外伝:結婚式(高橋視点)
「やっぱり1人での移動は身軽でいいな」
よく晴れた日曜日。一等地に佇むゲストハウスのエントランスをくぐりながら、俺はスーツのネクタイを軽く直した。今日は、高校時代の同級生である山内大貴と小西由華の結婚式。2人とはクラスこそ違ったが、サッカー部主将とサッカー部マネージャーということでよく知られていた。
賑やかだった2人が10年の月日を経てゴールインするということで、披露宴会場は受付開始直後から懐かしい面々で溢れかえり、同窓会さながらの熱気に包まれていた。
俺自身は数年前に職場の後輩と入籍し、現在は1歳になる息子を持つ父親になった。今日も妻と息子を連れて3人で出席したかったが、1歳児を連れて移動するのは難しく、こういう場に長時間拘束するのも難しい。よって今日は俺1人で出席し、妻が息子の面倒を見ながら家で待機となった。
「お、高橋!久しぶり!お前、パパになったらしいな!」
「久しぶり!毎日寝不足で大変だよ」
懐かしい悪友たちと軽くハイタッチを交わし、案内された披露宴会場へと足を踏み入れた。日常とは異なる空間に感動しながら指定された自分のテーブルに近付いた瞬間、俺は硬直した。
「マジかよ……。もっちゃんと凛ちゃんの家族と同席か……。まあいいんだけど……」
テーブルにはChronos社CEOの最上蓮と、その妻で今でも時々モデル業をしている最上凛。そして彼らの3人の子供と同席することとなる。
「高橋、到着が遅いぞ。受付終了から着席までに3分40秒のタイムロスが発生している。君のタイムマネジメントはいつまで経っても最適化されていないな」
背後から降ってきたのは、氷のように冷たい懐かしい声だった。振り返ると、そこには仕立てのいいダークスーツを着こなしたもっちゃん。その腕にはすやすやと眠る2歳の次男である「翔くん」がしっかりと抱きかかえられていた。
「高橋くん、久しぶり!赤ちゃん大きくなった?」
もっちゃんの後ろからは、今日の主役である新婦よりも絶対に目立たないよう、極めてシンプルなドレスを纏った凛ちゃんが笑顔で顔を出した。大人の余裕と母性が加わって恐ろしいレベルに達してしまったビジュアルに、スタイルは3人出産して子育てをしているとは思えないほどに維持されていた。この家族を見るたびに、俺は10年前の4月1日を思い出さずにはいられない。
◇◇◇
卒業式から2週間ほどが過ぎ、大学に進学して引っ越した俺が1人暮らしの部屋の片付けを終えて泥のように眠っていた時、スマートフォンの通知がひっきりなしに鳴って叩き起こされた。
SNSのトレンドは上から下まで別の言葉だったが、指している内容は同じ。「Chronos社CEO最上蓮とトップモデルの白神凛、電撃結婚」というニュース。
しかし、世間の反応は完全にエンタメだと思っていた。日曜日の4月1日。企業がエイプリルフールとしてSNSにネタを投稿するのは珍しくない。
「天才CEOはやることが違うな!」
「でも前に付き合ってるって公式発表あったよね?」
「付き合ってたとしてもさすがに電撃結婚すぎるだろ」
SNS上では誰も信じず、総ツッコミのお祭り騒ぎ。しかし、天桜学園の同級生で作っているグループチャットは一足先に混沌を極めていた。
俺のスマートフォンを鳴らし続けていた真犯人はこのグループチャット。それを遡っていくと2枚の写真に目が留まった。それは2人の左手の薬指に指輪を付けた写真。そしてもう1枚は、タキシードとウェディングドレス姿の2人が海と砂浜を背景に最高に笑顔な写真。それらの写真に驚きつつ、初めて見るもっちゃんの心からの笑顔に安心していた。
「蓮:僕たちは夫婦になった。これからも凛とChro-Noahをよろしく頼む」
「凛:そういうことだから、みんなよろしく!」
写真の次には2人からのメッセージが投下され、それ以降は根掘り葉掘り聞こうとする輩や、喜怒哀楽をストレートにぶつける輩がチャットを投げる。しかし、2人は写真とメッセージを最後にチャットを投下することはなかった。その数時間後、SNS上にも2人の電撃結婚が事実であるというニュースが流れると、インターネットは文字通り崩壊した。
祝福、悲鳴、大混乱。想定を大幅に超えてしまったSNSはサーバーがダウン。世間が熱狂の渦に包まれている中、2人は新婚旅行と称して早々に飛行機で海外に高跳びしてしまったらしい。
◇◇◇
「高橋のおじさん、こんにちは。今日は披露宴というタスクを遂行するために同行しました」
「おじちゃん、こんにちは!今日ね、あおいはいっぱい良い子にするの!」
蓮にそっくりな理屈っぽい目をした8歳の長男「誠くん」と、凛ちゃんの美貌をそのままミニチュアにしたような5歳の長女の「葵ちゃん」の2人が凛ちゃんの左右の脚にまとわりついていた。
その統率された美しすぎる5人の姿を見て、俺は心の底から驚いていた。自分自身が父親になった今だからこそわかる。育児の大変さを。
「もっちゃん、凛ちゃん。3人も子供がいて大変じゃない?うちなんて1人でも大変なのに」
「高橋、リソース配分と突発的なエラーに対する対応さえ構築しておけば、日常の運用保守の範疇に収まる。それから、凛にこれ以上の非人道的な負荷をかけること僕が……」
「はいはいその辺でね。もう始まるから」
凛ちゃんがもっちゃんの言葉を遮ると、会場が暗転してスポットライトと共に新郎新婦が入場してきた。底抜けに明るい山内が緊張でガチガチになりながらも、しっかりと新婦をエスコートして歩く姿を見て、懐かしさと感動で胸が熱くなる。そしてコース料理が始まって前菜が運ばれてきた時、俺たちのテーブルの上は一変した。
「パパ、この前菜にかかってるソースの粘度だと、フォークから垂れて僕の服が汚れる確率が63%になるよ」
「誠、良い分析だが詰めが甘い。液垂れを起こさない角度を維持して食べなさい」
「パパもお兄ちゃんも難しいお話しないで!ママ、あおいはこれ食べたい!」
「ちょっと待っててね」
もっちゃんは大人しく眠る翔くんを抱っこしたまま誠くんと次元の高いやりとりをし、凛ちゃんは葵ちゃんのお世話に駆られながら、3人の子供全員に目を光らせている。
最上夫妻は今でも世間を大きく騒がせる存在だ。もっちゃんはいつもの謎理論を振りかざして平然と育休を取った時は株主総会が大荒れ。凛ちゃんが久しぶりにランウェイを歩くイベントがあった時は、最前列のVIP席を子供たちの分まで確保して観覧。その時、ランウェイの先端に凛ちゃんが来た際に、もっちゃんたちに向けて手を振った横からの写真がSNSで大きく反響を呼んでいた。
「皆様、大変長らくお待たせいたしました。ここで、新郎の山内大貴様のご友人代表として、Chronos社代表取締役CEO、最上蓮様よりお祝いのお言葉を頂戴いたします」
テーブルの空気が少しだけ引き締まり、もっちゃんは翔くんを凛ちゃんに渡すと眼鏡、ネクタイ、スーツの位置を静かに直した。
「かっこいいスピーチを期待してるよ」
「パパ、がんばって!」
子供たちは声援を、凛ちゃんは信頼に満ちた視線をそれぞれ送り、もっちゃんはゆっくりとマイクスタンドに歩みを進めた。会場中の視線はもっちゃんに集まる。日本経済を動かす若き天才の登場に誰もが固唾を飲んでいたが、大貴に関しては緊張のし過ぎで完全に動きが止まっている。
「新郎の大貴、新婦の由華。本日は2人の新プロジェクトである結婚、本当におめでとう」
もっちゃんはマイクの前に立つと原稿を持つことなくスピーチを始めたが、その第一声で会場の空気がどよめく。この言葉遣いこそがもっちゃん。しかし、もっちゃんのスピーチはここからだった。一切の無駄を嫌うため、最短距離で本質を語る。
「結婚を経営的観点から言えば、お互いの人生のリソースを統合する最大のM&Aになる。そして、僕自身が結婚生活を10年間続けてきた経験から2人に1つだけ伝えておきたい。結婚には高頻度で予期せぬバグが発生する。重要なのはバグを一切出さない設計を目指すことではない。バグが発生したその時に、決してシステムをシャットダウンせず、お互いがお互いの意見を聞き、何度も議論を繰り返し、2人が納得した修正パッチを当て続けることだ。その積み重ねこそが、何物にも負けない強固なセキュリティを構築する」
一見すると冷たいスピーチに聞こえるかもしれないが、その奥にある熱量と真理が会場全体を静まらせ、もっちゃんの紡ぐ一言一句に聞き入っていた。
「大貴、由華。君たちがこれから構築する結婚生活、ひいては家庭というネットワークがどんなバグにも負けず、永久にオールグリーンで維持されることを祈っている。本日は、本当におめでとう」
一瞬の静寂の後、会場内は割れんばかりの拍手と歓声で包まれた。長々と語るのではなく、伝えたいことだけを簡潔にまとめた究極のスピーチ。大貴はぼろぼろ泣きながらもっちゃんに向かって深く頭を下げ、由華もハンカチで目元を押さえていた。
スピーチを終えたもっちゃんは少しだけ満足げで、椅子に座った瞬間に肩の力が抜けるのがわかった。
「さすが僕のパパだ」
「パパ、かっこよかった!」
「やるじゃない、蓮」
子供たちと凛ちゃんに囲まれて、俺は心地よい敗北感を抱いていた。
──この家族には一生勝てないんだろうな。
披露宴も後半の歓談時間になり、新郎新婦の周りには写真撮影の列ができ始めた。
「高橋、僕たちも新郎新婦へ挨拶に行こう。凛、翔は僕が抱っこしよう」
凛ちゃんは翔くんをもっちゃんに渡し、誠くんと葵ちゃんの手を引いて新郎新婦の列に並ぶ。
「大貴、由華ちゃん!おめでとう!」
「高橋!来てくれてありがとうな!奥さんと赤ちゃんにもよろしく伝えてくれよ!」
「おう!」
俺が挨拶を終えると、最上夫妻が2人の前に並んだ。
「大貴くん、由華ちゃん、おめでとう。由華ちゃん、すっごく綺麗!」
「凛ちゃんありがとう!最上くんもスピーチありがとう!」
「大貴、由華。僕と凛は年間300日ほど喧嘩をしている。しかし、お互いの意見をしっかりと聞くことでここまでやってきた。それはこれからも変わらない。それから由華、大貴に不審な動きがあれば僕たちを頼るといい。社会的に抹殺することも可能だ」
「おい!ここで俺を脅すなよ!由華を裏切るようなことはしねえよ!」
大貴が慌てて取り繕うと、新郎新婦の周りは和んだ。披露宴が終わり、ゲストハウスの外に出ると夜空には綺麗な星が瞬いていた。
「それじゃあ高橋くん、また近いうちにね。今度は奥さんと息子さんも一緒に遊びに来て。子供たちも新しいお友達ができるのを楽しみにしてるから」
「連絡するよ。うちの怪獣をもっちゃんに解析してもらわないといけないし」
「幼児の思考ルーティンなどカオスそのものだ。僕は3回も行動予測を構築しようとしたが……、翔、ネクタイをひっぱるな」
もっちゃんは睡眠から目覚めて元気な翔くんの相手をしながら注意を促す。しかしその口元は笑っていた。
「高橋、君の家庭も常にオールグリーンであることを祈っている」
「もっちゃん、ありがと」
俺は駅に向かい、最上夫妻は駐車場へと歩いていった。しかし俺は振り返り、彼らの姿を見送ることにした。凛ちゃんが翔くんを取り上げると、眠そうな葵ちゃんをもっちゃんが抱き上げる。その足元では誠くんが楽しそうに何かを話し、それに対してもっちゃんが理屈っぽいツッコミを入れ、凛ちゃんが鈴を転がしたような声で笑う。
──もっちゃんと凛ちゃんはすごい夫婦だよ。
俺が最強の最上家を目に焼き付けて駅に向かうとスマートウォッチが震えた。そこには、妻からのメッセージと1枚の写真が届いていた。
『もう披露宴終わった?うちの怪獣がこのまま寝ちゃったから写真だけ送るね。気をつけて帰ってきてね』
スマートフォンを取り出して写真を確認すると、そこには離乳食を食べている最中に、口の周りを汚したまま寝落ちした息子の姿が映っていた。
──帰るか!
その写真で今日の疲れが吹き飛んだ。
──もっちゃんのところみたいに完璧じゃないけど、俺は俺の家庭をしっかり守っていくことにするよ。
これにて終了です。
ありがとうございました。




