名実28 {50・51合併}(116~118・119~121 東館自供開始4 詳細な事件の流れ)
「それについては後で詰めるとしてだ……。まずは、はっきりしないまでも、既に決められていた殺害計画を、いざ実行するという最終決定と、事件当日にあった指示について、色々もうちょっと詳しく頼む」
「詳しくって言われてもな……」
西田の問いに、そう言い淀んだ。実際、ちょっと抽象的過ぎる質問ではあった。
「じゃあ……、実行当日までの事前訓練についてから聞こうか。殺害実行決定の直後から訓練してたって話だが、回数はどれくらいだった? さっきの聴取だと数回という話だったが、具体的に回数がわかるなら、尚良しだ」
不明な点を必要以上に細かく追及したところで、既に詳細な情報を出せる部分は大方出してくれている以上、単なる時間の無駄になりかねない。相手にストレスを与えるのも先の聴取に影響しかねないわけで、ギリギリの探りあいを続ける。
「それはなあ……。少なくとも、その日に5回以上は繰り返したはずだ。……多分6回ぐらいじゃないか? 翌日にも、同じ時間帯に3回はやったな」
「かなり念入りに繰り返したな?」
吉村が割って入った。
「そりゃまあ大仕事だからさ……。それでも足りないと思ったか、鏡の方は、『もうちょっとやらせろ』みたいに、おっさんに文句付けてたぐらいだったぞ。知らない土地だけに、近い場所とは言っても神経質になってたなあ。本番も練習も、どっちも運転は鏡だったから、俺は多少気楽だったが、奴の立場を思えば仕方ない。ただ、おっさんが言うには、『事前に必要以上に目立つようなことがあると、後々《のちのち》マズイ』ってことで、それ以上はやらなかった」
こちらから聞くより先に、運転していたのが誰かまで答えてくれたので、西田としてはありがたかった。
「その練習時に4人がどういう配置で乗車してたか、ちょっと書いてくれ」
先程のメモ帳の余白の部分に書くように、西田が指示すると、すぐに東館は書き込み始めた。
「助手席が俺、後ろの運転手側がおっさんで、俺の後ろが兄貴だった。本番も後ろの2人が居なくなっただけ」
「練習用の車種は、普通の乗用車?」
「セダンタイプだったと思うが、具体的な車の名前まではわからんな。そこまで気が回らなかった。色は黒だったはず。ただ、おそらく事務所の車だったんだろうが、『国会議員様』が乗るような、あからさまな高級タイプではなかったという印象は強くある」
西田の質問にも、さくさくと東館は答えた。ここでも記憶力はかなりあるようだ。ここまではかなり満足できる取り調べだ。
「よしよし! そうかわかった。それで、当日に非常階段の傍に車を付けたのは、練習通りだったようだが、その指示はおっさんがしてたのか?」
「そうだ。さっきも言ったが、練習の初日からその場所に駐めた」
「当日の非常階段上がってから、理事長室までの流れは、事前に練習はしてなかったんだな?」
「いや、2日目の練習の時に、非常階段を上がってフロアに入る直前までの練習は1度してた。その時は、フロアには入らなかったけどな」
「かなりしっかり事前にやってたんだな……」
西田は感嘆と言っては大げさだが、短期間の準備でありながら、思った以上にしっかりと計画されていたことに、ある意味感心していた。
「フロアには入らなかったが、帰宅後には4人で見取り図も使って、部屋を間違えないようにチェックもしたし、殺る対象の爺さんの写真もチェックしていた。こう言っちゃ手前味噌になるかもしれんが、ここまでバレずに来れたのは、そういうところもちゃんとしてたってのはあるわ。2日目には、逃げた後、待ち合わせ場所から、おっさんが運転する車に乗り移ることも1度だけやった」
東館も、相変わらず殺人自体の罪の意識は軽いようだったが、今はそれを糾弾している場合ではない。そして、西田は気になっていたことを、ここで重要な疑問としてぶつけた。
「実行した時もそうだが、練習時の時間帯含め、フロアに人が居ないという前提があったようにしか思えないんだが? しかし、実行の時間帯によっては、人がたくさん居る可能性も、当然あったんじゃないのか? そうなると、その点では……、あくまでその点についてだが、かなり無理があるというか、杜撰な犯行計画だったようにも思える」
「ああ、それについてか……」
東館は、質問が如何にもその通りだというように、両手を頭の後ろにまわして大げさなリアクションを取ると、
「練習中に、俺達も実行の時間帯は、既に決まってるのかと聞いたことがあったんだ、おっさんにな。そうしたら、『相手次第の部分もあるが、練習している今の時間帯に、相手がそうするように一応は仕組んでる』と言われて、ちょっと混乱したんだわ。でもな、その後の説明で納得出来た。それは、かなり記憶に残ってる」
と答えた。
「そこ、どういうことか説明出来るか!?」
西田は強く回答を求めた。ここはかなり重要な部分だ。焦りすら隠さず、率直に要求した。
「上手く説明出来るかどうかわからんが、じゃあ……。誰がしたかはわからんが、タマを取る相手の爺さんが、その時間帯にしか動けないような状況を事前に作っておいたって話らしい。確か……、とにかく人目に付かない、練習と同じ時間帯で実行出来るからと……」
そう言うと、より記憶をはっきりさせようとしたのか、口元に拳を当てた。そして、
「えっと……。何でも、爺さんにとって都合の悪い連中が、昼間は病院に張っているような印象を与えておくとか何とか……。これ以上は、当時もはっきりしたことは聞いてないと思う。とにかく、そういう状況に、自然と持っていく手はずが整ってるってことを言ってたよ。結構自信ありそうだった。『心配するな』と言ってたな」
と付け加えた。
この意味は、西田にも完全に理解出来るモノではなかったが、東館達も実際のところ、詳細には説明はされていなかったのだろう。殺害された松島や大島の関係を前提にしないと理解出来ないことを、東館達に説明したところで意味はなかったはずだ。
おそらく、敵対しつつあった大島側のスパイが、病院内に潜んでいるようなことを、自殺した理事長の浜名を通じて、松島に印象付けていたのではないか? そう西田は理解した。そこで、人目に付かない時間帯に、北村刑事を呼び寄せる必要を作り出したということだろう。
自殺した浜名も、松島の味方であるかのように、松島の前では振舞っていた可能性が十分にあった。そうでなければ、わざわざ、実際には大島の影響下にあった浜名の病院に入院したりはしなかっただろう。病室の盗聴器も、相手が心を許していなければ、そう簡単に付けられるものではない。理事長室の利用や、そこへ入る際に靴を脱がせることの指示なども含め、相当用意周到に準備していたことがよくわかった。
「そうか。それについては、今のところは十分だ。じゃあ、実行日の方の決行指示についてだが、これについては、既に指示が来た時間なんかは聞いてるけど、その指示した時の様子というか、おっさんはどんな感じだった?」
「事前にやることは決まってたせいか、慌てた感じはなかったと思うぞ。俺達も覚悟は決めてたから、『いよいよだ』ぐらいの気持ちだったはずだ。出来れば、もう少し訓練しておきたいところだったが、長い間待たされるのも辛いもんだ」
ここで吉村が咎めるように尋ねた。
「お前らは、松島という爺さんの他に、部屋に看護婦と刑事が居ることを知ってたのか?」
この質問は、先程日下がしたのと同じようなものだったが、吉村としては言わずに居られなかったのだろう。
「爺さんとは別の男と看護婦が居るだろうとは、直前に言われてた。ただ、その男が刑事だったとは、事件後にニュースで見て知った。とにかく、部屋の中で爺さんと一緒に居る奴は全員殺ってくれと言われてたから、後の祭りだよな……。文句も言いたくなったが、まあ3人殺ったら、これはもう……。どっちにしても、パクられたらアウトだから、刑事であるかないかに違いなんてねえって奴よ」
刑事を殺すということがどういう意味があるか、否、3人を殺害するということが、どういうことかは、さすがによくわかっていたようだった。
「じゃあ、大島の事務所から病院へ行くまでだ……。指示を受けた後、駐車場にあった盗難車に乗り込むまで、まずどれくらいの時間があったか」
改めて西田が問うと、
「いつでも出られる状態にしてたから、身支度みたいなモンに掛かったのは数分だったはずだ。ただ、その前に念入りに事前に復習というか、手順の打ち合わせと確認をした。だから、さっきも言ったが、指示があったのが、多分午後6時前ぐらいで、そこから30分近くはチェックに使ったと思うな……」
と質問に答えた。東館は、この時それほど自信はなさそうだったが、ここまでの証言は、基本的に筋が通ったものだと西田は感じていた。
「そして、駐車場にあった、シートが掛けられていた盗難車に、お前らはいよいよ乗り込んだわけだな? ちょっと確認したいんだが、盗難車だがキーはどうした?」
「それはな……。実は、既に鏡が前日の夜に、試しに盗難車に乗り込んでみた時に、おっさんから受け取ってたみたいだ」
盗難車については、確かにキーが付けっ放しになっていたものを盗まれたと、捜査報告書にあったはずなので、これについて裏取りが出来た。後は車種だが、盗まれたのはシルバーの家族向けセダンだった。
「キーはあったわけだ。それから前日に盗難車の方にも乗ったって?」
西田は、さっきの取り調べで気になったことを確認した。
「乗ったって言っても、言ったように俺は乗らずに、鏡だけだ。しかもエンジン掛けただけで、実際に動かすことはなく、運転席に座って確認しただけらしい。事前に走ってパクられたら意味ないから、動かさなかったとは言ってたと思う。俺は、その時は上の部屋でテレビ見てた。運転する人間としては、事前にチェックしておきたかったんだろ」
「そっちの車種はわかるか?」
「はっきり覚えてないが、4ドアの大衆車だったな。色は銀だったのは間違いないはずだ。夜に目立つなと思って、正直なところ、余り良い気分じゃなかった」
こちらもしっかり発言から裏が取れ、質した西田も満足した。
「それで、当日に駐車場からその車に2人で乗り込んで、そこから病院へと行き、練習通りに理事長室に忍び込んだってわけだ。大体何分ぐらいで、理事長室に入ったのが何時とかそういうのはわかるか?」
「当日がどれくらいかは計ってはいないが、練習段階で5分程度だから、当日も同じぐらいだろう。理事長室に入ったのは、6時半は過ぎてたと思うぞ」
「そこからすぐ盗聴した?」
「ああすぐだ」
「そうなると、実行するタイミングってのはどういう風に決めてたんだ?」
「おっさんからは、多分紙をもらいに来る男が入って、紙について何か喋ってからと指示されてたから、そのタイミングを待った。俺達が先に着くとわかっていたようだな。そして着いてから、そんなに時間が経たない段階で、そいつが病室に入ってきたのはわかった。そこから、鏡と最終の打ち合わせをして、レシーバーを回収し、用意してきた目出し帽被って、さっきの通路まで出てから靴を履いた上で乱入したんだ。……当然、一応周囲に人が居ないかどうか慎重に確認してたから、乱入って程じゃなかったか……」
「そこで、無言で拳銃ぶっ放した後、どう思ったんだ?」
正直なところ、この質問は、捜査にほとんど関係なかったが、西田としては何故か無意識に聞いていた。言い終わった直後も、聞いた理由はよくわからなかった。
「どうもこうもねえよ。何か考えたらお仕舞……。考えたら出来なくなる。殺った後も、何の感情も持たないようにした。その時まで、殴る殴られるの経験はあったが、殺しはやったことがなかったからな。チャカだしこっちの痛みもない。血が壁やカーテンにに飛び散ったことだけが、やらかしたことを感じさせただけだ……。それに、頼まれていた紙や盗聴器の回収と、逃げることに頭が行ってたってのもある」
東館は、あくまで表向きは悪びれもせず、淡々と答えた。
吉村はそんな東館をじっと睨みつけていたが、この回答にも、西田は不思議とそれ程怒りは湧いていなかった。自分の相棒を殺害され、当時の憎しみは忘れるはずもなかったが、そういう爆発的感情は、ほぼ全て、今、目の前の追及そのものにぶつけている、そんな感覚があった。そして、直前に、且つ無意識に、東館にそれを尋ねたことの意味は、東館からの回答を聞いた時に、その「感覚」が本物かどうかを、自分で試すためだけにあったのではないか、そんな思いすら抱いていた。勿論、それが本当の理由かどうかは、西田も確信はなかったが……。
「殺害した後、紙と盗聴器を回収して、思わずアベと田舎の訛りが出た時、鏡の反応は?」
気持ちを切り替えて新たな質問をした。
「特に何か反応はなかったんじゃないか? ただ、そんなことを一々確認してるような場合じゃなかったからな。俺はマズイことを言った自覚はあったとは思うけどよ……。まあ、だからと言って、すぐにバレるような類の話でもねえから、それほど深刻にも考えてもいなかった」
「なるほど。そして紙と盗聴器を回収して、外に出て非常階段まで逃げたわけだ。見られていたことは気付かなかったと言ってたな」
「ああ、わからなかった。もし気付いたら下手すりゃ発砲してたかもしれんぞ。気付かなくて良かったな、俺も、目撃した奴も」
確かに、余計な犠牲者を出さなくて良かったと西田も感じていた。
「そこから乗ってきた車に乗り込んで、待ち合わせ場所の空き地まで行ったんだな? 大して時間は掛からなかったはずだが、練習通り、おっさんと兄貴分の大原が迎えに来るまでどれくらい掛かったんだ?」
「それは、病院の駐車場で車に乗った時点で、俺が助手席から兄貴に携帯で連絡してたから、着いてすぐだった。これは2日目の練習の時に、非常階段上るのとセットで、おっさんと兄貴が空き地に迎えにくる練習してた通りだった」
東館の先程とこの証言からは、回数こそ少ないが、2日目の練習は、既にかなり緊迫感のあるモノだったということになる。
「なるほど携帯で連絡してたか……。目出し帽はどうした?」
「目出し帽被ったまま車運転してたら、目撃された時点で相当怪しまれるからな。駐車場を出た瞬間には取ってたよ」
おそらく、車内に残った2人の毛髪が抜けたのは、高い確率でその時だったのだろう。
「空き地に着いて、相手がすぐ来て、お前らが乗り込んだのは後部座席か?」
今度は吉村が聞く。
「そうだ。トランクと言う考えも事前にはあったが、万が一、検問に引っかかった場合でも、堂々としていたい方が良いだろうというおっさんのアドバイスがあった。『俺なら顔パスだ』とも言ってたから、自信があったんじゃないか? おっさんが何者かは、秘書だとは思いつつもはっきりとは……、北見に来てからここまで、してはいなかったが、この言葉で、やはり相当の地域の有力者だとはわかったな。それで、間違いなく大島の秘書だなと確信を持ったわけよ」
東館は相変わらず、案外合理的な考えを述べた。
「そして事務所まで何の問題もなく着いたわけだ?」
「ああ、右折待ちはあったが、信号にも引っかからなかった記憶がある。なんで憶えてるかって言うと、まあそれだけ早く着けと思ってたんだろうな……。内心は常にヒヤヒヤしてたのは間違いない。3人ともソワソワしてたんじゃないか? ただ、おっさんだけは妙に余裕だった。自分の『顔』に自信があったんだろうな」
立て続けの吉村の質問にそう返すと、東館は首をグルンと回して、首や肩のコリをほぐしているようだった。ずっと尋問していた西田も吉村も、それに合わせたわけではないが、無意識に身体をリラックスさせるように力を抜いた。3名とも、自然と力が入っていたに違いない。さっきの日下の疲労感が、身をもって理解出来ていた。
「今思うと、あの2時間弱は、俺にとって人生最長の2時間だった……。やらかしたことの意味は、改めてその日の夜のニュースでわかることにはなったけどよ……」
目の前の2人の様子を見ながら、東館がそう話を再開すると、
「後悔したのか?」
ボソッと吉村が聞いた。
「それはないな。あそこで後悔するとすれば、むしろ生まれたことから後悔してるさ……」
嘯いた東館だったが、その表情には、一抹の無常感が漂っていた。あれだけのことを仕出かした以上、到底真っ当な人間とは言えないだろうが、世話になった兄貴分の心情を察する思いやりはあった。自供するまでの態度と言い、相棒を失った西田も、簡単に許すつもりは毛頭無かったが、生育歴を見ても、どこかでちょっとしたボタンを掛け違い続けてきた人生なのは間違いなかろう。
「ところで、回収した紙やメモと盗聴器については、最終的にどうしたんだ?」
西田は、やはり気になっていたことを聞いた。
「紙なんかはおっさんに渡したはずだ。盗聴器はレシーバー含め、踏んで壊した上でそのままゴミ箱行きさ……。それにしても、まさか事件の顛末が、ずっと録音されてたとは思わなかったな。どういうカラクリだったんだ?」
首を数度振って何とも言えない顔付きをしたが、確かに北村の録音が残ったのは、たまたまカラオケに行く予定と重なったという幸運があった。北村にとっては、最悪の不運と共に……。
とは言っても、ここまでの東館の自供を振り返る限り、おそらく避けることの出来ない運命、というよりは宿命だったのではないか。西田としては、そう思うより他にやるせなさを誤魔化すことは出来ず、東館の疑問にも答えないままだった。東館も、西田の様子に察するところがあったか、それ以上聞くことはなかった。
※※※※※※※
「さてと……。大島の事務所に戻ってからは、どんな状況でどれくらい居たのか? 何でも1週間ぐらいしてから、更に場所を移動したという話をしていたよな?」
西田は気を取り直して、再び取り調べを始めた。
「そうだ。およそ1週間ぐらいだったと思うけどよ、しばらくは、事件の前と同じように身を潜めてたし、例の若い2人組も、同じように色々買って来てくれた。銃の訓練をしなかったってこと以外は、それ以前とほとんど同じということじゃねえかな……。それから、警察の動きなんかが一段落したのを見計らって、おっさんの車で昼に北見を出た。真っ昼間の方が、反って怪しまれないという理由だったはずよ。それに、その時には事務所には他に人が居なくて、普通に事務所内の階段を使って、駐車場側の出口まで下りて行った記憶があるんだ。だから土日のどっちかだったんじゃねえかな?」
この発言を受けて、吉村が取調室に持ち込んでいた、95年当時のカレンダー付き手帳を確認すると、11月18、19日が丁度土日だった。犯行日の11日が土曜日で、一週間後というおおよその時間経過とも一致する。大島の事務所は、土曜日には開いていることが多いという情報から考えると、19日の日曜日の可能性が高いと言えた。
「なるほど。その辺についてはわかった。それで、新たに潜んでた所について詳しく教えてくれ」
「温泉街の近くの保養所みたいな、割とでかい建物だったが、普段は使ってないとかだったっけかな……。ホントなら温泉も使えたらしいんだが、管理人が居ないんで、温泉はストップしてるとか、そこで待ってた例の2人組が言ってた記憶があるわ。兄貴も鏡も残念そうに、軽く悔しがってたわ。『せっかくの温泉に入れねえとはな』ってよ」
「そこでも、2人が色々面倒見てくれたのか?」
「毎日ってわけじゃないが、2日に1回ぐらい、食材やら惣菜やら色々持ってきた。そもそも、そこに1週間も居なかったから、3回ぐらいだったと思うぞ」
「来たのは昼間?」
「いや夜、仕事が終わってからじゃないか? 北見の時と同様私服だったはずだった
……」
首を傾げたが、これは伊坂組の作業服でも着ていたらという、西田の希望観測的な質問だっただけに仕方ない。
「そこでも北見と似たような感じの生活だったか?」
西田の矢継ぎ早の質問に、ややうんざりした感じを出したが、
「そりゃそうだけどよ、昼間からカーテンは閉めっぱなしにしてた。あんまり人が居る気配は出さないでくれと、若造2人から言われてたわけよ。普段使用してないから、周囲から、異変が起きたと思われるとやっかいだとか。もし誰か確認しに訪ねて来たら、電話番号が書かれた紙を渡して、そこに電話させろとか言って、紙を渡されてたぞ」
と、しっかりと答えてくれた。
「さすがに、その電話番号は覚えてないよな? もしくはどこの電話番号か聞いてたとか?」
西田は望み薄だったが、念のため尋ねた。
「いやあ、さすがに、ただの数字の羅列だったからわからんわ。市外局番は、なかった記憶がうっすらとはあるような……」
多少は役に立つ情報に、
「それは、相手が固定電話ということか?」
と思わず確認していた。
「そうじゃないか。まあ断定はやめといてくれよ。保証は出来ねえからよ」
携帯であれば、若い2人のうちのどちらかの携帯と言う可能性があったが、固定ということと、不審者を確認しに来た人間に教える電話番号となると、もしかすると、伊坂組の何か部署への番号だった可能性があると西田は考えた。留辺蘂と北見は、当時も市外局番が一緒だったはずだ。もしそうなら、研修施設だった以上、人事か総務絡みの部署かもしれない。
「間取りというか、どういう建物だったかの記憶は?」
「確か2階建で、部屋は2階のみで……、6部屋ぐらいか。全部同じぐらいの広さで……、12畳ぐらいか? 1階は食堂とかトイレとか、デカイ大広間みたいのがあって、泊まるような部屋じゃなかったな。それぞれの部屋に布団があった。しばらく使ってないって話だったが、確かになんかカビ臭かったような記憶があるわ」
入手した保養所の設計図面と、東館の証言は、ほぼ一致していた。これも秘密の暴露に該当するだろう。西田も、一連の取り調べで、東館がきちんとした証言をずっとしてくれていたので、証言内容についての信用度は、この時点でかなり高くなっていた。
「そして、無事に誰にも見つからず、脱出の日を迎えたわけだな? 出発は昼間だったそうだが、その時も用心して出たか? それから2人は昼間だったが私服か?」
「出発の日も、一応は周囲を注意はしてたが、そこまでコソコソしてたってことはなかったように思う。2人も私服だ。さっきも言ったが、切符はそれぞれ2人から貰った」
「じゃあ、自分からもちょっと」
吉村が久しぶりに質問権を主張した。
「3人は、別々に帰ったと言ってたが、順番についてはどういう風に決めたんだ?」
「それについては、おっさんからの伝言で、拳銃と銃弾を持ち帰る鏡が優先だった。兄貴と俺はどうでも良かったが、兄貴としては、実行犯の俺を先に行かせたかったみたいだな。ただ、俺は兄貴を立てて先に行ってもらったわけよ」
ここで西田は、吉村に更に聴くか確認すると、首を振ったので自分でまた聴くことにした。
「留辺蘂駅から乗ったんだな? これで間違いない?」
そう言うと、用意していた、警察に資料としてあった留辺蘂駅の写真を見せた。東館は覗きこむように注視していたが、
「うーんどうだろうなあ。そうだったような気はするけどよ……」
と確信を持てないようだった。まあこれに必要以上にこだわる必要はないので、次の質問に移る。
「お前が最後に出発たということだが、時間帯は夕方だったか?」
「いや、昼過ぎに出た。駅弁買って乗り込んだはずだ」
この事から、東館が乗ったのは、おそらくオホーツク6号だと判断出来た。
「東京には、そのまま真っ直ぐ帰ったのか。どっか寄ったとかは?」
西田は、殺人の後も、ふてぶてしく観光しながら帰った本橋の例もあったので、尋ねてみたくなっていた。
「寄る? 札幌で途中下車して泊まったぐらいだな……。宿は自分で取れって話だったから、ススキノの近くの、サンライズホテルに泊まったよ。何度か札幌に行った時に泊まってたから慣れでな……。ただ、飲みたい気分じゃねえから、そのままホテルからは出なかった。翌日は、貰ってた切符の通り、朝から特急で函館まで行って乗り継いで、東北新幹線で帰った。東京に戻ったのが夕方だったな。やけに綺麗な夕焼けだった……。まあ、東京までの切符は貰ってたけどよ、俺の場合は、自分の金で飛行機って手もあったが、何となく、時間掛けて帰りたかったってのもあった。兄貴は、札幌まで出た後、当日中に新千歳から飛行機で東京まで戻ったらしい。鏡は知らんな。その後は会ってないから。まあ飛行機じゃないことは間違いないんじゃねえの? これでいいかな?」
そう言うと、東館はジェスチャーでタバコを要求した。吉村はヤレヤレという顔をしながらも、胸ポケットからタバコを取り出し、東館に渡し火を付けてやった。
「それから先についても、まだ聴いておきたいことがあるから、もうちょっと我慢してくれ」
西田は東館の様子を見ながらそう言うと、東館に灰皿を渡し、吸い終わるのを待つ。東館は煙を吐いて2人をじっと見ながら、
「俺のやったことが許されるとは思わんが、だとしても、兄貴は少なくとも殺しについては無実だ。その兄貴含め、紫雲(会)や駿府(組)が、おそらく葵一家の命で殺られたってのは、俺の事件が理由と見ていいんだな?」
と聞いてきた。
「それは、そういう可能性もあるというだけ話で、到底断定は出来ない。他にも理由があることは十分考慮に値する」
西田は、両組織による、江田組との連携が事件を招いた可能性があるという、爆破事件があったことを東館に伝えた際には触れないでおいた、「見せしめ」の件を念頭に置き断定は避けた。
「おいおい! 話が違うじゃねえか! さっきの2人の刑事は、事件の口封じが目的と言ってただろ!」
自供させるために騙されたと感じたか、激昂した東館は、立ち上がって、殴りかからんばかりの勢いだったが、吉村がすぐに制した。西田は座ったまま東館を見上げていたが、
「さっき取り調べた2人が、それしか言わなかったことは悪かった……。上司の俺が責任を持って謝る! ただ、ここまで話してくれたお前には、俺も正直に言うべきだと思っただけだ。勿論、口封じ目的の爆破だった側面は俺はあると考えてる! その上で、他の原因も関係した可能性もあると言っただけだ」
と、落ち着き払った態度を崩さず、その上で1つ1つの言葉を意識して明瞭に告げた。東館はそのまま西田を睨みつけていたが、しばらくするとドサっと腰を下ろした。
「それで、一体どのくらいなんだ、口封じ(の可能性)は?」
諦めたように確認してきたが、
「はっきりとはわからない。しかし、このタイミングでやったことは、おそらく別の理由じゃないか? それに便乗して、お前の事件への口封じも理由になった、そうじゃないかと見てる」
と返した。西田の率直な発言に、東館は相変わらず苛立ちを隠せなかったが、タバコを灰皿に置き、机に上半身を預けるように刑事2人に向き合い、
「それについてはわかったよ……。ただ、必ず兄貴の敵は必ず取ってくれ! 俺の自白を鉄砲玉扱いで終わらせんじゃねえぞ!」
と、ドスを利かせた声で凄んだ。西田は、言うまでもなくそれには怯まず、
「爆破の件は、道警が直接捜査するわけじゃない。警視庁だ。いい加減な約束は土台無理だ」
と、視線を逸らさず事実をそのまま語った。これ以上都合の良いことを言ったところで、後から騙されたと更にキレられるだけだろう。東館はフンッと顎をしゃくり上げるような仕草をしたが、
「警察の連中に期待するだけ、土台無駄なんだろうなあ」
と憎まれ口を叩き、そのままタバコを再び口元へ運んだ。
当然、事件への負い目は背負っているだろうが、自分の振る舞いに対する反省より、兄貴分への忠義を重んじる態度に、西田はさすがにやり切れなさを感じていた。ただ、そこにこだわっている場合ではない。
「東京に戻った後は、どうだったんだ? 兄貴分の件や東京に不在時の、組への言い訳も含め」
吉村は、東館がタバコを灰皿にねじ込んだ後を見計らって、空気を変える意味もあるのだろう、新たに尋ねた。心境的に、このタイミングで動いてくれたことには、西田は内心感謝していた。
「兄貴については、組長命だから、下っ端が「何やってたんすか?」程度で問題なかった。俺について言えば、組長や幹部から嫌味言われたぐらいだったかな……。何せ、組を辞めることは確定してたからよ。それからは俺が辞めるまで、何か問題があったなんてことはなかったと記憶してるぞ」
「つまり、組内部では、犯行はそのままスルーされたということだな?」
「そう考えてもらっていいんじゃねえかな。兄貴は、組長の上川には結果報告したらしいが、まあニュースになってるから意味ないよな。葵一家の方には、上川から報告が行ったんじゃないか? 兄貴には、上川はそれについては何も言わなかったみたいだが」
この際、大原は自分が殺ったと偽って報告していたことは間違いない。
「その件はわかった。それから、組を年末に抜けた後はどうした?」
「取り敢えず、故郷の宮古の病院に入院してた母親のところで看護ってことだ。1年ぐらいは宮古に居た。その後、仙台の国分町に、大槌の中学でワルやってた頃の後輩が店持ってたから、そいつの所で世話になって、4年目で独立したってところよ。商売自体は、そう上手く行っていたわけじゃねえけど、兄貴からの援助で、それなりの暮らしは出来てたってこった。以上で俺の話は終わりだ」
東館は、人仕事終わったという素振りを隠さなかった。それに対し、
「終わりって言っても、まだ聞くことはあるから、あくまで今日の終わりで、取り調べ自体は終わりじゃないんだからな!」
と、質問を続けていた吉村は念を押した。
「はいはい、了解しましたよ! それより兄貴を殺った奴、どう考えても葵が絡んでんだから何とかしてくれよな!」
東館は刑事達への叱咤激励のつもりだったのだろうが、再び凄んでみせた。
※※※※※※※
取り調べがひとまず終わり、これ以降の捜査について捜査会議が再び行われた。残念ながら、共立病院銃撃事件を、大原に直接指示したと見られる駿府組長の上川と大原は、既に爆殺されているため、そのルートでの事件解明は絶たれていた。また、鏡ルートは、既に数年前の捜査で事実上立件出来なかった。よって、暴力団ルートを通じて、大島へと結びつける事件解決方法は、相当難しいというのが現状だった。
しかしながら、幾つかの事実確認が出来れば、東館の証言を裏付けられる可能性があるので、北見ルートでも、直接大島へと結び付けられる余地はまだ残されていた。よって、会議では、確認すべき事実と捜査方針がまとめられた。
1)3人が潜伏していた大島海路事務所の4階に、拳銃の銃痕が2発分あったとの証言。現在でも残っていた場合、銃痕から銃弾の成分検出が出来れば、秘密の暴露を立証可能。並びに銃弾の成分分析結果から、実行に使われたものとの一致すれば、犯行の裏付けをより強める。
2)大島海路事務所の、おそらく秘書と思われる初老の男と、2名の青年の協力者の存在が発覚。特定の必要。2名は特に伊坂組か伊坂組関連会社の社員であった(ある)可能性が高い。
3)秘書並びに、青年2名が関与したと見られる犯罪内容について。北見共立病院銃撃事件における犯行関与の形態から、秘書と見られる男については、殺人の共同正犯、青年については殺人幇助での立件を目指す。いずれも犯人蔵匿罪については時効並びに、本来、各立件要件(殺人罪・殺人幇助)に吸収されるので考慮対象外。
4)また、2名によるものと見られる、窃盗(逃走車両調達のため車両盗)の時効が7年のため、現時点で立件が可能。身元不明の毛髪が、盗難逃走車両に鏡、東館以外にも残留しており、2名特定後、殺人幇助による逮捕時に、一致するか、身体検査令状を請求、許可後毛髪採取で要検査。
更に、2名の勾留日数を稼ぐため、自動車盗を盗難時点で殺人の逃走車両として使用されるという認識がなかったという前提で理論構築し、殺人幇助の一環としてではなく、別の窃盗事件として、取り敢えず立件することも視野に入れる。秘書については、盗品等関与罪の盗品等保管罪(盗難車両保管)に該当するが、こちらも時効で立件不能。
5)病院銃撃事件の前に多発した、北見・網走地方の建設会社銃撃事件に2名が関与している可能性もあり(こちらも銃刀法の中の拳銃等所持違反が最高10年以下の懲役のため、時効が7年で立件可)。殺人幇助で逮捕後に追及可能。
6)事務所から、東館等実行犯グループが移動した、温根湯温泉地区にある元伊坂組の研修施設の状況確認の必要性並びに、当時の伊坂組の管理部署の責任者に、何らかの事実関係を把握していた者がいる可能性あり。
7)また、2名が伊坂組か伊坂組関連会社の社員であった可能性が高いことから、伊坂組社長の伊坂政光の関与、つまり指示や命令が、2名の青年が関与した上記全ての犯罪含め疑われる。
以上
※※※※※※※
当然のことながら、大島海路事務所側の関与を科学的に裏付けるには、射撃訓練を事務所内でしていたという証拠を確保することが出来るかどうかが、最も重要な鍵になると見なされた。だが、7年という立ちふさがった時間の壁が、それにとって大きな問題となった。幸い、犯罪の大半は、ギリギリ7年という時効に間に合ったのが、最低限の運の良さだろうか。
「7年前の銃痕が、事務所の人間が銃痕と認識していなかったとしても、普通に改装なんかで補修やら改修されてたら、どうしようもないですね」
吉村が指摘すると、
「7年かあ……。微妙なところだな。貧乏人ならともかく、大島の事務所だからなあ。リフォームぐらいしてても、そりゃおかしくない」
と、日下も同調した。
「とにかく、事務所内部の状況が、一体どうなってるか探らないとお話にならんな。もし、銃痕が残っていたなら、すぐにでもガサ入れとなるが」
その小藪の意見に、三谷が異論を唱えた。
「確かに、早急にガサ入れしたいのは確かですが、3名、出来れば社長の伊坂政光の逮捕も同時にやらないと、色々と問題が出るんじゃないですか? 口裏合わせられても困りますし、何か証拠でも隠滅されたらたまりません。一気に始末しないと……。本音としちゃ、大島海路もやっておかないとならんのでしょうが、こればっかりは相当証拠積み上げないと無理ですからねえ……」
「色んなタイミングも考慮しないとならんよな……」
三谷の意見に、小藪は苦虫を噛み潰した表情をしながら、机を2、3度軽く拳で打ち付けた。
「いずれにしても、本丸に近づいてきた以上は、焦りは禁物です。しかし、いざとなれば大胆に行く必要があるでしょう。まずは、事前の裏取りをしっかりしたいところです。問題となるのは、佐田実の事件については時効が迫っているということで、こちらについては、ある程度気を付けておかないと」
西田も慎重な姿勢を崩さなかったと同時に、佐田実殺害事件の時効については気にしていた。
「狙いとしちゃ、秘書と見られる方については、病院銃撃事件の共同正犯としてストレートに行くしかなさそうですね。ただ、若い2名については、色々やりようがありそうです。建設会社銃撃については、現状は証拠を見つけることが難しいので、後回しですか……。逃走車の盗難の方ですが、これは殺人幇助で逮捕してから、身体検査令状取って毛髪を採取し、分析という方が証拠収集上も適当ですし、こちらも結果的には後回しですかねえ……。となると、やはり殺人幇助で最初からストレートに行くのがベストでしょうか? 結果的には、両者共に同じようなやり方になってしまいますね……。伊坂はどうしましょうか? 若い2人が、好き勝手に出来るわけもなさそうですから、教唆狙いですか? 或いは、正犯性を強調して共謀共同正犯扱いか……。実際そうだったんでしょうが、どちらにせよ、かなり際どい逮捕になりそうですよ、2人を取り調べして、関与の証言を得てからならともかく」
吉村は早口で立て続けに、所見を羅列して述べたが、
「そうだな。結果としては、秘書らしき方を本丸で逮捕して、若い連中の方は、その後も色々調べて、立件できれば再逮捕で長期勾留という算段か……。通例の別件(逮捕)とは逆のパターンだが仕方ない。伊坂についてはまあ……、今は考えたくないな」
と、三谷は同意しつつ苦笑した。




