換工事が行われていたようです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E8%A6%8B%E5%B8%82%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%82%AC%E3%82%B9%E6%BC%8F%E3%82%8C%E4%BA%8B%E6%95%85)。


 当然、大島の事務所もその区域に含まれ、これからの点検の対象区域だという。この情報を得た西田達は、すぐに香川の父と東館に、それぞれ4階の部屋にガスコンロなどの調理器具の設備があったか聞くと、7年前も1年前もそれぞれ確認していたという。これを受けて、捜査首脳は当然の結論を出した。点検日を前倒ししてもらい、ガスの点検員に紛れて、捜査員を事務所内部に「偵察」に送り込むということだ。


 但し、未だに問題はあった。まず、北見ガスがそれを許すかどうかだ。何しろ、急に点検予定を前倒しするという荒業を前提にしていたからだ。そして、仮に許可されたとして、捜査対象が大島海路の事務所だと知られることは、さすがに北見ガスへのプレッシャーになり得るので、上手く伏せる必要もあった。つまり、大島の事務所だけ前倒しということは避けたいということだ。少なくとも、ある程度の件数をまとめて点検ということにもしたかった。このため、西田は1つの方策を提示した。


「北見ガスの方へは、『周辺地域に指名手配犯が潜伏しているという、不確かな密告があり、点検員を装って地域をローラーで調査させてもらいたい』ということで行けるんじゃないか?」

「なるほど! ただ、それ自体は妙案だろうが、問題は大島の事務所だな……。さすがに大島の事務所に、そんなもんは居ないだろうということは、あっちも考えるだろうから、そこは部分的に拒否されたりすることも、十分にあり得る」

三谷は、部下の意見に同意しながらも、若干の問題点を口にした。


「そこはどうなんでしょうか? いちいち大島の事務所だけ外れてもらうなんてこと、言いますかね? 区域をまとめてやる方が、北見ガスとしても都合が良いでしょ? 無いと思いますよ」

上司相手だけに、日下はそれを一蹴とまでは行かないが、やんわりと否定する意見を述べた。


「むしろ、大島の事務所の裏にある、幾つかのアパート辺りが潜伏先になってる可能性を提示した上で、大島の事務所の上から先に偵察した上で、そこを調査させてもらうみたいな『方便』を使えばいいんじゃないですかね? そうすりゃ三谷課長の心配も杞憂で済むんじゃないでしょうか?」

情報を持ってきた黛が、なかなか理にかなった相手への説得を提示してみせた。


「うむ。確かに上の階へ刑事が一緒に行く理由にもなるしな。検査方法についてはよくはわからないが、万が一下の階で足りるような場合でも、上のガスコンロを検査しに行くという『言い訳』を、大島事務所側にホンモノのガス会社の点検員が誤魔化して伝えてくれる理由にもなりそうだ。よし! これで行こう!」

小藪刑事部長も心底納得し、警察からの要請ということで、北見ガスへ話を通した。


 さすがにこれだけの理由があれば、点検の前倒しから捜査員が点検員として同行することまで、相手も拒むことはなかった。そして、潜入する捜査員には、今回の手柄もあり、黛が抜擢されることとなった。


※※※※※※※


 7月28日日曜日。真田により、ほぼ間違いなく、伊坂が領収書を偽造しているという結果報告があった。伊坂組の長年の取引相手であり、金額部分が白紙の領収書を渡していたという情報があった「サンマル重機」で、昨年まで経理を担当して、1年前に結婚で「寿退社」した女性に、真田が接触を図っていたのだ。


 3年程前、土木用重機の整備費分について、伊坂組の経理から問い合わせがあったため、その女性が取引金額を連絡したところ、伊坂組の経理責任者と揉めた挙句、最終的に双方の社長案件になって、そのまま無かったことになったという。


 双方共に「下」まで白紙領収書の件を根回ししなかったことが、そのようなトラブルに発展した理由のようだった。これで、伊坂については逮捕容疑が「有印私文書偽造」で決まった。後は他の3名と同時に逮捕するだけだ。


※※※※※※※


 7月30日火曜日。気温も夏としてはそれほど上がらず、どんよりとした天気だった。警察の言い分を最大限に聞いてくれた北見ガスにより、点検予定日の前倒しが認められ、実行される日でもあった。


 捜査本部は、黛の内偵に賭けていたこともあり、張り詰めた空気に支配されていた。既に、黛は北見ガスの方へ行っていた。午後からの大島事務所への潜入の際には、この前年辺りから普及し始めた、携帯電話に付属したデジカメ、通称「写メール」を利用して、弾痕があれば撮影してくる予定になっていた。


 既にシャッター音を消す細工は済ませてある。同行する点検員は、当然黛の素性を知って入るが、大島事務所で「何かやった」ということを知られることは、現時点では避けるべきという判断で、まともなカメラの持ち込みも止め、シャッター音も消すことにしたのだ。ただ、画像の解像度が落ちるので、その点は多少心配だった。


 常に適宜連絡を取りながら、黛は点検を重ねていたが、いよいよ大島の事務所に、本来の点検員2名と共に点検に入ることになった。実際のところ、点検は普通に全てのガス設備・機器を点検することになっていたようで、特に画策してまで4階の集会場に入る必要はなく、自然な形で4階に入り込んだ。


 また、特に事務所の人間が、点検作業に付いて回るということもなかったようだ。4階も普通に点検することになっていたので、事前に「周辺のアパートの偵察」をするという虚偽の潜入捜査目的は、軽く空振りに終わったものの、やはり「設定」を無視するわけにも行かず、黛は窓を開けそのような「素振り」を見せながら、壁に目線を鋭くやった。


 東館から事前に聴取していた方向の壁をチラチラと見ていると、壁の色は微妙に日焼けしており、少なくとも、ある程度の年数はリフォームの類はしてないと確信した。同時に、支援者による集会などにも使用される部屋なので、壁に「騒音」を吸収するための加工穴が、東館の証言通り無数にあった。ただ、事前に捜査本部で調べた情報では、実はこの「穴加工」は、防音の目的以上に、音が室内に反響しすぎることを防ぐための効果の方が大きいらしい。


 それはともかく、その穴に惑わされないように注意しながら見ていると、確かに何か穴らしきものが3つ開いているのが確認出来た。

「これか? 3つあるぞ、おい……」

黛は一瞬躊躇したが、そこで迷ってる時間はない。すぐに写メールをバレないように撮り、捜査本部に送信した。他にも無いか、東館が自供しなかった側の壁まである程度チェックしたが、それらしい穴も発見出来なかったこともあり、点検作業を終えた職員と共に部屋を出た。そして、事務所を出た黛は、同行している2人に断った上で、やや離れた位置から捜査本部に連絡を入れた。


「写真どうでしたか?」

「ああ。確認出来たが、壁に防音用に元から空いてるらしい穴を除いて、よく見ればこれ3つ? ないか?」

吉村も状況を把握しており、その点を黛に尋ねた。

「みたいです……。ただ、それ以外に該当するようなモノは一切ありませんでした」

黛はそのまま答えるしかなかった。

「そうか……。わかった。東館に確認させないとダメか」

吉村もそれしか言うことは出来ず、黛はそのまま事前の設定通り、近くのアパート群の点検に同行するため、ガス会社職員の2人の元へと急いだ。


※※※※※※※


「やっぱり、これしかなかったという話です」

吉村の報告を受けた小藪は目を剥いて、

「間違いないんだな?」

と念を押した。

「残念ながら……」

西田もそう答えたが、

「無かったというよりは断然マシだが、増えてるというのもまた困った話だな……」

とかなり渋い顔だ。


「取り敢えず吉村の言う通り、東館に画像見せて、悩むのはそれからにしましょうか」

遠賀がベテランらしくその場をとりなすと、

「まあそりゃそうだな」

と小藪も納得し、すぐに聴取することを指示した。


※※※※※※※


 30分後から始まった東館への確認聴取だが、画像を見た東館はすぐに首を捻った。

「確かに白っぽい点は同じだけど、こんな真っ白い壁の色だったかなあ。あと高さはもっと高かったような気がしたんだよなあ。おまけに3つの穴かよ」

と自信が全くないような口ぶりだった。

「おい! ちゃんと確認しろよ! おまえの供述に掛かってるんだから頼むよ……」

日下は煮え切らない態度に怒るというより、まるで懇願するようだった。

「そう言われても困るんだよ……。7年って奴は、思ったより長かったかもしれん」

そうブツブツと独り言のように言う。


 裏で見ていた西田も、最後の頼みの綱だけに、祈るような思いだったが、いつまで経っても東館は自信を持って、当時の銃痕だと断定することはなかったようだ。自供内容と違い、銃痕2つが3つになっていた時点で、かなり嫌な予感はしていたが、他にも東館の記憶と一致しない点があるとなると、単なる記憶違いというだけでなく、かなり深刻なことになりかねない。一緒に居た小藪も三谷も、明らかに落ち着かない様子で、

「西田、ちょっと」

と手招きした。


「どう考えるんだ、この事態を!」

まるで被疑者のように、2人に詰問された西田だったが、

「しかし、こんな不自然な穴が空いているという時点で、単なる数の記憶違いという可能性は十分あり得ると思います」

と、苦しいながらも弁解した。

「しかしなあ……。2つが3つだというぐらいなら、まだ良いし、色具合も大した違いはないかもしれんが、その上に、高さまで印象と違うとなると……、うーん」

三谷は首を捻った。

「そこは、供述でも1mということですが、これだと、もうちょっと下のような感じもしますね……」

西田も困惑気味だった。


 画像の横には、コンセントが写り込んでいたが、通常のコンセントの位置を考えると、確かに事前の供述の1mの高さはないように思えた。これは、黛が戻ってきた後に直接確認する必要もあった。


「取り敢えず、黛から話を聞いて、その上でどうするか決めないとダメだな。東館の起訴まで時間がない。今日中に、ガサ入れと逮捕について決めた上で、明日には令状請求するぐらいじゃないと」

小藪はそう言うと、深い溜息を吐いた。


 2時間後に戻ってきた黛に話を聞くと、やはり、高さは1mは無かったということだった。これを受けて事態は更に混迷した。小藪は、最終的な決定を、最高責任者である安村・北見方面本部長と討議した上で決めることを判断し、安村も交えて首脳会議が開かれることになった。


※※※※※※※


「状況については、お話を聞いてよくわかりました。それで、皆さんとしては、どういう方向で結論を出したいと考えているんでしょうか?」

安村は説明を受けた上で、そう静かに切り出した。


 まず刑事部長である小藪が反応した。

「7年という歳月を考慮しても、ひょっとすると、リフォームが行われた可能性があり、3つの穴も銃痕とは無関係に、後から出来たモノである恐れも否定できません。そうなると、ガサ入れで何も事件と結びつくモノが発見出来ず、室内についての東館の秘密の暴露全体の信憑性が、結果的に落ちてしまう可能性もあります。その場合、立証をより強固にするためのガサ入れが、むしろ相手側にとっては、関与否定するための補強に、逆に利用されかねません。勿論、相手が一般人なら、さほど影響はないかもしれませんが、大島レベルの有力者相手となると、東館の証言が、アテにならないという印象付けを、法廷でされる危険性があります。正直、日本の司法なんてのは、被告の力次第で幾らでも動きますからね……」

この発言は、刑事裁判が、検察や警察に普段は相当有利になっているという裏を、暗に含んだ自虐だと、西田は聞きながら思っていた。


「ですから、事件全体の立証に、マイナス面を与えるという事態は避ける必要があるかもしれません。関係人物の逮捕自体は、これ抜きでも、他の東館の証言から、何とか出来るとは思います。しかし実際のところ、中川秘書を起訴する際には、物的根拠のかなりの部分を、銃痕とそれから検出されるはずの銃弾の成分の物証に頼ることになるでしょう。それがない場合には、起訴出来た場合でも、公判で色々と突っ込まれる要素になってしまうこともまた事実です。何しろ相手が大島絡みですからねえ……。銃痕の立証をしたいのはやまやまですが、それがなかった場合には逆効果になる。結果的に、立件そのものに疑義を抱かせるような結果になるとマズイですから、状況が不確かな現時点では、ガサ入れは勿論のこと、中川の逮捕の方も、正直言って先送りすべきじゃないでしょうか?」

そこまで踏み込んで述べると、小藪は安村がどういう反応を示すか、様子を窺った。


黙って聞いていた安村は、

「つまり、刑事部長が言いたいことは、現状では、ガサ入れも中川の逮捕も共に避けるべきということなんでしょうか?」

と確認すると、

「まあ、そういうことでしょうか……。相手が相手だけに」

と、言いにくそうに返した。


「そうですか……。わかりました。三谷捜査一課長の意見は?」

「率直に申しまして、刑事部長と同意見です」

振られた三谷も同じ答えを出した。

「じゃあ、手越管理官はどうですか?」

眉間にシワを寄せたまま手越に振る。

「東館と鏡が、殺人に関わったことまでの立証は完璧に出来ますが、その事前練習を大島の事務所で実際に行っていたということを立証出来れば、その後の中川秘書の病院銃撃事件関与の立件展開は、そりゃ、かなり楽なのは事実だと思います。また、東館の証言の信用度が格段に高くなりますから、裁判において他の証言への心証も良くなるでしょう。ただ、問題はガサ入れで、事前の銃撃練習を立証出来なかった場合です。他にも3名絡みで、幾つか秘密の暴露と見られる証言が出てはいますが、それらは、事件とモロに直接リンクするモノはないですね現状は。潜伏先で射撃訓練を行ったという証言と、それを科学的に立証出来るか否かで、180度とは言いませんが違いは出てくるはずです。更に、立証出来なければ、東館の証言の信用度も落ちてしまいます。正直、相手が大島絡みでなければ、他の証言だけでも、十分に起訴から有罪まで持ち込めるレベルであるとは思いますが、何があるかわかりません。万が一ということも……」

手越は、先の2人の発言をより具体的に説明してみせ、そこまで言うと、最後は口を濁した。


「それで結論は?」

じっと睨みつけるようして、安村は発言を促したが、

「ガサ入れが空振りに終わった時に、相手の無罪主張に程度問題とは言え、説得力が増してしまうことは、確かに逆効果ですね。現状では、中川達について、まだ逮捕もガサ入れも避けた方が無難かもしれません」

と、前二者と、当然同じ意見になった。そして、今度はいよいよ西田の番になった。


「では、最後に西田課長補佐の意見を伺いましょうか……」

そう言われた西田は、意を決して発言を始めた。

「お三方の仰るとおり、確かに、ガサ入れが空振りに終わった場合のリスクについては、十分に考えておく必要があるかと思います。しかし、弾痕の分析はどう考えても必要なのも、皆さんの意見でも共通の認識です。あの連続殺人犯の本橋が、佐田実殺害を自供した時、実行犯として起訴出来、裁判上も有罪となる決め手となった1つの要因として、佐田の肋骨に銃弾の痕跡が残っていたことがありました。今回も銃痕から、実際の銃撃に使用した弾と同じ外装成分が検出出来れば、銃撃事件の実行犯が、大島海路の事務所の4階に居たことが、確実に証明出来ると言えるはずです」

西田は、7年前の捜査を引用して、ガサ入れの必要性をまず説いた。


「同時に、管理官の発言通り、東館の証言の信憑性を高めることは勿論、東館達が大島の事務所に潜伏していた時点で、銃撃事件を起こす意図を持っていたと立証するのに役立つはずです。中川秘書が、事件の計画を知った上で3人を潜伏させ、事前の行動練習をさせ、逃亡を手助けしたと東館が証言していますが、それを裏付ける確定的な要素にもなります。そもそも、大島の事務所に、無関係の人間……、というよりヤクザが長期間滞在していたという事自体、番頭格で地元を長年仕切っている中川の承認があったことは自明ですし、そこに、彼らが滞在時から、既に事件関与することを目論んでいたことが証明出来れば、中川の事件関与立証も確実なわけです。そして大島の懐刀の中川のやることは、つまり大島の意図を汲んだ結果とも言えますから、最終的に、当時東京に居た大島まで挙げる際には、有力とまではいかないまでも、大島の事件関与のそれなりの根拠にはなるでしょう」

ここまで言うと、その場に居た皆の表情を探った。


 安村以外は「そんなことはわかってる」と白けた表情のように思えたが、それでも自分の主張はしなくてはならない。7年後の今、改めて「折れる」訳にはいかない。西田としては、このまま言いくるめられて、7年前の冬と同じ轍を踏むわけにはいかなかった。


「最後に、ある意味最も重要な要素は、東館の起訴の日付は、ご存知のようにもう延ばせないということです。勾留延長の最終日には、言うまでも無く起訴しなくてはならない。それと同時に、3名が殺害された病院銃撃事件の実行犯を起訴すれば、影響を考えても、今度は確実に、報道機関にもその事実を伝えなくてはならないということです。逮捕した時点では、なんとか隠しておくことが出来ましたが、起訴では、さすがに誤魔化せない。そうなってしまえば、警察の手が迫っていることを、中川や伊坂や坂本、板垣に公に告知するようなもんです。その結果として、証拠も隠滅されるかもしれないし、先に何らかの手を打たれる可能性があります。それは絶対に避けなくてはなりません! どう考えても、一か八かになるとしても、東館の起訴の前に、事務所にガサ入れすることは外せないと思います。4名まとめて逮捕しておかなければ、繰り返しますが、証拠の隠滅等も避けられないでしょう。そもそもですよ、事務所のガサ入れや逮捕を先送りしたところで、東館の記憶がよみがえるわけでもないですから……。あの穴が銃痕なのか違うのかは、どうせ何時まで経っても、内偵程度じゃはっきりとわかるわけがないんです! やるしかないんです!」

西田としては、佐田実の殺害事件の時効も意識せざるを得ないわけで、それも含め、この期に及んで悠長なことは言っていられない。最後の方の言葉には、無意識にかなり力が入っていた。


 だが、言い終わるや否や、小藪が口を挟んだ。

「言いたいことはよくわかる。事実上の捜査責任を、西田が負っていることもわかってる。しかしだ! この状況では、明らかに危険性のあるギャンブルなんだぞ!? それをわかった上で言ってるんだよな? 俺も西田と同じように、出来るなら逮捕もガサ入れもすべきだと思っている。しかしそれでも尚、それに見合うだけの確実性があるかどうか、そこが今一番の問題なんだ!」

聞いている三谷も手越も、それに頷いていた。


「そりゃ相手が相手だけに、皆さんの考えは痛い程理解できますが、相手が相手だからこそ、ぐうの音も出せないレベルで、中川の事件への関与と故意性を立証する必要があるんじゃないですかね? ホントいつまで待ちゃいいんですか? それに、少なくとも、佐田実殺害事件の時効に関しては、通常のままなら9月の末で時効です。勿論、本橋を共犯として、その起訴から判決確定までの2ヶ月以上(作者注・共犯関係にあった者が起訴されて判決が確定するまでの間、別の共犯者の時効も停止されます。この共犯者については、事前に判明している必要はありません)あって、それに加え、大島の方は、その他の外遊合わせて10日程度の渡航歴がありますから、3ヶ月程度時効が延長されるので、年末までは大丈夫でしょう。ただ、何も出来なければ、このままでは年末には、佐田実殺害の件について、時効の15年になってしまいます! どっちにせよ、佐田の件については、病院銃撃殺人の後の捜査になるわけですから、銃撃事件の方を早目に始末しておかないと!」


 西田は、上司3名相手に分が悪いと思いながらも、やはりこの事件に懸ける思い入れが違うので、簡単に引き下がるわけにはいかない。あの7年前の12月に、遠軽署からの捜査応援の撤退命令を告げた大友刑事部長に対し、もっと抵抗しておくべきだったという後悔が強くあった。


「お話にならんな……」

小藪は苛ついたように、西田から視線を横に逸らした。

「安村本部長はどうお考えなんですか? 場合によっては、上(層部)の責任にもなりかねないわけですから、勿論反対でしょう?」

手越管理官が、安村に意見を求めると、椅子に深く腰掛けて意見を聞いていたが、身を乗り出して、

「それじゃあ、私なりの意見を言わせていただきます」

と4名を確認するように順に眺めた。


 そして、

「この事件の実質的な総責任者は、7年前に事件を捜査したこともあり、西田課長補佐であることは、皆さんも否定されないでしょう。であるとするならば、その人間がすぐにでも逮捕とガサ入れをしたいというなら、私はその意見を尊重したいと考えます」

と滑らかに、そして簡潔に意見を述べた。


「安村本部長本気で言ってるんでしょうね?」

三谷が目を剥いて安村に問い質す。

「当然本気ですよ。それが私の結論です」

落ち着き払って返した。


 しばらくの間、方面本部長室には、何とも言えない緊張感あふれる雰囲気に満ちたが、小藪は咳払いをした後、

「安村本部長。確かにガサ入れで失敗しても、中川秘書の起訴は可能かもしれませんが、『将来』を考えれば、何らかのマイナス面が出ることは考えないといけないはずですよね?」

と言った。


 表現上はボカした形だったが、要は「アンタも俺達も、出世の査定に響くから、リスクを負わせるのは勘弁してくれ」という意味だったろう。しかし、その言葉に安村は、

「大変申し訳無いですが、我々は、国民の平穏な社会生活を保障するために存在しているのであって、組織やその構成員としてのリスクを負う負わないを基準に捜査するのではないはずです。それが、事件解決に役立つか否かで判断する必要があるはずでしょう? まして、単なる一市民相手の捜査では、むしろ不必要な逮捕やガサ入れを乱発している現状があるわけですよ。無論、そういうことが良い悪いは別にして、相手によって、態度を変えるようなことが許されるはずはないわけです。曲がりなりにも法の下の平等という大原則が、我々には課されているわけですから!」

と、実務を行っている人間からすれば、理想論や偽善と言われても仕方ないレベルの正論で反撃した。


 言葉の字面だけ取るならば、いつもの丁寧な口調ではあったが、この時の安村の1つ1つの言葉の「圧」は、いつものそれとは、全く違う威厳のあるものだった。否、圧は言葉だけでなく、全身から出ていたようにすら、近くに居た西田には感じられたと言っても過言ではなかった。


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