名実26 {46・47合併}(105~106・107~109 東館自供開始2)
一方、取調室ではそのまま取り調べが続けられていた。
「それで、その兄貴から来た電話の内容を詳しく教えろ」
日下の言葉に、
「あんたも学習しねえな! そう焦んないでくれ! 記憶がはっきりしてるのもあれば、ぼやけてるのもあって、こっちも思い出し思い出しの状態で、何とか話してるんだからよぉ! つい最近のことじゃねえんだぞ! ちったあ、考える時間も与えてくれていいんじゃねえのか?」
と、急かされたことに腹を立てた。やはり、日下と遠賀なら、同じ急かしでも反応が違う。遠賀の方が、根本的な当たりが柔らかいせいだろう。しかし、自分が悪かったと思い直したか、すぐに話を続ける。
「兄貴はな……。確かその前の年、94年の年末になるのかな……、長年付き合ってた女……、俺より年がかなり下だから、姐さんって呼ぶこともなかったけどよ、その女とやっと籍入れたんだ。何せヤクザ稼業だから、なかなか結婚には踏みきれなかったが、さすがに孕んだことで、やっと踏ん切りがついたんだな。そして夏、そう、事件の年の夏に、娘が生まれた。娘だけは真っ当に育って欲しいってんで、しんじつと書いて真実って名前を付けてた。ヤクザでも子供が産まれりゃ、人並みに親心が芽生えるってもんだ。俺にはその経験はねえが、それでもなんとなくは分かる。かなり可愛がってたな……。だけどよ、皮肉なことに、人の親になった兄貴が、それから時間も置かずに、いよいよ人を殺す必要が生じたっていう、何とも酷え話だろ? 当然、兄貴もヤクザの幹部クラスだ。警察の世話になったことは数度あったが、さすがの殺しとなると、相当気が重いわけよ。まして、自分の可愛い娘が生まれたばかりとなると余計だよな……。それで、酔った勢いで、俺に北見からの電話してきて、それを愚痴っちまったってわけだ。本来なら絶対に口外しちゃいけねえんだが、相当参ってたんだろうなあ……」
そう言うと、口を真一文字に結んで目を閉じ、一度話を止めた。
しばらくの間、取調室は静寂に包まれた。だが、緊張感だけがより凝縮されたかのように、室内の空気も張り詰めていたのが、マジックミラー越しにも伝わった。そして軽く「うーんっ」と吐き出すように言うと、重たい空気をゆっくりと押し出すように、東館は喋りを再開した。、
「兄貴の話では、組長の上川から、『葵一家の瀧川から直々の命令だ。お前に頼むしか無い』って言われたそうだ。ウチの組はシャブはやるが、殺し関係は縁がねえ組だったから、兄貴もどうしてそんな話が来たか、当初は正直わからんかったようだ。俺も、兄貴からその話を聞いても、やっぱりわからんかった。だが、上川から兄貴が話を聞く内に、だからこそ、葵からすればそれが狙いだった気付いたらしい。察から足がつき辛いって意味で……。それに、駿府の方の忠誠心も見たかったんじゃないかと、兄貴や上川は思ったらしいな。ウチはシャブでかなり儲けていて、ぶっちゃけた話、葵の看板はそんなに必要なかったし、同時に、上納金の額の割に扱いが悪かった。葵の傘下になったのも、最近という程でもないが、かなり昔からって訳でもないんで、上納金の割に発言力がないわけよ。それで、以前からたまにトラブルめいた話もあったみたいだな。勿論、紫雲会も似たような感じだったらしいが、兄貴と一緒に鏡が指示を受けて、北見で一緒に居たとは、その時は俺も知らなかった」
ゆっくりと静かに喋る東館だったが、更に詳細を明かした話は、それと矛盾するような、生々しい中身だった。裏でじっと成り行きを見守っていた西田達もざわついていた。
「そうして色々と話してるウチに、兄貴が電話で突然泣き出してよ……。兄貴が泣くなんて、今まで見たことも聞いたこともなかったから、俺もびっくりしちまった。でも、逆に俺が兄貴に出来る最後の恩返しの機会が今じゃないかと、その時すぐに思い付いたわけよ。兄貴もさすがに俺が代わりになることを受け入れようとはしなかったが、最後は折れた。当然、どこかに助かったと言う思いはあったのかもしれないな……。言うまでもなく、俺はそれを責める資格もなければ、そのつもりもなかったけどよ……」
ここで、東館は明確に、自分が大原の代わりとして殺人を行ったことを示唆した。
「つまりお前が、命令を受けた大原の代わりに殺しをするってことか?」
日下は少々上ずった声で確認した。
「ああ、そう言ってるだろ? しつこいねあんたも……」
この時ばかりは、発言の中身と違い、東館は聞き取りづらい程小さな声でそれを認めた。
「東館が事件に関与することになったのは、あくまで予定外の出来事だったのか……」
横で呟いた吉村の言葉に西田は黙って頷いた。組抜けする予定の男が、直前に重大な任務に従事したこと(確かに、組み抜けの条件として、殺しをさせるという可能性もなくはないが、単なる暴力団同士の抗争の類を原因とするレベルの犯行ではなかったが故)に、違和感が捜査陣にはあったが、その後、更に出世した大原の代わりに事件に関与していたとなると、その周辺の疑問は全て解けたことになる。
葵一家は勿論、直属の駿府組自体もその事実を認識していなかったはずだ。だからこそ、逆に東館は、そのまますんなりと組を抜けられたのだろう。だが、その発覚以上に、その先の話に西田は気が行っていた。場合によっては、聴取している2人に具体的に指示を与える必要があるとも考えていたが、遠賀を信頼し、取り敢えずは我慢して見守ることにした。
「それで、そのことは組は知ってたのか?」
遠賀は西田達が既に察していたことを確認した。遠賀自身もわかっていたのかもしれないが、どちらにせよ、しっかり確認しておくこと自体は悪いわけではない。
「いや、当然一切知らん! 知ってたら、俺も抜けられてねえだろうよ。何しろ組長と仲の悪い奴が、そんなことをやったと知ったら、相手から見りゃ、弱み握られたという考えも成り立つからな。俺と兄貴、そして北見で会った鏡だけが、俺が『兄貴の代わりとして』加わったことを知っていたわけよ」
ここで、東館が、「兄貴の代わりとして」と、北見に東館が行ったことを知っていた人物を挙げる際、通常なら必要がないにもかかわらず、敢えて付け加えて説明した理由は、これから先にわかることになるが、誰もまだその意味に気付いておらず、そのまま流していた。そして、東館は更に喋り続ける。
「そもそも、これだけの話に、ヤクザに嫌気が差して組を抜ける人間が関わっていたなんて知られたら、葵の方から見ても大問題だろ? それに兄貴のメンツも丸つぶれだ。一方の鏡は、兄貴と以前一緒にシャブの取引で北朝鮮に渡ったことが何度かあったから、割とツーカーの仲だったらしい。そういうことが、あの2人の人選につながったのかもしれん……。おそらく兄貴が先で、鏡は後だと思うけどな……。まあ俺が見る限り、あんまりまともな男だとは思わなかったから、兄貴みたいなタイプと仲が良いのは、かなり意外だったのは確かだ。鏡もそれまで殺した経験はなかったらしいが、あんまり悪びれる素振りも、ビビってる様子も無かったぐらいだから。それより、成功したら幹部昇格ってことで浮かれてた様子すらあった。根っからの悪人だなあいつは」
そう言った後で、東館は、
「ああ、俺に言う資格なんてねえって話か? それはそうだな」
と1人で勝手に自嘲した。それに対し、聴取している2人は何も反応しなかった。そんなことよりも、真実を知ることに頭が行っていたのだろう。西田もまた同じだった。
ただ、西田としては、この証言から大きな疑問が湧いた。今回の紫雲会ビル爆破事件においては、紫雲会と駿府組の幹部が集まっていたところを、一気に始末する意図があったと見るべきだ。そしてその目的は、高垣の話も加味すると、葵一家への、江田組との接近に絡んだ裏切りに対する見せしめと、葵一家から殺害実行犯への中間指示役であった両組織を破壊して、実行犯が万が一ゲロしても(この時点では、東館が既に逮捕されている事実は漏れていなかったにせよ)、葵一家へと「遡れない」ようにしたと考えていた。
しかし、どうも東館の証言を真とする限り、葵一家は勿論、紫雲も駿府も、捕まった東館が実行犯になっていたとは気付いてすらいなかったようだ。だとすれば、中間指示役を消すというよりむしろ、幹部の中に駿府の実行犯(つまり大原)が居たとわかっていたか、或いは予想したかで、単純に実行犯ごと消そうとしたのではないか? そういう可能性が浮上したと言えた。
そしてそれは、真の実行犯である東館が、既に逮捕されていたことについては、葵一家は、その逮捕を知る知らない以前に、そもそも興味がなかったということになる(つまり爆破した側は、実行犯を大原と知って、或いは勘違いしていたか、名前こそわからないが、出世して、まだ駿府組に残っていたと勘違いしていたことになるので)。これは西田が不安視していた、「捜査情報漏れ」について、完全に否定する材料になるわけだから、その点は好材料と言えた。
「それで、組抜けしたその後も、たまに連絡とっていた兄貴の様子に大きな変化もなかったから、鏡からも、その話が漏れることはなかったみたいだな。そもそも、鏡自体が、兄貴の境遇を憐れに思ってたように、当時の俺から見ても感じた。紫雲から選ばれた鏡ですら、駿府の人選についてはおかしいと感じてたみたいだから。殺すには、そういう経験は2人ともなかったわけだし、それ以上に兄貴の当時の生活環境がな……」
東館は未だに納得できていないのか、クビを強く捻りながら嘆いた。
「とは言っても、当時の駿府に平気で殺せるようなタイプの組員も見当たらなかったから、信用度と言う消去法だったんだろうな……。上川が、俺ならともかく、兄貴に嫌がらせする意味もなかっただろうし、嫌いな奴に嫌がらせ込でやらせて裏切られたらもっとヤバイことになるし……。ああそうだ、それはそうとして、兄貴の様子に変化がなかったってのは、あくまで組内部での立場が悪くなったことはないって意味だからな。勿論昇格したし、組の中でも発言力は増したようだ。でも、俺との関係で言えば、一気に立場が逆転しちまった。こっちはそう思ってなくても、兄貴は俺に相当借りが出来たと感じていたようだ。特に何も要求してないのに、毎年俺に数百万の振り込みが兄貴からずっとあってよ……。正直、色々入り用だった時もあったから、本当に助かったんだが、兄貴としても、結果として別の重荷を背負ったのは間違いないだろうな……。鏡が殺されたって話も兄貴から連絡が来て知った。兄貴もその前から連絡が取れなかったんで心配してたらしいが……」
そう答えた東館は、再び涙をこらえるように鼻をすすった。
「しかし、恩義を受けた相手とは言え、殺人を代理するとなると、かなりの覚悟がいったんじゃないのか? お前もそういう経験はなかったわけで」
「勿論、一切のためらいが無かったなんてウソは言わんぞ! でもな……、俺はガキもカミさんも居ない独り身よ……。ろくでもねえ親父は既にあの世。お袋も死ぬ運命。兄弟は行方知れず……。正直、兄貴と違って、俺には将来的に守るべきものがなかったわけよ。だから恩を返すことを優先した。その後、兄貴がそのまま功績で出世したことは、俺にとっては喜びでもあった。ただ、兄貴としては、結果的にそれが、さっきも言ったが別の重荷になってたとは思う」
「でも、死にゆくおふくろさんのために組を辞めるつもりだったのが、殺しをやるんじゃ意味が無いだろ?」
度重なる日下の尋問に、
「それは否定しないぜ。俺もそれは考えた。でもな……、そっちはお袋が死ぬまでにバレなきゃなんとかなる。あの世に行く時に、気持ちよく逝ってもらえればそれでいいんだから。組辞めてお袋の元で看病するだけなら、それで良いんじゃないかって、自分に言い聞かせたもんだ。でもな、結果的には、やはり後悔しなかったかと言えば……、どうだろうな……、今更言ってもどうにもならないから、考えてもしゃあない」
と、力なく笑いながら返した。
日下はそれを聞いても、到底納得は出来ていないようだったが、東館としては、見かけの親孝行が出来れば、裏にある真実などどうでも良いと言うことだったのだろう。西田もそれを正しいと思えるはずもなかったが、同時に倫理を抜きにした理屈だけなら、何とか理解出来るかもしれないと言う思いでいた。
「そして、北見へ行くことにしたわけだな? 旅立った日付や交通機関を憶えてるか?」
遠賀が話をその先へと進めるように促すと、
「日付なら、翌日にはもう、女満別だったっけ? そこへの飛行機に羽田から乗ってたよ」
とすぐに答えた。
「翌日ってことは天皇賞の翌々日だな?」
「日付自体の記憶ははっきりしないが、流れからはそういうことになるはずだ。それで女満別からはタクシーに乗って、兄貴と待ち合わせた北見駅に着いた。もう夜だったから、駅の近くで飯を食って……。兄貴はほとんど食わなかったな。少し痩せて元気もなさそうだった。それから2人が潜伏してる所へ向かった。そこで鏡と会った」
「その場所はわかるか?」
そう遠賀に聞かれた東館は、一瞬だが詰まった。そして聴取している2人を睨みつけると、急に不敵な笑みを浮かべた。そして、
「この話をあんたらが信じるかどうか、俺にはわからないが、わかったところで、どうにかなるのかな」
と言い出した。
「いや、勝手に判断しないでいい! 信じるか信じないかはこっちが決めるから、そのまま話せ!」
日下はどちらかと言えば東館のペースから、自分達のペースに戻そうと試みたようだ。東館はそれを聞くと、やや馬鹿にしたような表情を浮かべ、
「じゃあ遠慮無く言わせてもらうわ! 俺と兄貴と鏡が、事件後までしばらく身を潜めていたのは、あの大島海路の事務所だ。葵一家と民友党の連中との絡みについては、あの頃の俺ですら、色々風の噂では聞いてたが、兄貴が上川から聞いた話と相まって、葵にこの殺しの話を持って来た大元は大島なんだと、この時初めてわかったわけよ。俺も、兄貴が大島の事務所へと、裏からとは言え、簡単に入って行こうとするのを見て、まさかとは思ったが、兄貴は『早く入るぞ』と普通に言うから、すぐに事態を飲み込んだ」
とサラッと言ってのけた。前置きが大げさだった割に、言い方は普通だったが、その中身は決して大げさな前振りに劣らないモノだった。
今までは、落ち着いて話を聞いていた横の三谷課長が、思わず西田の腕を力一杯に掴んで揺する程だった。西田もマジックミラーを覗き込むように東館に視線を集中させる。
「ちょ、ちょっと待て! それはホントに、ほ、本当なんだろうな!?」
遠賀もかなり驚いたか、口がよく回っていない。
「ああ、ホントだ! だからさっき言っただろ? 信じるかどうか疑問だってよ……」
それ見たことかと言わんばかりに、呆れたように視線を上へと向けた。だが、捜査陣は信じていないのではなく、まさに欲しい情報があまりにも呆気無く入ったが故に、そのような言動になったことを東館は気付いていないようだった。
とは言え、それは当然のことだ。こちらも、事件の背景にある大島の存在については、東館に尋問したことすらなかったからだ。それどころか、捜査員全体にも、直接的に大島の事件関与をはっきり示したことすらなかった。西田や吉村、三谷捜査一課長や小藪刑事部長などの一部の捜査員と首脳だけが、「最終標的」を直接的に把握しているに過ぎなかった。
無論、現実には、知らされていないはずの捜査員達も、そのことについては、何となく気付いていたのは、皆の中で暗黙の了解ではあった。だからこそ、遠賀係長も日下主任も、東館の発言で酷く動揺してしまったというわけだ。
西田は落ち着きを取り戻すと、
「ちょっと取り調べを一度中断するように、2人に行って来い!」
と吉村に命じた。吉村は何も言わず、ドアを勢いよく開けて出て行った。
※※※※※※※※※※※※※※
吉村に続いて入って来た遠賀係長と日下主任に対し、西田は、
「正式には認めてないし、2人にも敢えて明言してはいなかったが、ある程度知っているだろうと言う前提で言わせてもらう。銃撃事件の黒幕は大島海路だと、7年前の捜査本部でも、上のレベルでは推測はしていた。ただ、まさかこんな形でそれが出てくるとは、俺も夢にも思わなかったというのが本音だ。2人もおそらく、知らなかったから驚いたのではなく、俺と同じ心境だったんだろ?」
と確認した。
「仰る通りで、まさにある程度噂として認知はしてましたが、まさかこういう形で出てくるとは……。課長補佐同様びっくりしてます」
日下は直立不動のまま答えた。それを聞いた上で西田は、
「ちょっと申し訳ないが、ここに居る方面組と所轄の主任クラス以上の連中以外は、北見署の休憩室で待機していてもらえないか? 勿論、今のことは、絶対に口外しないでくれ。絶対にだ! スマンが頼むぞ!」
と伝えた。捜査陣のトップレベルでの打ち合わせが必要と感じたと同時に、情報漏えいを恐れたのだ。捜査情報が外に漏れた場合、折角の大島にダイレクトに繋がる「証拠」の類が消される可能性がある。この先の尋問内容によっては、「秘密の暴露」が東館の証言から出てくる可能性もあるので、そこに注意したのだ。
その後、その場に居なかった、北見署刑事課長の松浦と北見方面本部・刑事部長の小藪も呼んできて、マジックミラー越しの東館の様子を確認しながら、小声でこれからの方針について話し合う。
先程の裏取りに動いていた真田も戻ってきて、95年天皇賞秋の日付が10月29日で、サクラチトセオーが勝利したという証言と結果が一致していたことを報告した。
「先日の紫雲会の爆破事件のせいで、伝言ゲームを辿るのは元々難しかった上に、更に困難になったかと思ったが、直接、銃撃事件に大島側も絡んでいたとなると、一気に「大元」へと行き着いたと言うことになるんだよな?」
小藪が西田に問うと、
「単純に、大島海路の事務所がアジトだったというだけで、大島そのものの関与をどこまで立証出来るか、今は断定は出来ませんが、今まで考えていた中では、もっとも理想的な形で『本丸』が目の前に迫っているのも確か……、否、そう思いたいです」
と答えた。
「それにしても、この展開は到底予測出来なかったな……」
三谷課長も驚きをもって喋る。
「しかし、まだこの段階では、東館は裏付けられる話をしてないんだろ?」
小藪の疑問に、
「ええ。色々聞く前に一度整理しておく必要があると思って、こうしてますから。あくまで東館の証言だけです。ただ、これまでの取り調べ中に、こちらからは一度も大島の名前は出してませんので、ある程度信憑性は高いと見ています」
と、西田は返した。
「なるほど。必然性がない状況からの自白だからな。そういう点では確率上は高いと言えるか……。ただ、出来れば秘密の暴露が欲しい所だ」
腕組みしながら小藪は頷いた。
「あと、もう1つ、信憑性が高い理由があるんです」
「なんだ西田? ちゃんと説明してくれ!」
発言に三谷はすぐに食い付いた。西田はそう促されると、
「実は北見に赴任して以来、ウチの連中と共に当時の捜査状況について、色々再確認していたのは、ご存知かと思います。その中で、当時の銃撃事件発生直後からの、道路検問の状況や事件発生後から1週間程度の捜査中の資料を復習していて、ちょっと気になっていたことがあったんです」
と話し始めた。
「気になったこと?」
「三谷課長、そうです。検問は、市内の出入り口の道路をまず封鎖する形で、市内から外に出られないようにしてました。私と吉村は当時遠軽に居たんですが、遠軽の管轄区域の道路でも検問するぐらいで、発生直後に北見市外へ逃亡された可能性は、無いとは言いませんが、おそらくかなり低いわけです。そして、そこから更に市内へと捜査の網を小さくしていく形で行われました。これについては、考えられるセオリーの1つとして、基本的に問題がなかったと思います。同時に、その後で、事件現場近隣について、地取りと単身世帯が入るような、余り人目につかないような住宅やアパート、マンションを中心にローラー作戦と地取りを実行しています。しかしホシは見つかりませんでした」
「その点については、自分も把握してる。それで?」
小藪はすぐに続きを要求した。
「北見市の中心部の地図を確認しながら見ていると、気になる所がありました。大島海路の事務所です。北見共立病院はもちろん、ホシが最初の車を乗り捨てた所からも、距離自体はそんなにありませんでした。ひょっとしたら、そこにしばらく居て、警察の手が緩まるまで待っていたのではないかと、資料を見ながら、ふと考えたことがあったんです。正確には、そんなこともあり得るかな程度でしたが……」
「なるほど……。確かに、いくら上層部が大島の関与を疑ったにせよ、逃亡犯を直接大島の事務所に匿っているなどという発想の元に、ガサ入れなんかするのはかなり無茶があるからな。これは怠慢というよりは仕方ない次元の話だ」
三谷も西田の話を聞きながら、諦め気味の言い方をした。
「ええ。勿論自分も捜査ミスだとは思いません。しかし、その盲点を見事に突いてきたと言えます。そう考えると、東館の『事件前から潜伏していた』という発言に、かなり信憑性が出てくるのではないでしょうか? これが2つ目の根拠です」
西田は、方面本部刑事部トップの2人に語りかけるように説明した。
「わかった。問題は、これから先の取り調べ内容の1つ1つが、より大切になってくるということだな?」
「部長、まさにその通りだと思います。同時に、これから先の内容については、相当慎重な扱いをしていく必要があるでしょう。秘密の暴露であればあるほど、外部に知られてしまえば、事前に対処されてしまう可能性も高まります」
「そうなると、これからについては、捜査本部の中でも、限られた人間のみが関われるという状況にしておくべきなんだな?」
「はい、そう考えます」
西田は、小藪にそう返すと、先程までの声からすると、かなり力強く言い切った。
「取り敢えず、今日これから先については、取り調べは一度打ち切ろう。今日中に綿密に取り調べ内容を検討した上で、明日から本格的に再開するというのが無難だと思うが、どうだろうか?」
三谷の提案に、西田始め全員が同意した。そして吉村に指示し、一度首脳陣全体が集まり、これ以降の方針について説明すると同時に、箝口令を敷いた。そして、主要メンバーだけで、取り調べについての方針の会議を、残業する形で行った。
※※※※※※※
「大島の事務所は、4階建のちょっとしたビルみたいな建物ですから、そこのどこに潜伏していたのか、そこら辺の自白の内容も重要になりそうです。フロア面積もそこそこありますし、4階だけですね、1フロア1室となっているのは。カラオケなんかも出来る大部屋みたいです。支援者の懇親会や会合とかに使用しているようです」
吉村が急遽取り寄せた、警察内部の大島事務所に関する資料を見ながら発言した。
大島の事務所宛に、3年程前に政治的な理由と思われる、いたずらに近い脅迫があり、北見署の警備課が念のため警護したことがあって、その時に、事務所内部の大まかな情報を事務所側から提供されていた。それを利用しているのだ。
ところで、大島は海東匠の地盤を引き継いだので、本来は網走こそが地元中の地元ではある。だが、選挙区内の網走に近い北見の方が、人口規模が大きな市であり、伊坂組などの有力支援企業も多く、そういう理由で、事務所の規模としては、北見の事務所の方を遥かに大きくしていた。
網走の事務所は、古いままの2階建だったが、北見は17年ほど前に立て替えて4階建だった。置いている事務所職員も網走より多い。30年前から、既に網走から北見へと力の入れ方をシフトしていたらしい。それでも尚、一応は網走を地元として標榜はしているようではあるが、実質は、今や北見が地元と言って良かった。
「そうだな。中に入ったことがある人間じゃないと、到底わからない情報もあるだろう。いい着眼点だ」
小藪もこの意見に同意した。
「あとかなり気になることがあるなあ」
三谷が割って入った。
「銃撃事件は、鏡、東館、大原の3名の誰も拳銃関係の『前』はないし、殺しも当然経験がない。しかし、事件は一発勝負で決める必要がある。となると、色々とギャンブルが過ぎるミッションじゃないか? そこがどうも釈然としないままなんだよなあ」
「そこは、かなり重要な点だと自分も思います。事件と結び付き辛いと言う意味では、紫雲会も駿府も殺しには結びつき辛い組織の上に、更に実行犯も殺しとは結びつき辛いという、ある意味2重の罠が仕掛けられていたと考えて良いと思います。この点は、7年前の捜査の際にも、軽く問題になったはずです。東館も喋ってましたが、おそらく葵一家の考えでしょう。ただ、そのことは逆に言えば『慣れてない』実行犯を使うというリスクにもなるわけですから、一長一短がありました。そこをどう考えて、あるいは行動したのかは、きちんと東館に説明させる必要があります。場当たり的にやるのはちょっと想像がつかないですね」
西田も三谷の話に同調し広げた。
「後は、殺害に関与しなかった大原が、どういう役割を演じていたのか、ここも聞き出さないといけないでしょう。それから大原についての情報も、東京の担当所轄や本庁(警視庁)の組対から情報を得ておく必要がありますね。大原の家族にも聴取してもらう必要があるでしょう」
遠賀も遠慮がちに提案した。
「それにしても、事件発生前から、大島の事務所にホシが居たとはな……。全く太え野郎だな大島は」
日下は会議の方針が出尽くした辺りで悪態を吐いた。
「国会議員にこれやられたら、こっちも手を出せなかったのは仕方ない。ただ、まさかここまで露骨にやるとはな。東館の証言を聴くまでは信じられなかった」
小藪は、自分の席の横にあるホワイトボードを見つめたまま、鼻先をしつこくいじると大きく舌打ちした。
「でも、こうなってくるとあれですよね。今度のガス爆破も、葵一家からというより、それを更に飛び越えて、大島からの指示ってこともあり得るのかな?」
吉村の言葉に西田は、
「残念ながら、絶対に無いと言えないのが、これまでの捜査の結果だよな」
と唇を噛んだ。
※※※※※※※
7月17日水曜日午前。本格的に東館の7年前の事件関与への取り調べが始まった。10月31日の北見の大島海路事務所へと入った辺りからの細かい聴き取りだ。担当は昨日に引き続き日下と遠賀だったが、場合によっては、西田と吉村もすぐにバトンタッチ出来るような態勢は取っていた。
また大原についての情報も大まかに入ってきていた。前科3犯ではあるが、いわゆる凶悪犯絡みでの前(歴)はなかった。ヤクザとしての評判も良い方で、東館の言う通り、そこそこ人望はあったようだ。基本的に「おとなしめ」のヤクザであり、殺しに積極的に関与出来るようなタイプではないのは確実だった。
※※※※※※※
「余計な話をしてる時間はないから、いきなり本題に行くが、それでいいな? まず、兄貴分の大原と事務所に最初に向かった時、どういう風に入ったんだ? そして大島の事務所だと認識したのは何時だ?」
日下が口火を切った。しばらくは日下が追及に徹し、遠賀は何か問題があればサポートするという形を取る算段だ。
「大きな通りから路地みたいなところに入って、そこから駐車場を通り裏口みたいな所から建物に入った。大島の事務所だとわかったのは、あれだけデカイ看板出てりゃわかるって! 特にその後も、事務所に入り込んでた3人の誰もが、具体的に大島の事務所だとは口にしなかったが、わかりきってたってのもある。その日は、夜遅いせいもあったが、事務所は既に鏡以外誰も居なかった。そこの4階が、まるごと大部屋みたいな、かなり広い部屋になってたな。そこは俺たちが居た間は、事務所に居た偉い立場の人間、おそらく、ベテランの秘書? みたいな、50代くらいのおっさんだったと思うが、そいつ以外は、事務所に人が居る間は、誰も出入り出来ないようにしてたみたいだな」
「秘書? の名前は憶えてないんだな?」
すかさず日下が確認した。
「顔は憶えてるが、名前は敢えてあっちも教えてなかったと思う。そこは刑事ならわかるよな?」
東館の言いたいことは、余計な情報を与えないことが、発覚のリスクを低減させることになるという意味なのだろう。とは言っても、大島の事務所の人間であることはバレバレだったので、果たして何処まで意味があったのかはわからないが……。
そして言うまでもなく、大島の事務所に当時勤務していた人間のリストと写真を後で提示して、一体誰なのか確認する必要があった。また、これを聞いていた西田は、裏でほくそ笑んでいた。とっぱじめから、実際に行ったことがない人間でないとわからない、事務所内部の詳細な情報が出てきたからだ。この調子で最後まで行ければ、大島の事務所をガサ入れする端緒は掴める可能性が高くなる。
更に、東館が昨日の取り調べで、「大原の代わりに(殺しをやるため)参加していたのを知っていたのは」と、東館の参加を知っていた人物を挙げた際に、わざわざ注釈を付けたのは、東館が参加したこと自体は、この「秘書らしきおっさん」も当然知っていたためだと理解できた。ただ、東館が大原の「代打」をするために北見へとやって来たことは、その秘書らしき人物は知らなかったということなのだろう。
「その『おっさん』は、大原がお前を連れてきた時に、どういう紹介したんだ。お前が来ることは、突発的に決まったんだから、そいつは知らなかったわけだろ?」
「兄貴はおっさんに、『本来のうちの組のヒットマンが派遣されてくる。俺は本来のヒットマンが参加出来ないということで、代打として来ていたが、急にやれることになった』と、俺が来る当日に説明していたらしい。それまでは、当然兄貴をヒットマンだと思ってたんだろうが、それが兄貴によって否定された後も、おっさんの方も一々詮索するようなことはなかったみたいだな。何しろ、色々とお互いに知らない方が良いという前提で行動していたから、『相手がそう言ってるなら、そうなんだろう』程度で済ませていたみたいだ。こっちが口止めしなくても、俺が実行したなんて話は、その後も駿府には行ってなかったのは確かだから。あっちにしてみりゃ、頼んだことを実行してくれればどうでも良かったんだろうよ」
ここでも、リスク低減のための双方の「干渉を避ける」行動が、東館が大原の代わりに実行犯になり代わるという重大情報を、派遣元の駿府組や大元の葵一家に秘書?が伝えなかったことにたまたま寄与していたことになる。そして、秘書らしき人物は、東館が大原の代わりとして北見へと来たのではなく、本来のヒットマンが東館で、代打として、先に北見に来ていたのが大原と誤解していたのだろう。それこそが、前日に東館が、「俺と兄貴、そして北見で会った鏡だけが、俺が『兄貴の代わりとして』加わったことを知っていた」という表現につながったのだと西田は察した。
しかし、話はそれだけにとどまらない。その情報伝達がなかったことは、葵一家にとって、未だに実行犯が駿府の幹部である大原(もしくは、誰かはわからないが、駿府組にまだ残っている幹部)だと勘違いしていたという説を補強する。そうなると、見せしめと口封じを兼ねたと見られる今回の爆殺において、「仲介」役の口封じどころか、実行犯そのものの口封じも狙っていたと見ることは、より確実性を持ってきた。
既に鏡が死んでおり、大原が実行犯だと勘違いしていれば、仲介役としての両組織の幹部は勿論、実行犯もこの世から全員居なくなることになる。葵一家としては完璧な口封じが可能と見た節が出てくるのだ。
問題は、仮に実行犯が東館だと知っていたとしても、中間を遮断してしまうことで口封じは可能なため、東館逮捕の捜査情報が漏出していたことが、完全に否定出来ないことだが、おそらくその可能性はかなり低いと西田は踏んだ。
「話を聞く分には、北見から離れるまで、昼間は4階にほぼ潜んでたようだが、その間はどうしてた? それに、夜であったとしても、お前らみたいな風貌の連中が頻繁に出入りしてたら、周辺の住民から怪しまれかねない。そういう点はどうだ?」
「昼間はテレビ見てたり、週刊誌見たり、後は昼寝だな。結構な時間ゴロゴロしてた。トイレは4階にもあるから、まあ問題はなかった。さっきも言ったが、上の階にはおっさん以外誰も上がってこれないように、俺達が居た時はしていたようだ」
「見てたテレビの音は気にしなかったのか?」
「大部屋ってのは、おっさんが言ってた分には、どうも大島の支持者なんかを集めて色々会合やら開けるようなスペースだったみたいだが、カラオケ用に学校の音楽室、わかるよな? ああいう壁一面に穴みたいのがたくさん空いてて、しっかり防音出来るような部屋だ。それで、そんなに音を大きくしない限りは全く問題ないと、おっさんは太鼓判押してたよ。カラオケの音も、ほとんど下には漏れていないレベルって話だった。ただ、『だからといって、絶対カラオケはやるなよ。音は少しは漏れるから』としつこく言ってたな」
東館の言う通り、4階は防音設備が整った部屋だという情報が確かに入っており、この点も証言と一致していた。間違いなく東館は、大島海路の事務所4階のスペースに潜入していた裏付けが取れた。
「昼間の行動はわかった。それで夜はどうしてた? それから飯の件も教えてくれ」
「飯は、夜におっさんやら、他にも居た協力者やらが調達してきたもんを朝、昼、夜に分けて食ってた。たまに昼間、おっさんがバレないように差し入れしてくれたモンもあったが、基本は夜に入手してた。後、夜はその協力者の連中に、必要なものを買って来てもらってたから、外に出ることはほぼなかったぞ。あんたの言う通り、目立つから外に出ないようにしろとは、兄貴や鏡も指示されてたようだから」
「ちょ、ちょっと待て! 秘書らしきベテランの事務所の人間の件はともかく、その協力者ってのはどういう人間だ?」
さすがに、この言葉に食い付かない取り調べ担当は居ない。裏で様子を見ていた捜査首脳陣も、その件を固唾を呑んで見守っていた。
「さっきも言ったが、お互いのことを余り詮索しないようにするのが流儀だから、はっきり相手の素性を色々聞き出すようなことはやらなかった。だから、名前やらははっきりわからんし、正直覚えていない部分もある。その点は理解してくれよ」
「顔は憶えているのか?」
矢継ぎ早の日下の尋問に、
「ちょっとは落ち着いてくれや……。それは見たらわかるかもしれんが、その前に、そいつらの情報を聴きたいんじゃないのか?」
と、東館は苦笑いを浮かべて、脚を前に投げ出した。
「日下焦るんじゃない」
西田がマジックミラーの裏でそう呟いた瞬間、
「悪かった。あんたのペースで喋ってくれ」
と遠賀が上手く割って入った。自称「事情聴取が得意ではない」と言えども、やはり人生の経験値は日下より多分にある。宥めすかすように聴き手に徹することで、機嫌を損ねた東館を話しやすい状況に持っていってもらうしかない。




