名実25 {44・45合併}(99~101・102~104 沢井からのお中元・東館自供開始)
すみません。作中にも注意書きしておきましたが、半角カタカナは自動的に全角カタカナに変換されるのが、このサイトの仕様のようで、こちらの意図が思うように表現出来ていないようです。文中の「メム」のムは、あくまで、小さい「ム」を狙っていますので、脳内で変換ください。
月も変わり、東館の10日間の勾留については、既に延長が認められていた。ただ、結局のところ、車両の盗難については立件しないまま、釈放直後に、今度は現場音声での声紋分析を理由に、殺人容疑で再逮捕していた。
車両窃盗での立件を見送ったのは、東館自身はそれほど強く否定はしていなかったものの、その可能性が高くはない(つまり、知らない土地で窃盗をした場合、『大仕事』の前に、盗難自体で捕まる危険性があり、その場合には、本末転倒になってしまうため、それは別人にやらせたという考え)ことがまずあった。それで立件した上で、もし無罪になるような場合、肝心の殺人での公判に影響が出る可能性を多少考慮したわけだ。基本的には、北村のテープに残っていた音声からの声紋分析は、かなりの重要な証拠であり、状況証拠と言えども、決め手になり得るものではあったが、最善を尽くすと言う考えだった。
殺人での勾留が始まってからも、東館は何とかのらりくらりと、追撃をかわし続けていた。暦上は本格的に夏になる中、夏とは思えない異様な涼しさと普通の夏の暑さが交互にやってくる天候も併せ、かなりイライラが募る西田達であった。
さて、そんな西田と吉村の元に、7月17日水曜日の昼休み中、退職している、遠軽署時代の上司である沢井・元課長からのお中元が、北見方面本部に直接届いていた。
沢井は、西田と吉村が北見で一緒に、過去の事件を洗っていることは知ってはいたが、現状2人がどういう状況にあるかまでは把握しているはずもないので、このような脳天気な贈り物をしてきたのかもしれない。当然その心遣いを悪く取る必要もなく、2人はありがたく、小包を受領した女性職員から受け取った。
「なんだこりゃ? 菓子か? やけに数が多いな」
西田は、小包を開けて、その量にまず驚いた。
「沢井さんが今住んでいる、芽室(町)の名物みたいだけど(作者注・以前2度、沢井の故郷が芽室町であることは言及済み)……」
「みたいですねえ。めーぷるもなか(作者注・実在の芽室町の菓子メーカーのお菓子)? メープルシロップでも入ってるのかな?」
甘いもの、否、食べられるモノなら何にでも目がない吉村が、包装紙を破って開けた箱から中身を取り出すと、如何にも「不審物」でも見るような視線を、1つずつ包まれているらしい菓子の小袋へと向けていた。
「芽室町の観光物産協会の推奨品のシールが付いてるから、それなりに美味いモンじゃないか?」
そう言いつつ、西田は紙の袋を破ると、中から楓の葉の形をしたモナカらしきものが現れた。
「なるほど。モナカの形がメープルってことだな……」
そう言いつつ、小包の中で、菓子箱の下の方に入っていた沢井課長からの封を切って、中の便箋を見ると、色々ともっともらしい激励と、自身の近況が書かれていた後、更に同僚にも渡すように記述されていた。
「あ、数が多いのはそういうことか」
西田は早速部下達にも勧めた。大の大人連中、しかも無骨な刑事達ではあるが、捜査の進展がないことで疲れきっていたところに、甘味は多少疲労を回復させるのに役立つだろう。
「ほう……。結構美味いですね、これ」
特に、連日の取り調べで疲れているはずの日下が舌鼓を打った。
「箱の中に入っていた説明のリーフレット(しおり)を見ると、本場十勝の小豆に、本場十勝のビートから出来た砂糖を使ってるみたいだぞ。どっちも芽室産らしいから、まさに芽室の特産品だなこりゃ……。この手の土産にしては珍しい、本当の意味での土産だ」
西田は頷きながら、モナカをゆっくりと味わっていた。
「土産なんて、売ってる所と作ってる所が全く別なんてのがよくありますから、こりゃなかなかいいですね。あの沢井課長にしたら、上出来の選択ですよ」
沢井課長も、吉村にそんな言い方をされたくはないだろうが、ここに居ない以上はなんでもありなのは確かだ。その一方、西田は同じ紙の中に記されていた、ある部分が気になっていた。
「武隈! これわかるか?」
西田は、部屋の端の方に居た例の北大卒の若手刑事、武隈に声を掛けた。
「何でしょう、西田課長補佐!」
さっと、西田の前に巨体を揺らして武隈がやってきた。
「ちょっと悪いが、これ何て読むんだ?」
西田が指した箇所は、「めーぷるもなか」の説明が書かれたリーフレットの中の、芽室町の町名の由来の説明が記載された部分だった。
※※※※※※※
芽室町は、十勝の大規模畑作とゲートボールの発祥の地として知られる町です。町名は、アイヌ語の「メム ・オロ」から取って名付けられました。メム (作者注・この作品上、ム は本来は小文字のムです。アイヌ語の発音をカタカナで表記する際の独特のもので、一般的なカナ表記ではありません。参照https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E8%AA%9E%E4%BB%AE%E5%90%8D。このサイト上、そのような表記が出来ず、また半角カタカナでも全角変換されてしまいますので、諦めてそのまま全角カタカナの「ム」としていますが、本来はそういうものとご理解ください)とは「水の湧き出る所」の意味であり、オロとは「川」のことで、要約すると、「源泉から流れている川」と言う意味になります。近年は、近隣の帯広市のベッドタウンとしても発展しています。その芽室町で取れた最高級の小豆と、芽室町で取れた甜菜を芽室町で加工製造した上白糖で出来たのが、このめーぷるもなか……
※※※※※※※
「これに何か疑問があるんでしょうか?」
武隈は、リーフレットを読んだ上で、頭を掻きながら、如何にも理解不能という表情で西田に問い返すと、
「いや、これの「メム」の部分なんだが、なんか普通のムよりも小さい文字表記だろ? 何か意味があるのかと思ってな」
と更に尋ねた。
「いやあ……、僕に聞かれましても……」
更に困ったような表情をした武隈に、
「おまえの妹が、アイヌ関係を翔洋大学だか、そこの大学院だかで専攻してるとか言ってなかったっけ?」
と確認すると、
「ああ……。ええ。……確かに妹はそうですが、僕はアイヌの文化には、一切の造詣がないんで……」
とバツが悪そうに口ごもった。
「そうなんだ……。おまえんところは、家族まるごと歴史とかに興味があるって言うんで、アイヌ関係の知識も持ってるのかと思っちまってな……。そいつは悪かったな」
西田は武隈の肩を軽く叩くと、
「そういうことなら、戻っていいよ。悪かった」
と付け加えた。
「お役に立てずスイマセン」
武隈はそう言いながら、大きな背中を丸めて戻って行った。
西田はその姿を見ながら、
「いやいや。こんなことで時間潰してる場合じゃなかったよな」
と自分を戒めるように喋ると、一気にモナカを口の中に頬張り、午後からの東館の聴取へと気持ちを向けていた。
※※※※※※※
日付は、東館を殺人容疑で再逮捕した後の、最初の勾留期間中の7月16日になっていた。この間、紫雲会のガス爆破事件で意識不明だった駿府組の幹部が死亡し、行方不明だった紫雲会の幹部も、DNAが発見された人体の一部と一致し、科学的にも明確に死亡が確認されていた(それ以前から死亡は確定扱いだったが)ので、つまり、あの場に集結していた16名の幹部全員が死んだということになる。平の構成員が重要な情報を持っていることはまずないので、共立病院銃撃事件についての完璧な口封じが成立したことになる。
この日の午前中の捜査会議で、ガス爆破事件も念頭に置き、東館の最初の勾留期間終了後の勾留延長において、どうやって東館から「組からの暗殺指令の事実」を引き出せるかを討議していたが、正直打つ手はもう無いのではないかというのが現実の所だった。
ただ、会議の終盤、北見署の担当刑事で、西田と遠軽署で絡んだことのある宮部が、突然発言許可を求めた。平で若手という立場でありながら、発言を求めたので、出席者からの注目を集めたのは当然のことだった。
「すみません! ちょっとよろしいでしょうか?」
事件主任官の三谷捜査一課長は、多少戸惑った風だったが発言を許可した。
「それでは、ちょっと……」
そう前置くと喋り始めた。
「経験も浅い自分が、このように口出しするのは場違いだとはわかっていますが、どうなんでしょうか? どっちにしろ最終目的である、紫雲会、駿府組とそれに連なる葵一家の関与……、まあ私にはわからないレベルですが、どうもそれより上も更に狙っておられるという話を聞きます。そうなってくると、このまま爆破事件を東館に黙っている意味というものが、自分には感じられないんです」
この宮部の発言に、他の刑事は「おいおい」と言う、ため息ともどよめきとも付かない「くぐもった声」で反応した。つまりセオリーからすれば、元居た組織がほぼ壊滅状態になったと知れば、犯罪の立件において、指示系統の立証が出来なくなるため、東館にとって多少は有利な状況となり、取り調べに応じないモチベーションを高めるという恐れがあるからだ。
また、おそらく東館自体の死刑は免れないが、自身が葵一家とも、所属組織(駿府組)とは別に、何か直接的関係が構築されていた場合には、駿府組からの指示命令系統が辿れなくなると、東館が黙っていることは、大元と見られる葵一家にも相当のメリットがあるはずだ。
つまり東館としては黙っていることで、彼に関係する他の誰かが、代わりに葵一家から利益供与を得られる可能性もあった。だから、爆破事件については、東館にとって更なる「黙秘のモチベーション」とならないよう、一切伝えないというのが、基本線だったわけだ。しかし宮部はその雰囲気に負けずに続けた。
「確かに、常識的には伝えない方が良いのかもしれませんが、もう東館自身は逃げられないことを、先日の西田課長補佐と吉村主任からの『最後通告』で理解してるはずです」
宮部としては最後通牒と言いたかったのかもしれないが、まあそれはそれとして、それが指しているのは、北村の録音音声の件と声紋の件だろう。
「それは宮部の言う通りかもしれないが、しかし、だからと言って、駿府組の幹部が死んだことを伝えて得られるメリットってのが、正直思い浮かばないぞ!」
「松浦課長の言う通りだ。慎重さが足りん!」
直属の上司である、北見署の一課長である松浦に続き、手越管理官も苦言を呈したが、若い刑事は怯まなかった。
「実際メリットというモノがあるかは疑問です。それは認めます。しかし逆に言えば、デメリットがあるんでしょうか? 東館は既に逃げようがない状況に追い込まれているにも関わらず、全く何も喋ろうとはしていません。この状況はこのまま改善する見込みがないわけですよね?」
宮部はそう言うと、会議室全体をしかと見回した。
事件副主任官でもある西田は、この時の宮部に7年前の竹下の姿を見出していた。いや、竹下ほど理論武装しているわけではなかったが、流れに反しても自分の主張を貫こうとする宮部に、そのイメージが重なったのだ。
遠軽署で、これまた7年前に骨董屋の件で一度絡んだ時の宮部には、単なる好青年であって、ここまでタフなイメージはなかったが……。思わず西田は助け舟を出していた。
「宮部! もし東館に駿府の幹部が全員死んだと伝えた場合に、東館が意志を翻すとすれば、どういう理由が考えられる?」
「副主任官! もし東館が駿府組に恩義を感じていればですが、葵一家による爆破と見られるだけに、7年前に葵一家からの指示があったことをこちらに暴露するのではないでしょうか?」
「なるほど。ただ、組抜けするような奴が恩義を感じているとは考えにくいことと、仮に恩義を感じていたところで、東館自身が、大元が葵一家からの指示だと知っていたかどうか……。実行犯とは言え、こういう事案であれば、末端まで詳細な情報を絶対に明かしているとは限らんわけだから。そして知っていたとしても、それを駿府組の幹部という、おそらく仲介役だった人間の証言を抜きに証明する術を、奴が持っているとも思えない。幹部連中が全員死んじまったってことも考えないといけない!」
そのような西田の反論に、理論武装が甘かった宮部は黙ってしまった。しかし、西田は三谷の方へ向き直ると、
「宮部の言うことは、確かに詰めが甘いわけですが、しかし、これ以上事態が好転することも無いだろうという部分は、残念ながら間違いなく事実だと思います。相手は組抜けしているとは言え、素人じゃないですから……。これから先、このままで事態が好転するというのも、かなり楽観的過ぎるのは確かでしょう。であるなら、何か取り調べの前提を変えてみるという方法も、完全な悪手とまでは言い難いのではないかと?」
と訴えた。
「しかしだな、完全に先へ進む道を断たれる可能性だってあるんだぞ?」
三谷は、厳しい顔付きで西田を凝視した。
「それはそうですが、自分から見ても、東館は、自分の犯行関与についてまで、裁判上否定出来るとは考えていないでしょう。というより、まともな判断力があれば、あの会話の録音を突きつけられ、声紋の一致を突きつけられれば、その点は確実に諦めざるを得ないはずです。であるならば、これ以上悪くなりようがないとも言えます」
「うーん、どうすりゃいいかな!」
西田の意見を聞いて、最後は苛立ち紛れという感じで語尾を強めた三谷だったが、小藪刑事部長に助けを求める様に視線を送った。
それを受けた小藪は、
「わかった。この件については、一番関わっている西田の判断に任せる。少なくとも東館の立件そのものは既に問題ないレベルなのは確かだ。捜査本部として、最低限の成果は出せる状態だから、後は好きにしろ!」
と言い切った。積極的な応援というより、東館さえ立件出来れば体面は保たれるという、ある種の責任放棄に近いようなものを西田は感じたが、真正面の許可に変わりはない。
「じゃあ、そういうことで、思い切って東館にガス爆破事件について打ち明けて反応を見たいと思います」
西田はそうきっぱり宣言すると、会議は終了した。
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会議が終わると、宮部が西田の元へ駆け寄ってきて、
「スイマセン、出すぎた真似をしました」
と頭を下げた。
「ちょっとした思いつきで軽く言うべき話じゃないな」
と西田は苦言を呈す一方、
「だが、何か動かないといけないタイミングに来ていたのかもしれない。俺もわかってはいたが、そう簡単に動く度胸に欠けていた。そういう意味じゃ、宮部に背中を押されたことは良かったよ」
と語った。
「そう言ってもらえると助かります!」
若手刑事は一転して笑顔になったが、
「事態が好転したわけでもなんでもないんだ。まだそういう顔をしていいわけじゃない」
と、やんわり西田は諭し、「さあ行け」とばかりに尻を軽く叩いた。
その後、西田は遠賀係長と日下、吉村の両主任を手招きし、小会議を始めた。
「東館の取り調べの件だけど、爆破事件のことを奴に伝えるのは、遠賀係長と日下に頼みたいと思う」
「え、俺でいいんですか、課長補佐?」
日下がびっくりしたように聞き返してきた。
「いや、言った通り2人にやってもらいたい」
「日下はともかく、課長補佐がこの方針を決定したわけですし、ご自分で直接聴取されたいんじゃないですか? それに私はそもそも資格がないように思いますが?」
遠賀が伺いを立てるように西田を見て言ったが、
「全然問題無いですね。よろしくお願いします。たまには遠賀係長の聴取も見たいんで」
と迷いもなく指示した。2人としては喜ぶというよりは、渋々という感じで受け入れたが、特に遠賀について言えば、西田の真意を計りかねているようにも見えた。
会議室から出た後、吉村が西田に、
「いいんですか、これで?」
とヒソヒソと話し掛けてきた。
「いいんだよ! 大事な場面ではあるが、何でもかんでも俺達で済ませるという訳にはいかない。チームでやってんだから」
と返すと、
「それは全然構わないんですが、この方針は課長補佐が決めたわけですから、あっちとしてもやりにくいというか、聴取が上手く行かなかった時に気まずいんじゃないかと思ってるんですよ」
と、自身が考えていることを説明した。
「極論すれば、誰が聴いた所で、言うつもりがあるなら言うだろうし、言わないなら言わないだろうよ。勝算なんて最初からないんだ」
西田のそれが投げやりな回答に思えたのだろう、
「どうも納得できないな……」
吉村は、不満気に2度3度と西田をチラ見したが、それ以上は何も言わなかった。
ただ、西田としては、今回取り調べに直接は関与していなかった遠賀を聴取に使おうとした理由が、全く無いわけではなかった。温厚で実直な遠賀の人と「なり」が、もし爆破事件を知って、東館に心境の変化が生じた場合には、心情を吐露させる方向に上手く繋がるのではないかという、一抹の期待を持っていたからだった。勿論、それはあくまで僅かな希望でしかなかったが……。
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午後から始まった取り調べでは、ガス爆破事故の顛末について、該当の新聞記事と警察の資料を東館に読ませることから始まった。いきなり新聞記事を読めと言われて、面倒臭そうな態度を隠さなかった東館だったが、じっくりと読み進め、遠賀や日下から詳しい捜査情報を聞く内に、明らかに動揺した様子を見せ始めた。
ただ、葵一家と紫雲会・駿府組の両組織の間にあった裏切りを理由にした「見せしめ」説については、敢えて東館には語らなかった。東館には関係ないということもあったが、「口封じ」を中心に据えた方が、東館の心情を動かしやすくなるという打算もあった。
この様子を裏で監視していた西田や吉村は勿論、上司の小藪や三谷も固唾を呑んで状況を見守る。そんな中遠賀は、
「今まで黙っていて悪かったが、捜査上仕方なかったんだ。スマンな」
と語りかけると、東館はうっすらと目に涙を浮かべ、天を仰いだ。そして目を閉じたまましばらく黙っていたが、
「本当に、葵が口封じにやったんだな?」
と念を押した。日下が、
「昔世話になった連中が、こういう形で亡くなったとなると、お前でも辛いんだな」
と言うと、突然東館は拳を机に叩きつけ、
「あんたは黙っててくれ!」
と涙声で怒鳴った。
今までは、どちらかと言えば、捜査陣の追及をかわすような態度だったが、明らかに真正面からぶつかってきた。それを見た遠賀が、
「何が悲しいのかは、こっちにははっきりとはわからんが、どうだ? 一体何があったか、胸の内をはっきりさせたらどうだ?」
と言うと、
「申し訳ないが、ちょっと考えさせてくれ……」
とだけ絞りだすように言うと、静かに目を閉じた。
その後、遠賀が取調室を出て、裏の西田達の控室に入ってくると、
「どうでしょう、一旦取り調べは中断しては?」
と言ってきた。小藪も三谷も、
「それは、勿体無さ過ぎじゃないか? この状態なら、ガンガン押した方が崩せるかもしれない」
と遠賀の提案に否定的だったが、西田としても迷いが生じた。
セオリー通りなら、冷静にさせるよりは、不安定な状況を利用して、対象をゲロさせる方向に持っていくべきかもしれないだろう。しかし、遠賀に取り調べを頼んだ意図を考えれば、一定の信頼関係を構築させた方が、「先の先」の為には良いかもしれない。苦渋の決断を迫られた西田は、
「わかりました。一度中断しましょう」
と遠賀の提案に乗った。
これには、小藪も三谷も、先程と違ってかなり厳しい口調で、
「それで本当に良いのか?」
と確認してきた。それでも西田は、
「『考えさせてくれ』の意味が何なのかは、今はよくわかりませんが、日下のその後の発言に対する態度と、遠賀係長の発言に対する態度を見る限り、係長が奴の願いを受け入れれば、多少軟化するかもしれません。日下の発言へのキレ方を見ると、一度時間を置いた方が、むしろチャンスがあるかもしれない」
と説得しようとした。それに対し、
「このチャンスをみすみす逃すことになったら、西田、お前にケツ拭いてもらうぞ!」
と、小藪は静かだが睨みつけるように言って、そのまま控室を出た。三谷は三谷で、
「どうなんだろうなこのやり方は……」
と溜息を吐きながら、マジックミラーの向こうの東館を見ていた。
「とにかく、一度休憩ということで」
西田は、何とも居心地の悪そうな遠賀にそう言うと、取調室へと戻した。この時、自分の決断については、正直それ程正しいとは思っていなかった西田は、この決定を既に若干後悔していた。それでも尚、遠賀の持つ実直さが、西田に否定的なことを言わせなかったのだとすれば、西田自身の人間としての「負け」で仕方ないと、後悔の後に改めて腹をくくることに決めた。
※※※※※※※
2時間ほど休憩した後、再び取調室に現れた東館は、先程よりさっぱりしたように、マジックミラー越しではあったが西田には感じられた。吉村も、
「さっきと様子が違うな……」
と横でボソッと呟いた。
「どうだ、気持ちの整理が付いたか? 付いたなら、思いの丈を喋って欲しい」
遠賀がゆっくりと促す。ここに至っても、相変わらず相手の自由意志で聞き出そうとする遠賀だったが、これについては、西田も賛同の下だ。まさに遠賀を採用した意義も出てくる。まず、張り詰めた気持ちを緩めてやることが、先に繋がるのならばその方が良い。もしそこで終わってしまうならそれまでだ。
「あんたにゆっくり考える時間をもらって、気持ちがかなり落ち着いたよ。まあサンキューってところだ」
東館は重くはあったが、口を開くと駿府組との関係をゆっくりと話し始めた。
※※※※※※※
「俺が駿府組に入ったのは、故郷の大槌を追い出されるように16で出て、上京してから1年後の17だったか……。燻ってた俺が、土方のアルバイトをしていた先が、駿府組傘下の建設業者だった関係でな……。そこの奴らと喧嘩になって、4人相手に勝ったことで、まあ言っちゃなんだが、一種のスカウトみたいなもんだった……」
そう言うと、東館は少し笑みを浮かべた。
「スカウトか。それなら期待の若手としての採用だったんだな?」
日下が感想を口にすると、
「否、それがな、予定ではそうなっておかしくなかったのかもしれないが、そうも行かなかった」
と舌打ちした。
「どうして?」
遠賀が尋ねると、
「元々喧嘩になった理由もそうだが、組内部で、俺の岩手訛りが馬鹿にされるようなところがあった。ただ、俺が入った直後の佐竹組長は、元々が山形の出だったから、そんな俺を可愛がってくれたところもあったし、表向きは、組内部では馬鹿にされるようなことは、それほどなかった。まあ、俺もなるべく訛りを取ろうと努力もしたし、ある程度まではな……。たまに興奮した時に訛りが出る時があって、音声にも残ってだろ? 『アベ』って奴が。あれは岩手じゃ『行こう』って意味なんだわ」
そう言うと、証拠を残した後悔だろうか、大きくため息を吐いた。
ただ、それほど間を置かず話を再開し、
「それでだ、その後世話になった佐竹組長が亡くなった……、何時だったか……。そうだ確か84年ぐらいだったかな。代替わりしたのが、出自が旗本だとか何とかで、昔からの江戸っ子を吹聴するような上川って奴で、爆発事件で死んだ今の組長になってから、田舎出身の俺に何かと当たるようになってな……。大体、先祖が旗本だろうがなんだろうが、今ヤクザじゃ意味ねえだろうによ!」
と吐き捨てた。その言葉に、遠賀も日下も思わず、場に合わない笑い声を漏らしたが、東館もそれを見て表情を心なしか緩めたようだった。
「でもな、そんな中でも、大原って言う、俺より2つ上の兄貴分が居たんだが、その人は佐竹組長同様、弟分として以上に俺を可愛がってくれてな……。俺の境遇を知って、似たような自分の境遇を重ねていたのか……。その大原の兄貴は、名前がフミオ、文章の文に夫のおって言うんで、若手からはブンの兄貴って呼ばれてたんだが、兄貴には、当時本当に世話になったもんだ。そして2人で泣き、笑い、同じ時代を生き抜いた戦友みたいなところもあった」
そこまで言うと、急に思い出して泣けてきたのか、涙を拭い鼻をすすった。遠賀が差し出したティッシュを受け取ると軽く頭を下げて、ズルルっと鼻をかんだ。昨日までの東館とは結びつかない態度に、裏に居た西田達も、核心に迫る自供が出ると確信していた。
「それにヤクザとして喧嘩も強いが、情に厚いので、縄張じゃ堅気からの信用も厚かった。そいつらからもブンさんって呼ばれてた。当然、組の中で出世もして、若くして幹部になってた。俺が辞める頃には、顧問から本部長に昇格したはずだ。さすがのクズの上川から見ても、兄貴はかなり信頼出来る存在として、かなり重用していたんだよ」
そう言った後、東館は目線を下にして沈黙した。
それにしても、人望があるはずのヤクザが、シャブのシノギに加担しているという矛盾はあったが、ドラマのように薬物に手を出さない、潔癖なヤクザなど、実際にはこの世にほとんど存在しないことは自明だ。東館の話は、純粋な堅気から見れば、本質的にはおかしい話だが、相手がヤクザ出身である以上、その点を咎めたところで、今更意味は無かろう。
一方、この間に取り調べに直に当たっている2人は、改めて爆発事故の警察資料に目を通していた。当然、裏に居る西田達もそれらに目を通し、駿府組の死亡者の中に、「舎弟頭・大原 文夫」の名を発見していた。遠賀は資料から目を上げ、東館の様子を見て、
「その大原が何か事件に関わっているんだな?」
と口を挟むと、東館は視線を一瞬上げ、再び俯きながら口を開いた。
「ヤクザにとって、組長から信頼されるということは、良いことばかりじゃない。当然、世の中に知られちゃ困るような、裏の仕事を請け負うということもある。勿論、鉄砲玉的な扱いじゃ済まされない次元……。それは極限られた場合だが」
「それが銃撃事件のことなんだな?」
日下は鋭い口調で詰問した。
「ああそういうことだ……。勿論俺には、その情報は直接入ってなかったが、兄貴から後で聞いた話では、葵一家の首領の瀧川から、直々《じきじき》の指示が上川に来ていたらしい。駿府とも懇意にしている紫雲会との協力で、北見で入院している、ある爺さんを殺す計画だったそうだ……。否、だったと言うべきか。ただ、その計画は、その時点で決行が実際に行われるのか、そしてやるなら何時か、はっきりしなかったってことだな」
ついに核心的な自供が、東館の口から語られ始めようとしていた。
裏で聞いていた西田は、「はっきりしない計画」の意味を悟っていた。松島は死期を悟り、自分の甥の建設会社への大島の扱いからして、これ以上大島に義理立てしても仕方ないと考えていたようだし、大島もまた、近い将来に公共事業の削減が予測された中で、松島側を切る覚悟があった(作者注・修正版・明暗36記載)。そして、松島の裏切りも予期していたし、最終的には、松島自身がそう長くないことも把握していた。
更に、その特殊な状況が、病院理事長・浜名をおそらく利用したであろう、状況把握のための盗聴をもたらし、周到に「実行時期」を探ることにつながった。そこから得た情報で、警察に上申書を提出する考えがあることを知った大島側が、自然死を待てずに、用意していた鏡や、ここまでの東館の発言を推測する限り、おそらく本来は大原だったはずのヒットマン2人に、最終的にはゴーサインを出した。そういうことだと認識していた。しかし、その通りだとしても、ここから東館がどうやって事件と絡んでくるのかは、まだはっきりはしていなかった。
一方、東館がこれまで完黙し、ここに来て突然自白し始めた理由は、組そのものへの恩義ではなく、亡くなった大原文夫という、兄貴分のヤクザ個人に対しての恩義からなのだとも理解した。もし、駿府組と大原が健在であれば、東館が自白することは、最後には大原のその後の出世が、実際には直接殺害に加担していなかった(残されたテープの音声や目撃情報から見れば、実行犯は2人であった以上、それが死んだ鏡と東館の2人だったことは明らかなため)という、「ウソで成立した」ということがバレることに繋がる。それは避けたかったはずだ。東館は、この時点では、そこまで具体的に証言していたわけではなかったが、常識的に考えれば、そういう線が濃厚になるだろう。
無論それだけでは済まないはずだった。組内部は勿論、ヤクザ社会でも問題になってしまうだろう。体面を重んじるあの業界であれば、このことは、ヤクザとして生きる人間にとって、ほぼ死刑宣告に値するに違いない。東館としては、葵一家や駿府組がどうだということよりもまず、大原のことを気にして、鏡が既に死んでいる以上、事件を自分だけの問題として黙っておこうとしたということだったはずだ。
しかし、葵一家の報復と口封じの動きに、大原が巻き込まれ殺害されたことが、結果として、どうも東館の心を開き、突き動かすこととなったのは、実に皮肉なことだった。何の関係もないはずの、「遠く」の外交や政治の動きが、図らずも事件の真相を炙り出すことに関与したのだ。
言うまでもなく、はっきりしていない点については、聴取している2人も追及した。
「話を聴いている限り、ここまでは、お前が実行犯になった経緯がはっきりしないから、そこをちゃんと説明してくれないか」
日下が言うと、
「まあそう焦んなよ。焦る何とかは貰いが少ねえって言うだろ?」
挑発的な言動だったが、この期に及んで注意しても意味が無い。そのまま受け流す。
「わかったわかった」
遠賀は対照的に静かに言った。
「よし! じゃあ続けるぞ! 実は……、さっきも言ったが、上川が組長の座に収まって以来、奴と俺の関係は、ずっと折り合いが悪いままだった。それに当時、確か夏の終わりぐらいからだったかなあ……。俺もいつまでヤクザやってて良いのかって気分になってた。田舎のお袋がそう長くないって話だったんだ。だから死ぬ前にカタギに戻ろうかってな……」
この東館の話は、むしろ犯行からは遠ざかっているようにすら思えた。
「実際に、事件からそう経たないうちに抜けたよな?」
「ああ、抜けた。95年の年末でな……。正式な形では、96年の正月明けみたいな感じだったようだが」
「じゃあ、その間に色々あったってわけだな」
「そういうことさ……。今からそこをちゃんと説明してやる。ところで、その前の景気付けと言っちゃ何だが、出来れば一服させて欲しいんだが、いいかな? ちょっと気を落ち着けたい」
日下との受け答えを一通り終えてそう言うと、人差し指と中指でタバコを挟む真似をした。
「うむ、わかった。特別だぞ」
日下が胸ポケットからタバコとライターを取り出し、火を付けてやる。そして遠賀が灰皿を東館の方へと押し出した。
「うめえな……。久しぶりのタバコがこんなにうまいとはな……」
噛みしめるような言葉の後、ゆっくりと長く煙を吐き出す。その様子を見ながら、裏の西田達はこの後東館がどういう話をするか、ヒソヒソと話し合ってた。おそらく、犯行の実行が、組抜けの条件だったのではないかという考えを半数近くが持っていたようではあったが、これだけの事件を、当初は組長が信用出来る人間(つまり大原)に任せたことを考えると、明らかに矛盾した結論で、西田はその点が全く納得出来ていなかった。
そもそも、本来は大原が実行犯になるべきで、その後の出世がそれを前提になされていたとすれば、大原以外は東館が実行犯になることすら知らなかったはずなのだ。だから、論理的に考えれば、東館の実行が組抜けの条件だったことは、論理的にあり得ないはずだ。一体そこに何があったのか、捜査を超えた興味も湧いて来ていた。そして、東館は灰皿にタバコを軽く置くと、一度背筋を伸ばして話をし始めた。
「その意志については、組には10月の頭ぐらいには伝えていたんじゃないかな。まあ、あっちとしては、俺はどうでもいい、または疎ましい存在だったから、色々やっかいな組抜けは、200万の上納で手打ちって話になった。まあ、穏便に抜ける手切れ金としては、悪くはなかったんだろうが、それについて、兄貴が『餞別』として俺に代わって払ってくれた。どうも組長としては、気に食わない俺が、何も苦しむことなく簡単に組抜け出来ることに、かなり腹が立っていたようだと、組の他の連中から、後々何となく聞いてはいた。ただ、俺としては、正直言って辞められればどうでも良かったからな。むしろ兄貴に対して、更なる借りが出来たなと、そればかりが気になってしまった」
ここで東館は、再びタバコを手にとって吹かした。直接対峙している遠賀も日下も、そして裏の西田達も、今度は一言も発することもなく、東館の話し始めるタイミングを待っていた。しかし思ったより「幕間」が長く、西田は無意識に貧乏ゆすりを始めた。そして、東館はようやく最後に鼻から煙を吐き出し、かなり短くなったタバコに別れを惜しむように、念入りに灰皿にねじ込むと、続きを喋り始めた。
「そんな兄貴が、10月の下旬だったか、『出張』と称して東京から姿を消した。ヤクザの出張って言うと、俺たちの組だと、基本的にシャブの取引絡みとか、まあロクでもねえシノギに関わることなんだ。ただ、それにしても、全く何処に行くかも何をするかもわからないってのは、そうそうあることじゃないんで、俺たち弟分、子分はちょっと気になってはいた。それに、普段は陽気な兄貴が、その前に、やけにシケタ面してたのも気になってたんだ。ただ、その理由を、そう時間も掛からずに俺は知ることになった」
「それは、病院での銃撃のために北見へ行っていた、そういうことだな?」
遠賀にしては珍しく焦ったように結論を求めたが、東館は否定せず、
「まあ簡単に言うと、そういうことなんだよ……。行方知れずの兄貴からは、10月の末に俺の元へ電話が掛かって来たんだ。今でもはっきり憶えてる……。俺が天皇賞で、太(小島太騎手・現調教師)の野郎が乗った、サクラチトセオーって馬の単勝1本に30万張り込んで勝って、キャバレーで豪遊して二日酔いだった月曜の夜に、それが掛かって来たんだ。気分の悪さも話の中身で吹き飛んだ憶えがある」
と言い切った。
この発言を聞いた西田は、すぐに一緒に室内に居た部下の真田に、日付の確認(95年の10月30日。29日が天皇賞)と裏取りを指示した。




